第18話 捧げ物

 ベルが構えたときには、もう遅かった。

 スーツの女の背中からとつぜん長い影が伸び、瞬時にホステス風の女性の額を撃ち貫いた。


「んうっ!」


 小さくくぐもった悲鳴とともに、女性の体がびくんと震えた。その直後、ぐったりとして微動だにしなくなった。

 凶器となった謎の影はすぐにその姿を消した。

 額から染み出たと思しき、どろりとした液体が、地面に粘質の水たまりをつくった。

 それで気がついたが、仕切り板の裏の近くには似たような汚れがあちこちにあった。


 驚く明人の横で、ベルはほこを投げつけようとしていた手を止めた。


「遅かったか」


 苦りきった顔で首を振り、鉾を胸壁の後ろに隠した。


「……」


 明人は奥歯をかみしめた。

 一瞬。本当にごく一瞬だった。一瞬で命が刈り取られた。

 スーツ女がホステス風の女性の口をふさいでから、あの謎の影が女性の額に撃ちこまれるまで、1秒あったかどうか。


 スーツ女が立ち上がった。

 ぶうんと低く重い耳障りな振動音がした。羽音のようでもあった。


「ベル、なにか聞こえない」


「ああ。なんだろうな」


 ベルが耳を立ててぴくぴく動かした。明人も耳をすませながら、下をより注意深く観察した。

 それで気がついた。

 立ち上がったスーツ女の影がひとりでに動き、気持ち悪くくねっている。影の色も先ほどより濃い。


 と思うと、影がゆっくり浮き上がった。耳障りな羽音が強くなった。


「影が動いてる。どうなってるんだ」


「いや、よく見ろ。あれは影ではない。虫の群れ……ハエの群れだ」


 ベルが顔をしかめた。

 明人もうごめく影をよく見た。たしかに小さな蠅らしき虫がそのそばをチラチラ飛んでいる。

 おぞましいほどの数だから影と見えたが、あれは蠅の群れなのだ。


 濃密すぎて黒い塊にしか見えないその蠅群が、大きく広がった。

 と思うと、まるで網をかぶせるようにホステス風の女性の遺体に覆いかぶさった。

 スーツ女は微動だにせずそれを見下ろしていた。


 薄暗い灯りの下、奇妙な影絵シルエットが地面に投影されて、もぞもぞと気持ち悪く蠢動しながら、ゆっくり縮んでいった。


 愕然がくぜんとしてベルがつぶやいた。


「……ささげ物だ……」


「え?」


「あの蠅の群れ、肉を食っている。形式は異常だが、あれは生贄いけにえほふりその肉を食らう、捧げ物の儀式そのものだ」


「肉を食う? まさか」


 そう言った明人が見る中で、蠅の群れがすっと引いた。そしてスーツ女の影に戻った。

 ホステス風の女性がいた場所には、白い骨だけが残されていた。本当に骨以外をすべて食われたのだ。

 頭蓋骨の額の部分には穴が空いていた。


「う……」


 明人は口を押さえて、吐き気をなんとかこらえた。だがそれでも見続けた。目をそらすのはかえって怖かった。


スーツ女あいつは平気なのか? いや、人形だからなにも感じるわけないのか)


 明人が唇を噛んだそのとき、スーツ女はまったく予想外の行動を取った。

 白面の上に引かれた口紅を、笑みの形にじ曲げて、にたりと声もなく笑ったのだ。


 至福の笑みであった。

 表で美食に舌鼓したづつみを打つどの人間も、これほど悦びに満ちた顔をしてはいまい。そう思えるほどの、恍惚とした笑みであった。

 そして、まるで美術館で名画でも鑑賞するかのように、じっと白骨を見つめはじめた。


「…………」


 明人は言葉もなかった。隣のベルもあ然としていた。

 裸電球の殺伐とした薄明かりの下、横たわる骸骨をうっとり眺め続ける美女の光景は、静謐でありながら鬼気迫る狂気に満ちていた。


 ゴキブリサイズの大きな蠅が、スーツ女のそばに一匹飛んだ。

 その怪虫から染みでた何かを、スーツ女が両手で受けた。

 まるで化粧水のように己の顔に塗りつけた。

 高級そうなコンパクトミラーを取り出して、しげしげと己の顔を見た。

 満足げに頷くと、おもむろに大きな布袋を取り出した。無造作に全ての骨を拾って袋の中に放りこみ、奥にある骸の山の方へと向かった。袋をひっくり返して骨を捨てると、何事もなかったかのように戻ってきた。

 門を出る前に、香水のびんらしきものを取り出して、自分の体にひと吹き。

 そうして、何食わぬ顔で大門を開け、表のほうへと去っていった。


 大門がひとりでに閉じていき、音を立てて閉まりきった。

 それきり裏に人の気配はなくなった。


「……」


 ベルはずっと無言であった。明人もだ。

 やがてベルが引きつった顔を明人に向けた。


「信じられん。なんだ、なんなのだ、あの人形は。おかしな蠅を操るばかりか異様な儀式まで行い、しかも預金を貯めこむように白骨を捨てずにおき続けた。あんな行動は、よほどおぞましい精神を持っていなければできるはずがない」


「俺だってわからないよ。けど、あのスーツ姿の人形はなにかと特別なんだ。リーダー的な存在なのか、ワッペンを客につけたり、空の皿に料理を次々と盛ったり、ほかの人形に指図したり、とにかくあちこちに顔を出してる」


「そのような人形がいるとはな。警戒せねばなるまい。……待て、明人。今なんと言った?」


「え? だからほかの人形に指図したり……」


「その前だ。空の皿に料理を次々と盛った?」


「そうだよ。昨日、たしかにそうしてた」


「魔法の釜だ。そんなことができるのは、あれしかない」


「まさか。あいつ、釜なんて持ち歩いてなんかなかったよ。今だって手ぶらだったじゃない」


「そうなのだが、それ以外に考えられん。どこかに盲点があるのだ。こうしてはいられん、奴を見逃すな」


 ベルがただちに表側の胸壁に飛びついた。きょろきょろと周囲を慌ただしく見まわし始めた。


「わ、わかったよ」


 思わぬベルの反応にとまどいながら、明人も同じように胸壁にとりついた。

 幸い、かっちりした黒いスーツで決めた姿はよく目だった。明人はすぐにその後ろ姿を見つけられた。

 ちょうどスーツ女は真っ赤なエビチリが入った皿を手に持って、給仕についているところだった。腰にさげた黒革のウェストバッグからオタマも取り出した。


「ベル、いた。あそこだ」


 明人は指差してベルに伝えた。


「うむ、見つけた。ちょうどいい。空の皿をもったウェイトレスも近くにいる。なにが起こるか観察しよう」


 ベルの言うとおり、スーツ女が向かう先には、空の皿を持ったウェイトレス姿の人形がいた。

 スーツ女がオタマを使って、自分の皿から人形の持つ皿へと料理を移しかえた。


(んっ?)


 おかしかった。

 ウェイトレスの持つ皿の上が、琥珀色こはくいろをした東坡肉トンポーローでいっぱいになったのだ。

 だがスーツの女の皿に入っているのは、真っ赤なエビチリである。しかも量もまったく減っていない。


「……どうなってるんだ」


「見たか」


「見た。たしかに料理が出てきたみたいだね。けど、釜はどこだろう」


「よく見ていればわかるはずだ。ほら、また来たぞ」


 再び別のウェイターがスーツ女に近づいた。

 スーツ女がまたオタマを使って料理を移し替える、ように見えた……しかし、よく見るとオタマでエビチリをすくっていなかった。相手の皿の上にオタマだけを乗せていた。

 それなのに、相手の皿の上に大量の唐揚げが現れた。


「まさか、あのオタマ?」


「ああ。金属製でお椀状。ちゃんと当てはまる。お手柄だぞ明人、あれこそがこの世界を崩す鍵だ!」


 ベルが胸壁から降りた。ふと上を向き、とつぜん持っていた鉾を振った。

 なにもないはずの空中から、はらりと二欠片ふたかけらの破片が落ちた。なにかと思えば、真っ二つになったゴキブリサイズの大きな蠅であった。だがその破片は、次の瞬間、黒い煙となって消えた。


「ふん」


 とベルが鼻を鳴らした。そして、


「行くぞ明人。こそこそ潜むのはここまでだ。世界を終わらせてやるとしよう」


 獲物を見つけた肉食獣のように、珍しく猛々しい顔で笑った。



◇ ◇ ◇



「ねえベル。通用門からここを出る。不意討ちであのスーツ女を倒す。この世界を維持する【魔法の釜】――というか魔法のオタマを破壊する。以上、でいいんだよね」


 城門そばを早足で歩きながら、明人は隣のベルに確認した。

 いよいよこの貪食界を破壊してやれる。そう思うと気がはやった。


 大門を避けて通用門から出るのは、騒ぎを起こさないためだ。正面きっての大乱闘はさけなければならない。まきぞえで犠牲者がでるし、騒ぎに気づいたスーツ女が魔法の釜を隠してしまう恐れもある。


「ああ、そうだ。お前は私とつかず離れずの位置を保ってくれ。近すぎると戦いにまきこまれるが、遠すぎてもなにかあったときにカバーができん」


「了解。けど、そういうことなら隠れていたほうがよくない? それこそ城壁の上とかに」


「いや、単独行動はつつしむべきだ。我らが事を済ませる前に、もし向こうがお前の存在に気づいたら、そこまでになってしまう」


「なるほどね」


 明人はすなおに自説をひっこめた。

 明人もこの世界を破壊しようとしている者たちの一味だ。もちろんそれを運営に知られている証拠はないが、命にかかわりかねない判断を楽天的に行うのは禁物であろう。


「表は表でサクラや給仕の人形がウジャウジャいる。あいつらが襲って来たらどうする?」


「ただの客だと思われている間は心配あるまい。問題は正体がすでにバレていたときだが、その場合はできる限り私がなんとかしよう。もし私と離れていたら逃げろ。逃げるのが無理なら目をそらすな。そのあとは……気合だな。神頼みをしてもいいが、当てにはならないと思っておけ」


「神様が言うと説得力あるね」


 明人は肩をすくめた。

 不穏分子だと気づかれて、ベルの援護も届かなかったとしたら、後は精神論というわけだ。


「あ、そうだ。奥に見張りがいるかもしれないよ。侵入されたばかりだから、まだ引っこめてもいないと思う」


「侵入した当人の保証付きだな。なに、問題にならんよ。見ているといい」


 自信があるらしく、ベルは事もなげに言って、持っていた鉾を軽く振って見せた。


 あの白骨の山のそばに着いた。その向こうはいよいよ通用門だ。

 たどり着いた小さな門の横から、明人は奥をそっとのぞきこんだ。ベルも下から同じようにした。


「……やっぱりいるね」


 物置の中央に、いかにもチャラそうな甘いマスクの青年がつっ立っていた。

 おそらく本来は若い女性に飲み食いさせる役なのだろう。


「あれか。よし、見ていろ」


 とベルは鉾から手を離した。


「?」


 鉾を手放してどうするのだろう、と明人が疑問に思ったその時、


「あの人形だ、行け」


 ベルが鉾に小声で鋭く命じた。


 とたん、鉾が一人でにふわりと宙に浮き、その切っ先を奥の人形に向けた。

 矢のように急加速し、驚く明人の視界から瞬時に消えた。すぐに鈍い音が続いた。


 明人があわてて奥を見たときには、人形が倒れるところだった。上体を撃ち抜かれたのか上着に大きな穴が空いていた。倒れた体がすぐに黒い煙と化して宙に消えた。


 ベルの鉾はその上の空中でピタリと静止していたが、やがて音もなくベルの手元まで戻ってきた。


「かっこいい……! なに今の」


「命じたとおりに動く鉾なのだ。今風に言えばスマートウェポンだな」


 鉾を再び握りしめ、ベルが答えた。すこし得意げだ。


「パないね」


 向こうに魔法の釜があるように、こちらにも魔法の鉾があったわけだ。見た目はネコのぬいぐるみでも、やはりベルは神なのだ。


(これなら案外あっけなく終わっちゃうんじゃないか?)


 そんな気になってきた。これならあのスーツ女だってわけもないに違いない。



◇ ◇ ◇



 会場の中の、邪魔な人やテーブルのあいだを縫うようにして、明人はスーツ女がいたあたりへと進んでいった。ベルはすこし先を行っている。


 目的地に近づくにつれて、視界をさえぎる立ち食い用テーブルやのぼりも増えてきた。床の位置も一段と低くなった。食事のときのかちゃかちゃ食器の当たる音も止んでいった。客はたくさんいるが、食べている者が少ないのだ。サクラの人形ばかり、ということだろう。


(いかにも敵の本拠地ですって感じだな)


 そう思ったとき、遠くで大門の開く音がした。思わず振り返ったが、物陰になっていて見えなかった。しかし、きっと別の人形が誰かを裏に連行したのだろう。


(早くこの世界を崩さないと……)


 と考えながら首を戻して、気がついた。

 先を歩いていたはずのベルがいない。


(嘘だろ!? はぐれた!?)


 明人ははたと立ち止まって周囲を見まわした。

 するとやや遠く、のぼりの向こうに、二足歩行をするネコの後ろ姿を見つけられた。よそ見したあいだに離れていたらしい。


(あっぶねー!)


 ふうっと息を吐いた。

 思っていた以上に見通しが悪いようだ。まるで人工物で作られたジャングルである。

 これでは本当にはぐれかねないから、もうすこし近づこうと足を早めた。


 が。

 そのとき、黒いものが横切るようにして明人の前に現れた。


「……!」


 体が強ばった。顔も引きつった。


 探していた相手が、そこにいた。

 特徴的な黒革のウェストバッグ。

 肉感的な体を固めるかっちりした黒のレディーススーツ。

 黒づくめの美女――スーツ女だ。

 ちゃんとオタマの形に偽装した魔法の釜も手に持っている。

 いつのまにかベルと入れ違ってしまっていたのだ。


 しかも距離が近い。先をいくベルと分断されてしまった格好だ。


(まずい。どうする)


 迷った。

 自力であの魔法の釜を壊そうとするのは無茶だ。相手にはあの謎の武器がある。

 といって、いきなりきびすを返して逃げだすのも論外だ。それでは不審者まるだしである。


(とぼけてやりすごすしかないな。その後で、先に行っているベルを呼び止めよう)


 そう決めた。

 だが、スーツ女は明人のほうへと近づいてきた。


(え?)


 ぎくりとした。

 たまたまかと思ったが、しかしスーツ女ははっきりと明人を見て近づいてきている。


(まさか魔法の釜を狙っていると知られているのか? いや、まだなにもしていないんだ。わかりっこない。じゃあ大門の裏に忍びこんだことがバレたのか? まさか)


 必死に頭をフル回転させた。

 ついにスーツ女が明人のそばで立ち止まった。


「お客様? どうかなさいましたか」


 妖艶に笑いかけられた。

 ついさっき人を殺したことなど微塵みじんも感じさせない、完璧な営業スマイルだ。明人は、もしかして自分の記憶が間違っているのではないか、と不安にすらなった。恐ろしいほどの演技力である。


「えっ? ……いえ、なにも」


「さようでございますか。なにかございましたら、遠慮なくお声がけくださいませ」


 明人の固い返答に、スーツ女は丁寧に応じた。

 近づいて来たのも当然。どうやら明人に呼ばれたと思ったようだ。

 きっと、何度も視線をむけたのが悪かったのだろう。


(なんだ、そういうことかよ)


 内心で安堵のため息をついた。


「ありがとうございます」


 と明人はスーツ女に礼を言って見せた。猿芝居だったかもしれないが、しないよりはマシだろう。


 スーツ女が明人の方にむかってまた歩きはじめた。どうやら最初からこちらに向かう気だったらしい。

 明人もゆっくりスーツ女の方にむかって歩きだした。立ち止まっているより自然だし、早くやりすごすためには自分からも歩いた方がいい。


 たがいの距離が縮まっていく。

 すれ違うまで、おおよそ互いにあと3歩。


 2歩。

 お互いに微笑を浮かべて会釈する。

 明人もたぶん笑えていたはずだ。


 1歩。

 スーツ女と肩が並んだ。


(よかった。やりすごせそうだ)


 明人は心の中で大きく息を吐いた。


 そのとき。


 そのまま立ち去るはずのスーツ女が、立ち止まった。

 オタマを左手に持ちかえて、己の胴体の向こう側に隠した。そのような必要はないはずなのに。


「ところで、お客様」


 ぐりぃっ、とスーツ女の化粧した顔が明人のほうに向いた。


「え?」


 息のかかるほど近くで、白面の上に引かれた口紅が笑みの形に捻じ曲がった。

 蜘蛛クモの単眼を思わせる不気味な瞳が、明人の両目をのぞきこんだ。

 きつい香水に混じった異臭が、鼻をついた。


「そのワッペン」


 重く低い声がかかる。

 明人の胸につけてある、【2】と描かれたワッペンに、スーツ女の人差し指の先が押しつけられる。


「……【5】のはずでしょう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る