第31話 出撃準備

「千星と透良の相性がよすぎる。気をつけねばなるまい」


 廃ビルの屋上でベルが明人に言った。

 他に人はいない。

 周囲は荒れまくっている。床は大小様々なガレキだらけ。あちこち崩れかけていて、赤茶けた鉄筋と無塗装のコンクリートがむき出しだ。手すりがないのは言うまでもない。


 ちなみにクイーン討伐に出発するのはもう少し先である。飲み水の準備などがあるらしい。


「さっき思いっきりケンカしてたよ?」


 と、大きめのコンクリ片に腰を下ろして明人は聞いた。


「あの場はな」


 難しい顔をして、ベルは隣で空を見上げた。

 来たときと同じく空は黒煙でけぶっていて、色がにぶい。


(あの場は、か)


 明人もなんとなく同じようにした。

 たしかにあの二人には大きな共通点がある。競争や、闘争に惹かれている点だ。今はまだ千星は透良ほど吹っきれていないが、さらに悪化すればどう変わっても不思議はない。


(恐ろしい世界だな。三界は)


 改めてそう思った。

 命を奪いに来ることも恐ろしい。しかし欲望を煽って自分を見失うよう仕向けるところに、また別の恐ろしさがある。


「我らはこの闘争界にとらわれた千星の心を解放せねばならん。今はまだ競争欲に駆られるていどで済んでいるようだが、あの様子では闘争欲にとらわれるのもそう先のことではあるまい。その先はおそらく殺生欲だ。一線を越えるまでに引きもどさんと、後戻りできなくなりかねん。……しかし、透良の望みはおそらく逆だろう。あれはむしろ、自分のいるところまで千星を引きずりこみたがっている。透良の言うところの『こっち側』へとな」


「……そうかもね」


 ありそうだ、と感じた。

 透良は生か死かで言えば『死』の側にいる。そんな彼女のほうへとこっちがおもむけば、もろとも死んでしまう。もし居場所をいっしょにするのであれば、彼女がこちら側に来るべきなのだ。彼女がそれを望むかどうかはわからないとしても。


「明人よ。今の千星に思うところがあっても、彼女との縁を保ってくれ。本来けっして悪い娘ではない。元の彼女に戻れば、必ずやお前の助けにもなってくれるはずだ」


「わかってる。がんばってみるよ」


 そう答えた。

 ベルに言われるまでもなく、彼女との縁は保ちたい。というかむしろ強化したい。それが明人の偽らざる本音だ。

 三界に来たばかりのころの千星は、一緒に歩いているだけでも幸せな気持ちになれる、素敵な女の子であったのだ。


(早池峰さんが実は俺のことが好きだった! とかだったら全部解決なのになあ。愛の力とかそういうので!)


 ちょっと白昼夢を見た。


 遠くでモーター音に似た異音がした。強めの銃声も聞こえてきた。

 千星と透良がモンスター狩り競争で白黒つけると言っていたから、もしかしたらそれかもしれない。


「そういえば、アナ様は今どこにいるんだろう? 会議室にも来なかったけど」


「私の妹ならずっと千星と一緒にいたぞ。会議室にも来ていた」


「来ていた?」


「ああ。ついでに言えば、今も我らの会話を聞いているはずだ。そうだろう? アニー」


 誰もいないはずの空間にむけて、ベルが語りかけた。彼はいつも妹をアニーと愛称で呼ぶ。

 しかし反応はない。

 砂まじりの乾いた風が、ひゅー……、とガレキの転がるコンクリ床の上を通り過ぎた。


 かんちがいなのでは、と明人が思い始めたそのとき。


「気づかれておりましたか」


 艶やかな声がどこからともなく響いた。

 驚いた明人の目の前に、ピンク色のネコのぬいぐるみが降臨した。ベルの妹、戦女神のアナである。

 ベルの言っていたことは本当だったのだ。


「千星についているお前からすれば、我らが千星の敵なのか味方なのかは当然気になるであろうからな。今明人の言ったとおりで、味方だから安心せよ」


「はい。そのお言葉を頼りにさせて頂きます」


 ネコ姿の兄妹はそんなやりとりをした。

 姿はユーモラスだが、どこか威厳や優雅さを感じるのはやはり神だからだろうか。

 そんな二柱の様子を見ていて、


(けど、おかしいな。なんだか透けているような……)


 明人はふとそんな違和感を覚えた。

 ベルと比べると、アナはどこか『薄い』のだ。


 と、アナが明人に向かって首をすこし傾げた。


「私の存在感がないのが気になりますか、明人さん」


「あ、はい。すいません」


「いえ、良い感性です。おおよその者は気づけません。実際、今あなたが見ているのは幻影ですよ。本体は今も千星ちゃんと一緒にいます」


 アナが先ほどのベルと同じことを言った。

 だが、会議室で見たときの千星は一人だったはずだ。


「早池峰さんと、ですか?」


 と明人が聞くと、ベルが答えを先回りするようにアナに言った。


「あれは千星に憑依しているのだろう?」


「はい。相性がとても良かったので」


「それができるなら一番安全だからな」


 うむうむ、とベルが何度も頷いた。


「どういうこと?」


「アニーはいま千星に直接憑りついているのだ。いわゆる『神がかり』と言われる状態だな。軍刀という形で一部を外に出してはいるが、一心同体といっていい。つまり今の千星はほぼ戦女神と同等の強さを持っているわけで、まあ、ほぼ無敵だろうな」


「千星ちゃんを通して引き出せる力が限度ですから、無敵とまではいきませんよ。この世界のモンスターの攻撃や銃弾くらいなら、直撃をもらっても耐えられると思いますが」


 とアナが補足した。

 だがそれは実質的に無敵とほぼ同義だろう。

 千星があの目立つ白い衣装をまとっているわけである。あれはわざと目立って囮となる狙いがあるのだろう。攻撃をもらっても問題とならないなら、同行者が撃たれないよう敵弾を自分に集めた方が良い。


「そんなこともできるんだ」


「ああ、いや。普通はできない。千星に巫女としての特別な資質があるのだろう」


「俺はできない?」


 誘惑にかられて聞いてみた。

 普通はできないと言われることは、出来たらかっこいい。


「無理だと思うが、試してみるか?」


「うん」


「よし。驚くなよ」


 とん、とベルが明人の足を叩いた。


「わっ!?」


 とたん、一瞬で明人の目の前が白色でおおわれた。

 なにもかも白い。

 光だ。

 すべてが白い光に覆われている。


 が、すぐに景色が戻った。


「だめだな。やめておけ」


 いつのまにか、ベルが明人の目の前に立っていた。


「……?」


 耳鳴りがし、頭がくらくらした。

 目の前の景色がうまく認識できなかった。


(おかしいな。屋上にいたはずだ。見た目が変わっていないから、今も同じのはず)


 それはわかる。だが意識と光景が繋がらないのだ。


「白い光だけが見えた。今も見えている世界に違和感がある。そうだろう?」


「そんな感じだね」


「過負荷を起こした証だ。それが長く続くと死ぬ。あるいは、自分が誰であったかさえわからなくなって、意味のないことを唸るだけの廃人となってしまう。ごく一部とはいえ人の身で神の力を使うわけだから、よほど特別な才がないとそうなるのだ。とはいえ、今回はすぐに止めたから、少し休めば回復するだろう」


「げげっ!?」


 とても危ないことをしていたことに今さら気がついた。もちろん、試したのはベルなら無茶はしないと考えたからこそである。実際そうしてくれた。

 が、それでも無謀な挑戦だったかもしれない。


「あら、兄様。そう捨てたものではなかったと思いますよ。私が見たところ、今の状態とは比べものにならないほど大きな力を出せていたように思います。切り札として取っておけばよいのでは?」


「バカ言え。私は明人を使い捨ての鉄砲玉にする気はない」


「犠牲を恐れないことも時には必要となります。絶対に耐えきれないとは限りませんし、もし武運に恵まれず耐えきれなかったとしても、そのときは慈悲を与えればよいではございませんか。人の身で兄様のそれを賜るのはこの上ない誉れでしょう」


 優雅にアナがほほえんだ。

 だがこの場合、慈悲とは『トドメを刺して楽にしてやる』の意だろう。やはり彼女は容赦なき戦神であった。


「冗談ではない」


 ベルは目を上に向けて口をとがらせ、断固拒否する意をしめした。

 明人はこの時ほど、ともに歩む神がベルで良かったと思ったことはない。


 かん、かん、と誰かが階段を上ってくる音がした。


「あ、いたいた。あれ? アナちゃんまで」


 千星であった。透良とのモンスター狩り競争は終わったらしい。


「ベル様、古宮くん。呼びだしだよ。出撃前のブリーフィングをやるから会議室に戻って」


「オッケー」


「わかった」


 いよいよだ。そう思って、明人は立ち上がって尻をはたいた。細かい砂が大量に舞った。


 千星は単に明人たちを呼びに来ただけだったらしく、すぐにきびすを返した。

 が、ふと首だけを動かして、アナに話しかけた。


「ねえ、アナちゃん。私にもだまってベル様たちと秘密の相談?」


「兄妹同士で軽く話していただけですよ」


「だと良いけど」


 そう言うと、千星はぷいと顔を背けて降りていった。

 アナが申し訳なさそうに小声で言った。


「気を悪くしないでくださいね。兄様と明人さんが味方であることは、あの子もわかっているはずなのですが……。私がお説教して押さえつけたのでは、真価を試されたときにメッキがはげてしまいますし」


「しかたない。まどろっこしくとも、彼女が自分で気づかねばならぬことだろう」


「そうなのです」


 ふう、とネコ姿の神々がため息をついた。



◇ ◇ ◇



 千星に追いついて会議室に戻ると、中にはすでに6名が待機していた。


 ホワイトボードに図を描いているベレッタ。

 右奥の壁に背をもたれかけている透良。

 どこか暗い雰囲気をまとった三十路男。

 双眼鏡を首にかけた目出し帽の男。

 埃まみれのベンチに並んで座っている、大学生らしき男二人――坊主頭とロン毛。


 いずれもこの闘争界に好んで残った者だけあって、独特の雰囲気を漂わせている。


「来たね。これで全員かな」


 千星、明人、ベルを見て、ベレッタが室内中央へと向き直った。


「じゃないスかね」


 座っていた坊主頭が軽いノリで答えた。

 今いるのがクイーン討伐隊のメンバー全員というわけだ。


「よし。じゃ、さっそくミーティングを始めようか」


 とベレッタが銃の清掃棒クリーニングロッドを手に取った。指示棒代わりらしい。その場の全員もベレッタに注目した。

 たん、と小気味の良い音を立てて、クリーニングロッドの先がホワイトボードに描かれている王冠を叩いた。


「知っての通り、今回の目標はズバリあのクイーン。この世界のモンスターの生みの親を倒すよ。大きい、タフ、素早い、上位モンスターをたくさんお供につれてる、とえげつなさ満載の最強モンスターだけど、だからこそ私たちのフィナーレにふさわしい、とも言えるね」


 ベレッタの不敵な説明に、クランのメンバーたちがにやりと笑って応えた。


「今クイーンは砂漠地帯にいるみたい。あのあたりは見通しが良すぎるから、近づけるだけ近づいた後は力押ししないとしかたないだろうね。ってわけで、襲撃が始まったらとにかく撃ちまくっちゃって。脳筋な作戦だけど、お姫のアレもあるし、加えてミートチョッパーもいるから、火力は足りるでしょ」


 ベレッタは楽しげに説明した。

 その表情は攻撃的で、どことなく猛獣を連想させた。彼女もやはり闘争界に適応した人間の一人なのだ。

 そして、壁に背をもたれかけたままの透良を見た。


「ねえミートチョッパー。聞くところによれば、ジニーは最後にクイーンに挑んだそうじゃない。大事なことだから、知っていることはどんな小さなことでも教えてくれないかな」


「悪いけど、あたしもそんなに詳しく知んない。誰も生きて帰ってこなかったからね」


「あの名高いガチ勢クランが、戦いから離脱することもできなかったの?」


「考えづらいけど、実際そうだったんだ。あ、ただ……」


「ただ?」


「生き残りを探していたときのことなんだけどさ。大量の血痕があちこちに残る、不気味な場所があったんだ。武器も遺体も残ってなかったけど、ロケット弾を使った跡なんかも残ってたし、たぶん皆があのデカブツを襲ったのがそこだったんだと思う。なにが起こったのかは、結局わかんなかった。けど、よっぽど異常なことが起きたのは確かだと思う。そして、それがそのまま、皆の敗因なんだろうね」


 ふむ、とベレッタが腕を組んで鼻を鳴らした。


「彼らもか」


「あたしら『も』?」


「ええ。似たような噂は聞いたことがあるのよ。『クイーンに挑んだ者は血痕だけ残して行方不明になる』っていう、ね。必ずそうなるわけではなくて、死体も武器も、残るときは残るらしいんだけど」


「ふうん……? どういうことだろね」


「さて、ね。気になるけど、実際に見てみないことにはなんともね。ぶっちゃけ出たとこ勝負かなあ」


「……リスキーすぎるな」


 暗い感じの三十路男がぼそりと言った。


「ま、ね。本来ならもっと調べてからやるべきだと思う。けど今回の場合、そんな悠長なことをやっていたら、こっちが先に時間切れになるんだよね。これがまた」


 とベレッタが【2】と描かれた自分の手のひらを見せた。


「じゃあ仕方ないね」


 と透良が平然と言い放ち、


「そう。仕方ない」


 とベレッタも平然と応じた。


 ふふふ、と。

 部屋の奥側にいる全員が、しめしあわせたように含み笑いを漏らした。つまり明人、千星、ベル以外の全員だ。


 あと少しで自分が死ぬ瞬間がやってくるかもしれない。

 この場にいる者はそう覚悟することを求められる。

 それにも関わらず。

 いや、だからこそなのか。

 恐怖と期待が入り混じる、退廃的な雰囲気が室内に満ちていた。

 熱病に浮かされたような、おかしな高揚と絶望がそこにあった。


「我らはどうする?」


 今度はベルが問うた。

 こちらはいつも通り平静だ。室内の奇妙な空気が一声で祓われた感があった。


「あー。あなたたち二人ね。……やっぱり、来たい?」


「曲げて願いたい」


「そうだよね。でも、どうしようかな。銃を持てないんじゃ、来てもらってもねえ……」


 ベレッタは首の後ろに手を置いて、悩ましげに眉をひそめた。

 悩みどころであろう。事情を知らない者には、二人が戦力外にしか見えないのも無理はない。


 実のところ、アナと千星のペアを別格とすれば、ベルはおそらくこの部屋の中で誰よりも強い。そしてそのベルが活動するためには明人の中継が欠かせない。

 だが事情を知らない者がそれを察するのは無理だろう。


 『空気読めよ』と言わんばかりの微妙な視線が、クランメンバーたちからベルと明人に送られた。


「あ、いいですか」


「いいよ。なに?」


 重苦しい空気を破ったのは、意外なことに千星であった。皆の目が千星に集まった。


「私、来て欲しいです。やって欲しいこともありますし」


 とたん、チクチクささるような雰囲気が和らいだ。

 他のメンバーの険しかった表情が緩んだ。まさに鶴の一声だ。


「あら、そうなの? お姫がそう言うならいいけど、やって欲しいことってなに」


 とベレッタが首を傾げた。


(どうしたんだろう。さっきは『クイーン退治に関わって欲しくない』と言わんばかりだったのに。もしかして、いつのまにか元の早池峰さんに戻ってくれてたとか?)


 そんな淡い期待を抱き、明人は救世主を仰ぎ見るような気持ちで千星を見た。


 甘かった、とすぐに気づいた。

 校内随一の美少女は、教室では見たこともないような笑顔で明人に応えた。

 『良いことを思いついた!』と言わんばかりの、イタズラ娘の笑顔であった。


(絶対悪いことを思いついてる!)


 とてもとても嫌な予感がした明人を尻目に、千星が室内の皆に提案した。


「砂漠地帯に行くなら荷物持ちが欲しいですよね?」

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