第57話 すべての発端

「発端は近くの部族とのいさかいでした」


 牢の中からアルバは語り始めた。


「よくある揉め事と当初は思っていましたが、そのときは違いました。羊飼いの子ども同士のささいなケンカが、その親同士の争いになり、戦士同士の戦いになり、気がついたときには部族同士の戦争になっていました」


 民族紛争ということだろう。


「それでも丸く収めようと手を回していたときに、とつぜん現れたのがホフニです。彼はその恐るべき力をもって我が部族を呪いました。彼がただのペテン師の類であれば良かったのですが、悪いことにその実力は本物でした。我が部族の者たちの多くが心を病むようになってしまいました。そうなると私も応戦せざるを得ません。私は彼を呪いました。我が神が呪いを嫌うことは存じておりましたので、御目に留まらぬよう、身を隠しながら」


 とアルバは言って、眼球のきえた両目でベルのほうをうかがった。

 現代風に言えば、互いに悪意を相手の民族に伝えあって、精神的に傷害した、といったところか。実効性の有無はともかく、戦争に呪術が関与することはめずらしくない。近代日本でも太平洋戦争の際には加持祈祷が行われたという。


「なんということを……。どう転ぼうとろくな結果にならないことは、お前ならわかっていただろうに」


「申し訳ございません。愚かなことをしたと今では悔いております。私は驕っておりました」


「ふむ……。それで、どうなった」


「ここにいることからお察しになれましょうが、私は呪詛合戦に敗れ、殺されました。ホフニはお世辞にも褒められた人間ではありませんでしたが、その力は本物でした。彼を補佐できる神官が二人いたことも、私にとって苦しい点でした」


 アルバは後悔を表すように首を振った。

 負けたことを悔やむのか、それとも呪ったことを悔やむのか。あるいは両方かも知れない。


「最期の瞬間、ただでは死なぬと私は道連れを狙いました。それだけはうまくやれたようです。ですが、気がつけば私はホフニたちとともに在りました。この呪われた世界とともに」


「力が上位世界に残り、三界の土台になってしまったのだろう。実力者同士が全力で呪い合い、しかも結果的にとはいえ己を生贄に捧げてしまったのだから、そうもなる。お前はかけられた呪いを返すだけにすべきだったのだ。呪われたからと己まで呪ったのでは、互いに循環してしまう」


 ベルはため息をついた。

 アルバは体を縮こめていた。


「その後のことは、ご覧の通りです。私は幽閉されました。そして、死に損ないとしてこの呪われた世界で嘆きと共に生き続けることになったのです。自分のせいでできてしまったこの呪われた世界が、多くの者たちの道を誤らせ、はなはだしくは横死させていたことも知っております。……愚かなことをしたものです。人々を善導すべき祭司が、結局は人々を苦しめ続けているのですから。呪った者の末路は悲惨なものと相場が決まっておりますが、よもや……、よもやここまで酷い結末が待ち受けるとは思ってもみませんでした。死さえ与えられず、後悔と苦痛に満ちた日々が永久に続くなどとは。私は、愚かでした……」


 アルバの声は嘆きに震えていた。

 鉄格子にしがみつくその手が強く握りしめられていた。

 目のない彼に涙は流せない。だが、たしかに泣いているように見えた。


 ベルが悲しそうに肩を落とし、耳を垂れさせた。


「ホフニたちが人々を騙して三界を創らせている力の源泉は、奴らとお前との呪い合いであったのだな……。まさかお前にこのような運命が降りかかるとは。そのような経緯なら、おそらくホフニたちとお前は三界に完全に組みこまれてしまっていよう。というより、三界自体が呪いであり、呪ったお前たちが三界そのものなのだ。気の毒だが、この三界という呪いが消滅するまで、お前が解放されることはあるまい」


 はっとしてアルバがベルを見た。


「お待ちください。それでは、この呪われた世界が消滅すれば私も死ねる、ということになりませんか」


「おそらく可能だろう」


「おお! 神よ。どうかお助け下さい」


「最善を尽くそう。今、私はこの若き預言者とともにこの三界の消滅のために動いている。おそらく力の源泉があるのは土台の部分だろうから、表層を崩すだけで解決するかどうかは、なんとも言えないが」


「なんと、すでに動いてくださっておりましたか。どうかよろしくお願い致します。許されますなら、預言者様のご尊名もお伺いできませんか」


 とアルバが言った。

 ベルの視線にうながされ、明人は手短に自己紹介した。


「遅れましたが、古宮明人です。姓が古宮、名が明人」


「アキト様ですか。ご迷惑をおかけいたします。このようなことをお願いできた身ではございませんが、なにとぞ、なにとぞよろしくお願いいたします」


 アルバが明人に深々と頭を下げた。

 みすぼらしい細身で懇願するそのさまを見て、明人は悲しくなった。

 アルバは神職嫌いのベルでさえ認めていた高徳の祭司である。いわば明人の先人だ。ベルから彼のことを聞いて、明人も尊敬していた。

 それなのに、かくも身をやつした姿を見ることになろうとは。


「……なんとかやってみます」


 できる限度で請け負った。

 成功は保証できない。だが全力を尽くすことだけは請け負える。


「ありがとうございます。……ありがとうございます」


 枯れ木のような体をなんどもアルバは折り曲げた。

 そのアルバに、ベルが問うた。


「ところでアルバ。先ほどから気になっていたのだが、お前、その目はどうした。ただならぬ潰れ方をしているが、まさか光の神まで呪わなかったろうな」


「それは……ホフニの部族の奉じる神でしたので」


 言いづらそうにアルバが答えた。

 ベルがぎゅっと目を閉じて天を仰いだ。


「なんということを。あの超然主義者が部族のいさかいなどに手を貸すわけがないだろう。呪う理由がない。なにより、彼は光であり、真実であり、知恵だ。その彼を呪うことは、光、真実、知恵を無用と呪うに等しい。人の呪いが神に届くはずはないことも、恐ろしい報いが返るであろうことも、お前なら想像できたであろうに」


「怒りと憎しみが目を曇らせました。戦争による悲惨も、呪い続ける日々も、私を血迷わせるには十分なものだったのです」


「なんという……。部族の長たるものが呪い合いに手を染めるだけでも罪深いというのに。ホフニもホフニだ。大神官ともあろう者が軽々しく呪いに手を出しおって」


「え? いえ、私が敗れた相手はたしかにホフニですが、彼は大神官ではありません。あくまでただの神官です」


「なに。しかし、あの者は大神官と名乗っていたが」


「勝手に名乗っているだけでしょう。ホフニはたしかに大神官となる血筋の者で、実力も十分でした。しかしそれを鼻にかけ、己が神であるかのように振る舞いはじめたため、後継者の資格を剥奪されたのです。もちろんあの者は怒り狂ったそうですが、実父でもある当時の大神官は頑として彼の復権を認めなかったとか。そもそもホフニがいさかいに首をつっこんで呪いに手を出したのも、元はと言えば功を立てて復権への足がかりにしたかったからと聞きます」


「ふむ……。そうであったか」


 とベルは腕を組んだ。


(なるほど)


 横で聞いていて、明人も納得していた。

 ホフニは生前の職を名乗っていたのではなくて、大神官を僭称せんしょうしているにすぎなかったわけだ。

 いや、僭称というのは正確さに欠けるかもしれない。

 本来は就くはずだった大神官の座にこの幻の町で就いた、というほうがより正しい認識なのだろう。少なくとも、ホフニに言わせれば。

 神殿の前に立てられていたあの巨大なホフニ像は、自己顕示欲だけでなく、大神官になるはずだった己の未来を奪われたことへの恨みや怒りの大きさの表れでもあったわけだ。


(さすがあのホフニを相手にして相討ちまで持っていけた祭司だ。このような場所に幽閉されていても事情によく通じてる)


 そう思った。

 これなら、世界の鍵のありかも知っているのではないか。


「あの、アルバさん」


「明人、祭司アルバと呼ぶ方がいい」


「あ、そうなんだ。じゃあ改めて、祭司アルバ。教えて欲しいことがあるんです」


「預言者のアキト様にそうお呼び頂けるとは面はゆいことです。なんなりとお聞き下さい」


 とていねいにアルバは答えた。


「俺たち、世界を崩すための鍵を探しているんです。ご存じないですか?」


「鍵、ですか?」


「はい。それを壊せば世界が崩れるんです。そうして俺たちはここに来る前に二つ世界を破壊してきました」


「アーチの要石のようなものですか。そのようなものがあったとは初耳ですが、なるほど、あっても不思議はありませんね。おそらく、この呪われた世界に囚われた人々の、このままではいけないというかすかな思いが、そのような抜け道を残させたのでしょう。幽閉された私が、この深い穴に通じる扉と螺旋階段だけはなんとか用意したのと同じように」


 アルバはただちに理解した。さすが神童と呼ばれた男である。

 これなら、と明人は期待したが、


「あいにく心当たりはございません。というより、おそらくこの世界に鍵はないでしょう」


 アルバは愕然とさせることを言った。

 ベルも耳をピクリとさせた。


「それは、どうしてですか?」


「これまで我が神とアキト様が訪れた二つの世界は、ホフニの手下たち二人――エルロアザルとセネメレクが人々に創らせた世界でした。簡単に崩せるようなスキがあったのは、彼らが未熟者であったが故です。ですが、この世界を創らせたのはホフニです。あの者は神の領域に手をかかるほどの実力者。世界に一突きで崩せるようなスキを残すとは、とても思えません」


「そんな。じゃあ、この世界は崩せない……と?」


「……」


 アルバはしばらく考えこんだ。

 無言の時間は不安であったが、明人もじっと待った。


「鍵の代わりになりえる存在でしたら、一つだけ心当たりがあります」


「それは?」


 明人が勢い込んで聞くと、アルバはふふっ、と笑いかけた。


「他ならぬ預言者ですよ。すなわち――アキト様、あなたです」

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