第14話 一般参加者の認識

「さて。手のひらに書いてる数字についてまず話してやろうか。一番気になるのはやっぱそこだろ」


 と四十男は明人にきりだした。


 場所は大門から近い一番端のテーブルである。城壁のふもとにある、朱塗りの板壁のすぐそばだ。

 明人は遠いと文句を言ったのだが、とにかくここでなければだめの一点張りだったのだ。


「お願いします」


 と明人は鹿爪らしく答えた。

 手のひらに書いている数字が余命だということは、ベルからすでに聞いている。だが、いろいろな人の話を合わせるのはいいことだ。クロスチェックである。それにどこまで参加者が世界の実情を知っているのか、ということ自体も大事な情報と言える。


「よしよし。兄ちゃん素直だね。いいことだ」


 と言って、中年男は懐から500MLサイズのペットボトルを取り出し、フタを開けて一口飲んだ。

 ふはっ、と酒臭い息をはいた。どうも中身は酒らしい。


(なんでこの人は酒に夢中にならないんだろう?)


 明人は不思議に思ってペットボトルに詰められた無色透明の液体をながめた。

 この世界の飲食物は、いったん口にするとやめられなくなってしまうはずだ。


 すると、


「ん? 兄ちゃんは飲みたくてもおあずけな。いったん飲み食いしだすと話すどころじゃなくなるぜ。俺みたく自前の酒があるんだったらいいけど、兄ちゃんはどうせ枕元に酒を置いて寝たりしねぇだろ」


 男は明人の視線を違う意味に取ったらしく、そんなことを言った。

 そして、またペットボトルの中身を一口飲んだ。


 酒に夢中にならないのも道理である。自前の酒を持ちこんで飲んでいたわけだ。


 よく貪食界を相手にそんなことができたものだ、と明人はある意味感心した。

 理屈は想像つく。明人が自分の学生服を着た状態でこちらに来ているのと似たようなものだろう。つまり、自分がもっともなじみのある姿でこの世界に来るわけだ。

 だがその推測が正しいとすると、この四十男の自己認識は常に酒を持ち歩いている姿ということになる。いささか不味いレベルで酒びたりなのではないだろうか。


「気にしないでください、飲みたいわけじゃないですから。それより、手のひらに書いている数字のことを聞かせて下さい」


 明人はおかしなほうに話が流れてしまわないよう、質問の形で話題を指定した。


「え……? おう、そうか。手の平の数字か。手の平の数字だな。この数字はな、そう、次の世界に行けるまでの日数なんだ。これが足りれば、大門の向こう側にある世界へ行けるんだ」


 と中年男は遠くに見えている大門を親指で指した。


(そういえば門番がそんなことを言っていたな)


 と明人が考えていると、


「あっちは凄いぜ。こっちは上手い飯と酒がいくらでも飲み食いし放題だが、あっちは別のものを食える。兄ちゃんくらいの年なら興味津々なんじゃないかい? ほら、これだよこれ」


 四十男はトンデモなことを口にして、右手で卑猥なジェスチャーをして見せた。


「……興味ないとは言いませんけどね。でも、それ本当ですか?」


 明人はかなり疑わしく思いながら聞き返した。

 たしかに残り日数が【1】になった者と酔い潰れた者は、大門の裏に運びこまれる。だが普通に考えれば、そこから男が出したような結論には至らないだろう。


「まあな。知ってる奴は少ねぇだろうが、俺は知ってるんだよ。まちがいねぇ。そこの大きな門のな、奥へよ、スーツを着たエロい女と一緒に客が入って行くことがたまにあるんだ。そんときは、しばらく経つと必ず女だけが出てくる。つけなおした香水をぷんぷんさせてな。まあ、何をしているかはお察しだわな」


 と男は得意げに語り、またへへっといやらしく笑った。おそらく明人も知るあのスーツ女のことだろう。


「たしかに俺も門の向こうには行けませんでしたけど……」


「ああ、数字が【1】になってからじゃないと入れねえぜ。特別な条件もあるみたいだが、俺は知らんね。ていうかなんだ、知らんのに向こうへは行こうとしてたのか。ああ、そういや女連れだったもんな。やるな兄ちゃん。偶然でも使い道はあってるよ。すげえな、その年でもういかがわしいところへ連れこんじまうんだな! しかもあんなべっぴんの女子高生を! くあーっ、いいよなあ! ま、結構兄ちゃんも若くて男前だし、わからんではないけどさ。くあーっ!」


 相当な早とちりをしたと見えて、酔っ払いは一方的にしゃべり、勝手に妬んだ。

 そしてペットボトルの中身をまた飲んだ。

 絡み酒全開である。


「…………」


 千星をいかがわしいところに連れこもうとしたと言われ、明人は顔が熱くなった。

 それがどうも傍目にもわかるほど赤くなっていたらしい。


「うわーっ、やだねホント。やだやだ。俺もあんなべっぴんな嫁が欲しかったわ。あと10年若けりゃ、なんとかなあ」


 はーっ、と中年男がため息を吐いた。酒臭さがいっそう強く漂った。

 明人は落ち着かないものを感じつつ、話をせかした。


「それで……」


「おうおう、急ぐなって」


 と男はまたペットボトルに口をつけ、ぐびりと飲んだ。

 先ほどから飲みっぱなしだが、顔色が変わる兆しもない。よほど強いのだろう。


「えーと、なんだっけ。あー、あ、そうだ。そう、んでな。ここじゃ、日数が経つとランクアップするってルールがある。最初は飯と酒しかない。だが6日目になるとランクアップして、次のステップに進める。大門の向こうへ行けるんだ。本当の出口をくぐって、向こう側でウハウハって寸法さ」


「本当の出口?」


「そ。出口」


「けど、出口ならあっちにあったじゃないですか。あの金の扉と鉄の扉の二つ」


 そう聞いた。

 あの二つの扉はまちがいなく闘争界と虚栄界に繋がるものだ。明人も昨日ちらりと闘争界らしき光景を見たのだから、ここは確定と考えていい。


 だが、男の口から出たのは奇妙な単語だった。


「あー、あれね。ありゃ偽物だ。ときどきあっちに行く奴がいるけどな」


「ニセモノ?」


「ああ。あっちの扉の向こう側から、こっちに命からがら逃げて来たやつが前にいたんだけどよ。あっちは地獄みたいな場所らしい。人だか獣だかわからんのが次々に襲いかかってくるんだと。あの姉ちゃんも、気の毒だが今ごろ出口を探して右往左往してんじゃねえかな。なんせあの扉は一方通行らしくて、出た場所から入るわけにいかんらしいんだわ。いや、だったら止めろよって思うかもだが、しょうがねぇやな。あの姉ちゃん覚悟ガンギマリで、こっちが止めるひまもなく扉をくぐっちまったんだからよ。いやまあ、あそこまで美人だと気後れしちまって声をかけかねるってのもあるけどもな」


 男は一気にまくし立てた。

 さすがに酔いが回ってきたのか、ろれつがちょっと怪しい感じになってきていた。


 だが現状、最大の問題はそこではない。


(うん、駄目だこりゃ。まるっきり与太話だ)


 ということだ。


 さすがにここまで来るとそう断じざるを得ない。

 騙そうというつもりはないのかもしれないが、それでもこの四十男の話は妄想が多すぎる。いかがわしい場所だのランクアップだのという話にはなんの根拠もない。彼がニセモノと呼んだ扉だって、闘争界に繋がる出口そのものだ。


 結局、彼はこの三界のことをたいしてわかっていないのだ。

 おおかた、断片的な情報を継ぎはぎし、自分の妄想を混ぜて話しているだけなのだろう。

 元より与太話とはそんなものかもしれないが、しかし、そんないい加減な情報を自信満々でさも確実なことのように話されるのは、なんとも困ったものである。


「へえ……」


 と明人はだいぶゲンナリしながらあいづちを打った。これでは世界の破壊に繋がる情報を得るどころではない。


 すると男が嫌そうな顔をした。

 明人は内心の呆れが態度に出てしまっていただろうか、と思ったが、そうではなかったらしい。


「あ、やべ。今の話、まずかったか? あ、そうか。こんなこと話したら、あっちのニセモノの扉をいちいちくぐったりしねえよな。やだね。俺も頭悪くなっちまって、畜生」


 男はそんなことを言って、ごつごつ頭をたたき出した。また早とちりしただけだったようだ。


「いえ、行きますよ」


「は。マジで? ハズレだぞ?」


 男は手を止めて、明人に酒精でにごった目をむけた。


「話してくれたらワッペンをあげると約束してしまいましたしね。それに、彼女が本当にそんな場所に一人で行ったんだったら、なおさら追わないと」


「おお……えらい! 男だわ兄ちゃん。かっこいいなあ。そうかー。そこまでできるからモテんだなー。そこへくると俺なんか……」


「で、ワッペンですね?」


 いいかげん酔っ払いの相手がうんざりしてきていた明人は、男のグチをさえぎってワッペンを外そうとした。


「おっと、待った。よしな」


 と男がとつぜん明人の腕をつかんだ。酔いどれていた割に、思いのほか強い力だった。


「なんですか。これが欲しいんでしょう?」


「おうさ。けどここで受け渡しするのを見られたらまずいんだ。誰が騒ぎだすかわからねぇ。場所を変えよう」


 男はまたペットボトルの中の酒をちびりと飲み、懐に収めた。遠くを歩く店員のほうを横目で見て、へへっ、と陰気な顔で卑しく笑った。


「場所を? どこへですか」


「そこだよ、そこ」


 ちょいちょい、と男はすぐそばの朱色の板壁を指さした。


「そこの板壁の向こうは物置でな。目立たないが入り口もちゃんとあるんだ。テーブルやらイスやらを置いてあるだけの場所で、客はもちろん、従業員さえめったに来ねぇ。ちょいと数分、こそこそするにはうってつけってわけよ。ってわけで、受け渡しはそっちで頼むわ」


 男がふらっと立ち上がった。

 大丈夫なのかと思ったが、酔っ払いにしては思わぬほど素早く仕切り板に近づいて行った。まるでゴキブリのようだ。


 だが感心してばかりもいられない。明人も後を追った。


(ワッペンを外すのは駄目なのに、あそこに侵入するのはいいのか?)


 と明人は訝しんだが、不思議なことが起きていた。


 人は大勢いるというのに、誰も明人たちを気にした様子がない。


 ひたすらがっついている客たちが反応しないのはわかる。すでに食事以外に興味を持てなくなった後なのだろう。


 だがサクラと思しき者たちまで反応しないのだ。物置に向かう明人を気にするどころか、一番端の板壁を堂々とずらし始めた中年男をとがめようとさえしない。


(もしかして、人形たちは応用が効かないのか?)


 そう気がついた。


 命じられていることはするが、それ以外のことはしない。そういう存在なのかもしれない。


 給仕する。

 ワッペンをつける。

 酔い潰れた客を大門の向こうに連れこむ。

 自然な会話をし、人に飲み食いさせる。


 どれも人間と見分けがつかないほど自然にやってのけるから、人形たちは人間と同じように考えることができるのだと明人は思いこんでいた。


 だが今の彼らはどうだ。

 物置に忍びこもうとする不届き者が見えているはずなのに、なにもしようとしない。よほど応用が効かないのでなければありえないことだ。


(実はこれが一番の収穫かもな)


 おぼつかない足取りで、板壁をどんと音を立てて降ろす中年男を見つつ、明人はそんなことを考えた。

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