図書室にて -笑顔-
私立純光学園。
広大な敷地を持つ中高一貫校であるその学園の内に、ひとつの学園の規模に比しては小さい女子寮がある。
小さな、本当に小さな中庭を囲うロの形をした古めかしい屋敷は他の建物に隠れるように建っていた。
その二階。長い廊下の突き当りにこれもまた小さな図書室があった。
扉を潜れば確かに感じる古い紙の匂い。目につくのは四方を天井まで覆う背の高い本棚。
無愛想な部屋で、唯一の窓は黒色のカーテンを引かれて仕事をしていない。
代わりにここで本を読む助けになるのは壁にかけられたガス灯に見せかけたアンティーク調の電灯のみである。
色褪せた絨毯が敷かれた中央にはマホガニーの武骨な机があり、4つの辺に椅子が1つずつ。
扉の位置から見て奥の椅子。そこが”彼女“の定位置だった。
-
椅子に座れば床まで届く、艶やかな、けれど老婆のように色の抜け落ちた白髪。
細い金のフレームの向こうには、何者からも本心を隠しているかのような長い睫毛。
標準の制服の上に暗色のカーディガンを羽織っていて、血色の悪さからは一見して病人に見えた。
そして実際に彼女は病人だった。それも、あらゆる意味において。
名前を『
学園開校以来の才女と呼ばれ、事実成績は常に優秀で入学した年から3年続けて生徒会長も務めていた。
見目麗しく不遜なまでに物怖じしない。一方、頑なに私的な交流を拒む奇矯な人物として有名だった。
学内ですべきことを終えれば、いつだって彼女はこの小さな図書室の中にいた。
それは何故なのか。学園の中にはここよりも立派な図書館がある。どうしてそちらを選ばないのか。
余人には全くわからないことだ。
推測するならば、彼女はここで秘密のなにかをしていると人は噂する。
いつ以来かも忘れられているほど本の入れ替えが行われてない図書室を利用する者は彼女以外にいない。
そもそもが、廃屋に近いこの古びた寮を利用しているのも天野叶佳ただ一人なのである。
時にこの図書室に彼女以外の生徒が現れることもある。
ある時は過剰な憧れを胸に愛を捧げに来る者。またある時は学生らしいただの好奇心から。
そしてまたいつかは彼女の実在に疑念を抱きそれを確かめに来る者。等々。
しかし一度ここを訪れた者は二度も訪れることはない。
たったひとりの特別な例外を除いて――。
ノックもなしに扉が開く。
廊下から図書室の中に入ってきたのはやはり制服姿のひとりの少女であった。
肩にかかるくらいで少しだけカールした、毛先だけが微かに赤みを帯びた艶のある黒髪。
前髪は短めに切り揃えられていて、力強い瞳と強い意志を表す眉がよく見えた。
色の薄い唇は今は強く結ばれている。
この彼女の名前は『
学年は今は高校三年で、天野叶佳が退いた後の現生徒会長である。以前は副会長であった。
悠木莉菜は絨毯を踏みつぶすように机に寄ると、椅子に手をかけることなく天野叶佳の対面に立つ。
挨拶の言葉はない。視線を交えれば互いにその存在を確認できて、彼女たちにはそれで充分だった。
これから天野叶佳と悠木莉菜の二人は短くも長くもない時間を会話をして過ごす。
時はちょうど日が暮れかかり景色が綺麗な赤と青に二分されている頃だ。
この時間の間だけ会話をするのが彼女たちのルーチンであった。
-
度々、彼女らはこの”関係“についての話をする。
沈黙が長く続いた場合、先に声を発するのは大抵、天野叶佳のほうであった。
「――この前、私は君に対して”責任“について話したよね」
悠木莉菜はそれに言葉を返さないが、天野叶佳はさして気にする風でもなく話を続ける。
「責任とはあくまでその当人のとった行動に対して生じるものだ。必ずしもそれは結果に対してではない。
それがどれだけの……例えば最終的に世界を滅ぼすことになるような恐ろしいことでも、
君がそうした時にそうなると思っていなければ、それは君の責任じゃあないんだよ」
滔々と語る天野叶佳を悠木莉菜は強く、感情を抑え込んだ目で強く見つめる。
「”予見性“という言葉があるだろう?
犯罪者の罪を裁定する時、果たして彼に予見性はあったか? と使われる言葉だ。
そうなると思っていなければ、考えてもそうなると予測することができなければ……、
やはりそれは無罪なんだ。そうでなければこの世は無自覚の重罪人ばかりになってしまうからね」
天野叶佳は愛しむように悠木莉菜と視線を交わす。
「君は何も悪くない。あれはただの”事故“だ。誰も悪くないただの不幸にすぎない。
それでも誰かが悪いとしたら悪いのは私だ。私になら予見できる可能性があった」
悠木莉菜はそんな彼女を見るのが辛かった。辛すぎて辛すぎて、なぜならそれは自分の罪の象徴だから。
なぜなら――天野叶佳を”殺してしまった“のは自分なのだから。
とても大切にしていたはずなのに、あっさりと簡単に殺してしまうことができてしまった。
「……ふふ、ごめんね。
予見できたなんて嘘さ。本当はもっと確かに、私の意思と計算で行われたことなのさ。
なので君にはなんの罪もない。なんの落ち度も咎も存在しない」
そんなことは悠木莉菜も理解していた。辛いのは、憎いのは、もっと大きくて単純な理由があるから。
「こんな言葉さえも私は君をここに繋ぎ止める為に綴っている。
君がどんな言葉に引きずられて、重力を感じ、足を止めるのかわかって投げかけている。
さぞかし憎くて恨めしいだろうね。だから――」
天野叶佳は笑顔を見せた。生きていた頃には、生きて睦まじくあった頃には終ぞ見れなかった笑顔を。
「君は笑ってくれるなよ。君が笑うと私が成仏してしまうからね」
悠木莉菜は笑わない。
なにもかもを理解して、愛しい人の悪辣さも受け入れて、今更苦しい以外のことなど何もないのに。
それでも笑わないのは彼女を失いたくないから。何が起こると知っていても受け入れている。
つまり――、
「今、君と私は”共犯関係“にあるわけだね」
そうなのだ。なにもかもがきっと、出会った時から始まって決まっていたこと。
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