第33話 女王のチート

 クイーンを追って、討伐隊とともに明人が密林の中に入りこむと、たちまち奇怪な草木にかこまれた。鳴き声らしきおかしな音があちこちから聞こえてきた。


 砂漠のすぐ隣にこんな環境が存在できるのは、三界ならではだろう。

 幸い、クイーンの大きな図体を引きずった後が派手にのこっていて、追跡に問題はなかった。


 殿しんがりとして砂漠に残ったモンスターたちは全滅させた。

 数を頼みに、見通しのいい砂漠へ陣どったのが誤りだったのだ。

 千星と透良の火力の暴威は、グリーンハートの面々のサポートもあって、数百はいたはずのモンスターたちを完全になぎ払ったのである。


「古宮くん、お水お願い」


「はい、どうぞ」


 と明人は千星にリュックから取りだした水筒を渡した。

 休憩する時間の余裕はないから、水分補給も歩きながらだ。

 さっそく千星がコップとなるフタに水を注いでは飲み、注いでは飲みし始めた。隊列の向こうでは、透良が豪快にラッパ飲みしている。

 ちなみに千星と透良のモンスター狩り勝負は無効試合となった。二人とも撃破数を数え忘れたそうである。


(ジャングルだけあって蒸し暑いな……。これはベトナムに似ているのか?)


 歩きながら周囲を見まわして、明人はそうあたりをつけた。

 昔見たベトナム戦争の映画と雰囲気が似ているのだ。

 あるいは本当に映画の影響を受けた地形なのかもしれない。どういうわけか、三界は参加者たちの文化の影響を受けるそうなのだ。


 ふと気がついた。

 隣を歩くベルが、なぜか浮かない顔をしている。


「どうしたの、ベル。眉間にシワが寄ってるよ」


「妨害が甘すぎると思ってな。我らはなにか見落としていないだろうか」


「む」


 なにを弱気な、とは言えなかった。

 言われてみればその通りだ。

 この三界の運営者は、世界を維持する鍵を守るためなら手段を選ばない。さきの貪食界では、キキコーの鬼婆と人食いバエの群れが反則を使いまくって妨害してきたのだ。

 それなのに今回は姿さえ見せない。


「ここからが本番ってことかもよ?」


「かもしれんが」


 ベルは同意したが、心配そうな顔は晴れなかった。



◇ ◇ ◇



 しばらく歩くと濃い藪を抜けた。

 抜けた先は開けた湿地帯であった。

 イネ科らしき背の高い草が、あたり一面に生い茂っていた。


 だがそこにはなぎ倒された後がしっかり残っていた。

 ぐねぐねと道のように続く破壊痕を目で追っていくと、その先に特徴ある3本煙突が突きでていた。


「デカブツの悲哀だね。こっそり逃げるってことができない」


 ベレッタが失笑した。

 討伐隊の面々の目が鋭くなった。だが、その口元は笑っている。


「よし、散開。いつも通り攻撃のタイミングはお姫にあわせて。あ、お姫は私の声が届くところにいてね。ウリ坊くんとおネコ様は、お姫の後ろ」


 ベレッタがテキパキと指示した。討伐隊の面々がそれぞれうなづいた。

 ロン毛と坊主頭が連れだって左側へ離れて行く。


しっかりやれよGood luck


お前Sameもなto you


 軽い調子でそんなやりとりをし、茂みの奥へと姿を消した。


 三十路男と目出し帽の二人は、右側だ。

 こちらは押し黙って、高草たかくさの向こうへと静かに消えていった。


「古宮くん、リュックは降ろした方がいいよ。いざというときに動けなかったら大変だから」


「それもそうだ。了解」


 千星のずっと後ろで、明人は背負っていたリュックを降ろした。


(『君は俺が守る』って前に立てればよかったんだけど)


 とすこし思った。

 現実はいつだってきびしい。


 一応、手段を選ばなければ明人も攻撃に参加できるらしい。

 ただし事実上の自爆技スーサイドアタックになってしまうそうだ。それではやるわけにいかないだろう。そもそも、そのために必要なベルの同意も取れそうにない。


「おーおー、お優しいことで」


 どこに向かおうかと首を伸ばしていたはずの透良が、明人と千星に皮肉げな笑みをむけていた。

 呆れているようでもあり、羨んでいるようでもあった。


「高校のクラスメートってのは、そんな風に仲良しこよしをやるもんなの」


「別にいいじゃないか。透良はしないのかよ」


 そう聞いた。

 絡まれてちょっと面倒に感じたのも事実で、すこし語気が強くなった。

 だが透良の顔に思わぬ暗い影がさした。


「……あたし、高校行ってないし」


 目を伏せた透良は、早口でそうつぶやいた。

 それは、きっと彼女としても不本意なことだったのだろう。そうでなければ、彼女がこんな反応は見せないだろうから。


「その……ごめん」


「謝んな。殺したくなるしょや」


 透良は目を閉じて、ため息をついた。


「つまんないこと言った。もう行く」


「うん」


 千星も声をかけかねたようで、相づちを打つにとどめた。

 その千星に透良は意味ありげな目を向けたが、やがて


「ちゃんと殺しなよ。お姫」


 そんなぶっそうなことを言って、背を向けた。

 大胆にもクイーンの破壊跡をたどってショートカットし、やがて高草のただ中へと身を投じていった。


「……悪いこと聞いたな」


「今のはしょうがないよ。わかって聞いたわけじゃないでしょ」


「そうだけどさ」


 千星になぐさめられたが、胸を刺す罪悪感は消えなかった。

 湿った風が吹いた。

 ざあ、と音を立てて草原が大きくなびいた。


「お姫、そろそろ良いみたいよ。お休み中の女王様をたたき起こしてあげて」


 ベレッタが銃を構えつつ指示した。


「わかりました」


 千星の頭上にガトリング砲が現れ、特徴あるモーター音をたてて銃身が回転し始めた。


「明人、気を引き締めろ。モンスターが飛び出してくるかもしれん」


 ベルが鉾をかまえた。明人も頷いて応えた。


 射撃が開始された。

 周囲から迫力ある様々な射撃音が一斉に響いた。

 銃弾で刈り取られた高草が、あちこちで宙を舞った。

 クイーンの金切り声があがり、三本煙突が悶えるように揺れた。


(これで終わるはず……なんだけど)


 なぜか胸騒ぎがした。

 常識的に考えれば、いくらクイーンでもこの討伐隊の火力を集中されて生き残れるわけがない。


 しかし、この三界は常識が通じる世界だったろうか。

 むしろ世界の鍵が関われば、常識の裏をかいてくるのではなかったか。


 大地を揺れ動かすような、恐ろしい重低音の怒号が湿地帯に響きわたった。

 クイーンだ。だがその質がまったく異なっている。


 そして、毒々しい肉の色をした巨大な怪物が立ち上がった。


「なんだっ!?」


 あまりにも異様な姿であった。

 位置から考えて、それがクイーンであることはまちがいない。


 だが今そこにいるのは、四つ足の首長竜に似た姿ではない。


 物質界に存在するものでたとえれば、超巨大なハエトリグサ。

 だが明人たちにむけて開いた葉の内側には、燃えるような赤く血走った目がびっしりと無数に浮かんでいる。

 頂上のあたりで宝石らしきものが光っているが、ニチャリとした黒いタールのような粘液が絡んでいて、けっして美しくはなかった。


 一瞬、ガトリング砲以外の射撃音が止んだ。

 あまりの異形に、さしもの皆もあ然としたらしい。その驚愕が伝わってくるかのようであった。


「全員ビビるな!! 撃て撃て!」


 ベレッタが、いささか気圧された声で叱咤した。

 どうあれ攻撃は続行されなければならない。そう考えたのだろう。

 射撃が再開された。


 だがクイーンの憎々しげな目が、ベレッタをにらんだ。

 そのとたん、


「うわっ!?」


 ベレッタの悲鳴が上がった。

 持っていた銃が、とつぜん黒い煙に変わったのだ。

 愛銃を失った両手がむなしく空を切った。

 

 次の瞬間、その黒い煙が、なんとあのワニヘビに変化した。

 長い胴体が、素早くベレッタの両手を縛りあげた。


「なに!?」


 明人が驚愕の叫びをあげたその時には、すでにワニヘビの胴体がベレッタの上半身にまで巻きついていた。

 逃れようもなくなったベレッタの頭部に向けて、牙だらけの巨大なあぎとが大きく開かれた。


「うわあっ! うわ、うわ、うわあああああああっ!!」


 ベレッタの絶叫は、唐突に止んだ。

 恐怖と狼狽に満ちた顔を、強靱な大口が頭ごと食いちぎったのだ。


 失われた頭部に送られるはずだった血液が、首の断面から吹き出して飛び散った。

 のこされたベレッタの胴体が膝から崩れ落ち、地に倒れた。

 死体をワニヘビが丸呑みにしていった。


「あああっ! あーっ! あーっ!?」


「助けっ、たす……!」


 ただならぬ悲鳴が遠くであがる。

 はっとして見たとき、千星のガトリング砲もまた空中から消え、ワニヘビにその姿を変えていた。


「早池峰さんっ!?」


 前に立っていたベルを押し退け、明人はすぐさま走り出した。

 見る前で、ワニヘビの太い筋肉の塊が、ベレッタにそうしたのと同じように、千星の細い体に絡みついていく。

 長く黒い胴体が千星の白い首を締め上げる。


「んうっ!?」


 千星の苦しげな声があがる。

 首を絞めるワニヘビの胴体に千星は両手をかけたが、びくともしない。いかに戦神の加護があるにせよ、その細腕では絶望的に腕力が足りないのだ。


 千星の首元は白い光のようなもので守られていた。おそらくアナが守っているのだろう。

 だがその光が黒いヘビの胴体に吸い込まれるようにして、消え失せていく。


「うううううーっ……!」


 とたん、千星にも異変が起きた。

 獣のようにうなりだしたと思うと、黒い煙がその体を覆った。それは、いつか明人が世田谷公園で一瞬幻視した光景そのものだ。

 千星の目が血走った。

 両手の細指が、まるで猛禽類の爪のようにワニヘビに食いこんだ。


「あああああああああああアアアッ!!」


 鬼神のごとき恐ろしい形相が千星の顔に張りつく。

 目がモンスターのように赤く燃えはじめる。


「早池峰さん!? ダメだ、よせ!」


 直感した。

 直感できてしまった。

 彼女が破滅する、と。


 ワニヘビが慌てるようにその鎌首をもたげた。


「やめろおおおおっ!!」


 明人は駆けながら全力で叫んだ。

 喉よ潰れよと。それでも良いからこちらを向けと。


 千星が、ワニヘビが、明人を見た。

 千星の瞳の赤光しゃっこうが揺らいだ。


 だがワニヘビの瞳は変わらなかった。

 後回しとばかり、すぐに千星の頭部にその目を戻し、大口を開いた。


 千星は動かない。

 体は締め上げられて動かせない。ワニヘビをつかむ両手は固まっている。

 ただ、赤く濁りかけた目が、助けを求めるように明人を見ていた。


 必死に駆ける明人と、千星との距離は、およそ1メートル。

 わずか1メートル。

 だがその1メートルが、今は遠かった。


 刃のごとき牙が、千星の頭部に振り下ろされた。

 ザクン、と鋭利物が肉に深々と食いこむ、嫌な音が明人の耳に届いた。


「ふんぬううううううううっ!!」


 決死の怒号がとどろいた。


 千星の頭部は無事だ。

 凶暴な牙を受け止めたのは、身を挺してつっかい棒になった、ピンクのネコ。

 両腕と両足に鋭い牙を深々と刺されながら、アナがワニヘビの口に挟まっていた。


「アナ様っ!?」


「刀! 落ちた刀!! 早くこいつを討て!! 早くッ!!」


 上下から咬みしめられながら、アナが必死の剣幕でまくし立てた。

 いつもの女神らしい余裕などない。荒々しい戦神の顔がむき出しだ。


「はっ、はい!」


 軍刀が千星の足下に落ちていた。

 明人は手に取ろうとして、気がついた――軍刀もワニヘビになって襲ってくるかも、と。

 もしクイーンの裏技が、あらゆる武器をモンスターに変えられる能力なのだとしたら、そうなる。


(知ったことか!)


 ただちに手に取って刀身を引き抜き、鞘を捨てた。

 千星とアナの瀬戸際せとぎわなのだ。

 幸い、抜き身の軍刀はずしりとした確かな重みを明人の手に伝えてくれた。


 明人のなそうとしていることに気がついたか、ワニヘビが怒りに満ちた瞳で明人を威圧した。


「やかましい!」


 かすれた叫び声をあげ、明人はワニヘビの喉元に軍刀を突きだし、力いっぱい斬り上げた。

 分厚い皮を、筋肉の塊を、中の骨を、鋭い刃が恐ろしいほどの切れ味で断ち切っていく。

 手に伝わる抵抗が消え、刀身が空を斬り――ぶつ切りになったワニヘビの太い胴が前後に離れた。


 千星を締め上げていた長い胴体が力を失い、ずるりと外れた。

 アナと力比べしていた頭部もかみしめる力が緩んだ。

 と見るや、


フンッ!!」


 アナが気合一閃。

 反撃とばかりに体を伸ばし、大きなワニ型の首を力づくで上下に引き裂いた。

 乱暴に腕と足を振り、ちぎれた下顎と上顎を地面に力一杯叩きつけた。盛大に泥しぶきが上がった。それぞれのパーツが黒い煙となって消えた。


「千星ちゃん、しっかり!」


 アナが硬直していた千星の頭をはたいた。

 とたん、その細身をおおっていた黒い煙がはらわれ、消えうせた。目の色も元に戻った。


「よくやってくれました明人さん! どうか私が戻るまで千星ちゃ――」


 言い終わる前に、ふっとアナの姿が消えた。

 同時に千星が力なく前に倒れた。


「っと!」


 明人は千星の体を己の胸と左腕で受け止めた。抜き身の軍刀で傷つけてしまわないよう、右手はとっさに離した。

 と思ったら、その軍刀も消えた。


 千星はぐったりとして動かない。

 意識を失ったらしい。幸い、息はあった。


 アナが消えたのは千星が気絶したためだろう。

 ベルがそうであるように、アナも中継者の千星が気絶すると三界に現れられなくなるのだ。軍刀が消えたのも同じ理由だろう。


「ふうっ」


 どうあれ最悪の事態だけは防げた。

 そう思って明人が息を吐いたその瞬間、


「明人、前! 気を抜くな!」


 ベルの鋭い注意が飛んだ。


「え!?」


 と上を向いた明人のすぐ目の前に、今まさに倒れこもうとする黒い巨体が迫った。


「だああっ!?」


 千星を抱えたまま、かろうじて横にかわした。

 巨大な肉の塊が真横を通りすぎた。

 ゴツゴツした皮膚が肩をすった。

 重量感ある巨体が、高草をなぎ倒しながら派手に転がり、泥をはねちらし、しまいに黒煙と化して消滅した。


(あ、クイーンの取り巻きか!)


 千星を助けようと必死になるあまり、完全に頭から抜けていた。湿地帯にはクイーンとその取り巻きがまだいるのだ。

 ずっとベルがモンスターどもの横やりを迎撃してくれていたのだろう。


 草むらの近くにいては奇襲を受ける。

 そう考えて、気絶した千星を抱えたまま密林のほうへと体を寄せた。

 再び、今度は別の方向から襲ってきた新手のモンスターを、ベルが鉾で断ちきった。


「明人、クイーンから産みたてのモンスターが次々突っこんで来ている! このままではジリ貧だ! 千星はどうした!?」


「気絶してる!」


「な、なんだと!? すると今はアナも不在か! ええい、まずいな!」


 気がつけば禍々しい姿となったクイーンがいない。

 その代わり三本煙突がまたそびえ、黒い煙をものすごい勢いで吸入していた。いつのまにか最初の姿に戻っていたようだ。


(逃げるか? いや無意味だ。こうなったらクイーンを倒すしかない)


 そう考えた。

 逃げても追われる。先の展望もない。

 千星が目を覚まし、アナが復帰した後、一か八かで全員クイーンに突貫してこれを討ち果たす。

 

 とことん危険だが、生還できるとしたらそれくらいしかないだろう。

 というわけで


「早池峰さん、早く目を覚まして!」


 明人は千星をがくがく揺すった。

 アナが戻ってきてくれないことには、ベルと一緒にクイーン相手につっこむのも無理なのだ。


「……ん……うん……?」


 千星がちょっと場違いに思える寝ぼけた声をあげ、うっすらと目を開く。


(良かった! これならなんとかなるかも)


 と思った、そのとき。


 遠くで特徴あるAK-47の発砲音が連続して鳴り響き、悲鳴とともにクイーンの巨体がのたうった。

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