第32話 砂漠の砲火

 砂漠地帯と聞いていたその場所は、徹底して砂漠であった。

 歩いても歩いても、砂、砂、そして砂だ。

 吹く風すらも砂っぽかった。


(重い……っ!)


 リュックの背負い紐がギチリと肩の肉に食いこむのを感じながら、クイーン討伐隊の荷物持ちこと明人は本日何度目になるかわからない感想を漏らした。

 汗がだらりと乾いた頬を流れた。

 踏みしめるたびに砂が鳴った。

 荷物持ちと聞いたときからこうなる予感はしていた。だが予想以上にキツい。


 そんな明人を尻目に、


「なー、お姫。どっちが多くモンスターを殺せるか勝負しない? さっきは引き分けちゃったし、今度こそ白黒はっきりつけよ」


 透良が上機嫌で千星に話しかけた。

 こちらは重荷がないぶん実に身軽そうだ。

 いつのまにか千星の呼び方もあだ名になっている。


「いいよ。なにか賭ける?」


 千星も悪い気がしないらしく声が弾んでいた。

 先ほど会議室で冷戦を繰り広げていたのが嘘のようだ。あの後のモンスター狩り勝負で仲直りしたのだろうか。


「そうだなあ。じゃあ私が負けたら、お姫を殺すときは顔を撃たないであげるよ。死んだ後も綺麗きれいでいたいっしょ?」


 透良がからかうような目を千星に向けた。

 きつすぎる冗談である。それとも実は仲直りなどしていないのだろうか。


「ありがと。じゃあ私は、透良が死んだら目を閉じてあげる。貴女こそ、そういうのを気にするほうなんでしょ」


 千星も負けていなかった。

 なぜ透良の死に目にあう前提なのかは確かめるべきでないだろう。


「いいね」


 満足した風に透良は笑った。

 物騒すぎるガールズトークだ。


(いいのか?)


 後ろで聞いているだけで冷や冷やドキドキするが、これはこれで良い関係なのかもしれない。たぶん。


「だいじょうぶか? 無理はするなよ、明人」


 とベルが言った。

 こちらも明人と同じリュックを背負っているが、さすが神だけあって平気そうだ。


「ありがと。なんとかいけるよ」


 と明人は答えた。

 ただ強がったものの、精彩を欠いているのは自分でも感じていた。


 ちらりとこちらを見る千星の顔が、煽っているように見えた。

 本当は心配してくれているのかもしれないが、そう見えてしまった。


(どうかしてるな。しっかりしろ俺)


 と思ったら透良もちらりと見た。

 こちらは明らかに煽っていた。

 『やーい荷物持ち』とばかり、口を押さえて笑うような仕草までしてのけた。


「…………」


 思うところがないではないが、黙っておいた。

 口げんかでは透良に勝てない。銃撃戦はもっと無理だ。


 ちなみにリュックが重いのは水筒が大量に入っているせいである。千星によれば、


「砂漠に行くと喉が渇くから」


 だそうだ。まあわかる。

 だが重いのだ。銃は軽いくせに、水はしっかり物質界と同じ質量であるらしい。


「古宮くん、今いい?」


 澄んだ声をかけられた。千星だ。


「いいよ。どうしたの?」


「はい、これ。疲れた顔してるからあげる」


 と藁細工のアクセサリーを手渡された。

 大きさは手のひらサイズ。あしで作ったらしき、素朴ながらも上品な輪飾りだ。アナがネックレスにしていたものと似ている。


「これは?」


「アナちゃん直伝の疲れがとれるお守り。騙されたと思って腕につけてみて。御利益があるのは保証するよ――アナちゃんがね」


 と千星が己の左胸のあたりを軽く叩いた。

 そこには同じデザインのマークがあしらわれている。


「え。いいの?」


 とつぜん降って湧いた幸運が信じられず、明人は千星の目をまじまじとのぞきこんでしまった。


(早池峰さんとおそろいだ!)


 たぶん千星にそんな意図はないのだろうが、これはおそろいである。


「うん。荷物持ちの件は、私が言い出したことだしね」


 千星がすこし申し訳なさそうに言った。

 気にしてくれていたらしい。

 競争が関係ない事柄では元の性格が出るのだろうか。このときばかりは、明人の知る以前の千星がそこにいた。


「嬉しいよ。じゃあ早速」


 明人はいそいそと葦の輪に手首を通した。

 とたん、輪が音もなく締まって腕にフィットした。三界の中だからこそできる芸当でもあろうが、さすが女神直伝だ。

 お守りのご加護か、それとも千星からプレゼントされたためか、急に元気が出てきた気がした。


「ありがとね。大事にする」


「そうして」


 そう言って微笑むと、千星は瀟洒しょうしゃに身をひるがえして、元の隊列へと戻った。


「なー、お姫。あたしのは?」


「え? 透良は荷物を運んでないじゃない」


「……ウリ坊、リュック寄こせ」


「悪いね、これは俺の仕事。だいたい大荷物を背負ったら立ち回りの邪魔になるぞ。いいのか?」


 明人は透良に片目をつぶって見せた。さっきのお返しだ。


「ぬぐっ……!」


 透良が悔しそうな顔で押し黙った。


(荷物持ちも悪くないな!)


 そんな現金な感想を抱きつつ、明人は腕につけた暖かみのあるアクセサリーを眺めた。

 透良のほうから感じられる妬みがましい視線は、もちろん無視してやった。


 と、一人で先行していた目出し帽の男が、前方にある黄土色の砂丘をよじ登っていくのが見えた。

 彼は偵察役だ。

 行軍中は待ち伏せがないか誰かが先に見てこないと危険なのだそうだ。


「偵察する人は危なくないんですか?」


 と出発前に本人に直接聞いてみたのだが、


「危ないよ」


 だそうであった。


「どっちみち、オレは今日が最終日だから」


 その際、彼はぼそりとそう付け加えた。

 今回の作戦を生き残ったとしても、彼にはもう余命がないのだ。『どうせならメンバーの代わりに死ぬ役を引き受けたい』。そのような意味のことを、ボソボソとしゃべっていた姿が印象的であった。


 ベレッタに手で制止され、一行が足を止めた。

 偵察待ちだ。


「…………」


 砂丘に登りきり、いただきから周囲をうかがっている目出し帽の姿を、明人は複雑な思いで見つめた。

 この世界では生き方を身につけなければ生きていけない。

 といってそれに拘泥すると、それだけで命が尽きる。


 彼はこの苛烈な世界で6日目をむかえた猛者である。

 一日乗り越えるだけでも偉業と言ってよいだろうに、それを五度つづけて達成してのけたわけだ。だが、その苦難を乗りこえた先にあるものが、時間切れによる死でしかない。

 クイーン討伐に成功すれば、彼の死にもなにがしかの意味ができるだろうか。


(三界は、壊さないとな)


 苦労続きの挑戦も、そう考えると耐え抜ける気がした。


 目出し帽が腕をあげ、前につきだした。そのまま進め、の合図である。

 一行がまた歩み出した。


「『お姫のために死ねるなら本望だぜ!』とか冗談で言ってみたけどさー」


 明人の前を歩く坊主頭が、隣のロン毛に話しかけた。


「本当に死ぬかも、と思うと怖いな」


「そりゃそうよ。けど『ビビらずに立ち向かえる俺カッコイイ』とかちょっと思わねえ?」


「それな」


 二人ともカラカラ笑った。

 これから死地に向かうというのに豪胆なことだ。


(透良の言うとおりなのかもしれないな)


 明人はふとそう思った。

 闘争界の参加者は、総じて殺したり殺されたりすることへの忌避感きひかんが薄いのだ。それはそれで困ったことなのだろうが、それでも貪食界にいた人々よりは颯爽さっそうとしている。


 と。

 先の砂丘にまた一人で登っていた目出し帽が、手をこちらに向けた。

 しかし今度は合図が先ほどと違った。

 水平に出した腕を、左右に三度振ったのだ。


「見つけたらしいな」


 ベルがぼそりとつぶやいた。


「全員、散開して」


 ベレッタが平静な声で号令をかけた。

 その一言で、討伐隊のメンバーが見事なまでに整然と散らばり始めた。それぞれ数メートル程度の距離を取ると、前方の砂丘へと進んでいった。

 中央を歩んでいくのは、メイン火力と目される千星だ。



◇ ◇ ◇



 明人はベルと一緒に、砂丘の稜線りょうせんからそっと顔を出した。

 ただし邪魔にならないよう、ひときわ後方だ。自走式水筒の置き場所はそこで十分というわけである。他のメンバーはすでに配置についている。


「うわ……」


 ゾッとするほどの数のモンスターたちがいた。

 ライオン似のモンスターが、狼似のモンスターが、ティラノサウルスのごときとんでもない大物が、どれも不気味な赤い目を燃え上がらせ、砂地に漆黒の巨体を伏せている。数はざっくり300匹から500匹といったところか。


「凄まじい数だな。これがすべて護衛か」


 とベルが言った。


「ここまでしても守りたい存在がいるんだろうね」


 遠く、群れの中央あたりを見ながら言った。

 そこには首長竜を四角く不格好にし、背中に三本煙突を刺したような巨大な異形がある。

 黒い煙をまとう、超巨大モンスターだ。


(あれがクイーンかな?)


 と思って見ていると、そいつは煙突から周囲の黒い煙を吸いこんで、首の先からつばでも吐き捨てるかのように黒い物体をどんと吐いた。

 その黒いものから足が生え、頭が生えた。ゆっくりと立ち上がってライオン型のモンスターへと変わった。

 奇妙な生態だ。まるで煙を原料にモンスターを製造しているかのようである。

 だが、これで確定であった。


「あいつだね」


「ああ、まちがいないな。見ろ。はじめるようだぞ」


 とベルが前方に陣どっている討伐隊の面々を指さした。

 たしかにめいめい己の銃を眼下のモンスターたちに向けている。


 ベレッタが千星に『撃て』と手で合図した。

 こくん、と千星が頷いた。

 だが、この状況においても、彼女の手元には軍刀一振りしかない。


(どうする気なんだ?)


 疑問への答えは、すぐに返った。

 黒い粒状の球が彼女の頭上に集まりだしたのだ。


 巨大な兵器が、空中に出現した。

 30mmガトリング砲――おそらくはGAU-8 アヴェンジャー。アメリカ空軍の対地攻撃機に搭載するような超重火器だ。もちろん生身の人間が運用する兵器ではない。

 しかもそのまま宙に静止していた。

 貪食界の提灯ちょうちんのように、空に浮いているのだ。その迫力は透良の20mm砲AK-47をも上まわっていた。


「うっそだろ……!?」


 明人が驚いて見上げる中、空中のガトリング砲が恐ろしいモーター音をあげて砲身を回転させ始めた。

 音に気がついたか、クイーンを守るモンスターたちが一斉に砂丘の側へとその獰猛どうもうな顔を向けた。しかも判断も早い。ただちに十数匹がつっこんできた。


 だが、次の瞬間。


 ガトリング砲の先端から発砲煙とマズルフラッシュが吹きだし、絶え間ない砲声とともに莫大な鉄量を投射しはじめた。

 長大な火線の刃が、向かってきていた哀れなモンスターたちをなぎ払っていく。

 次々と黒い巨体が前のめりに倒れ伏し、その顔面を砂に埋める。

 わずか数秒。

 その数秒で、モンスターの残骸ざんがいの山が築かれた。そして一斉に消滅し、黒煙と化した。


「すっげえ」


 ほとんど一人軍隊だ。助けなどいらない、と豪語するわけであった。

 続いて他のメンバーも全員射撃を開始した。

 千星ほどの派手さはないものの、こちらもモンスターたちを次々に撃ち倒していく。


「ベルは鉾を投げないの。あれならクイーンにだって届くでしょ」


「この調子なら無用だろう。それに鉾を手放すと反撃を受けたときに困る。クイーンの奥の手とやらも警戒せねばならんしな。いちおう武器ならもう一つあるのだが、そちらは今の状況では使えん」


「それじゃしかたないか」


 と明人は引き下がった。

 状況はベルの言うとおり圧倒的でもある。

 クイーンを守るモンスターたちは絶望的な突撃を砂丘に向けて敢行している。

 だが、どれも砂丘の中腹にたどり着くこともなく倒れていくのだ。このまま撃ち続けるだけで全滅させられるだろう。


(すごいな)


 そう感嘆したのと同時に、なぜかさきほどの光景が脳裏をよぎった。

 ガトリング砲が出現する直前に一瞬見えた、黒い球が集まる光景だ。

 なぜか、あれがやけに気になった。


 だが明人の思考を、発狂したかのごとき金切り声がさえぎった。


 はっとして声の方を見ると、クイーンがモンスターたちを盾にしながら、首の先を明人たちへと向けていた。

 空気が破裂するような音と共に、ヘドロのような塊が連続して空にむけて撃ち出された。砲丸投げの弾のように放物線を描いて、襲撃者たちのいる地点へと飛翔した――つまり明人たちのいる砂丘へと。


「なにか飛んで来るよ!」


 ベレッタが鋭い声で叫んだ。


 落ちてくる多数の黒い塊が、空中でぐにゃりとヒモ状に伸びた。

 赤い目が見開かれ、大きく口が裂ける。

 人の頭でも食いちぎれそうな、牙だらけの巨大なあぎとがぐぱりと開く。


(ヘビ!? いやワニ!?)


 自分にむかって一直線に落ちてくる凶暴な牙を、明人は歯を食いしばって見上げた。

 その異形は現実のどの動物にも当てはまらない。強いて言えばワニの頭を持つ巨大なヘビだ。


「明人、伏せろ!」


 聞き慣れた叱咤しったが後ろから届いた。

 迷うことなく明人は上げていた頭を横に伏せた。

 ベルが飛び上がり、その鉾が空に弧を描き、血しぶきが舞う。

 二本のネコ足が砂地に戻るのとほぼ同時に、上顎うわあご下顎したあごの真ん中から一文字にかっさばかれた二匹のワニヘビが、ビタビタ汚い音をたてて墜ちた。

 合計四つの肉の塊が、黒い煙と化して宙に溶けた。


「ありがと」


「なに」


 明人の礼に、ベルは鉾を軽くかかげて応えた。

 千星は大丈夫かと心配したが、すでに彼女の足下にも真っ二つになったワニヘビが転がっていた。軍刀で斬り払ったらしい。おそらくアナが手助けしたのだろうが、それでも見事なものだ。


 他のメンバーもみな無事だ。

 それぞれうまく身をかわしたらしく、地面に落ちたワニヘビに自分の銃でとどめを刺していた。さすがこの世界で生き残ってきた猛者たちである。


 透良に至っては、早くも地上のモンスターの迎撃に戻っていた。

 ワニヘビは対空射撃で撃ち落としたのだろう。やはり素の実力では彼女が群を抜く。


 その透良が声を張り上げた。


「クイーンが逃げてるよ!」


 彼女の言うとおりであった。

 わずかな取り巻きを連れ、驚くほどの早さでクイーンが逃げ去っていく。

 あのワニヘビは逃げるための足止めであったようだ。

 巨体の向かう先には、密林が見えていた。

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