図書室にて -憧憬-

私こと悠木莉菜がその時すでに才女として有名だった天野叶佳を初めて目にしたのは、

中学一年生として学園に入学してまだ間もない、桜の花びらが地面に残る頃だった。


その印象は『おばけ』だった。

ハロウィンの仮装で見かけるような白いシーツを被ったような、おばけ。

尤も、実際にそんな安易な仮装をしてる人なんて見たことはないのだけどさておき、

遠目に見た天野叶佳の後ろ姿はまさしくそれだった。

膝裏まで届いているようなしかも真っ白な常識離れした髪。

私じゃなくともそんな印象を抱いた人は多いだろう。


天野叶佳。とにかく頭がよく成績優秀らしい。

この時すでにいくつかの価値のある特許も取得していたとかなんとか。

私はそれは眉唾だと思っていた。そんなに頭がいいならもっといい学校はたくさんある。

なにもこんな地方都市の創立年数だけが自慢みたいな学校に来なくてもよいものだと。


時が流れて二学期の始め頃、私は窓一つだけの狭い部屋の中で彼女と向かい合っていた。

なんてことはない。そこが生徒会室で私と彼女が生徒会の一員であったというだけ。


この学園の生徒会は”なんでもない“。

なんとか係だとかなんとか委員と違って、生徒会には常日頃務めるような仕事がないのだ。

ひとつだけ決まっていることは”生徒代表“として行事や式典の時に前に立つことだけ。

たったそれだけのことで内申書に生徒会員と書き込めるのだから私は二つ返事で引き受けた。

まさかそこに『おばけ』の天野叶佳がいるだなんて思いもしなかったのだけど。


振り返ってみれば彼女が生徒会長に選ばれていたのは予測して然るべきことだったろう。

成績優秀で学外にも少しは名が知れた才女である。”お飾り“としてはこれ以上ない。

そして翻って私。

自慢じゃないけど生徒会に推薦されるくらいには品行方正であると自認している。

成績だってよい。校則は一切破らない。誰にだって愛想がよく先生受けも上々。

なので、私は生徒会長の”予備“として選ばれたのだと思った。


天野叶佳の持つ肩書は学園の代表としてこれ以上なくふさわしいと思う。

けれど彼女自身は人前に出すには少々エキセントリックだ。

だから、予備、使い分けとして天野叶佳とは別の誰かが必要だったのだろう。

そして実際にその後は場合に応じて彼女と私は出番を分け合った。

天野叶佳の肩書が通じる場では彼女が、そうでない場では私が生徒代表を務めた。


生徒会としての仕事がない――つまりはほとんどの日がそうなるのだけど、

私たちは放課後のほとんどの日を生徒会室で過ごした。

元がなんの部屋だったかわからない小さな窓ひとつのとても狭い部屋。

学園史や資料を収める棚に、長机、椅子を二脚置くだけでいっぱいになってしまう部屋。


そこにいる義務も必要もないのに二人とも欠かさずその部屋に通った。

天野叶佳は「一応、先生がいつでも私を見つけられるように」と言っていた。

じゃあ、私はどんな理由で放課後の貴重な時間を何もない部屋で過ごしたかというと

それは天野叶佳に興味があったからに他ならない。


別にそれは浮ついた感情だとかがあったわけじゃない。

彼女は同姓の自分から見ても美人ではあったけど、もっと単純な好奇心だった。

こんな天才だとかいう変な生き物。一体どんな生態をしているのか?と。


いきなり明かしてしまうと彼女は至って普通だった。

彼女自身は普通ではないけど、なにをして生きているかはごく普通のものだった。

放課後。1時間から2時間の間。天野叶佳は宿題や予習復習をしていた。

天才ってそんなことはしないイメージがあるけど、彼女は普通に勉強をしていた。

正直、拍子抜けした。肩透かしだし勝手なことに期待を裏切られたとも思った。


でも、それでなんとなく親近感を得たのは事実だ。

いや、本音を言うとそれに加えて私は自分が彼女よりも優位な人間であると思った。

実際には彼女の方が優秀なのは間違いない。

でも学業以外の部分、いわゆる人間味やコミュニケーションの部分においては勝っている。

だったらトータルで私の方が優秀なんじゃないか。

なぜなら、天野叶佳は常識外の天才ではなく、普通の秀才でしかなかったのだから。


 -


天野叶佳は見た目の印象にそぐわず会話はあまり得意ではなかった。

事実を事実として述べるのは得意だが、そこに感情や彼女自身の意思を感じられなかった。

まるでロボットや機械と話しているかのようだと思ったものだ。


彼女は自分から語りかけてくることがないので(放っておくとずっと勉強してる)、

話しかけるのはいつも私からだった。

会話の内容はだいたいが勉強に関すること。それ以外に共通の話題がなかったともいう。

彼女は自分の能力を他人に与えることに惜しみがないようで、おかげで私の成績はよくなった。


彼女との関係が実に有意義であったこともあり、次第に彼女のへの印象もよくなった。

生徒会室に通うのも全く苦でなくなり、いつも先に部屋についてる彼女を見ると安心した。

会話も、あくまで私からの一方的なものだけど弾むようになっていた。

勉強のことだけでなく、天気のことやTV番組や読んだ本のことなんかを話した。

彼女の返事はいつでも「そうですね」「よいですね」「悪いですね」だけで機械じみてたけど、

でもそんなところさえいつしか可愛い特徴だと思えるようになっていたのだ。


出会って丸一年経ったある日。同じ二学期の始め頃、唐突に彼女がこう言った。


「私はあなたに恋愛感情を抱いています」


こんな台詞をいつものロボットみたいな口調で、いつもの勉強をしてる中で言った。

私はその瞬間もその後しばらくも言葉の意味を捉えられないでいた。

「そうなの?」と一言聞き返すだけしかできなくて、それも彼女が

「はい」とも「いいえ」とも答えないので次の言葉を見つけることができずその日は終わった。


飲み込めないなにかを胸に含んだまま私は学校から家に帰り、

制服から着替え、明日の用意を済ませ、夕飯を食べて、それからお風呂に入り、

ようやく――有頂天になった。


”あの“天野叶佳が私のことを好きになっている。

それはとてもすごいことをやってやったという気持ちだった。

彼女が同姓である私に恋愛感情を向けているという。

自慢ではないが私は同姓異性に関わらずもてる。告白されたのも一度や二度じゃない。

でもそれらは自身の自尊心を満たすに止め全て断ってきた。

天野叶佳に対してはどうだろうか? 私はなにより貴重な彼女を手中に収めたいと思った。

この時はまだ恋愛感情なんてこれっぽちもなかったのだけど、

彼女からの告白はまるで、お願いもしていないのにクリスマスに欲しかったものが届いた

というような喜びを私の中にいっぱいにしていたのだ。


 -


それから先のことはと言うと、ただ「蜜月」と表すことができた。


しばらくは変わらずロボットのようだった彼女も次第に人間らしい受け答えをするようになった。

彼女の気持ちや感じ方を声で聴くことができるようになった。

していることは変わらず勉強会で、雑談もクラスの友人とするよりずっと少ない。

恋人らしいことなんて全くで、顔を綻ばすとこさえ見たことがない。


でも、私だけに向けられる感情。私だけが知っている彼女の変化に

私は特別な秘密を抱える喜びを感じ、彼女の初々しさに心をくすぐられていたのだ。


傍目にはとても静かでそうとは見えない「蜜月」。


結局、私は天野叶佳を”殺してしまう“まで、彼女の頬に指先を触れさせたことすらなかった。


 -


そして”今“。私と天野叶佳はあの日の続きを朽ちかけた図書室の中でしている。

彼女はあの時よりも表情豊かに、あの時よりもはるかに滑らかに饒舌にあらゆることを語る。




あの時の”私のような表情“で、あの時の”私のような口調“で、天野叶佳は私に語りかける。



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