第16話 世界の裏側

 明人の背中を冷たいものが伝った。息が詰まった。


(……どうする)


 物置のすみに積まれたイスの山の後ろから一歩も動かず、明人は必死に思案を重ねた。

 出口にはスーツ女が待ち構えている。出られない。

 といって、いつまでもここにいれば、いずれ見つかってしまうだろう。


(見つかったらただじゃ済まないだろうな)


 なにしろマルバシ酒店の店主が怪死するところと、人形たちの本性を、明人は見てしまったのだ。しかもこの場所自体スタッフオンリーである。見つかれば連中の私刑リンチを受けることは免れないだろう。

 そして、連中が人命を意にも介さない者たちであることは、己の目で見たばかりだ。


(来なきゃよかった。人目につかない場所へいくなとベルから言われてたのに)


 悔いたが、後の祭りだ。折よくベルがやってきて助けてくれれば本当にありがたいのだが、いつ来るかわからない。

 仮免の預言者あつかいを返上しようと功を焦ったのが間違いの元であった。


(どうする)


 何度目かの自問を再度繰り返したとき、外からスーツ女の声がした。


「まず念のために捜索して、終わったら掃除。復唱しな」


(げっ!?)


 ぎくりとした。

 考えすぎたのだ。考えなかったら結局方針も固まらないのだが。


「……だからそうじゃない。掃除は捜索してからだ。掃除だけしてどうする、捜索はどこへいった。ええい、お前たちは本当に使えないね。この程度でも臨時の命令は一つしか駄目なのかい。しかたない、もう一人連れてきな。それぞれ別にやらせるから。……ったく、手間取らせるんじゃないよ。こっちは飯の管理もあるってのに」


 いらだった感じの大きな声が板越しに明人の耳まで届いた。

 やはり明人がにらんでいたとおり、人形は応用が利かないらしい。あのスーツ女が特別ということだ。

 スーツ女には気の毒だが、明人にとってはもっけの幸いであった。今のやりとりの直後に物置の中へ入られていたら、逃げだす余裕はなかった。


(もう迷っている場合じゃないな)


 明人はちらりと奥を見た。

 そこには通用口がある。大門の向こうへと通じるものだ。


(大門のむこうにはいくな、と言われていたけど、もうしょうがない)


 腹をくくって、物陰から身を乗り出した。

 マルバシ酒店の店主によれば、ランクアップして大門をくぐった客はそのまま戻って来なくなるらしい。ランクアップうんぬんはともかく、戻ってこないのはおそらく本当だろう。この上なく嫌な予感をさせる話だ。

 だが、このままここにとどまっていたら詰む。


(行くも地獄、とどまるも地獄。だったら、まだ行く地獄のほうがいい)


 そう自分を説得して、音を立てないよう気をつけつつ、明人は静かに歩きだした。

 もし大きな物音をたてて、それを外のスーツ女に聞かれたら、さすがに向こうもただちに押入ってくるだろう。臭いから嫌、などと言っていられないからだ。

 なにかにぶつかって倒してしまったらそれまで、ということだ。


 早く、だが静かに、注意して動いた。

 そっと、そっと。

 ただのイスや机を、人生でこれほど気にかけたことはかつてなかった。

 そうして通用門に近づいて行った。


「……」


 同じほうに続いていく糞尿が痛ましかった。

 複雑な感慨にとらわれた。

 元はと言えば、明人が窮地に陥ったのはあのマルバシ酒店の店主の口車に乗ったためだ。

 だが図らずも彼の残したモノのお陰で助かってもいる。



◇ ◇ ◇



 通用門までたどり着いた明人が古ぼけた木戸をそっと押し開くと、さびた蝶番ちょうつがいがぎしぎし鳴った。

 わずかな音がやけに大きく聞こえた。


(だいじょうぶ。この程度ならよほど近くにいなければ聞こえないはず)


 明人はあせる己に言い聞かせた。

 短いトンネルのような背の低い門をくぐり、城壁の向こう側へと潜入していった。

 糞尿とはまた違う異臭がすこししたが、ひるまず進んだ。


(まるでスパイ映画だな)


 場違いな感想を抱いた。もっともスパイ映画の主人公たちと違い、成功は保障の限りでない。


 通用門を潜り抜けると、巨大なゴミ捨て場に出た。

 大門の裏側に来たわけだ。幸い周囲に人気ひとけはなかった。


 ふうっ、と明人は一息ついた。ここはここで危険なのだろうが、それでも物置からは無事に逃げきれたのだ。


 ゴミ捨て場には、ダシガラなのであろう白い骨が山と積まれていた。山は明人の背丈より高かった。異臭の原因はこれだろう。

 道しるべのようになっていた糞尿はいつのまにか途切れていた。遺体がどこに持ち去られたかはわからない。


(大門の裏側は危険な場所って聞いてたけど、その割になにもないな?)


 あたりを見まわして、そう思った。

 大門と城壁で隠されている世界の裏側は、猥雑な表とは比べ物にならないほど空虚であった。

 左右と奥は岩壁がそびえ立ち、後ろには高くそびえたつ城壁。右手の中央に見える大門の後ろに、大きな仕切り板が見えるが、目立つものといえばそれくらいだ。後はがらんとした広場があるにすぎなかった。明かりも提灯ではなく、むき出しの裸電球が使われていた。


(おかしいな。あるはずの休憩所がない。連れこまれた客はどこに行ったんだ?)


 明人は首をかしげたが、答えは出なかった。

 本当は、すこしだけ不吉な予感がしたのだが、すぐ心の奥にしまいこんだ。


(さて。なんとか見つからずに済んだけど、追いこまれているのは変わらないんだよな。どう脱出しよう)


 と顎に手を当てて考えた。

 大門から外には出られない。門番がいる。

 通用門から物置を通るルートもだめだ。スーツ女がいる。もしかしたら立ち去った後かもしれないが、それでも見張りくらい残していると考えねばならないだろう。

 といって表に戻る道はこの二つしかない。


 と、来た道の方から物音がした。

 明人はびくりとしたが、ほどなくしてスコップで土を掘るような音が聞こえて来た。


(ああ、物置の掃除か)


 そうあたりをつけた。おそらく、地面にこぼれた糞尿を土ごと回収しているのだろう。

 だが糞尿は通用門近くまで落ちていたはずだ。もしかすると、掃除番が明人の今いる位置のそばまでやってくるかもしれない。


(やばいやばい)


 ごみ山の向こうに身を隠そうと思って、迂回し始めた。

 ゴミ捨て場だから仕方ないが、太い骨が山の周囲にも散乱していた。うっかり踏み折ると大きく音が鳴るかもしれない。一向に気が抜けなかった。


(……あれ?)


 地面に転がっている丸い感じの骨にふと目が止まった。

 体の動きも止まった。

 正確には、強張った。


 頭蓋骨。

 しかも牛や豚の骨という感じではない。

 人間の頭蓋骨――しゃれこうべに見えた。


(いや、まさか。そんなものがあるわけない)


 明人は自分の気づきを必死に打ち消した。

 ここはゴミ捨て場だ。

 捨ててあるのはきっと調理場からでたダシガラの豚骨かなにかだろう。しゃれこうべなどあるわけがない。非常識だ。薄暗いから見間違えたのだ。そうに決まっている。


 調理場など、どこにもないわけだけれども。


(勘違いであってくれ。頼むから)


 たしかめるのは嫌だったが、見ないフリもこれ以上はできかねた。

 しかたなく、しゃがみこんで転がっているそれを見つめた。


 ごまかしようもなく、しゃれこうべに見えた。

 眉間のあたりに大きな穴が空いていた。なぜそんな穴があるのかはわからないが、しゃれこうべには違いなかった。


(いや、サルか何かの物である可能性も……)


 そう思ったとき、裸電球の薄明りの元で銀色のものが光って見えた。

 何かと思ってよく見直すと、それは下あごのあたりから光沢を放っていた。


 銀歯であった。


「……!」


 明人はとっさに右手で口をふさいだ。声を出しそうになったためだ。


(これ人間だ……!!)


 ふーっ、ふーっ、と荒くなった鼻息が手に吹きかかる音が大きく聞こえた。心臓が嫌な動き方をした。吐き気もしたが耐えた。目が潤んでいる感じがした。

 そのとき。


 とん、とん。


 と背中を叩かれた。

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