第6話 神の小テスト

「ここが、【夢】?」


 明人は周囲を眺めまわしながらベルに聞いた。


 いつもの帰り道がそこにあった。


 左右の建物も、近くの公園も、見慣れたままの姿だ。

 顔に当たる日も温かい。


 『実は嘘で、ワープしたのだ』と言われたほうがまだ信じられた。


 ただ、わずかながらおかしな点もあった。

 赤みがかった日がまだ空の高い位置にあるのだ。これだと午後4時すぎくらいだろう。だが今はもう午後5時を過ぎていたはずだ。


 それに町が静まりかえっている。人の姿もまったくない。まるで町が廃墟になったかのようだ。


「ああ、【夢】だ。お前の呼び方にあわせればな。ただし、普段寝るときに見る夢とは別物だぞ」


 とベルは答えた。

 おごそかとさえ感じる良い声だ。ネコのぬいぐるみ姿なのが惜しまれた。


「……」


 明人はキツネにつままれた気分であった。やったのはネコだが。


 なかなか頭が追いつかないが、それでもひとつわかったことがあった。


「ベルって、本当に神様なんだ」


「信じる気になったか」


「少しはね」


「それは結構」


 ふふっ、と期せずして二人は同じように笑った。


 謎のぬいぐるみに神と名乗られた明人と、不信心な現代人に神と名乗ったベル。

 立場はまるで正反対だが、『まあ、信じがたいよな』と考えていた事情は似たようなものだったのだろう。


 冷たい冬風が顔をなでた。他に人がいないからか、いっそう寒々しく感じた。


「それで、ここはどこ。寝るときに見る夢とは別物って言ってたけど、まさか異世界ってやつ? 別の四次元世界とかいう」


 そう聞いた。


 異世界、あるいはパラレルワールド。SFやファンタジーでおなじみの概念だ。今生きている現実とは異なる、もう一つの現実。もう一つの世界。あるいは二つも三つもあるのかもしれないが、とにかく別の四次元世界――別の時間と空間がある世界だ。


「いや、似ているが違う。四次元世界はあくまで物質界だ。ここは上位世界にあたる」


「えっと……? ごめん、わかんない。どういうこと?」


「む。そうだな……。一口に世界と言っても、そのすべてに時間と空間があるわけではないだろう。たとえばあの世だな。あれが四次元世界ではないことは、お前にもなんとなく想像つくのではないか?」


「あの世? まあ、そうかな。そうかも」


 明人はなんとなく空を見上げた。


 そんなことは考えたこともなかったが、ベルの言うとおりかもしれない。死後の世界があるとしても、そこに現実と同じような時間と空間はなさそうだ。


 いちおう、日本の神話では、死ねば地下にいくとされている。

 死者の世界、いわゆる黄泉国よみのくにだ。


 しかしこれはあくまでたとえなのであって、本当に死んだら地底人になるわけではない。


 もちろん墓石の下を黄泉国と呼んでいるわけでもない。


 逆に、お空の上に死後の世界があるとされることもあるが、これも何もない宇宙空間が広がるばかりだ。


「そうなのだ。とどのつまり、時間と空間に制約されない世界、すなわち高次元の世界があるわけだ。それが上位世界だ。目に見えない世界と呼ぶ者もいるな。これは余談になるが、上位世界をさらに細かく区分した名もあるぞ。今あげたあの世だけでなく、神界・天界・星幽界・流出界・創造界・形成界、などなどだ。一つ二つはお前も聞いたことがあるのではないかな」


「うん、いくつか聞き覚えあった。ゲームにでてきたことあるよ。そんな単語」


「そうだろう。神秘学の研究対象というだけでなく、よく創作のモチーフにもなる概念だ」


 そう言うなりベルが右手をあげた。


 ポンという効果音とともに、手の先にホワイトボードが現れた。しかも浮いている。


 面食めんくらったが、ベルはいわばこの世界の創造主なのだから、これくらいできて当然なのかもしれない。


「まとめると、こういうことだ」


 空中でわずかに揺れ動くホワイトボードに、まとめが表示された。


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【まとめ】


・物質界(= 四次元世界 = 見える世界) …… 時間と空間が存在する世界。パラレルワールド・異世界などと呼ばれる世界はこちらにあたる。おおむねの人は、複数ある物質界のうち、自分の肉体が属するところを『現実』と認識する。


・上位世界(= 高次元世界 = 見えない世界) …… 物質界以外すべて。時間と空間に制約されない世界。ベルをはじめ神と呼ばれる存在はこちらにいる。あの世・神界・天界・星幽界・流出界・創造界・形成界などなど、より細かく区分した上でそれぞれの名をもって呼ばれることもある。


・世界 …… 物質界と上位世界のふたつがある。


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 さらに飾り書きのイラストがホワイトボードの右隅にちいさく描かれた。いくつかの円を亀甲状に配置した図形だ。『Sephirothic Tree(生命の樹)』と小さな説明書きキャプションがついていた。芸の細かいことである。


「かように、世界には物質界と上位世界の二種類がある。人が肉体と精神とを重ねて存在しているように、世界も同じく物質界と上位世界とを重ねて存在しているわけだ。おおむねの人間は『世界は一層構造で、自分の生きる物質界ただ一つしかない』と考え、そこを現実と認識しているが、実際は違う。世界は多層構造なのだ」


 ホワイトボードの文字をびしびし指差しながらベルが説明した。なんだか先生のようだ。


「半分ちかくわかった」


 半分以上わかってないとも言う。


「けどベル、おかしくない? そうすると四次元世界は物質界なんだよね。この【夢】、上位世界ってわりに時間と空間があるように見えるんだけど」


「いい質問だ。そう思えるだろうが、思えるだけで実際は違うのだ。先ほど茶を出してもらったときに言ったことと同じく、感覚を偽装してそう錯覚させているだけだ。いわば擬似的な物質界だ。現代人のお前には、仮想現実VRのようなもの、と言えばわかりやすいか?」


「なるほど」


 仮想現実という用語でピンときた。幸十ほどではないが、明人もゲームをやるからかもしれない。

 あるように見えるが、見えるだけで実際はないわけだ。


「ていうかベル、神様なのに仮想現実VRなんてよく知ってるね」


「宗教関係者の文明レベルは大昔で止まっているに違いない、と思いこむのは現代人の悪いクセだな。神だって学ぶのだ」


 と古代の神はいぶかしむ現代人に肩をすくめて見せた。


「ともあれそういうわけで、お前が今いるのは上位世界にある物質界まがいの小さな世界だ。私が臨時で創った、な。いまいちリアクションが薄いが、お前は今まさに超一級の神秘を体験しているのだぞ」


「そう? 驚いてるよ、すごく。事態についていけてないだけで」


 そう明人は答えた。

 ベルの目に自分が今どう見えているのか知らないが、実際は驚きすぎなほど驚いている。頭の中もフル回転中だ。リアクションが薄いように見えるとしたら、それは反応を外に出す余裕がないだけである。


 あと、気になることがあった。


 ベルは、この世界と昨夜明人がいた【夢】の世界を同列にあつかった。

 これをそのまま受けとれば、昨夜見た夢はここと同じ性質を持つことになる。

 やはりそうなのだろうか。


「ところで質問。昨日俺とベルがいた、あの大人たちとご馳走でごった返す世界も、ここと同じような世界なの? 本当は夢を見ていたわけじゃなくて、上位世界とかいう世界に迷いこんでいたのだ、みたいな」


「察しが良いな。その通りだ。ただしこちらと違って、あちらは趣味が悪いがな」


 ベルがまた肩をすくめた。


 明人も苦笑した。

 だが、やはり考えたとおりだったらしい。


 昨夜体験した奇妙な出来事の数々が、ようやくすこしわかってきた気がした。


 現実のようだが現実ではなく、夢のようだが夢でもない。

 その印象は正しかったわけだ。


(ってことは、昨夜の早池峰さんもやっぱり本人かもしれないのか)


 そう思い当たった。


 あの【夢】がベルのいう小世界で、千星も明人と同じようにあそこに迷いこんでいたのだとしたら、やはり明人は彼女とあちらで本当に出会っていたことになる。


 そうであって欲しいと思った。


 おなじ境遇のクラスメートがいるだけでも心の支えになる。


 あと、お近づきになるチャンスでもある。


「まあ、あの世界についてはおいおい話すとして、そろそろ本題に入ろう。なにもデモンストレーションをするためだけにこんな舞台を用意したわけではなくてな。お前にはここでちょっとした小テストを受けてもらいたい」


 明人の下心含みの内心を知るはずもなく、ベルはそんなことを言った。


「小テスト?」


「ああ。お前は5日後の死を避ける方法に挑みたいのだろう? ならば挑むにたる人間である証を私に見せてもらいたい。普通に考えれば、ただの高校生が挑んだところで、しくじるのが関の山だ。だが、先ほど見せた気概が本物なら、あるいは希望があるかもしれん。だから試させてもらいたいわけだ。合格したあかつきにはすべてを話そう。よいかな」


「なるほどね」


 納得した。ベルがわざわざ創世記を演じたのは、受験会場を設営するためだったわけだ。神はスケールが大きい。


「了解。それで、テストの内容はなに?」


「単純だ。私とともに歩めるところを見せてくれればいい。具体的には、ここから若林神社の鳥居の前まで、私と一緒に歩いて移動してくれ。世界の作りや遠さは、お前が普段いる物質界、つまり『現実』と同じだ」


「それだけでいいの?」


「ああ。ただし一つ条件がある。鳥居の前にたどり着くまでのあいだ、私から決して2メートル以上離れてはならない。一度でも離れたら、その時点で失格だ」


「……クセの強い出題意図がありそうだね」


「なければテストになるまい」


 にっとベルは笑った。

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