第56話 地底の囚人

 明人たちは再び露店街に足を踏み入れた。

 初めて訪れたときと同じ光景が広がっている。並べられる雑多な物品、そして一番奥にある娼館。

 そのさらに奥は突き当たりだ。茂みが厚い壁となって行く手を遮っている。その向こう側は隠れていて見えない。


「ゆっきー、あの向こう?」


「おう。あそこを無理やりつっきるらしい」


 と幸十が明人に答えた。


「目立ちそうだが仕方あるまいな」


 と明人のとなりのベルが言った。


「だね。ここでためらっていて、運悪くホフニと出くわしたら目も当てられない。早く行こう」


 明人が言うと、幸十とベルが頷いた。

 ここにいるのは明人と幸十、ベルの3名。千星とアナは別行動だ。


 娼館のほうへと歩き、男娼や娼婦たちの奇異の目をやりすごして、突き当たりの茂みまでたどり着いた。

 チクチクしそうな葉が気になったが、言っていられない。目を閉じてむりやり体を押し込んだ。


「いてててて」


 顔や手の甲を固い葉や枝がひっかいた。

 だが、手が向こう側に抜けた。たしかに奥に広い空間があるようだ。強引に突っ切った。


 抵抗が止んだ。

 目を開けると、丘の裏手に出ていた。

 急勾配の崖の上に、神殿の裏手らしき壁と天井が見えた。その直下には、なにもない崖の前で、なぜか門番らしき男が二人立っている。

 目が合ったと思うと、男の一人が明人をにらんで言った。


「ここは立ち入り禁止だ! 早く去れ!」


 答える前に、明人の後ろからなにかが高速で一直線に2人の見張りのほうに飛んだ。


(ベルの鉾!?)


 明人がそう気づいたときには、鉾が門番の首を通りすぎていた。頭が二つ落ちた。

 門番二人がともに黒い煙となって消えた。


「お見事」


「なに。それより急ごう、そろそろアニーたちも陽動を始めるころ……」


 ベルが言ったその時、遠くから派手な爆発音が聞こえた。

 地面の震えが足を響かせた。


「……始めたらしい」


「派手にやってくれてるね。さすが戦女神と巫女」


 明人もそう言った。

 調査のためにここまで来た明人たちをホフニが襲わないよう、騒ぎを起こしてくれているのだ。

 いったいどうやってあんな爆音をあげたのかはわからないが、ともあれこれならホフニも神殿の裏手の騒ぎを気にするどころではないだろう。


 この世界の武器を使わずに戦っても、モンスターがお金を落とすことはないし、倒した相手から装備品をはげるわけでもない。

 が、そんなことは関係ないと大暴れすることはできる。


「今のうちだ。男たちが立っていた場所を調べよう。きっとなにかあるはずだ」


「了解」


 足早に門番たちがいた場所まで近寄ってみた。

 が、設備らしきものはなかった。土と石の壁があるばかりだ。


「……ハズレかな? そんなはずがないんだけど」


「うむ……。あ、いや。見ろ。取っ手があるぞ」


 ベルが崖の一点を指差した。

 たしかに言うとおり、見張り2人のいた位置のちょうど真ん中あたりに、取っ手がふたつ埋まっている。


「どうだ、明人」


「待ってね」


 ともあれ取っ手なら引っ張れば良いはずだ。

 そう思って、明人は試しに両手で引っ張ってみた。


 すると、思った通り。

 なんと土と石がそのままの姿を保ったまま観音開きに開いていった。

 そのまま大開きに開け放つと、向こう側に地下へと続く階段が現れた。


「ビンゴ」


 大当たり、である。

 しかも、これならよほどの何かがあると考えてまちがいない。

 なにしろ立ち入り禁止の場所に、隠し扉と門番で隠すほどだ。


「よし。行こう」


 とベルが言って中に入っていった。

 明人も続こうとしたが、幸十が立ち止まってなにかを言いたそうにしている。


「どったの」


「悪い、今気づいた。オレ、サラに連絡してくるわ。これだけ派手に騒いでなんの連絡もなしじゃ、あいつも不安だろ。タイミングを見計らってまた合流するからよ」


「神殿に、今から? 危ないよ」


 と言った。

 陽動のため千星とアナが騒ぎを起こしている最中なのだ。茂みのむこうの雰囲気も騒然としている。こんなときに神殿に顔を出したら怪しまれかねない。


「おう、危ねえだろうな。だからこそサラをほっとけねえ」


 幸十は言い切った。

 この男は、いったんこうなったらテコでも動かない。

 それは明人も長い付き合いでよく知っていた。


「……わかったよ。気をつけて」


「悪いな」


 にっと幸十は満足そうに笑った。

 わかってるな、と言わんばかりだ。


「そうだ。灯りがいるだろ。これ持ってけよ」


 と幸十が光るものを明人に投げた。

 受けとった明人がなにかと思って見ると、値札付きライターであった。


「ありがたく使わせてもらうよ」


「おう。じゃ、またな」


 にっと笑うと、幸十は素早く藪の向こうに飛び込んでいった。


「いそがしい男だ。だが、良い友人だな」


「まあね」


 機嫌良く言うベルに、明人も笑って答えた。

 ライターを手にしたまま、斜め下に目を向ける。

 開け放した扉の向こう、洞窟のようになったそこには、暗闇がどこまでも深く続いていた。



◇ ◇ ◇



 ライターの明かりを頼りにして、広い螺旋階段をおりていく。

 用意された建物のはずだが、備え付けの明かりはない。これでは普通に使うこともできなさそうだ。


 神殿の地下であるこの空間は、巨大な逆三角すいになっている。下に行くにつれて幅が狭まっていくわけだ。

 あたりは墓地のように静かだ。風の音もここまでは届かない。動かない空気は淀んでいて、カタコンベのようでもあった。


「いかにもって感じだね」


 ライターの火を消さないよう慎重に歩きつつ、明人はベルに言った。


「うむ。人が入ることを考えていない……というより、入らせたくないように見えるな」


 とベルも言った。

 世界の鍵がここにあるかどうかはわからない。

 だがなにかは隠されているだろう。そう思わせるだけの雰囲気があった。


 石と土でできた階段を、一つ一つ降りていく。

 ぐるり、ぐるりと、大きな螺旋階段を回っていく。

 そうして最後の段を降り、底に到着した。


 とたん、


「何者だ」


 奥の暗がりから、とつぜん聞き慣れないしゃがれ声が飛んできた。

 ライターの火をかざしてみたが、それらしい人間は見えない。そのかわり金属の格子が見えた。


「……?」


 恐る恐る近づいて、ライターの火をかざすと、ようやくどうなっているのかわかった。

 地下牢がある。

 広さは半畳ほど。

 ごく狭い穴に金属の格子をはめただけの、そんな非人道的な設備に、痩せきった男がうずくまっていた。


 先程の声はこの男のものだろう。

 潰れた暗い眼窩がんかが明人の方をむいていた。両目を失っているのだ。

 歳はホフニと同じくらいだろうか。かつては煌びやかであったのであろう衣服は、汚れきってボロボロだ。むき出しの頭に残る傷跡が痛々しい。


「何者か知らぬが、直ちに去るがいい。この場所に入ったと知られれば殺されるぞ。石打の刑で頭をザクロのようにされたくはないだろう」


 しゃがれ声で、めしいた男はそう言った。

 明人はベルに相談しようとして、そちらを見……気がついた。

 ベルががく然として男を見ている。


「……なぜだ」


 ベルがうめくように言った。


「なぜお前がこのような場所にいる。アルバよ」


 アルバと呼ばれた男の顔に、怪訝そうな表情が浮かんだ。


「たしかに私はアルバだが、なぜそれを? 私の名はホフニによって厳重に秘されているはず」


「気がつかないか、アルバよ。私だ。お前は私の声を何度か聞いていたはず」


「……!? まさか。なんたること。ついに私は狂ってしまったのか。迷妄のあまり神の声を妄想してしまうとは」


「そうではない。アルバよ、私はたしかにここにいる。当代の私の預言者とともにな」


「本当に我が神なのですか。そこにおられるのですか」


 アルバは牢屋の格子に手をかけ、すがりつくかのようにベルに問うた。

 ベルがアルバの手を取った。


「その通りだ」


「おお……! どうかこのような醜い姿をお目に掛けることをお許し下さい」


「無論だ。どうして咎めるだろうか」


(アルバだって!?)


 明人にとってもその名は驚きであった。

 その名はベルから聞いている。

 神職に手厳しいベルが、珍しく手放しで褒めていた祭司である。若いころから老いた後まで、人々のために働き続けたという。


 だが、そういえば三界による事件が起きたころの人物とも聞いていた。

 その彼がここにいるのはどうしてなのか。三界の犠牲になるだけなら、このような場所に閉じ込められることはないはずだ。


 ベルの表情もかたい。

 おそらく、彼も嫌な予感がしているのだろう。


「まさか我が神に直接お目にかかれる日が来るとは。目が潰れていたことは幸いです。直接見ては死んでしまったことでしょうから」


 アルバはベルの様子にかまわず、彼を讃えた。

 めしいた彼はベルの固い表情に気がつけないのだろう。


「見たら死ぬって?」


 小声で聞くと、


「闘争界でお前が焼きつきかけたろう。あれのことだ」


 とベルは答えた。


「ああ」


 『神の力に触れようして耐えきれずに死ぬ』ことの比喩なのだと気づいた。

 ギリシャ神話のイカロスのようなものだろう。彼は太陽に近づきすぎたために蝋製の翼を失って墜落死したと伝わる。


「我が神、今はいつでしょうか。永遠とも思える長いときが過ぎたことは私もわかるのですが」


「お前の生きていた頃からおおむね3000年後だ」


「さん……!? なんということ。それでは我が神、私たちの部族はどうなっているのですか。私が祭儀を務めていた、我が神の神殿はどうなっていますか」


「いずれもなくなって久しい。お前の部族は離散し、神殿も消失した」


 ベルが静かに伝える。

 だがアルバは鉄格子にしがみついたまま力なくうなだれた。


「……なんということ。三千年はたしかに長い。ですが、なにもかも滅び去るとは。私たちはなんの為にあの厳しい苦難の日々に耐えて生きていたのでしょうか」


「すべて無駄だったと思うのは早計だ。いずれも形を変えて残った。教えの一部は別の宗教に引き継がれたし、血脈も世界に散って世界各地で生き延びている。この明人……今の私の預言者も、おそらく子孫の一人だろう。ホフニが目の敵にしていたことからも、その公算は大きい」


 とベルが意外なことを言った。

 明人にとっても驚きの推察だったが、考えてみれば明人にも心当たりがないではない。

 おおむね単一民族とされる日本人であるが、実のところ古代から海の向こうとの交雑があった。いわゆる渡来人である。そして、渡来人を祖にするという言い伝えは、たしかに古宮家にも残っているのだ。


まことにございますか。素晴らしいことです。神が褒め称えられますよう」


 アルバがぎこちなく笑った。顔の筋肉がうまく動かないのかもしれない。

 ベルはうむとうなずくと、その顔を引き締めた。


「それで、アルバよ。私はどうしても聞かねばならない。なぜお前がこのようなところに囚われているのだ? 三千年以上死にきれないことも、このような場所に幽閉されることも、よほどのことをしなければ身に降りかかる災いではない。いったい何が起きた。いや……、お前は、いったい何をした?」


「それは……。いえ、なにも……」


 アルバは口ごもった。

 その様子は罪におびえる罪人のそれだ。

 なにもしていないことはないだろう。


 ベルは辛そうな顔をしたが、それでもすぐに表情を改め、厳しく言った。


「嘘をつくな。この世界にいる以上、三界の成り立ちにお前が無関係なことがあろうか。正直に申せ」


 アルバはしばらく黙っていた。

 だが、ついに黙っていることはできないと観念したか、重い口を開き始めた。

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