第8話 神秘の門
茶沢通りを越えてすぐの道で、明人はおかしなものを見た。
いかにもイタズラ好きそうな男子小学生が二人、道路を挟んだ向かいの歩道にならんでいる。しかもその手に小石をいくつも持っている。
もちろん新手の試練だろう。この小テスト用世界にただの小学生がいるはずがない。
(うわ、いやな予感)
と顔をしかめたら、案の定。
小学生たちが無言で小石を投げつけてきた。しかも
道路の向かいから、小石がかなりの速度で明人にむけて飛んできた。
「痛っ。痛い、やめろってば」
明人は飛んでくる石を手で払ったが、払った手にはどうしても当たる。手が痛んだ。
抗議もおかまいなしだ。悪ガキどもはまったく手を止めようとしなかった。次々に小石が飛んできた。
うぇーい、と腹立たしいかけ声までかけてきた。
イラッと来たが、といって小テストのルール上、ベルのそばを2メートル以上離れるわけにいかない。よって逃げられないし、悪ガキどもから小石を取り上げることもできない。
「ねえベル、ちょっと! 幻にしては痛いんだけど。あと腹立つ!」
「痛くしている。挑発してもいる」
しれっとしたおネコ様顔でベルは言った。もちろん足は止めない。
思惑どおり、ということらしい。
おおかた、明人が怒って足を止めないか試しているのだろう。
(ええい。こんなことまでできるのか)
小石を払う手がヒリヒリするのを感じつつ、しかし、明人は感心した。
手が痛いのも、よくよく考えてみればすごい。
幻の世界でありながら、痛覚まで完全再現できていることを意味するからだ。視覚と聴覚だけの
物質界ではないから現実ではない、とベルは言うが、ここまで来たらもう現実とほぼ同じだろう。違う点があるとすれば、力のある者が自由に物を出したり消したりできることくらいか。
「ふむ。これ以上は無駄かな。どうやら怒りで身を滅ぼすタイプではなさそうだ」
ベルがそう言うなり、空中を飛んでいた小石がふっと消えた。
次弾を装填しようとしていた小学生たちも、つづけて消滅した。
幻とはわかっているが、人の形をしたものが消滅するのはなかなか心臓に悪いものがあった。
「なんでも消せるんだね、ほんと」
「お前も消していいぞ。このテストのルールはただ一つ、『私から2メートル離れないこと』それだけだ。あとは問わない」
「できるわけないじゃん。俺は神様じゃないんだから」
「できるとも。さっき言ったとおり、この世界はちゃちなのだ。物質界とはわけが違うのだから、最初から消せないと信じこんではいけない。幻は、幻だから、消え失せる。それが当然だと思え。ほら、やってみるといい」
前方の空中から、とつぜん小石が明人に落ちてきた。ベルが創りだしたのだろう。
「おっと」
急だったので驚いたが、なんとか受けられた。
あちこち尖った小さな砕石だ。手の平にギザギザが刺さった。みっちり詰まった小さな重みが伝わってきた。
「俺、普通の高校生なんだけどな」
そう言いながらも、明人は試すだけ試してみた。
なにも変わらなかった。
「ほら、できないし」
「今、できるわけがない、と思いながら試しただろう」
「それはそうだよ」
「だから失敗する。事を成せるのは、成せると信じ抜いた者だけだ。投げやりになってはいけない」
スピリチュアルなアドバイスが来ると思っていたら、ごく一般的な助言が返ってきた。
「そう言われてもなあ」
「常識を踏まえつつ、常識を超えるのだよ。常識が絶対ではないと自分で納得することだ。そうだな……。たとえばこの何の変哲もないリンゴだが」
とベルがどこからともなくリンゴを取りだして、明人に見せた。たぶん創ったのだろう。
見た感じ、普通のリンゴだ。
スーパーの青果売場に並べれば普通に売れてしまうだろう。
「もし私がこのリンゴを持つ手を離したら、なにが起こると思う?」
「なにが起こるって、そりゃ落ちて道路に当たるでしょ。傷がつくんじゃない」
「もっともだ。では実際にやってみよう」
ベルが手を離すと、リンゴが落ちた。
ただし、真上に。
加速しながら、一直線に空に向かって落ちていき、あっという間に夕焼けの彼方に消えてしまった。
ごく普通どころか、ニュートン力学に逆らう実にロックなリンゴであった。
「……なにあれ」
「これが、常識が絶対ではない、ということだ。ここでは重力も幻の一種だから、消せるだけでなく、変えることもできる。思い込みに縛られてはいけないわけだな」
「リンゴマークの会社の創業者が言いそうなセリフだね。でも俺、普通の高校生だよ?」
そう言ったら、ベルは茶化すように笑った。
「こうして神と語り、しかも上位世界に直接身をおくほどの神秘体験を経ておきながら、普通もなにもないものだ。お前はとうに神秘の門をくぐっている。それに明人よ、お前は手のひらに浮いた死の宣告に抗おうとしているのだろう。ならば、ふざけたルールを噛みやぶるくらいでなければなるまい。ルール通りにしたら、ルール通りに死ぬだけなのだから」
そう言って、ベルは自分の手の中に小石を出し、もてあそび始めた。
「……なるほどね」
明人は得心がいった気がした。
これまでも、今もそうだが、たぶんベルは単にうんちくを語っているわけではない。
きっと、この小テストは予行演習も兼ねるのだ。
失格するなら失格するでしかたない、と言わんばかりのベルの冷徹さも、そう考えれば納得がいく。明人を本番に挑ませてもいいのか、見極めようとしているわけだ。
おそらくベルの言う『助かる方法』は極めて危険なものなのだろう。
これまでのベルの説明と、さきほど見せられた先人のむごい死に様からすると、そうとしか考えられない。冗談抜きで失敗が死につながる類のものなのだ。
であれば、演習でさえ成功しないものを、本番で実行させるわけにいかないと考えるのも当然だ。模擬試験で落ちる者は、たいてい本試験でも落ちるのだから。
そんなことを考えていると、ベルが持っていた小石を上に投げた。
さすがに今度は下に落ちてきた。
「ここも、あの貪食界もそうだが、おおむねお前が普段いる物質界と変わらないように動く。が、ところどころで反則が起こる。本質的に幻であることを利用し、常識や思いこみの裏をついてくるのだ。そのとき『こんなバカなことはありえない』と、起きたことを拒否する者は裏をかかれる。もし貪食界でそうなったなら、おそらくそのまま命を落とすだろう」
またベルが小石を上に投げた。
今度は、空中でピタリと止まった。
そのまま、歩くのにあわせて、ベルの頭上に留まった。
「だからギョッとして固まるのではなく、不測の事態にすぐ対応できることが好ましいわけだ。自らも神秘の技を駆使して、さらにその裏をかければベストだな。それこそ、この小石を消したりな」
「裏をかく、ね……」
横で歩きながら、明人は浮いている小石をじっと見つめた。
いや。
(……『幻は、幻だから、消え失せる』)
小石と錯覚しているだけの、幻を見つめた。
小石の向こう側が見えた、気がした。
「ま、しかしだ。お前にもできると言ったが、実のところそれは挑戦させるための方便でな。実際は言われてすぐ実践できるものでもない。今は頭から否定せず、理解に務めてくれればそれだけで十分――」
講釈を垂れるベルの目の前で、ふっと小石が消えた。
「むっ!?」
ベルのネコ目が丸くなった。はじめてその足が止まった。
ベルはポカンと口を開けたまま、小石があったはずの空中をしげしげと眺めた。
そのまま明人に視線を移した。
「今のは、お前か?」
「うん」
「やるではないか。私を見られるくらいだから当然なのかもしれないが、神秘の素質が高いようだな。見事だ」
「ありがと」
感心したように言うベルに、明人は軽くドヤ顔をして見せた。
ようやく一本取れた思いだった。
ふたたび二人で歩き続けた。
しばらくすると、今度は右側にあるぶら下がり遊具が目に入った。昔からそこにある、小さな公園の遊具だ。
(よし、もう一度)
と思って、明人はそれも消そうと試みた。
が、今度はびくともしなかった。
「……あれ、消えない。ねえベル、あの遊具も幻なんだよね」
「もちろんそうだが、消しやすいものと消しづらいものがあるのだよ。より多くの者から、より強く『ある』と思われているものほど、頑丈で消しづらい。お前自身、『そこの公園にはあの遊具があって当然』と心のどこかで思ってはいないか?」
「あー、言われてみればたしかに。昔からあそこにあるんだよね、あれ。なくなった風景はイメージがわかないかも」
「それでは消せまいな。なにしろお前自身が『ある』と確信しているのだから」
「そういうことか……」
なんでも消し放題、というわけではないわけだ。
神に近い力を手に入れたのでは、という
そうこうするあいだに、ゴール近くの四つ角が見えてきた。
あとは太り気味のブル・テリアを飼っている民家を右に曲がると、ゴールの若林神社が見えるはずだ
そのまま歩き、四つ角にさしかかったところで、はたして見慣れた若林神社の鳥居が見えてきた。
ただ、いつもの場所に、愛嬌のある太っちょ犬はいなかった。さすがに用意されなかったらしい。
(もうすぐゴールだ!)
明人は肩の荷がすこしおりた気がした。
神社の鳥居の前に大きな木製の扉が鎮座していた。用意のいいことに、くす玉がその上でぶら下がっていたから、あれがゴールでまちがいない。
さあ行こう、と意気ごんだが、しかし、ベルにズボンのすそをつかまれた。
「すこし待て、明人。潰されるぞ」
「え、なんで?」
と明人が聞いたのとほぼ同時に、とつぜん右側の家がすべて崩れた。むしろ潰された。
「はぁっ!?」
なにが起きたのかすぐにわからなかった。
盛大にまきあがる砂煙、飛びちる破片、耳をたたく爆音。
ものすごい勢いで目の前を通り過ぎていく、謎の超巨大機具。
なんと超々ビッグサイズの整地ローラーであった。
グラウンドをならすために使うあの機具だ。ただし高さが5階建てのビルくらいある。相応に幅も広く、向こう側の端が若林神社前の路地にまで届いている。
そんなとんでもない大怪獣が、右側の民家をまとめてグシャグシャ潰してならしたのだ。
と思うと、そのタチの悪いジョークグッズが今度は左側にある家屋群に飛びこんだ。
これまたあっという間に、住宅街が瓦礫の散乱した空き地へとならされていった。
大迫力にもほどがある。
すべてベルが用意した仮初めの家屋だから誰も困らないとはいえ、それにしても容赦がない。
(あの
そんなことを思った。
明人は動物が好きなほうである。幻だろうがなんだろうが、犬がノシイカになる光景は見たくない。
「ん?」
頬がジンと痛んだ。なにかが顎のあたりまで垂れている感触があった。
右手で触ると、ぬるりとした。
指先を見てみると、赤い血がついていた。先ほどの破片が当たっていたらしい。
(ベルに言わせれば、この痛みも『幻だ』ってことになるんだろうけど、痛いもんは痛いな)
そう思っていると、
「これを使え」
ベルが
「あ。ありがと」
「かまわんよ。いくらでも出せるのだしな」
「それでもね」
たれた血を袖で拭い、絆創膏を張ると、痛みが気にならないくらいにはおさまった。
つくづくよくできていると感心した。
実際に自分で幻を消してみた後だけに、ベルのしていることのすごさがよくわかった。
小石ひとつ消すだけでも明人は集中しないといけない。それなのに、ベルはこんな高性能な絆創膏をいとも簡単に創ってしまう。
いや、考えてみれば、一地区まるごとを最初に創ってもいるのだ。
明人が神秘の素人だということを差しひいても、力量差ははなはだしい。これが人と神との差というものかもしれない。
「でも、なんでわざわざ家を壊したの。地元がなにか罰あたりなことでもした?」
「いや、なにも。単に広い道が欲しかっただけだ」
「道?」
明人はベルの意図がつかみかねた。
二人で歩くための道なら最初からあったのだ。
が、すぐに把握できた。
ふたたび巨大な整地ローラーが右から左に爆走しはじめたのだ。
先ほどと比べればまだ良心的なサイズだが、それでも明人の背より高い。
しかも今度は多い。
次から次へと、新手の整地ローラーが、右側からゴロゴロやってきては、とんでもない勢いで左側へとつっこんでいく。
さきほど住宅街をならしてできた殺風景な空き地は、整地ローラー用の広い道へと変わったのだ。
「よし、では行こう。轢かれるなよ。距離的にわかると思うが、イジワルはこれが最後だ。このローラー群が全て消えたときまで2メートル以内を保っていられれば、合格だと思ってくれていい」
「待って、待って。殺す気?
整地ローラーは明人の背丈より高いのだ。人一人轢き潰すには十分な大きさがある。
しかも速い。
車間距離も狭い。
これなら首都高速を徒歩で横切るほうがまだ安全だろう。
もちろんローラー群を消してみせるなど最初から論外である。
大きすぎるし、速すぎるし、多すぎる。
「心配するな。もし轢かれても死ぬ前に止める。痛いだけだ」
「ノシイカの気分を味わえっての?」
「明人よ。ここで駄々をこね続けるのは自由だが、私は今から行く。来ないなら不合格になるぞ?」
一方的に言われ、むっと来た。
「なんだよそれ。理不尽なんじゃない」
「これは小テストだ。理不尽に思えても、出題意図がちゃんとある」
「……わかったよ」
明人はしぶしぶうなずいた。
完全に納得したわけではない。
だが一方で、この神様が理由もなく人に嫌がらせなどするまい、とも思った。
右の拳を強く握り、左手にぶつけた。
ぱん、と良い音が鳴った。
「どうせ、いいからとにかく根性見せろってんでしょ。上等」
「そうこなくてはな」
ベルが満足そうに笑った。
明人はまっすぐ前を見た。
ゴールである若林神社の前まで、あともうすこしだ。
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