第15話 6日後のデッドエンド
ずらした板壁のすき間から侵入すると、物置特有のひっそりした雰囲気が明人を迎えた。
にぎやかな表の会場とはうってかわって、こちらは物音一つなかった。殺風景でもあった。板壁はそっけない白板のままだし、周囲もごちゃごちゃと雑多な備品がてきとうに山積みされていた。
(おや?)
ふと奥を見て、明人は苦笑した。
一番奥に通用門があったのだ。これではここから城壁の裏に行けてしまう。大門は門番付きで守っているというのに、裏口がこれでは意味がない。この場所に客が入りこむことは、よほど想定外なのだろう。
「よーし、来たな。待ってたぜ」
と先に入っていたアラフォー男が、くすんだ顔をにたりと笑みの形にゆがめた。
「さあ、あんたのワッペンをくれるか。で、あんたもオレのをつけといてくれ。オレが二つ持ってると、それはそれで怪しまれるんでな」
と明人にずいと手を出した。そのひび割れの目立つ指には、【2】と書かれたワッペンがすでに挟まれていた。
「ちょっと待って下さいね」
そう断って明人はずらしっぱなしの板壁を元に戻し、自分もワッペンを外して男に差しだした。
「じゃ、どうぞ」
「はいよ、あんたもこれな。ああ、ワッペンはちゃんと胸につけ直しとけよ。外しているとうるさいぜ」
と、交換する形で互いに相手のワッペンを手に取った。
その際、偶然おかしなものが明人の目に入った。
男の手のひらの数字が【1】となっている。
だが明人が渡されたワッペンに書かれた数字は【2】なのだ。これを男が先ほどまでつけていた以上、手のひらの数字も【2】でなければおかしい。
明人は不思議に思って、ワッペンを胸に付け直してから男に問うてみた。
「手のひらの数字はどうしたんですか? 今貰ったワッペンは【2】ですけど、【1】って書いてましたよ」
「ああ、これかい。ワッペンを交換してもらったのはこれが初めてじゃねえってことさ。本当はもう【1】なんだ。明日は【0】なんだろうが、明後日どうなるんだろうな、これ。マイナスになるんかね?」
へへっ、と四十男は明人の【5】と書かれたワッペンを胸につけつつ、卑しく笑った。
元々つけていたワッペンも他人のものだったわけだ。
「どうしてわざわざそんな面倒なことを? 残り1日になったらランクアップして、次のステップに進めるって言ってたじゃないですか」
「そうだよ。心配すんな、嘘じゃねえ。俺はランクアップなんかしたかねえんだ。そういう人間もいるってことさ」
「……どういうことです?」
明人がそう問うたとたん、四十男の顔から下卑た笑みが消えた。
いったいどうしたのか、黙ってうつむいた。
酒精で濁ったうつろな瞳が、その視線をぼんやりと床に落とし続けた。
やがて、
「オレは、池尻大橋ってところで酒屋をやっているんだけどよ」
男はぽつりとこぼした。
長い話を始めそうだと気づいたが、明人はつい止めずに聞いてしまった。池尻大橋と言えば、明人の通う世田高のすぐ近くである。
「マルバシ酒店つってな。歴史だけは結構ある店なんだ。けどまあ、このご時世、個人でちっこい酒屋なんかやってどうなるもんでもねえわな。最近じゃ、同居してるおふくろの年金借りてようやく店をまわすありさまよ。遊ぶ金もねえから、テレビを見ながら期限切れの酒とつまみを口にするくらいが、人生唯一の楽しみさ。店をたたんで新規まき直しったって、たいした学歴もねえし、職歴もねえ。だいたい宮仕えなんか今更やれるもんか。このまましょぼいもん食って飲んで、死ぬんだな……そう思ってたら、ここに来れた」
急に男の顔が老けこんだ。
「よくわからない場所だよな。夢のようで夢じゃねえ。ああ、そうとも。こりゃあ夢じゃねぇぜ。きっとな。こんな都合のいい夢があるもんか。けど、いいんだ。なんでもいい。ここは飯と酒が美味いんだ。それはまちがいねえんだ。オレはここでずっと楽しむつもりだ。死ぬまでずっとな。……次のステップなんか、もう欲しいとも思わねえんだよ」
人生に疲れきった男の顔が、そこにあった。
「…………」
重い告白にあいづちも打てず、明人は黙りこんだ。どう答えればいいのか見当もつけられなかった。
だが、当然ではないか。
重い人生の問題に、簡単に答えを出せるなら、人は誰もこんな顔をしないのだ。
そのとき、急に強い加齢臭が明人の鼻をついた。
なにかが腐ったような異臭までがそれに続いた。
(なんだ、この臭い。誰か来たのか?)
そう思って明人は侵入口のほうを振り返った。
だが誰もいなかった。板壁もずれていない。
なんだろうと首をかしげたが、
(気にしてもしかたないか。それより早く出よう。見つかると面倒だし、早池峰さんも追わなきゃだ)
と思い直し、別れを告げるために中年男のほうに向き直った。そして、
「……え?」
あっけにとられた。
いるはずの四十男が、いなかった。
そこにいたのは白髪の老人だ。
ただ、服はマルバシ酒店の店主が着ていたものと同じだった。
「あえ」
意味をなさない言葉で、
「え……!?」
何がおきたのかわからず、明人は立ち尽くした。
だが異変はそれだけに留まらなかった。
目の前で老爺の皮がみるみる乾いていく。
皺がより深く寄る。
顔の皮がだらりと垂れ下がる。
シミがつぎつぎ浮かぶ。
白い髪がごそりと抜け落ち、地面にばらばら落ちる。
「なっ……!?」
絶句する明人の前で、老爺が気持ち悪そうに口をもごつかせた。
きたない唾を地面に吐いた。
ニチャリとした唾には、茶色い固まりがいくつも交じっていた。
何かと思ってよく見ると、ボロボロに腐った歯であった。
「ちょ、ちょっと。大丈夫ですか。どうしたんです。なにが起きてるんですか」
「あ……。あー……」
歯がなくなって歯肉だけとなった老爺の口から、湿った息が明人の顔に吹きつけられた。酒臭さと、老人独特のきつい口臭が混じる、すさまじい臭いがした。
思わず顔をしかめた明人に、白く濁りかけた目がなにかを訴えた。
きっと訴えているのだろう。
視線が微妙にずれていても。
続けて発せられたのが意味をなさないうめき声であっても。
(なんだこれは!? 老いているのか!? だがなぜ! そんなバカな!)
思考が脈絡もなく次々浮かんだ。
困惑の極みにある明人の前で、崩れ落ちるように老爺が両膝をついた。
そのまま前のめりに倒れていった。
「あぶない!」
倒れていく干からびた体を慌てて支えた。
「うっ」
全身からツンとすえたような臭いがして、思わずのけぞった。
だがすぐ、それどころではないと気を強くもって、呼びかけた。
「ちょっと、大丈夫ですか。しっかりしてください」
「……」
返事はなかった。うめき声さえも返らなかった。
気がつけば、老爺の枯れきった手のひらの上で【1】の数字が明滅していた。まるで何かを警告するかのように。
(ヤバい。なんだかわからないがこれはヤバい。けど、どうすればいいんだ)
まごついているうちに、その数字が【0】に変わった。
禿げ上がったシミだらけの頭ががくんと垂れた。
「あ」
駄目だ。
死んだ。
瞬間的にそう直感した。
「……ちょっと?」
試しに声をかけてみたが、返事はなかった。
枯れ細った体をいったん地面に横たわらせ、脈を取ろうと手首をつかんだ。
こびりついていた垢の感触が明人の指に伝わった。
糞尿の臭いもしてきた。どうやら死の直前か直後に失禁したらしい。
うっと来たが、気持ち悪がっている場合でもない。
我慢して、動脈のあたりに親指を当てた。
(脈がない……。いや、場所が違うだけかも)
なかば祈るような気持ちで、あちこちに親指を当てなおした。だが、どこにも血流を感じる場所はなかった。
念のため口元にも手を近づけてみた。
こちらも息はなかった。
「……駄目か」
手のひらの数字は【0】のままだ。ただ心持ち色が薄くなってきていた。と思うと、すっと消えた。
あとにはなにも書かれていない手のひらが残った。
「…………」
ふらついているのが自分でもわかった。
なんとか立ち上がったが、それきり体が固まったように動かなかった。
自覚できないが、きっとショックを受けているのだろう。受けて当然だ。つい先ほどまで話していた相手が、とつぜん急激に老いていき、目の前で物言わぬ
(『数字が【0】になったら死ぬ』ってのは、こういう意味か。じゃあ俺も、あと5日でこんな風に死ぬのか? 早池峰さんも?)
体が震えてきた。
枯れきったマルバシ酒店の店主の遺体は、口を半開きにしたまま、半開きのうつろな瞳で真っ黒な虚空を見上げている。その無残な姿に、明人はつい自分や千星の姿を重ねてしまった。
急に恐ろしくなって、自分の手のひらを見た。もう数字が変わっていたらどうしようと思ったが、幸いこちらはまだ【5】のままだった。
きっと数字が減るタイミングは参加者の間でばらばらなのだろう。ベルによれば、この数字はこの世界で過ごした時間に応じて減るという。寝る時間が早い者は、それだけ早くここに来るわけだから、数字が減るタイミングも早くなるわけだ。
明人は立っていられなくなって、またその場にしゃがみこんだ。
(死ぬ? 【0】になったらこうなって死ぬのか? 本当に? いや、そんな馬鹿な。こっちで死んだだけで現実じゃ生きてるに違いない。だってこれ、夢だろう。そうじゃないか。こんなのあるもんか。おかしいだろう)
自分にしつこく言い聞かせた。
だがいくら誤魔化そうとしても、そのたびに別の自分が問うてきた。
――聞いていたとおりじゃないか。元から知っていたことを、なぜ今さら否定する? と。
そう。ベルは言っていた。この数字が【0】になったら死ぬと。
親友の幸十も言っていた。プラメンが数字が【0】になる日を境に音信不通になったと。
目の前の事実は、彼らが真実を語っていたことを証明しただけだ。明人は、無意識に目をそらしていたことを、有無を言わさず見せつけられたにすぎない。
がたっ。
誰かが板壁を動かす音がした。
びくんと体が震えた。
(誰か来た!? まずい!)
ここはスタッフオンリーのスペースだ。侵入したのがバレるとまずい。
しかも今起こったことを説明することもできない
あわてて明人はイスの山のかげに身を隠した。突然の音に驚いたのがかえって良かったのだ。おかげで固まっていた体を思わぬほど俊敏に動せた。
乱雑に置いてあるおかげで、イスの山は壁のように視界を遮っている。かがめば全身を十分隠せた。
息をひそめていると、開けた板壁のすき間から、かっちりとしたレディーススーツを着た女が入ってきた。
以前明人にワッペンを渡したあのスーツ女だ。イスを抱えているから、どうやら使わなくなった大道具を片付けに来たのだろう。折あしく出くわしたものだが、それだけ長居したのが悪いとも言える。
(ヤバいな。不味いことになった)
後悔したが、後の祭りだ。見つからないことを祈りながら、様子をうかがうしかなかった。
死体が見つかるのはもうどうしようもない。見られたら悲鳴を上げられてしまうだろうが、今さらできることはないだろう。
しかし、
「ありゃあ。しくじったね。捧げ物が減っちまった」
枯れた遺体を見たスーツ女がまず口にしたのは、そんなセリフだった。
悲鳴をあげないどころか驚いた風さえない。うんざり、といった程度だ。
スーツ女はイスをどっかと降ろし、入ってきた場所の板を戻すと、仰向けになった老爺の遺体に近寄った。胸のワッペンを見て、舌打ちした。
「なるほど、ワッペンを誰かと取り替えてやがったかい。人形どもが見逃すわけだ。こざかしいね」
(……)
あ然とした。そんな反応があるだろうか、と思った。
遺体なのだ。
しかも歯や毛がいくつも
「おい! 誰か来な」
スーツ女が出口に向かって声を荒げた。
すこしすると板壁の一部がまたずらされた。すき間から客の一人と思しき男が入ってきた。むろん人形だろう。
スーツ女が苦い顔でまた舌打ちした。
「バカ。たしかに誰かと言ったよ。だがサクラのお前が来てどうするんだい。客ってことになってるのがここに入ったらおかしいじゃないか。それと開けたら閉める!」
顎をしゃくった。サクラの人形は言われたとおりに板を元に戻した。
「ったく。まあ、もう来ちまったものはしょうがない。この死体をわらっときな」
「ハハハハハ……」
サクラの人形が死体を見ながら笑いだした。
「いいかげんにしろ!」
よほど腹に据えかねたのか、スーツ女は笑っているサクラの男の後頭部をおもいきり叩いた。
それでもサクラの男はひたすら笑い続けた。
「ええい、本当に! 笑うな! 『わらっとけ』ってのは『片付けとけ』って意味だ!」
ヒステリックにスーツ女が怒鳴りつけた。初めて会ったときの色っぽい仕草は欠片もない。接客モードに入っていなければこんなものなのかもしれない。
サクラの人形がぴたりと笑うのをやめて、無表情になった。老爺と化したマルバシ酒店の店主の死体をつまみ上げ、奥の通用門の方に引きずっていった。店主の汚れたジーパンのすそからは、糞尿がこぼれ出していた。
「あーあー、汚しまくって本当に……。臭いったらありゃしないね」
スーツ女は顔をしかめ、逃げるように外に向かった。あれも人形のはずなのだが、思考が実に多彩だ。特別製なのだろうか。
そのまま板を外し、向こう側へと姿を消した。そして板も戻された。
それとほぼ同時に、サクラの人形が奥から戻ってきた。
だがそのまま素通りせず、明人の隠れているイスの山の前で立ち止まった。
(げっ!?)
明人はぎくりとした。
まさか見つかったのか。
そんな恐怖を抑えこみ、身を縮こめた。観念して自首するのは見つかってからでも遅くない。
サクラの人形は無機質な動きで首を左右に動かした。一瞬、明人のほうにも視線が向いたが、すぐに別のほうに向かった。心臓がドクドク嫌な鳴り方をした。
サクラの人形が出口となる方へと歩き出した。単にどこから出るか迷っただけだったようだ。板を外し、出て行った。
(ビビらすなよな!)
はーっ、と明人はため息をついた。
だがともかく、窮地はなんとか逃れた。
そう思って、自分も開けっぱなしの板の隙間から出ようと、物陰から身を起こした。
が。
「開けたら閉める!」
再びあのスーツ女の声がして、板が閉じられた。
(マジか!?)
スーツ女が出口のすぐそばで待っていたのだ。
もちろん、たまたまかもしれない。
だが、たまたまでなかったら?
まだ中に誰かいるのではと疑っているのだろう。
糞尿の臭いを嫌って外にでていったが、だからと言って調べずに済ませる気はないということだ。
(まずいな)
明人はいつのまにか乾ききっていた口の中を唾で濡らした。
まだまだ窮地を脱せたわけではないらしい。
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