解放の英雄 -感謝-

20世紀も終わって数十年。それは特別でもなんでもない日に唐突に起こった。

それをある人物は有名な映画の台詞を引用してこう言った。

「地獄が満員になったので死者が地上に溢れた」のだと。


何も難しくない。ある瞬間を境に死んだ人間がゾンビとして蘇るようになったのだ。

それはまさしく慣れ親しんだホラー映画のそのままに。

死者が立ち上がり、人を襲う。襲われて死ねばその人間もゾンビになる。

なんの前触れもなくそれは地球上のすべての場所で同時に始まった。

まさに映画で見たあの光景だ。人間社会はどこもパニック。世界は滅ぶと思われた。


だが、予想に反して世界は滅ばず。数年で元の平静を取り戻した。

映画のようにゾンビの世界がいつまでも続き、人類が死に絶えるなんてことはなかった。


いくつか理由はあるが、ひとつはそのゾンビは”歩くゾンビ“であったことだ。

そして所詮は死体でしかないゾンビを破壊することは難しくなかった。

また、ゾンビは新しい死者からしか生まれなかった。

墓場から地面を掘って出てくることもなく、噛まれても感染もしなかった。

冷静になれば対処は難しくない。勿論、騒動の最初には多大な犠牲が出た。

けどその犠牲者数は年間の交通事故死亡数と比べれば少ないくらいだった。


そして今もまだゾンビは現象――新しい理としてこの世界に残っている。

人が死ぬとゾンビになる世界だ。

未だに理由は不明だ。これは人間の進化だとも、未知の細菌のせいだとも言われている。

私はそこになんの関心もなければ追及したいとも思わない。それは専門家の仕事だ。


ゾンビに対応した世界には、ゾンビに対応する法律や仕組みが生まれ生活も多少変わった。

交通事故が起これば救急車だけでなく、武装した専門の部隊も向かう。

病院では死の間際にある患者は四肢を縛られるか檻に入れられている。

世界中で火葬をする国が増えた。先進国の中では死者の99%が火葬されてると聞く。


いい変化もあった。ほとんどの国で福祉が充実しホームレスが通りから姿を消した。

それはそうだ。管理されていない”勝手な死“はもうこの社会では許されない。

死んでしまえば善人だろうが悪人だろうが、貧富の差に関係なくゾンビになってしまう。

ゾンビは危険で、悲劇的でまた冒涜的だ。死が管理されることを社会は許容した。


だが、あらゆる問題と解決がそうであるように、100%の人間の意見が揃うことはない。

ある一派はこう言う。ゾンビは動く死体ではない。まだ動くなら人間であると。

こういった一派や思想集団の意見をただのセンチメンタルだと一蹴する者もいる。


政治家や軍隊。治安に関わる者らはその問題をずっと棚上げにしてきた。

非常時においてはなにより生きる人間が優先されるからだ。

だが、世界の治安が戻るにつれ、平和が取り戻されるにつれ、無視できなくなってくる。

少なくともゾンビは活動している。では、人権は死と同時に失われるのか?

この問題は100年後も200年後も語られるだろう。


現在、そういった思想からゾンビを”保護“している団体が各地に存在する。

おおよそは家族からの依頼によるものだ。

愛する者が一度目の死の後、物のように処分されることを許容できない者たちだ。


私もその気持ちは理解できる。

死んだ途端に別れの言葉をかける間もなく家族が拘束されたまま焼却されるのだ。

あるいは粉砕機に放り込まれる。その時、家族はゾンビとして動いているのだ。

死に抗いもがいてるようにも見える姿。一度見ればそれだけで心を病む。


なので、ゾンビを保護する施設。保管する施設は増えつつある。

どれも現行の法では非合法であり、社会の治安を乱す重大な犯罪行為であるが、

しかし国家はそれを否定できないでもいる。まだ答えは出ていないのだ。


さて、ようやくある人物のことを語ろう。

ゾンビの保護を求める声があれば、またゾンビを破壊してほしいという声もある。

愛する人がゾンビのままであることもまた家族にしてみれば耐えられないのだ。


彼女の名前はクリス・マッケンジー。世間は彼女を”解放の英雄“と呼ぶ。


クリス・マッケンジーは各地にあるゾンビの保護施設を強襲しゾンビを殺しまくる。

彼女はゾンビの存在を許さない。

現世の端に引っかかった者どもを片っ端から地獄に蹴落としてゆく。

口汚く罵られ非難もされた。同時に歓喜の絶賛も浴びた。

彼女が重ねた罪により推定される刑期の合計年数は4桁に届くとも言われている。


しかし実際、彼女が何者でありどういう意思でゾンビ殺しを行うかはわかっていない。

かつて陸軍に所属していたらしいことは判明しているがファイルは黒塗りだ。

なので、ここから先に書かれることは私個人の推測にすぎないことを今断っておく。


 ・


地道な聞き取り調査により調べたところ、彼女が親友を失っていることを突き止めた。

プライバシーにつきその名は伏せるが、その女性とクリスとは幼馴染だった。

共に幼少の時期を過ごし、学校に通い、揃って軍隊に入った。

そしてあの忌まわしきセントラリアの悲劇において同一の部隊に配属されていたのだ。


クリスは生きて戻った。しかし、彼女の親友は帰ってくることはできなかった。

ではなにがあった? 想像はできない。妄想することしかできない。

ゾンビになった親友をクリスは破壊したのだろう。きっと自らの手によって。


死亡してゾンビとなった親友を目にしてクリスは何を思っただろうか?

まさかと思い、現実に対処すべき問題を認識し、親友の顔を見て、引き金を引いただろう。

私はこう妄想するのだ。親友はその時、笑っていたんじゃないだろうかと。

銃を向けられ、放たれた弾丸がクリスの視界から親友を消し去るまでの一瞬。

クリスは親友が笑みを、最悪から解き放たれる感謝の表情を浮かべたと見えたのではないか?


だから解放の英雄であるクリスは知った。

ゾンビはまだ人間だ。その人そのものに違いない。しかし、苦痛を感じていると。

ならば破壊し人間の単位以下のバラバラの物質にすることこそが救いだとも。


先に述べた通り、これは私の推測であり妄想だ。

そしてこれが真であったとしても、これはきっと正しくもなんともない。

ゾンビはゾンビで、その時点でその人物が持っていた人間性も感情も一欠けらも残らない。


なら、どうして私がこんな妄想をするのか? それは私がその過ちを犯したからだ。

私はベッドに拘束された恋人がそのまま火に放り込まれるのを認めることができなかった。

まだ死んでいないし、このまま死んでゾンビになっても彼女は彼女だと思い込んだ。

死の間際に言葉をかけることもできず手を握ることもできないなんてあんまりだと思った。

彼女を連れて脱走し、呻き声から彼女の言葉を聞いたと思い込んだ。

表情から意思を汲み取り、ゾンビになってもまだここにいるじゃないかと涙を流した。


全部、間違いだ。

この世界の理不尽に対し私自身が私を妄想によって守っていたにすぎない。


今も彼女はあるゾンビ保護施設にいる。

けど、私はクリス・マッケンジーの真似事はできないからただ彼女を応援するのだ。

どうかあのゾンビをこの世から消し去ってくださいと。


それが叶った時、私は解放の英雄に感謝の気持ちを捧げるだろう。


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