第43話 一度きりの切り札

 空に浮かぶ無数の銃口が、それぞれ明人、ベル、千星にむいた。


(……ダメか)


 明人はまっすぐ自分をむく兵器群を見上げ――しかし、できたのはそこまでだった。

 まもなく一斉射撃が始まる。

 明人と千星は銃砲弾の嵐のうちに散る。

 この世界への中継者を失うベルとアナも脱落だ。

 全滅、である。


 そのとき、透良のほうから影が気持ち悪く伸びた。

 千星の元まで届いたと思うと、ハエの群れがわきあがった。

 あの緑肌のぎょろ目の男が、千星の近くに降り立った。


 例のごとくうつむいて何かをつぶやいているが、今回は前と違う。

 その不気味な金壺眼かなつぼまなこが千星を明確に捕らえていた。


「そっちだと!?」


 透良はあの兵器群を使う。そう思いこんでいた。

 だから完全に虚をつかれた。


「えっ!?」


 だが透良の驚きの声が聞こえた。

 彼女にとっても予想外であったのだ。


 その場の全員を出し抜いたセネメレクが、その暗緑色の手を千星の首元に伸ばした。

 けがれた手だ。触れるだけで凶事が起こると予感させる、そんな手。


 とっさに千星が軍刀の柄に手をやった。

 だが避けるべきだったのだ。

 間にあわない反撃を試みるのではなく。


 刀を抜ききることさえかなわぬうちに、千星の白い首が、穢れた両手のうちに落ちる。

 そのはずだった。


 セネメレクの腕が枯れ木のようにちぎれて空を舞っていた。

 遅れて重い破裂音が届いた。超音速の銃弾は銃声より先に着く。

 汚い暗緑色の腕が二本、伸ばしたままの形で地に落ちた。


「――!?」


 千星も驚いていたが、セネメレクはそれ以上であった。

 正気が残っているかさえ怪しかった彼が、なにかを問うかのように、その濁った瞳を丘の上へと向けた。


 丘の上から透良が男を見下ろしていた。

 その上空で二丁の狙撃銃が発砲煙を上げていた。


「横取りか? クソ野郎」


 透良の声は怒りにふるえていた。

 焼き尽くすような鋭い眼光が敵意をあらわにしていた。

 当然だろう。

 彼女にとって、この戦いは残りわずかな人生における最後の彩りだ。それをセネメレクは、彼女にだまって台無しにしようとしたのだ。


「今すぐ引っ込め。でなきゃお前から殺す」


 透良の低い声とともに、空の無数の銃口がセネメレクに向いた。

 カラ脅しではないことは明らかだ。あわてて千星がセネメレクから離れた。


 だがセネメレクも透良を憎々しげににらんだ。

 ヘドロのごとき悍ましい殺意がそのギョロ目に宿る。

 両腕のもげたセネメレクの肩口から黒い粒状のものがこぼれる。

 透良の黒煙に似ているが、さらに禍々しい。

 

 それが耳障りな羽音を立てて飛びはじめた。

 蠅だ。

 蠅そのものが武器なのか。

 それとも距離を詰めようとしたのか。

 骨が、肉が、皮が、次々に蠅と化し、透良に向けて飛ぼうとする。


「マヌケが」


 明人や千星には一度もむけられたことのない、憎悪の響きに満ちた侮蔑が発せられた。

 直後、鉄の奔流が、飛びかけていた蠅ごとセネメレクを一瞬で飲みこんだ。


 一瞬。

 本当に一瞬であった。


 一斉射撃の轟音が止み、首だけとなったセネメレクが地に落ちた。

 ボールのように地面を転がった。

 偶然にか透良のほうをむいて止まった。


「しょぼい、しょぼい。しょぼいよねえ、セネメレク。体は蠅にできても、動きが人間のままだ。ぱっと散開すればいいのに、ひとかたまりでないと動けない。しょせん人のままなんだよ。そんな化け物に変わっても――」


 生首だけとなったセネメレクを、透良は何度も鞭打つようにけなした。

 だがセネメレクもまだ生きていた。恨みがましいぎょろ目を透良に向け、口をもごつかせていた。


 だがそんなセネメレクに、透良が人の悪い笑みを浮かべ、


「――世界の設計者を気取っても、さ」


 その正体を無造作にあばいてのけた。

 生首ががく然とした。はじめてつぶやくのを止め、口と目をあけっぱなしにした。


 透良が冷笑を浮かべた。


「『そのことは教えなかったはず』? 甘いんだよ。クイーンはこの世界の全ての人の心を統べる者。この世界で生き、死んだ、みなの意思を受けつぐ者だ。みなの気づきだって受け継ぐんだ。すると、あらたに見えてくるものもある。この世界を創ったのは、たしかにあたしたちだった。殺したいから、殺すために、、殺し合うための世界を創り上げた」


 誘惑に乗って、の部分をことさら強調して透良は言った。


「でも、だよ? ってことは最初に画を描いた上で誘った奴がいたはずなわけだ。誰だ? 世界を設計し、あたしたちを誘い、実際に世界を創らせ、そのときに死ぬ罠をこっそり仕込んだ、そんなクソ野郎がいるとしたら、そいつは誰なんだ?」


 赤い目が冷たく生首を見下ろした。


「お前しかいないしょや、セネメレク。誰より先にここにいて、誰よりこの世界のことを知っていて、誰よりこの世界を保とうとしていた、お前しか」


「……」


 生首は応えない。

 だがその怒りと屈辱に歪んだ顔が、透良の告発を真実と認めていた。


「この際だからぶっちゃけるけどさ。どっちにしろお前も殺す気だったよ、セネメレク。なにしろここは殺すための世界だ――お前だけが例外なわけないっしょ?」


 首だけとなって文字通り手も足もでないセネメレクに、透良が冷たく笑ってみせた。

 空に浮かぶ無数の銃口が、ふたたび向きを調整し、歯がみする生首を冷たく狙った。


「アニー」


 ベルが小声で妹に呼びかけた。


「もうじき仲間割れが終わる。そうなれば今度こそ我らの番だ」


「兄様? なにをなさるおつもりです」


 アナが同じく小声で問うた。


「あれに透良がトドメをさしたスキをついて、私が吶喊とっかんする。お前はなんとか明人と千星を守ってくれ」


「無茶です。そのていどの策が通用する相手ではありません」


「そんなことはわかっている。だが、それよりマシな手がなかろう」


 ベルが悲壮な覚悟を口にした。


「それは……いえ」


 そこまで言って、アナはいったん言葉を切った。

 明人はアナの視線が自分にむいたのを感じた。

 彼女はこの場に現れていないが、それでもだ。


「兄様。言いづらいのですが、手がなくは……」


「アニー。誰がなんと言おうと、我らは神だ。生贄を求めるような真似をしてはならない」


 アナの言葉を、ベルは途中でさえぎった。


「……。承知いたしました」


 アナが沈痛な声で了承した。

 ベルが鉾を握り直した。


(ダメだ)


 失敗の予感が胸をしめつけた。

 ベルが打とうとしているバクチは、実際は賭けにもならない。

 まともな勝算があるなら戦女神アナがどうして止めるだろうか。


 もちろん、おそらくベルもわかっているのだろう。

 わかりきった上で挑もうとしているのだろう。

 それ以外の手がないから、と。


 だが手段を選ばなければ、取れる手がもう一つあるのだ。

 それは、ベルがおそらく気づいていながら捨てた手段。

 そしてアナが本当は具申したかった手段。

 戦女神が、勝算があると見なした本当の切り札。


「……」


 すぐに口にできなかった。

 切り札の代償の大きさを知っているからだ。


 だがこのままでは今度こそなにもできずに全滅する。今、こうして検討する時間があるだけでも奇跡のたまものなのだ。

 だから黙っておかなかった。


「ベル、待った。もう一つ手があるでしょ」


「お前に憑依しろと言うなら却下だ」


「なんだ。やっぱり気づいてたんじゃない」


 そう。

 それは、ベルが禁じ手にした、明人への憑依。

 明人たちが使える一度きりの切り札――自爆攻撃。


「明人。もう黙れ」


 ベルの殺気だった鋭い目がじろりと明人をにらみつけた。

 だが黙らなかった。


「俺だってやりたくない。でもやらなきゃ全滅だ。ベルもわかってるでしょ」


「見込みがないわけではない」


「でも、ほぼない。『0.1%は0%じゃない』なんて言わないでよね。そんなの0%と同じだ。賭けにならない」


「明人よ」


 ベルは低い声で己の預言者の名を呼んだ。

 視線がいらだちを伴って鋭く明人を刺した。


「お前は七日目の朝を生きて迎えるのではなかったのか。我らはそのために努力してきたのではなかったか」


「絶対に死ぬとは限らないんでしょ」


 たぶん死ぬだろうと思ってはいたが、あえて明人はそう言った。


「っ! ええい! ああ、お前の言う通りだ! 私が突っこんだところで勝算はなきに等しい。だがな! お前に憑依したら、お前が無事で済む可能性はそれよりもさらに低い! お前は、私にお前を生贄にさせる気か!? ここまでともに歩んだお前を!? お断りだ。公平性を欠くとしても、神として不心得でも、私は、お前をこそ生き残らせたい……!!」


「……気持ちは嬉しいけど、そんな覚悟で透良とはやれないよ。あいつは本当に自分の全てを賭けてた。だからあんなに強くなれたんだ。同じものを賭けないと、たぶんあいつには届かない。怖くないといえばウソになる。けど、命を惜しんでばかりじゃ駄目なんだよ。きっとね」


 ベルは歯を食いしばり、しかし反駁しなかった。

 彼も本当はわかっているのだろう。今回は、明人のほうが正しいと。


 明人は横目で千星を見た。

 綺麗で、優しくて、気丈で――最高の女の子だ。

 やっても、やらなかったとしても、どうせ自分が生き残る見込みはほとんどないのだとしたら。

 せめて彼女が生き残るほうがいい。


「頼むよ、ベル」


 あらためてベルに頼みこんだ。

 明人を見上げるベルが泣きそうな顔をした。

 神でも無力に苦しむことがあるのだと、明人はこのとき初めて知った。


「……わかった」


 ベルは折れた。


「もしかすると奇跡が起きるかもしれん。どうか最後まで耐えてくれ。……神が人に言うことではないのだろうが、お前を信じるぞ」


「うん。そうして」


 そう答えて、明人も自分を信じた。

 なんの保証もない、本当の土壇場どたんばでできることは、自分を信じることだけであろうから。

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