第55話 もう一人の預言者

 ホフニの神殿からいちもくさんに逃げ出して、露店街を抜け、商店街の人混みをかわし、城門の外に出ると、風が舞い砂が吹く荒野が明人たちを迎えた。


「はーーーーっ」


 千星が大きく息を吐いた。

 誰もいない寂れた風景も、今の明人たちにとっては平穏と安全の保証だ。

 一応門番人形はいるが、気にするほどの相手ではない。


「怖かった! めちゃくちゃ怖かった! なにあれ!? ほんと、なにあれ!?」


 涙目で矢継ぎ早に言いながら、落ち着こうとしてか明人の手を握った。

 その手はまだ震えていた。

 無理もない。正体を表したホフニの姿は恐怖そのものであった。あれが相手では、たとえホッケーマスクの殺人鬼であっても武器を放りだして逃げ出すことだろう。


「ヤバかったね」


 千星の手を握り返しながら、明人も息を吐いた。

 その場にへたりこみたかったが、ぐっとこらえた。

 千星の前である。見栄を張らねばならない。まして今は手を繋いでいるわけであるからして。


「うかつであった。よもやあれほどの化け物が潜んでいようとは」


「ええ。恐ろしい相手でした」


 ベルも珍しく疲れた様子だ。

 アナもしおしおしていた。

 明人の体調は神殿を出たときに回復したから、ベルたちも力は戻っているはずだ。それだけ気疲れしたということなのだろう。


「ゆっきーがコーエンさんと一緒に割りこんでくれなかったらヤバかったね」


 と言った。

 判断が甘かった。

 いかなければしかたなかったのはもちろんだ。危険も承知していた。

 だが、あのハエの悪魔――大神官ホフニが想像のはるか上をいったのだ。


「うむ。最悪、あそこで全滅だったな。そもそも八神が待ち合わせ場所を神殿にしなければ遭遇せずに済んだかもしれないが、それを差し引いても功績は大だ」


 千星が、だいぶ落ち着いてきたのか、そっと明人の手から自分の手を離して言った。


「八神くんとコーエンさん、うまくアイツをごまかせると良いけど」


「うん」


 入り口そばの舞台ステージ状の大岩をなんとはなしに見ながら、明人は唇を噛んだ。

 そう。心配の種はまだ尽きていないのだ。

 幸十はホフニ相手に一対一で芝居を打って、ごまかしきらねばならないのである。しくじれば死ぬことになろう。なぜか神殿で下女働きをしていたサラ・コーエンが手助けしてくれているようだが、困難なことはまちがいない。


「いつまでも来ないようなら、八神の様子を見に行こう。だが今は待つときだ」


「そうだね」


 明人もうなずいた。

 明人たちの正体はホフニに既に知られている。下手に動いて、幸十が明人の仲間と気づかれたら台無しである。下手にうごけない。


「あの大神官はやっぱり悪魔ってやつなのかな。『誘惑する者』という意味の悪魔じゃなくて、超常的な存在って意味で」


「いや、人間だ」


「人間……あれが?」


 あの人型の蠅の群れはどう見ても人間の姿ではなかった。


「もちろんただの人間ではないがな。いわゆる亡霊だ。物質界の自分の肉体はすでに失い、精神だけ上位世界にこびりついているわけだ」


「亡霊……」


 言われて思いだした。

 人間はもともと肉体と精神で、物質界と上位世界の両方に属する存在だという。普通は肉体が死ねば精神も死ぬのだが、なんらかの理由でフィードバックが働かないと、精神だけが上位世界に留まって生き残ってしまうらしい。


「あの男は自分が三界の創造主と言った。となれば三界が発生し始めたころ、つまり紀元前1000年前後の人間だろう。そう考えればこの虚栄界を三千年前の風景に似せられた理由もわかる。おそらく、その時なんらかの事故が起こって物質界と完全に切り離され、上位世界にのみ存在する状態になったのだ。おそらく、元は光の神を崇めていた神官だろう。……彼も嘆いていような」


 とベルが嘆息した。

 アナが同意を示すようにうなずいた。


「あの見事な実力。大神官の名はダテではないでしょう。おそらく物質界にいたころから神秘に通じていたのだと思います。実力は本物だった者が、なかば狂気に陥っているわけで、控えめに言っても最悪です。……もっとも、私としては、光の神がこんなときになっても超然主義を決め込むほうが気になるのですけどね。信仰していた人間が勝手に動いたからと言って、奉じられていた神に責任が生じるわけではありませんが、それでも無関係を決めこむのはいかがなものかと」


 と不服げにアナが耳をイカミミ状にした。

 ベルは相づちを打つだけ打って、しばらく考えていたが、


「その話は八神が来てからでよかろう。確認を取りたいこともあるのでな」


 とだけ答えた。

 噂をすれば影、であろうか。

 ちょうど幸十が門から出てきた。

 きょろきょろと外を見まわし、明人たちに気がつくと、いちもくさんに駆け寄った。


「おお……! よかった! 今度こそ合流できたぜ」


「ゆっきー! よく無事だったね!」


 安心したように言う幸十を、明人も喜んで出迎えた。

 心底ほっとしていた。

 話している間も、幸十がいつ来るかとやきもきしていたのだ。


「おうよ。まっ、ほら。オレって演技派だから?」


「ネコを被るのは訳が違うよ。相手もシャレになってなかった」


「それな。マジでシャレにならなかったわ。何回死ぬと思ったかわかんねえ。……あんなところで待ち合わせようなんて言って悪かった。神殿にあんなヤベーのがいるとは知らなかったんだ。待ってるときにサラが来てくれたから良かったが、そうでなきゃオレもあっきーたちと普通に合流して普通に死んでたな」


「あ、先に来てたんだ?」


「おう。まあ来るなりサラにかくまわれたんだけどな。んで地面に変な模様を書いた円の中で身を隠したまましばらく待ってたら、あっきーたちが上がってきたってんで、ソッコー合流してトンズラ……するはずが、あのヤベーおっさんに先を越されたわけだ。その後はサラに言われて、ヤギ買うために全力で階段ダッシュよ。往復な。後は知っての通りだ。実はあのハエ魔人が正体を表したところも見たぞ。もうホラー映画は一生見なくていいな」


 あのときのことを思いだしてか、ぞぞっと幸十が体を震わせた。


「同感。あれを超える迫力はないね」


 そう言った。

 特に明人の場合、実際に自分が蠅の群れに飲み込まれるところだったのである。あれを超える恐怖などそうはないだろう。あっても困る。


「でも、よくあいつをごまかせたね」


「あー。あいつ、おかしななとこがあってよ。大神官しゅとして扱うとスゲー喜んで、こっちが呆れるくらい警戒が甘くなるんだわ。お前新人か? ってくらいにな。ほれ、教育実習で来た大学生がベテランよりよっぽど教師ヅラしたがることあんじゃん? あんな感じ。ま、おかげで助かったけどな」


「ふうん?」


 不思議に思った。

 ホフニはどう若くみても50才は越えているだろう。新人のように振る舞う年ではない。


「で、見立てが終わったんで神殿にヤギを置いて退散してな。今ここ、って寸法だ。おき去りにしたヤギには悪いことをしたな」


「はは。ま、そのヤギも幻だよ。三界は人の心の世界だからね」


「らしいな。どうにも信じらんねーっつか、ピンとこねぇけど」


 幸十は頭をかいた。

 だがそうであろう。明人もこれまでの経験がなかったら幻と言い切れたかわからない。


「それで、ええと……そちらにいるのがベル様とアナ様、でいいですか?」


 と幸十がベルとアナのほうを向いて言った。

 口調がですます調だ。昼と違って様づけになっているのは、存在を確認できたことで態度を変えたのだろう。


「うむ。こうして話すのは初めてだな。会うほうは物質界で昼に済ませたが」


「今回はちゃんと姿を見、声を聞けるようですね。よろしくお願いしますね、八神さん」


 二柱にチクチク刺され、幸十がばつ悪げに苦笑した。

 昼に『神なんていない』と言いまくっていたツケだろう。


「ええ、よろしくお願いします。それで、『館主様とその妹君様へ』って伝言を預かってるんですが、お二人のことだと考えていいですかね。サラが言うには『綺麗な声の方』かららしいんですが」


「館主とその妹? ああ、それなら私とアニーだ。私は館の主と呼ばれたこともあるからな。だが、綺麗な声の方とはどなたかな?」


「それがサラも『綺麗な声の方』としか知らないらしくて。ともあれ内容だけお伝えしますんで、そこから推測してもらえますか。それでわかるはずらしいんで」


 と幸十は頭をかいた。

 調子こそ軽いが、その意味は重い。

 素直に考えれば、いずこかの神だろう。サラは、明人と同じく預言者ということだ。


(コーエンさんがメモ書きを出せたわけだ)


 そう思った。

 明人がベルから神秘の術を教わったように、彼女もいずこかの神から習ったのだろう。

 もっとも、明人はできて小石を消すくらいであるから、字を書いた紙を出せるサラのほうが一枚上手と言わざるを得ない。


「ならばとにかく聞いてみよう。伝言を聞かせてくれ」


「了解です。二つありまして、まず一つ目が、『自分の預言者や巫女に肩入れしすぎるのはいかがなものでしょうか。神たる者には常に公正さが求められることをお忘れなきよう』だそうです」


 なかなか厳しいメッセージが伝えられた。

 ベルとアナが鼻白んだ。


(光の神か)


 明人はピンときた。

 そもそもこのシャイロウで本来崇められるのは光の神だったという。いかに超然主義を貫く神でも無関係を決めこめなかったのだろう。

 それに、光は闇に隠されたものを明らかにする。ゆえに光の神は知恵、真実、公正なども司るという。公正にこだわる様はまさに光の神のそれだ。

 してみると、サラは光の神の預言者なわけだ。


 思えば、この虚栄界らしい、皮肉アイロニーに満ちた状況である。

 きらびやかな聖なる衣をまとう大神官ホフニはその実とうに光の神に見限られており、みすぼらしい姿をしている下女のサラこそが光の神に選ばれているわけだ。


「しかと伺った。光の神だな。うむ、まあ、たしかにそう言われても仕方ない。気をつけるとしよう」


 とベルは物わかり良く受け入れた。

 だが、


「私もわかりました。ですが事情を踏まえてから物をおっしゃって頂きたいものですね。その預言者や巫女が命の危険にさらされているのですよ」


 アナはだいぶビキビキしていた。


「落ち着けアニー。肩入れそのものを駄目と言われたわけではない。彼だってあのサラという少女に神秘の知識を与えているのだしな。それに、我らが明人と千星にかなり肩入れしているのは事実だ。やりすぎないように、と軽く釘を刺したかったのだろう」


「それはわかっております。公正を司っている以上しかたないことも。ですがあの方の超然主義の徹底ぶりは本当にもう……! もうすこし融通をきかせられないのでしょうか? だいたい見ていたなら、もっと早くから助力して下さっても良いでしょうに! 己の預言者を派遣したのはまだ評価しますが……!」


 とアナはまだプンプンしていた。

 彼女は光の神とあまり相性が良くないのかもしれない。


「あー、すいません。もう一つ伝言があるんですけども」


「ああ、そうでした。ごめんなさいね」


「聞かせてくれ」


「『私は深淵で動きます。表側をお願いします』だそうです」


「む? なるほど、深淵か。三界にもあったのだな」


 とベルが意外そうに言い、


「おや。あの方もとっくに動いていたわけですか。これはどうも……私の早とちりだったようですね」


 とアナも機嫌を直した。


「なるほど。どうりで世界の創造主たちを敵にまわしたにしては、むこうの打つ手がぬるいわけです。まあ連中はもともと『創らせる者』にすぎないようですから、世界が創られた後はできることが限られるのでしょうが、あの方がそれとなく妨害していたわけですね」


「うむ。となると手のひらの数字を出したのもおそらく彼だな。深淵で動けるなら可能だろう。なぜ殺そうとする相手にわざわざ警告を与えるのかと不思議に思っていたが、そもそも前提が違ったのだな」


「ねえ、深淵ってなに?」


「この三界の裏の世界だ。ただし時間も空間もなく、法則だけがある世界で、発見も侵入も普通はできないのだが、彼はなんとかしてのけたのだろう」


「へえ。さすが知恵を司る神」


「うむ。姿を見せこそしなかったが、これまでもおそらくなにかと助けてくれていたのだろう。……しかし、我らに表側を頼むと言うことは、彼も今の状態が手一杯なのだろうな。彼が裏から世界を崩してくれるとは思わないほうがよかろう」


「む」


 たしかにその通りであった。

 裏から世界を崩せるのであれば、表を頼むとは言わないだろう。

 裏方としてにらみを利かせるとは、同時に、表で前線を張れないということでもあるわけだ。


「結局、世界の鍵探しはこちらでやるしかないんですね」


 と千星が言った。

 うむ、とベルがうなずいた。


「鍵、鍵……鍵か。ゆっきー、コーエンさんから鍵のことは聞いてない?」


「悪い、サラも知らねえらしい。下女になったフリをして神殿や町をずっと探してるそうなんだがな。それらしいものが全然ねえんだと。ほれ、今までの例でいや、この世界は金を産むものが鍵になるはずだよな?」


「だろうね」


 貪食界では食べ物を産む【魔法の釜】が、闘争界では武器やモンスターを産む【女王の王笏】が、それぞれ世界の鍵であった。となれば、虚栄界ではお金を産むものが世界の鍵であろう。


「けど、この世界の金は町の外のモンスターを退治したら出てくるだろ。モンスターが鍵ってことはありえねえ。なにせ毎日わんさか湧いては倒されてるんだからな。あれが鍵だったら、とっくにこの世界は崩れてる」


「たしかに。手詰まりだな……」


「あ、待て待て。ただ、調べられなかった場所ならあると聞いたぞ。神殿の丘の裏だ。なんもねえはずのさびれた場所なんだが、なぜかいつも見張りがいて近づけないんだと。サラも調べるに調べられなかったらしいわ」


「へえ?」


 ベルが耳をピクリとさせた。


「あやしいな。なにか隠されているのではないか」


「かもね。行ってみようか」


 明人がそう言うと、うむ、とベルがうなずいた。

 が、千星が心配そうに言った。


「だいじょうぶ? 神殿近くだよね。またホフニとばったり出会うかも」


 当然の懸念である。危うく死にかけたのだから。


「たしかにね」


 次に出会うと、さすがにサラや幸十に割りこんで貰うわけにいかないだろう。

 どうしたものかと腕を組むと、今度はアナがちっちっちっと指を振った。


「なにを手ぬるいことを言っているのですか、千星ちゃん。闘争界を離れて早くも平和ボケしましたか」


「え?」


「こういうときこそ私たちの出番でしょうに」


 そう言ってアナが右の拳を左手にたたきつけた。

 その顔には、ひさしぶりに戦女神らしい剣呑な笑みが浮かんでいた。

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