第9話 最終試練と結果発表

 立ちつくす明人の目の前を、夕日に燃えて爆走する巨大整地ローラーが右から左へブオンと通りすぎた。


 粉塵ふんじんまじりの風が髪をなびかせた。轟音ごうおんが腹まで響いた。


 整地されて広大な空き地と化した若林神社の前を、雑に距離をおいた巨大整地ローラーが次から次へと転がっていくその光景は、悪夢と言うほかない。

 ただのグラウンド整備用具も、2メートルほどの直径を持たせて爆走させるだけでとんでもない迫力になるのだ。


(この暴走ローラーたちのあいだをすりぬけて、向こう側までたどり着くのか……)


 明人はごくりと唾を飲んだ。

 危ない小テストもあったものだ。さすが最終試練と言えようか。


「さ、行くぞ。かれるなよ。それと、ただ渡れば良いというわけではないことも忘れるな。私から2メートル以上離れたら失格だぞ」


 ベルがそう注意して、気負った風もなく歩き始めた。それも、明らかに轢かれそうなタイミングで。


「ちょっと、轢かれ……」


 る、と明人は思ったが、ベルは轢かれていなかった。

 かする程度のところで身をかわしていた。五分の見切りどころではない。文字通りの神業だ。


「もうすぐ2メートルだぞ? 明人」


「やべっ」


 明人も前に飛び出した。

 ベルの真似などとてもできないが、巨大整地ローラー同士の合間を縫うだけならまだなんとかなる。


 つまるところ、立ちすくんだり、あるいはベルを置いて先走ったりしなければいいのだ。


 大迫力で見失うところだったが、整地ローラー同士の距離は、あいだをすり抜けられないほど狭くはない。臆病に負けさえしなければ、ただそれだけ、とも言える。


(怖いけどな!)


 走りながら、明人は恐怖を紛らわせるべく自分にツッコミを入れた。


 恐ろしいので速く通り抜けたかった。だが、そうすると今度はベルと離れてしまうので、駄目なのだ。


 前や後ろを爆走する整地ローラーが、地面に散らばっている民家だった破片をガッシガッシ踏み潰している。

 その恐ろしい振動と音が、明人の神経を容赦ようしゃなく削っていった。


「あれ?」


 明人はふと単純なことに気がついた。


(ベルの左にいれば余裕じゃん、これ)


 ということだ。


 ローラーは全て右から左に走っている。ベルがわざと轢かれでもしない限り、その左にいれば無事に通れる寸法だ。


 明人はベルの右後ろあたりにいたのだが、企みに従って左に回りこんだ。そうして、ベルの真横あたりからズレすぎないように進み始めた。


 いささか裏技くさいが、ベルはなにも言わなかった。


(なんだ。気づいてみればこれだけじゃん)


 後はベルに合わせて小走りに進むだけだ。


 道のりの中ほどを越え、さらに歩いて、ついに若林神社の鳥居がすぐ目の前に来た。


(よし。合格だ)


 そう確信した。わかってみればあっけないものであった。


 が。


 明人の視界の左端に、動く生物がのたのた割りこんだ。


「え?」


 なんと見覚えのある太っちょブル・テリアであった。四つ角そばの家で飼われている、胡乱げなやつである。


 そいつがなにを血迷ったか、のそのそ明人の左後ろを渡っていた。


「お前、なにやってんだ!?」


 瞬間的に悟った。

 こいつは渡りきれない、と。


 腹が重いのかもしれないが、のろすぎる。引き返すにも踏みこみすぎだ。まもなく犬肉製のノシイカになるのはさけられまい。


 だが助けてはやれない。テスト中なのだ。

 それに、どうせ幻のはずでもある。


「――このバカ犬!」


 すばやく屈んで、明人は強引に太っちょを抱き上げた。


 ギリギリになるが助けられなくはない、と踏んだのだ。


 本当は、見捨てそこなっただけかもしれない。


「ガウッ!!」


 急に抱き上げられたことがカンに障ったらしく、恩知らずにも太っちょブル・テリアは反射的に明人の右腕に噛みついた。


「痛っ!? バカ、助けようとしてるんだぞ!!」


 右腕を走る衝撃に、思わず明人は体を強ばらせた。落としてしまいそうになるのをこらえて、抱いているブル・テリアをたしなめた。


 次の瞬間、気がついた。


 目の前に巨大なローラーが迫っている。


「あ」


 犬を抱いたまではともかく、噛まれたことに気を取られたのが致命傷だ。

 場所とタイミングも、最悪。

 前に飛ぼうが後ろに飛ぼうが、もう避けようがないと、明人はわかってしまった。


(駄目だ)


 そのまま突進してくる整地ローラーが、明人をブル・テリアごと挽き潰す――直前に、ぴたりと静止した。


 巨大な整地ローラーが明人のすぐ目の前で止まっていた。

 赤茶けた鉄板が明人の腕に触れていた。

 さびた臭いが鼻をついた。


 まるで時間がとまったかのようだった。気がつけば、周囲の整地ローラーたちもすべて止まっていた。


「轢かれるな、と言ったろうに」


 整地ローラーの向こうから、ベルの声が聞こえた。いつのまにか後ろにまわりこんでいたらしい。

 だが整地ローラーの幅は4メートルはある。

 それは、どう考えても一度は2メートル以上離れた後であることを示していた。


「すべて幻だ、と言ったのを忘れたか? その犬も幻なのだ」


「……それは、わかっていたんだけどね」


 明人はそう答え、腕の中で大人しくしている、でっぷりしたブル・テリアを見下ろした。

 その温かさも、小型にしては重めの体重も、たるんだ皮と肉の感触も、すべて手や腕に伝わってくる。だが幻なのだ。


(最後の最後で、しくじった)


 いけると油断したときが一番狙われやすい。この手の試練にありがちな罠だ。だが嵌まってしまった。有効だからこそよく使われるのだ。


 明人の前の整地ローラーが消えていった。


 消滅したローラーの向こうにベルがいた。右足をすこし前に出した、休めの姿勢をとっていた。ギリギリだが、今の時点でも2メートルは離れているだろう。

 たった2メートルなのに、ベルの顔がやけに遠く見えた。


 明人の胸の中のブル・テリアはそのままだ。

 へっへっへっ、と舌を出していた。噛んで悪かった、とばかりに明人の腕を服越しに舐めた。ざらりとした舌の感触が生地を通して伝わった。どこまでもリアルであった。


「見捨てられなかったよ。でも、これが幻だなんて誰が思う?」


「だから何度も伝えていた。言い訳無用、これがお前の実力なのだ」


「……そう」


 悔しさが胸を締めつけた。

 抱いている太っちょを見下ろした。


 この犬さえいなければ。

 あるいは見捨てることができていれば。


 明人は合格していたのだ。


 だが、


(いや。あれは仕方なかった)


 そう思い直した。


 たしかに助けたことで失敗した。

 だが問題ないはずだったのだ。

 絶対無理だと思ったならともかく、助けられると思ったなら、助けようとしてなにが悪いのか。


 小太りのブル・テリアはあいかわらず胡乱げな顔をしていた。明人の嘆きなどどこ吹く風だ。


 このトボけた犬を、悔し紛れに地面にたたきつけて痛めつけてやることもできるだろう。しょせん幻なのだから、かまわなくもあろう。


 だがみっともないと思った。

 それになにより、たとえ幻であろうと、泣いて痛がる犬の姿は見たくなかった。


 明人はブル・テリアの肩を両手でつかみなおし、道路にそっと降ろしてやった。恩知らずな太っちょ犬は、着地するなり脱兎のように逃げだし、自分の定位置である四つ角の家の前のあたりに戻っていった。


 まだ残っていた他のローラーがすべて消えた。


 ついで周囲の瓦礫が消え、先ほど粉砕された家々がまた復活した。

 あっという間に、普段通りの若林神社前の光景が戻った。


 明人が失格したため、テストも終了したわけだ。


(あーあ。どうしよ)


 明人はため息をついた。


 これで自分が助かる方法をベルから聞く件はご破算だ。

 ノーヒントで、余命をしめすという手のひらの数字の謎に挑まなければならない。


 だが、それでもやるのみだと思った。五里霧中もいいところだが、それでも座して死を待つわけにはいかないのだから。


 ベルがうなずいた。


「うむ、合格!」


 若林神社の前で閉じられていた両開きの扉が、バンッと出迎えるかのように勢いよく開いた。

 くす玉が割れ、舞い散る紙吹雪とともに『合格おめでとう』と書かれた垂れ幕が下がった。


「…………はい?」


 一体なにを言われたのか、明人はすぐ理解できなかった。


 理解した後で、何言ってるのこいつ、と素で思った。

 ベルの顔をまじまじと見つめた。


 にっ、とベルは笑った。


「まぎらわしい物言いをしてすまなかったな。うまく行かなかったときのお前がどんな行動を取るのか、どうしても見せてもらいたかったのだ。人の真価は逆境のときにこそ表れるものだからな。ああ、ちなみに今もちゃんと2メートル以内の距離を保っているぞ。よく見てみろ」


 と、ベルは前に出した自分の右足と、明人のつま先を、交互に指さした。


 きわどい。

 きわどいが、たしかにつま先同士で測ればセーフかもしれない。本当にきわどいが。


「でも、あの犬を助けたときは? ベルは先を行ってたはずでしょ」


「私もお前に合わせて後戻りした。前にしか歩かない、と言ったことはないぞ」


「じゃあローラーの向こう側に回りこんだときは? どう考えても移動する間に2メートルは離れるけど」


「元から回りこんでなどいない」


 ベルの姿がふっと消えた。


「えっ?」


 あわてて見まわすと、ベルは明人のすぐ横にいた。さきほどとは正反対の位置だ。死角にいたのですぐわからなかった。


「誰かに妨害されていたらともかく、そうでないなら己の位置くらい自由に変えられる。これでも神なのでな」


 とベルは肩をすくめた。つまりワープしたわけだ。


 それは、ベルがその気になればいつでも明人を引き離せたことも意味している。

 もしも『こいつは駄目だ』と思われていたら、きっとその時点でテストは終了していたのだろう。


「保証してもいい。テスト開始から終了まで、お前は常に私から2メートル以内の範囲にいた。合格だ。まあ、扉までまだすこし距離があるのだが、見るべきものは見せてもらったから十分だ。ご苦労だった」


 ぽん、とベルは明人の足を叩いた。


「ありがたいけど、いいの? 俺の力量をはかってたんでしょ」


「それだけなら練習なしで小石を消せた時点で合格にしていたとも。あわせて性格も見ていたのだよ。いささか危なっかしい場面もあったが、それでもお前は誘惑の罠をかわしてのけた。勇気も見せた。理不尽な失敗に見舞われても取り乱さなかった。人としての矜持を持っている証だ。実にすばらしい。いいものを見せてもらった」


「……おもはゆいね」


 手放しで褒め称えられて、明人は照れ隠しに頭をかいた。


「さ、約束だ。合格者に5日後の死を避ける方法を教えよう。扉をくぐるといい」


 ベルが右腕を伸ばして扉を指し、明人をうながした。


(どんな話を聞かせてもらえるのやら)


 きっと、甘い話にはならないのだろう。

 期待半分、不安半分で、明人は開かれた扉をくぐった。

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