第44話 疾風迅雷

 銃声と砲声がとどろき、鋼鉄の嵐が首だけ残っていたセネメレクを消し飛ばした。


 離れた位置に落ちていた彼の両腕がどろりと溶けて地に吸いこまれた。

 服の切れ端さえ残らなかった。


「お待たせ」


 透良が明人たちにおどけて言った。

 その声の調子はどこまでも平静で、まるで待ち合わせ場所で友人に呼びかけるかのようだ。

 死と殺しに魅入られた今の彼女には、セネメレクの処断もさして感慨を抱くほどのことではなかったのだろう。


「なにやらボソボソ口げんかしてたみたいだけど、今のスキに突っこんできてもよかったんだよ?」


「いくつか銃がこっちを向いていたのに?」


 かたい表情で千星が言った。腰の軍刀に手をかけながらも、彼女は先ほどから一歩も前へ踏み出せていない。

 透良がニヤリと笑った。


「気づいてたか。うんうん、そうでなきゃね」


 上空の銃がいくつか、360度回転した。


「ちなみに今動いた奴だよ。あってた?」


「バカにして!」


「遊ばれていますね」


 悔しがりながらも動けずにいる千星たちを、しかしすぐに殺すことはなく、透良は満足げに眺めていた。

 この世界の究極を手にして高揚していたのか。

 それとも、終わりにするのが惜しかったのか。


 たぶん両方なのだろう。

 彼女にとって、明人と千星は残りわずかな人生における最高の煌めきである。二人を殺した後は、もうなにも残っていないのだ。


 だから無理もない。

 しかし、それでも、それは彼女らしからぬ手抜かりだったのだ。

 油断であったにせよ、未練であったにせよ、無理もなかったのだとしても尚、それは手抜かりだった。


 ベルが静かに明人から目を離し、透良のほうを向いた。


「透良よ」


「うんっ?」


「あいにく次はこちらの手番だ」


「ふうん。だから」


 いかにも『興味ないんだけど』といった風で、透良は適当に受けながした。


「神は慈悲深く、寛容で、しかも忍耐強くあられる――などと言い習わす際の『神』は、あいにく私のことではない。私は、怒るときは怒るのだ。私は天の神だが、それ故に雷を司ってもいるのでな」


「ちょい待ち。それ、長くなる?」


 面倒くさそうに透良が言ったとたん、これ見よがしに銃が何丁かベルのほうに向いた。威嚇だろう。もっとも彼女の場合、そのまま撃っても不思議はない。


「千星ちゃん」


 アナがそっと小声でささやいた。


「私が合図したら、ただちに後ろに駆けなさい。ただちに、ですよ」


「わかった。でもどうして?」


「危険だからです。……兄様、いつでもどうぞ」


 アナの小さな合図に、ベルが静かにうなずき返した。透良から目を離さないままで。


「安心しろ、透良。あっという間だとも。なにしろ、疾風迅雷だ」


 とん、と、いつか試した時のように、ベルの手が明人の足に触れた。


 そのときは、それだけで明人の目の前はすぐ真っ白になった。

 しかし今度はすこし違った。

 視界はそのままでベルの姿だけが消え、代わりに体が動かなくなった。


『人に願われるように全知全能でなく』


 明人の耳に、音声が重複して聞こえた。ベルと自分の声だ。

 自分の口を通してベルが話しているのだと気がついた。


 目は透良だけを見すえている。

 視線は動かない。こちらに銃口を向けている恐ろしい兵器たちにも目移りしない。


 それは、まったく迷いがない境地。

 透良だけを――目標だけを見ている世界。


『人に祈られるほど人の世に関わってもいない神が』


 バチン、バチン、と音が鳴り、肌をチクチク刺す感触がした。

 なにが起きているのかはわからない。


『なぜ崇められたのか』


 だが透良がぎょっとして体を強ばらせた。

 顔からそれまでの余裕が消えていた。


「お前っ……なんだそれ!?」


 どのように見えるのか。

 どうなっているのか。

 見たくとも、明人は自分の体を動かして確認することができない。

 だが静電気がはじけるように、自分の周囲がバチバチと青白く鳴り光り、空中に浮かぶ無数の兵器のすべてが即座に自分に向いたのは見えた。


「明人くん!? それ、大丈夫なの!?」


 千星のあわてた声が耳に届く。


「千星ちゃん、今です! 下がりなさい!」


「でも明人くんが!」


「いいから早くッ!!」


「は、はい! 明人くん、ごめん! 無事でいてね!?」


 澄んだ声の祈りが耳に入ったときには、視界はかすみ始めていた。

 音飛びを起こしているかのように、耳に届く音もブツブツと途切れ始めた。

 体の感覚は、もうない。


『知るがいい』


 ベルの宣告と、


「やらせるかあっ!!」


 透良の悲鳴にも似た号令があがるのは、ほぼ同時。


 なにもかもが、ゆっくりと見えた。

 宙に浮かぶ無数の銃と砲が、マズルフラッシュを閃かせる。


 一弾一弾をも確認できるほどのスローモーション。

 この世界に存在するありとあらゆる銃砲弾が、大気を切り裂きながら己に向かい――しかしその全てが雷光に飲みこまれて爆ぜ――それきり明人の視界は白一色におおわれた。


(――!?)


 音が失せる。

 体が消える。

 なにもかもが存在しない。

 いや、存在するのに認識できない。


(白い。みんな白い。やける。やけている――)


 思考さえも断片的に。

 そしてすべてが光におおわれた。



◇ ◇ ◇



 真っ白だった。

 明るかった。

 耳が鳴った。


(なんだ。おれはどこだ)


 一面真っ白だ。

 明るい。

 耳が鳴る。


(あれ。おれってなんだ)


「――! ――!?」


 音がした。

 真っ白な世界に色がついた。


「――くん! あきとくん!」


「あー……。あー……」


 あきとくん。

 なんだろう。

 なんだったろう。


「あきとくん……」


「あー……」


「……嫌だ。こんなの嫌だよ。戻ってよう。明人くん……」


 つめたいものが顔にこぼれ落ちた。


「……?」


 なにかが明人の頭の中で繋がった。

 自分が呼びかけられていたのだと、ようやく気がついた。


 見えていたのは、泣きじゃくっている千星の顔だ。


 明人は地面に横たわった状態で肩をつかまれていた。

 何があったのか、千星は髪も服も濡れそぼっていた。


「……うん。俺、明人」


 そうだそうだ。そうだった。

 そんな思いが、片言の言葉になった。

 千星が驚いたように目を見開いた。泣きはらした真っ赤な顔が、ぱっと明るくなった。


 ぎゅうっ、と抱擁された。しがみつくように、細い腕からは想像できないほど強く。


「明人くん……!」


 震える声で、名前を呼ばれた。


「お、おおっ?」


(なんだっ!? 天国来ちゃった!?)


 いい匂いがして、温かくて、柔らかい。

 だがなにより、千星にこんなに心配してもらえたのが嬉しかった。


 手が動けば抱きしめ返せたろう。だが動かなかった。

 だらんと垂れた腕は、神経が抜けてしまったのかと思うくらい、感覚がうすかった。そこに腕がないのではないかとさえ思えた。

 動かない頭の前で、抜けるような青空が視界いっぱいに広がっていた。


(なんだ? なにがおきた?)


 自分がなにをしていたのか。

 いったいなにが起きたのか。

 まるで思い出せなかった。


 千星にここまで心配されるほどの、なにかがあったのだろう。それはわかる。

 だがわかるのはそこまでだ。具体的になにが起きたのかさっぱりわからない。


 試してみると、今度はすこしだけ手が動いた。

 新しく指に触れた土が、焼けているかのように熱かった。

 雨でも降ったのか、ぬかるんでいた。焦げ臭い匂いもした。


 眼球は普通に動いた。

 横目で見てみると、地面があたり一面真っ黒であった。焼き払ったかのように焦げていた。

 今度は下を見てみると、自分の鼻も煤をぶちまけたように真っ黒に汚れていた。


(この分だと俺も全身真っ黒かな。ちーちゃんの服を汚しちゃうなあ)


 そんな場違いなことが頭に浮かんだ。


 耳鳴りが酷い。

 頭も痛む。

 だが、すこし待つと、しびれが抜けてきた。

 試してみたら、今度は腕がちゃんと動いた。

 左ひじで上半身を起こして、


「ちーちゃん、大丈夫。もう大丈夫だから」


 とんとん、と優しく千星の背を右手でたたいた。

 もうすこしこうしていたい気持ちもあったが、今はどうなっているのか知るのが先だ。


「あ。ごめんなさい」


 千星は素直に離れた。すこし顔が赤かった。

 先ほど泣いていた時とは別の理由なのではないかと思えた。思い上がりかもしれない。


(けど、本当になんなんだ? 一体なにが起きた?)


 と頭を巡らせはじめた。


(ベルとなにかをしたような……?)


 なんとなく、それは覚えていた。

 そのベルが明人の視界の前に現れた。


「なんとかなったらしいな。駄目かと思ったぞ」


 その安堵した顔を見た瞬間、急に最後の記憶の配線が戻った。


(透良と戦っていたんだった!)


 慌てて空を見上げたが、兵器群の姿はなかった。


「……終わったんだ?」


「ああ。勝った。ギリギリな」


「ギリギリ……うん、そっか。そうだろうね」


 いまだに普段よりうまく思考がまとまらないくらいだ。

 たしかにギリギリだったのだろう。もしこれがさらに悪化したら、恐れていたとおり、明人は死ぬか廃人となっていたのだろう。


「でも行けたじゃない。何事もやってみるもんだよ。ギリギリセーフでもなんでも」


 そう言うと、ベルはとたんに不機嫌な顔になった。


「馬鹿を言うな。余裕でアウトだったのだ。本当はな」


 ベルが明人の腕から泥だらけの藁細工をもぎ取って、振って見せた。


「あれ、それは……」


 以前、元気になるお守りと言われて千星に渡された、葦の輪だ。

 焼き切れていた。

 ほら、と胸を突くようにして、ベルが明人に葦の輪を差しだした。


「最後も最後……お前が限界を迎える寸前に、それが身代わりになってくれた。千星に礼を言うのだな」


 受けとって、手の中の汚れた葦の輪を見つめた。

 ちぎれてブラブラしている。

 それが本来の今の明人の姿だったのだろう。


「……そっか」


 命を賭けたのは、千星を助けるためのつもりだった。

 だが結局、本当に助けられたのは明人の方だったわけだ。


「ありがと、ちーちゃん」


「どういたしまして」


 千星がぎこちなく笑った。

 もし気まぐれに彼女がこれを明人に渡していなければ、今ごろ明人は死んでいたわけだ。それを想像すると、無邪気に喜んでばかりはいられなかったのだろう。

 しかし、せっかく彼女からもらったプレゼントを失ったのは惜しく思えた。


「またやるかもしれないから新しいのちょうだい、って言ったら怒る?」


 と冗談めかして軽く言ったら、


「すっごく怒る」


「私もな」


 千星とベルのとても怖い顔が、明人の顔をのぞき込んだ。

 二つの眉間に深く刻まれた縦ジワが、『お前、いいかげんにしろよ』と叱りつけていた。


「ごめん」


 明人はただちに手を上げて降参した。

 もっとも、また作って欲しかったのは本当だったので、機会を見てお願いしようとは思っていた。


「……ところでさ。透良は、どうなったの?」


 二人の表情が、一瞬で凍りついた。


「あちらだ」


 ベルが丘の上を指さして応えた。

 そこには、大地に大量に散らばった黒焦げのなにか――おそらく兵器群――があった。


 その真ん中あたりに、埋もれるようにして、同じく真っ黒な人の形が倒れていた。

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