第17話 スーツの女

「ッ!?」


 明人は飛び上がるようにして振りむいた。

 死んだ。

 刹那せつな、そう思った。


 だが骨塚のそばで自分を見つめていた相手が誰なのか気づいて、大きく息を吐いた。

 ひょうきんなしぐさで指を立て、しーっと口元に当てている、ネコのぬいぐるみのような不思議生物。

 ベルがそこにいた。


「やあ明人。遅くなってすまなかった。しかし、待ち合わせにはもう少し趣味のいい場所を選んでもらいたいな」


 ベルは小声でそんな軽口を叩いた。

 明人は苦笑したが、おかげで落ち着いた。同じように小声で問うた。


「どうしてここに?」


「お前の中継を頼りに入界するから、お前のそばに出るのだよ。それより、なぜこのような場所にいる。見たところ大門の裏側らしいが、危険だから行くなと言ったろう」


「そうだけど事故なんだ。玉突き事故だよ」


 明人は手短に事情を説明した。

 クラスメートの千星を探していたこと。

 その途中で酒屋の主を名乗る男と出会ったこと。

 男から情報を得ようとして物置に行ったこと。

 そこで彼が突然老死したこと。

 狼狽ろうばいしているうちに従業員がやってきてしまって、裏側に逃げこまざるを得なかったこと――。


「――で、逃げてきたらこれってわけ」


 と足元と白骨と骨塚を指さした。

 ベルは額に穴の空いたしゃれこうべを見下ろしてピクリとヒゲを動かした。


「なるほど。やる気があるのはいいことだ、とは言いづらいな。運が悪ければお前がこうなっていたところだ」


「反省してるよ。この骨は参加者かな、やっぱり」


「そうだろう。この三界で死んだ者は死体がこちらに残る。生きていれば朝を迎えた際に体が消えるのだがな」


「誰も大門の向こうから帰ってこないわけだね」


 明人はため息をついた。

 この世界の裏側で、この骸骨の主たちがどのような目にあったのかは定かでない。だが少なくとも、額に穴が空くような目にはあったのだろう。

 美食の楽園の正体が見えた思いがした。


「それから闘争界に向かったお前のクラスメートだが、その娘のことなら心配無用だ。なにしろ私の妹が一緒になったからな」


「早池峰さんと、ベルの妹さんが?」


 思わぬ共有に、おもわずそのまま聞き返した。

 ベルの言う妹とは、前に言っていた戦女神のことだろう。ベルより腕っぷしが強いという剛の者だ。


「ああ。お前と同じように、あの娘も今日私の妹からスカウトされたのだよ。イキのいい美少女を巫女にできた、と妹がめずらしく喜んでいた。闘争界も危険な場所だが、戦神が一緒にいるならそうそう滅多なことは起こるまい」


「そっか。一安心だね」


 彼女も神秘の素質持ちであったとは思わなかったが、もっけの幸いだ。これであわてて彼女を追いかける必要はなくなった。


「うむ。我らはまず我らのすべきことをしよう」


 とベルはかがんで頭蓋骨を手に取った。

 額にあいた穴をしげしげと眺めはじめた。物質界とちがって、三界では彼も物を持てるらしい。


「……妙だな」


「妙って、なにが?」


「うむ。この三界は蜃気楼のような世界でな。とつぜん現れたかと思うと、また姿を消す、風変わりな小世界だ。その様相も現れるたびに少しづつ変わり、なぜか土地柄が出る。およそ30年前に欧州で三界の事件が起きたときは、ヴェルサイユ宮殿に似た建物で、フランス料理やドイツ料理、イタリア料理といった欧州各国の美食が出されていた。イギリス料理はなかったが」


「イギリス料理はそうだよね」


 マズ飯の名をほしいままにするイギリス料理が美食の楽園に登場してはなるまい。


「しかしだ。そういう表層が変わっても、『死ぬまで飲み食いさせる』貪食界の本質はいつも同じだったのだ。こうして直接的に額に風穴を開けて殺すことはかつてなかった。大きな骨塚が作られたのも初めてだ。これまでは、遺体は世界の果てにある崖に投げ捨てられていた。6日後の死をいちいち宣告するようになったことといい、今回はなにかがおかしい」


 そう言って、ベルは持っていた頭蓋骨を骨塚のそばにそっと置いた。


「そうなんだ。……そういえば、この三界っていつからあるの?」


「さて。あいにく定礎ていそを残してくれていないのでな。だが百年ほど前から存在するのはたしかだ。私が三界を見つけ、解決に動き出したのがその頃だからな。ただ、私を崇めていた祭司が怪しい死に方をしているから、もしかすると三千年前からあったのかもしれん」


「すくなくとも百年以上前、もしかしたら三千年前か。そっか。ベルはそんな昔から挑み続けていたんだ……」


 と明人は一瞬感心したが、ふと気がついた。


「待って。それなのにまだ一度も壊せてないの?」


 そう聞くと、不本意だと言わんばかりにベルは伸ばしたネコ耳を伏せた。いつものイカミミだ。


「そうなのだが、三界が現れたのはこの100年の間でたった4度だぞ。おまけに私が中で満足に活動できたことも稀だ。今回は物を持てるほど安定的に干渉できているが、これはお前が中継してくれているからで、極めて恵まれたケースだ。たいていは中継してもらえても精々1分かそこらで、そのあいだ世界をすこしでも見聞きできれば御の字、というくらいなのだ」


「そういうことか。じゃあ厳しいよね」


 明人は初めてこの貪食界でベルを見たときのことを思いだした。

 たしかにあのときのベルは、止めようとした相手に声を届かせることもできていなかった。あれが普通の状態なのでは事態を解決するどころではないだろう。


「実は俺ってけっこう素質があるんだ? その……神秘とかそういう方面の」


「うむ、率直に言ってかなりある。もし三千年前に祭司として生まれていたら、きっと将来を嘱望しょくぼうされていただろう。あいにく現代生まれだから、私の預言者であることは隠して生きることになると思うが」


「なんでまた。もったいない」


「お前は家や学校で『俺は神の声が聞こえるんだぞ』と吹聴してまわりたいのか?」


「ないね」


「そういうことだ」


 ベルは肩をすくめた。


「さて、明人よ。そろそろこの貪食界の破壊に移らないか。それがこの骨塚の死者たちへの手向たむけにもなろう」


「いいね。この世界は絶対壊してやろう。で、なにからやろうか」


 明人がそう聞くと、ベルは自分の指を上向けた。


「うむ。まずは城壁の上に登ることからだな」


「……城壁の上?」


 明人はすぐ側にそびえる高い城壁を見上げた。



◇ ◇ ◇



 城壁の上にある通路で、明人は胸壁からこっそり顔を出した。

 ちなみに胸壁とは、城壁の上にある通路によく設けられる設備で、道の両脇を守るブロック塀のようなものである。落下防止の手すりがわりにもなるが、本来は矢弾よけだ。


 高い場所だけあって、会場が眼下に一望できた。酔客たちの喧騒けんそうがかすかに届いた。


(ちゃんと階段があって良かった)


 この高い城壁の上に登ると言われたときはどうしたものかと思ったものだが、幸いにして上り階段がちゃんとあった。使われていないのか埃まみれだったが、8メートルはある城壁を壁上りボルダリングするよりはマシだろう。

 幸い、ほかに人もいない。見とがめられる心配はしなくてよかった。


「この貪食界には【食べ物が無限に湧き出る魔法の釜】がある。それを探してくれ。世界を維持する鍵になっているから、それを壊せばこの世界もガラガラと崩壊する」


 とベルが明人の隣から首を出して言った。両手両足の爪をそれぞれ石レンガにひっかけて、器用にしがみついている。


「魔法の釜ね、了解。どんな形をしてるの?」


「わからん」


 真顔で言われて、コケそうになった。


「いやいやいや。見たことあるんでしょ」


「とぼけているわけではない。その時々で形が変わるのだ。炊き出しに使うような大鍋の形をしていたこともあったし、中華街にあるようなオーブン釜の形をしていたこともあった。【金属製でお椀状の調理用具】という縛りはあるようだが、それに当てはまる限りなんでもよいらしい」


「あ、そういうこと。魔法の釜ってのは伊達じゃないね」


「まあな。だがなに、こうして上から探せばすぐ見つけられるだろう。なにしろ一つしかないから、給仕係の人形たちがどうしても空の皿や酒瓶などを持ってそこに集まらねばならんのだ」


「なるほどね。それなら、この大門に近いほうが怪しいんじゃないかな。むこうの崖に近いほうは空の皿が目立ったけど、大門に近いほうは食べ物が山盛りだったからね」


「ほう、いい情報だ。ではこちら側に近いあたりから見ていくとしよう」


「オッケー」


 明人はさっそく会場に視線を落とした。

 次々に多くの物体が目に入った。人、人形、人、人、のぼり、飯、テント、のぼり、飯。


(給仕の集まるところを探すだけでも一苦労だな、こりゃ)


 と思いながら目をこらした。

 人や物も多すぎるし、のぼりやちょっとした高低差も邪魔をするのだ。おそらく意図的に見通しを悪くしているのだろうが。


(けど……小さいな)


 高所から世界を見下ろしながら、ふとそう思った。

 この貪食界に初めて来たときは、その広さと豪勢さに驚いたものだが、今はその狭さと粗末さが目についた。もちろんグルメイベントの会場としては広いのだが、これが世界のすべてなのだと考えると、小さい。

 人に食わせ、死なせるだけの、卑小な世界――貪食界とはその程度のものだったのだ。


「何度見ても趣味の悪い世界だ。ことにあの提灯ちょうちんのデザインは酷い。なにを思ってハエのマークなどつけたやら」


 同じく目を皿のようにして下を見ていたベルが、隣でぼそりとくさした。彼は彼で思うところがあったらしい。

 ハエの意匠をあしらった提灯群は、今もふわふわ浮いて会場を照らしている。


「ハエが嫌いなの?」


 怪しいところがないか探し続けながら、そう問うてみた。

 ベルの耳がイカミミの形になった。


「ああ、かなりな。いささか不愉快な思い出があるのだ」


「そっか」


 明人は相づちを打つにとどめた。

 不愉快な思い出とやらに興味がわいたが、踏みこまないほうが吉だろう。嫌なことを無理に思いださせるものではない。


 それに趣味の悪い世界というのも同感であった。

 下の会場では、今も人々が無我夢中でがっついている。何人かは美男美女に酌をさせてご機嫌な様子だ。あれが全部人の欲につけこむ罠だというのだからひどい。


 と、大きなきしみ音がして、足下にも振動が伝わった。

 大門が開いたようだ。


「ベル、裏に誰か来る」


「らしいな。城壁の上まで登ってくることはないと思うが、用心しておくか」


 ベルがしがみついていた胸壁から手足を離し、石畳に着地した。

 その手のうちに、どこからともなく長柄の武器があらわれた。ほこだ。長さはざっと2メートル弱。実用本位と見えて、柄にレリーフが彫り込まれている以外は飾り気がない。


「あ、すごい。三界こっちでもなんでも出せるんだ」


「いや、なんでもは無理だ。これは私が昔から愛用している武器で、いわば私と一心同体だから出せるにすぎない。それより今は早く裏を見張ろう」


「と、そうだった」


 明人は促されたとおり大門の内側の胸壁に取りついた。ベルも飛び乗るようにして胸壁に乗っかった。


 下を見ると、大門がゆっくり閉じられていくところだった。

 大門そばの仕切り板の後ろで、あのスーツ女が、酔いつぶれたらしきホステス風の女性を地面に横たわらせていた。もう通常業務に戻っていたらしい。


 ひそひそ声でベルに話しかけた。


「普通に介抱してるように見えるね?」


「そう見えるな。そんなはずはないのだが……?」


 明人がベルと一緒に首をかしげたその時、大門が閉まりきる音がした。

 とたん、スーツ女がにたりと凶悪な笑みを浮かべ、ホステス風の女性の口を手で押さえつけた。


「あ! しまった、そういうことか!?」


 ベルがハッとして鉾を構えた。

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