ラッダイトの床
@Richard24
最終話.『愛してる』
「ねぇ、聞こえてる?」
[あぁ、聞こえるさ]
月のように透き通った綺麗な音。
これまで何度も聞いてきた声だ。今まで俺を散々翻弄しては優しくしてくれた推しの声だから聞き間違えようもない。
個人バーチャルタレントとして活動していた彼女であったが、生憎ファンは俺だけだった。時代を考えれば、当然といった所だろう。
意識はいつの間にか途切れていたようで、まだ五感が正常に働いていない。
カタカタという音を背景に、彼女の声だけが俺の感じられる世界になってしまっていた。嬉しいのだが、このままでは少し困ってしまう。
「これで大丈夫なのかな? ちゃんと私が見えてるのかな?」
[見えてるとも。少しぼやけてるだけだ]
心配そうな彼女の声だった。これには俺も彼女を心配してしまう。不安そうであるのなら、元気づけてあげたいと思った。だから返す言葉と共に中々思い通りにならない表情筋を何とか動かして笑う。
「動いた……! 良かったぁ。かなり旧式の方法だったから不安だったけど、ちゃんと動いたのね」
かわいい声に喜びの色が混じっていた。やはりそうなると、俺まで嬉しくなってぎこちない身体を揺する。
「できてるできてる。じゃあ、このまま動作確認テストにまで入ろっかなっと……」
違和感を感じた。急に自分の腕が持ち上がり、勝手に手を結んでは開いてしまう。
義体に初心者向けのプログラムを書き込んで動かすように、関節や骨格を無視したぎこちない動作だった。
[あれ? これ、どうなってんだよ]
「ここまでするの超難しかったんだから、ちゃんと褒めてよね」
何処が難しかった、あそこが面倒だった、と自慢げに話している。
正直、内容はさっぱり分からないのだけども、目が輝いている彼女に見惚れて、俺の方は言葉を返すのに少し手間取ってしまっていた。
[いや、いつでもお前は偉いし、難しかった事を成し遂げたのなら、特別なお金をだしてお祝いしたいんだけどさ]
「ほんと! ふふふっ……。ありがと、私も頑張った甲斐があったってものだよー」
彼女の天然さにはいつも慰められていたけども、今回ばかりはそうはいかない。会話を交わす間にも俺の身体は好き勝手に動き回っているのだから。
「ひひっ、褒められちゃったぜ。今日はツンデレのデレの日なのかな」
けれでも随分久しく聴いた心地のする彼女の元気そうな笑いを前にして、どうでも良くなってしまった。
[ツンデレってなんだよ。俺はいつだって正直なんだが?]
「嘘嘘。いっつもかっこつけて、全く素直じゃあないよ」
[そんなこたぁない。期待より上の成果があったらちゃんと褒めてるじゃないか]
「やーだ! もっと褒められたいー!」
[大昔のVの見過ぎだろ。あの時代は、息できてえらいとか、よく眠れてえらいとか言われてる時代だぞ?]
「いいなぁ」
[……、生きててえらい]
「――ッ! えへへっ、やっぱツンデレじゃん! 私にいつも辛辣なのに時々甘々だもん」
羨ましがる様子に操られるように褒めてしまう。それに目を丸くして照れる彼女に、操られた敗北感やどうしようもない愛しさに包まれる。
それに、あまりにも自然過ぎて不自然さを感じてしまう。人類が百年も前に割り切った感傷に囚われる。何でも考え過ぎてしまうのは悪い癖だ。
[……。百歩譲ってツンはいいとして。デレはなんだよ]
「私生きててえらいでしょ?」
[まあ、えらいけども]
「ほらね」
[それはデレじゃねぇ]
「でもいつもだったら俺がいるんだから当然だろって言いそうじゃん」
[……確かにな。でもなんか今日はそんな事を言う気がしないんだわ]
「それがデレだよ。ワトソン君」
[違うわ。あとしれっとワトソン君って呼ぶな。どっちかといえばお前がワトソンだろ]
「頭脳の出来でいったら私の方が上だけどね」
[全く反論できねぇ!?]
「比べるのが間違いみたいなとこはあるけど、事実は事実はだし?」
[畜生……! 四年前までは、俺がいなけりゃ着替えすらできなかったのに]
「うっ……、でも私にその話はずるいよ!」
[俺相手に演算能力でマウントをとるよりマシだよ!]
「そんなことないもん! あなたは昔風に言えばママなんだし、ママなら私の恥ずかしい事は知ってて当然だし!」
[ママの意味が途中で変わってるんだよなぁ! 言葉を弄するとはまた小癪な]
「遺伝ですよー。ママ」
[……ったくよ]
ママと言われるのは若干無図痒い。これで昔の設計者は恥ずかくならなかったのか。あるいは俺の感覚が違うだけなのか。キーを打つ音が心地よい。
それになんだか最初の話から巧いこと論点をずらされていたようだ。俺がツンデレだという話題は暗に証明されてしまったようで釈然としない。
しかしまぁ、いつも通りという事か。
[……ま、いっか。そしたら記念日用のセブンコインを――]
「まって、それは明日にして。……なんでかって? ふふっ、聞くがいい! 明日がっ、その明日こそがっ、私が産まれて貴方と出会った誕生日なんだから。そりゃそうでしょってね!」
無い胸に手を当て、自慢するように彼女は言い切った。
大仰な仕草で花が咲いたかのような満開の笑顔。ウインクをしてみせてまで、かっこつけた彼女に、[何言ってんだ、お前]などと軽口を叩こうと思ったのに。
呑気に癒されていた俺の頭が一気に現実に引き戻された。
明日が誕生日だって?
聞き捨てならない。
後頭部を勢い良く殴られたような衝撃を受けて、俺は上機嫌の彼女を制止する。
[俺の方こそ待ってくれ。誕生日だって? つい最近、六周年を祝ったばかりじゃないか。も、もしかして記憶がないけど、俺が寝てたのって……]
「そうだね! 大方一年強、意識がなかったと思う。まぁ私はあなたに合わせて、これを六周年って事にしても良いけど?」
[めっちゃ大問題じゃねぇか!? なんでそんなに俺が気を失ってたのに、お前は無事なんだよ!]
この御時世に彼女が一人で生きていけるわけがないというのに。
俺はすっかり気が動転して頭をかきむしる。軽いノリで彼女は笑っているけれど、笑い事ではないのだ。現状、彼女のような存在が俺のような存在もなく一年近く生存するのは限りなく不可能に近い。
ただ一つの例外を除いては。
[……お前もしかして《遺跡》にいるのか?]
「遺跡? 機械がいっぱいある所にいるよ」
[それが遺跡だよ! 早く逃げろよ!]
俺は自分の愚かさを呪った。
なぜ俺は彼女を作る時にこの時代の常識をインプットしておかなかったのか。これまでの時間で教えてこなかったのか。生き残る上での禁則事項を伝えてなかったのか。
原因は明白でどうしようもない事だった。
[逃げてくれ……。頼むから一刻でも早くそこから離れてくれ!]
「え? どうしたの、そんな顔を青くしてさ。世界に危険な場所なんてないって、あなたが教えてくれたんだよ?」
彼女の言葉の内容に今更後悔しても遅い。
パニックに陥った頭に記憶が蘇ってくる。聞こえてないと切り落とした音が聞こえてくる。曖昧だった視界も現実を受け入れて判然としてくる。見えてくるのはメカニカルな壁と機械義体となった彼女の笑顔。
[まだ逃げられるかもしれない! 俺を囮にすれば、時間は十分に確保できるはずだ! 理由は聞かずにここから出て行ってくれ!]
「置いていくなんてできないよ! ……出るなら一緒にだよね」
それは意外にも芯を感じさせる強い語調で、説得は無理だと理解して歯噛みする。
耳に選り分けていた音が入ってくる。
鉄を打ち砕く轟音。機械を踏み砕く二本足。危険を知らせる警報。この遺跡には二人以外の雑音で溢れていた。なのに俺の感覚器官は意図的に選別を行えた。
それができたのは。
[俺もバーチャルになっていたのか]
「うん。今モデルと音声の調整をしてるよ」
[モデルの任意調整って事は第四世代あたりのコンピュータって所だな。仕様的には音声は未設定のはずか]
つまりは機械の内にいた彼女が義体を纏って機械の外に出てきていて、機械を操作していた人間であった俺が今は機械の内にいるという事だ。
恐らく俺の声も発声の認識だけで、彼女には文字で見えているのだろう。彼女は最後まで俺の声を聞けないのかと後悔に駆られる。
そして薄っすらと情景が思い浮かぶ。暗転する意識に写り込む彼女。圧壊する右半身。油断した隙の唐突な邂逅。公序良俗、悪鬼打倒の雄叫び。昼の森。優しい日々。新しい出会い。情報子を隠しての放浪。再現性の不死の失敗。あの人の死。混沌の世界観の再来。光輝くトラペゾヘドロン。第二のラッダイト運動。架空人格の認定。カーツワイルのシンギュラリティ―の到来。
いや、そこまで戻らなくてもいい。
昼の森の脅威に曝されて、俺は右半身を潰され死んだ。しかし追手からは何とか逃げ切っていたらしく、彼女に遺跡に運びこまれ、意識を架空人格として再現した。それが大まかな流れだろう。
遺跡レベルの技術がないと人間の再現はさすがに難しい。逃げ込み先を選べる程、遺跡の残りは多くない。第四世代という、まだ初期の情報子技術なら意識の復元だけでも三年以上は必須だろう。
それを一年強という驚異的な期間で完成させても猶、間に合わないというのならこれは運命だったのかもしれない。俺を見捨てられないくらいには、あの人は優しい。
どうしようもない事だったのだろう。
[……]
やはり俺は主役には向かない。俺は大事なものでも諦めてしまえるからだ。足搔くだけなら末期の語らいを優先してしまう。物語で例えるなら潔く死ぬ中ボスで、意味深な伏線ばかり言って後には何も残らない。
[なぁ]
「――どうしたの?」
一瞬歪んで見えた彼女の顔が無邪気に笑う。
[ごめんな]
「どうしたの? 逃げるんじゃなかったの?」
[愛してる]
「はいはい……。え、ふぇ!? 何! いきなり!」
いつになく真剣に告げると、彼女は最大限動揺してくれたようだ。感情と関係なく動く作業の手が完全に止まっていて、半開きの口や見開いた目、大慌ての動作全てが愛おしくて仕方がない。
結局最後の一言だけかもしれないけど、俺は今回こそ自分の気持ちを伝えられたのだ。そして、それを彼女は聞いてくれていた。会話でもない一方的な告白でも伝えられた事が本当に嬉しかった。欲を言えばもっと話していたかったが。
「見つけたぞ。邪悪なる機械たちよ」
やはりそれは許されないようだ。
近くの天井が崩壊すると共に、堂々とした男の声が機械群に反響する。あまりにもこの場にそぐわない無遠慮な部外者のもの。
『ナイアーラトテップの福音を齎す善良なる天使達』通称ラッダイト人。それが二人。浅黒い半裸の男とまだ小さい子供。子供の肌色に黄色人の血が入ってそうに見えた。
《侵入者は極めて強大。居住者はすぐに避難してください》
警報ドローンが天井の穴から降りてくる。それと同時に機を伺っていた遺跡の防衛機構が侵入者に牙を剥く。
音速で飛来する科学的に切れない物のない
人を何度殺しても足りない死の嵐が、避ける素振りも見せない彼らに直撃した。
なのに毒ガスの緑霧から、まだ声が聞こえる。
「人は自らの二本足で立ち、己の忍耐と自然の神業によって生かされている。たかが機械風情の攻撃になど屈しない。それは心の弱い奴にしか通じない」
科学的思考を放棄し、単一の世界観を集団で共有する事で、個人ではありえない強さを得る。人の関係性と人間の本性の集大成。
以前では意味のない精神論だったかもしれないそれは、科学的な世界観が崩壊し、科学的な人間が脆弱な個人に成り下がった今、現実に昇華している。
「お前らに分かりやすく理屈を言ってやれば、我々は自然の中で生きる生命。ならば理性もなく生命でもない自然から外れた異物からの攻撃が効かないのも道理だろう」
攻撃ドローンが男の拳に当たり粉々になり、毒の霧や薬は大いなる自然に無毒化され、科学の粋を凝らした刃は彼らの体に傷一つつけられない。
彼らの屁理屈はもはや新しい世界の理だ。彼らの言葉には力があり、彼らは一人であっても一人でない。動作一つでラッダイトの自然文明全てを葬れない限り、彼らは一人として欠ける事はないのだ。
「人の仕事を奪い、人間を堕落させ、あまつさえ森を出歩こうなど言語道断。人型をして同情を買おうとは笑止。過去、人であっても運命を受け入れず人間である事を放棄するのは、なお悪質だ。許されざる悪鬼羅刹に正義の裁きを下してくれよう」
吐き出されるのは怨嗟の声。浅黒い男の胴間声が、俺たちをラッダイトを害しようとして人間に偽装した化け物と機械に身をやつした元人間だと糾弾し、事実『そうだった事になる』。
その改竄に彼女が抗おうと立ち上がる。
「違う! そんなこと――」
「人でもないのに人間に反論するな! いいか、機械というのは悪人が作った退廃的な愚物に過ぎない! 人未満の分際で人間の言葉を話すな!」
『正論』が彼女を責め立て、彼女の発言を封殺する。それでも言い募ろうとする『機械』に、男は振り上げた拳で彼女を打ちのめす。
情報子技術により物理的にはダメージを受けないはずの義体が、彼女が抉れた胸から部品を撒き散らしながら倒れる。
彼らの拳が彼女の人間性を否定し、『機械』を壊したという直感が彼女の情報子を金属の塊にまで零落させたのだろう。
そして恐らく即死。あれは世界一つから拒絶される精神攻撃でもある。
「黙ったからといって見過ごすと思うか、元人間」
男がこちらに向く。元人間だからか、動く心配がないからか、すぐに壊すわけではないようだ。
俺は答えない。
彼女に代わって言い返しもしないし、言い遺す事もない。
「おい、こっちに来い」
男は子供を呼びつけた。おどおどと子供は歩いてくる。まだ教育中の子なのだろうか。今の光景に怖じ気づいているようだ。
「こいつを壊してみろ」
俺を指差して命令する。男に怯えたように硬直した子供は、大人しく頷いてこちらに歩いてくる。腕に少しずつ彼らの文明が宿り、俺を射程に捉えた所で腕が褐色に染まっていった。
しかし子供はそれから腕を振るわず、硬直していた。
「遅い」
「で、でも。あのっ」
「言い訳をするな! 子供は黙って親に従え!」
不満を口にしようとした子供が、凄まじい剣幕で罵倒される。怒る男が、衝動的に近くにあった彼女の頭を踏みつけた。
一瞬、振動が腕の痙攣のように見えた。
癇癪に怯えた子供は泣き顔で何かを喚きながら、俺を殴った。
力が小さくても、機械文明そのものを破壊する世界観が俺を再現していたコンピュータを跡形もなく消し飛ばし、同時に世界から俺を否定した。
その精神攻撃は、俺の構造の全てを解き明かし全ての欠陥を指摘するものであったり、俺の人格を何億もの人々に否定されるものであったり、トラウマをひたすら見続けられる回想だったり、無限の拷問があったが、俺は全く動揺する事はなかった。
後悔は数え切れない程あったし、俺は最後まで一人だったかもしれないけれど。
愛してると伝えられたから、それでいいや。
簡単に諦められる性格で良かった、と初めて思った。
これは実質、推しとの心中だし。
解釈に一致する。
ラッダイトの床 @Richard24
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