少女エリス -凶悪-
【1/4:エリス・ワトキンスの述懐】
私は、……私はそう、とても酷い家で育ったわ。それはもうとんでもなく最悪の家。
物心ついた時には私と母だけ、貧乏で、母はずっと働きに出ていたから……なんの仕事かは知らなかったけど、
ともかくほったらかしで……、だから、私はずっと寂しかったと思う。
でも、それはまだましだった。母がある日、あの男と一緒に帰ってくるまでは。
ジョーイ。私の新しいお父さん。
酒とセックスが好きで、ギャンブルはしないけど麻薬はやってた。
いかがわしいことをされた? ううん、それは全然。だって、私はガリガリのブスだったもの。
食べてないのが当たり前。裏路地のゴミ箱を漁ってる犬のほうがよく食べてたかもね。
でも、いやらしいことをされない代わりに私は男に殴られた。痣だらけの顔を何度も殴られたわ。
誰だって気分が悪くなった時、手近なクッションを殴ったり投げたりするでしょ?
あんな感じ。私はあの男にとってのクッション。不気味な顔のついたムカつくクッション。
毎日、帰ってきたらクッションを探して蹴飛ばす。気が済むまで何度もね。
いつ帰ってくるかわからないから私はどんな晩も不安で眠れなかった。
ドアが開く音は今でもトラウマ。あの男はもういないってわかっていても身体が竦むの。
……はは。大したことないわよね。こんな話、ありふれている。私みたいなのはいくらでもいる。
それに私はいくらかましなところがあったわ。結局こうして私は健康な大人にもなれたわけだし。
恋人がいたの。小さな時からの恋人。最初は友人で、けどすぐに恋人になった。
名前はジェシカ。ジェシカ・ワトキンス。
そう。あの男の連れ子だった。私とは違う綺麗なブロンドの可愛い女の子。
彼女だけは私に優しくしてくれた。
母はあの男を連れてきてからというもの、私のことをほとんど無視するようになったから。
私が辛い日々をやり過ごす為にしていたのはね……ふふ、いやらしいことを想像した?
違うわよ。だって私とジェシカは女の子よ。それにまだ二人とも子供だった。
そんな関係ではないの。恋人だったけれどね。
私たちがしていたのは――金持ちごっこ。
おままごとよ。でも金持ちのふりをするの。金持ちの想像をする。
お店で服を買う。レストランで食事をする。家に帰ってきたらふかふかのベッドがある。
二人しかいなくても他は全部満ち足りてる。そんなごっこ遊び。
その中で一番だったのが、テーブルで豪華な食事をすることよ。
クリスマスとかハロウィンとか誕生日とか、特別な日の特別な金持ちごっこ。
テーブルの上には綺麗なクロスがかかっていて、キャンドルとランプで照らされているの。
七面鳥とケーキとスープがあって、どれだけおかわりしてもいいの。
最高でしょ? うん、とても最高だったわ。
【2/4:ジェシカ・ワトキンスの述懐】
ええ、そうね。……ほとんどはエリスの言うとおり、私たちは恋人だった。
初めて会ったのは、そう、クリスマスの晩だった。
ジョーイはその日の晩はとても上機嫌でね。会社のビンゴパーティで当たりを引いたから。
あの日あの時はなにもかもが上手く回る最高のラッキーデイだったの。
あの男は珍しく上機嫌で母もおどおどしてなかった。なにより私がエリスに出会えた。
すぐに友達になったわ。彼女、本当に頭が賢くていい子なんだもの。
辛い家でも泣き言ひとつ言わなかったわ。それよりも未来を見てた。いつか幸せになるって。
金持ちごっこ? うん、それはその予習みたいなものよ。
だって、お金持ちにはドレスコードもマナーもあるんだから
いつそうなってもいいように練習しておかなきゃいけないと思っていたの。
彼女は色んなことを私に教えてくれた。
本や新聞を読んでくれたし、ラジオから聞こえる声が何を言ってるかも教えてくれた。
この世にはいろんなことがあるのよ。本や新聞やラジオでそれがわかるの。
だから自分の境遇にも悲観してなかったわ。それはそういうものだって。
そして、それだけじゃないって私に向かっていつも言っていた。
ある日、家に泥棒が入ってきたことがあったわ。エリスと私しかいない時にね。
エリスは咄嗟に私を引っ張って洗濯籠の中に隠れたの。
そして網目の向こうの泥棒をじーっと観察してた。
結局、泥棒はトースターだけを抱えて逃げていったわ。他に盗むものがなかったのね。
その後、エリスが警察に通報したの。男の背格好を詳細に教えてね。
泥棒は捕まってトースターも帰ってきたわ。この話、すごいと思わない。
……ひとつ、エリスの証言を訂正するわ。
私たちは”恋人“よ。そういうことはしていたわ。彼女はシャイだから話せなかったのね。
ふたりのベッドは出会ってからいつもいっしょ。
そして私たちが寝静まった頃合いを見て母とあの男は”それ“を始めるの。
エリスと私がどうして恋人になったのか。それはもうこれ以上話さなくてもわかるわよね?
【3/4:ケイト・ワトキンスの述懐】
……まさか、あの子がまだ生きてるなんて思わなかった。とっくにどこかでくたばってるかと。
最初から話すなら……そうね、エリスは確かに私の娘よ。
父親が誰かはわからないわ。心当たりが多すぎてね。で、ひとりで育てることにした。
今考えると不思議だけど、当時は妊娠したことで母としての使命感に燃えていたのよ。
けどまぁ、いい母……ではなかった、わね。それなりに頑張っていたつもりじゃあったけど。
なにせ私は教養も金もないし、職につく技術も持ち合わせていなかった。取柄はすぐ股を開くことだけ。
すぐに自分が哀れだと思うようになったわ。娘が不憫だとも。
見てくれも自慢できたものじゃないし胸も大きくなかったから、次第に稼ぎも減った。
そんな中で出会ったのがジョーイなの。いい男でも金持ちでもなかったけど、私に惚れていた。
酔い潰して婚姻届けにサインをさせたわ。そして思った。これで少しはマシになるって。
ハハハ、馬鹿よね。その時の私はイカれてたとしか思えないわ。
ジョーイはエリスを虐待した。コブつきだなんて言ってなかった私も悪かった。
とにかく目障りなものに見えたようで目に映れば殴って蹴って、壁に投げつけたわ。
私はそれを止めようとした。けど、そうすると同じように殴られるから次第に庇わなくなった。
これじゃあなんの為にって後悔したけど、後悔してもどうしようもなかったわ。
その頃にはもう私は満足に働けなかったし、ジョーイもそれを許さなかった。
でも……、でも、そう。これ……この腕の火傷の痕。
ある寒い冬の日だったわ。会社を首になって帰ってきたジョーイが暴れ狂ってね。
エリスをヒーターに押しつけようとして、その時に庇ってできたのがこの火傷なの。
これが、私があの子を守ってやれたって証明なの。これだけが私の支えなの。
……最悪よね。だからどうしたって話。たったこれっぽっちで救った気になるなんて最悪。
私はあの子の母なの。でも結局なにもできなかった。できない以上にひどいことをした。
ごめんなさい。悪いのは私なの。エリスはなにも悪くない。全部、私なのよ。
…………いなくなった日のこと?
覚えてる。ジョーイが死んだ日でもあるからはっきり覚えてるわ。
酔ったまま車で出かけたジョーイが事故で死んで、警察が家に来た時あの子がいないのに気づいた。
あの子が家の外に出るなんてことは全然なかったから、取り乱したわ。
ジョーイが連れて出たのかと思った。警察に捜索願いも出した。けど、見つからなかった。
エリスと、あの子がいつも手をつないでいた人形だけが綺麗に消えていたのよ。
それが、まさかこんなことになるなんて……。
【4/4:ハーヴィ・ミラーの述懐】
かくして全米を震撼させた凶悪なシリアルキラー、エリス・ワトキンスはクリスマスに逮捕された。
最後に再び善良な一家が皆殺しの目にあったという最悪な気分にさせてくれるニュースとセットにだ。
彼女、いや”彼女たち“の生い立ちについてはこれまでに記述した通りだ。
その境遇は同情するに値するし、どうしてこのような事件を起こしたかの理解にも繋がるだろう。
しかしだからといってエリス・ワトキンスが許されることはあってはならない。
何故なら、彼女自身が供述したようにその不幸な境遇も(残念ながら)ありふれたことだからだ。
不幸は罪を……ましてや、連続殺人を犯す免罪符にはならない。
(僕なら自分のパンを盗まれるくらいまでは許してあげようと思う)
エリス・ワトキンスは彼女の言う”金持ちごっこ“、”豪華な食事“をする為に19人殺害した。
そのどれもがなんの咎もない善良な一般市民で少々裕福だからといって殺される謂れはなかった。
また彼女は殺害後にその家の金品を盗んで去っている。
(これにより警察は彼女に責任能力があると主張している)
まったく卑劣で反社会的な凶行なのだ。決して許されるべきものではない。
彼女についた弁護士は問題を責任能力の有無にすり替え、彼女の物語をマスコミに流布した。
悲惨な境遇。空想の恋人。レズビアン。幸せのふりをしたかっただけ。
そんなものに今、大衆は同情的であまつさえエリス・ワトキンスを支援する団体まで登場した。
私は取材によってすべてを明らかにすると同時に、彼女を庇うなにものもを否定する。
エリス・ワトキンスは法の下に罰せられるべきなのだ。
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