【2年後】(養和元年=1181年)
今は互いに、流人ではない。
「お上人殿、
力強い言葉に、文覚は思わず動きを止めてしまった。それから顔をあげた。
「これは、これは」
頼朝は微笑んでいた。場所もあの蛭ヶ小島の狭い配所ではなかった。
都では方四町ほどの広さであろう敷地に、多くの建物がぎっしり詰まっている。柱や床の木材はまだ白木のままに光っており、木の香りを放っていたりする。そんな建物の一室の上座に、頼朝は座っていた。庭の造営も新しく、樹木もまだ少ない。三月になっているというのに、桜が満開だ。このあたりは都よりも、桜の開花は遅いようである。
「六年前にお見受けした時と、まこと同じ方で?」
「あたりまえだ」
頼朝は笑った。そして、言葉を続けた。
「しかし、あの頃とは違うぞ。平家を討つべく旗挙げをして、この鎌倉に本拠を構えて富士川で平家を破った。だが今は、鎌倉の地固めが先だ」
「この作物の不作では、
「げに。だが、この鎌倉には、米の蓄えはたんとある」
「それはうらやましきこと。都では餓死者が路傍にあふれ、大路小路も歩けぬほどでして、その死者の数は四万は下りますまい」
「四万……? そうか……。その四万のうちに、かの入道相国もか……。いや、わざわざよく知らせに来てくださった」
「わらわ病みの熱病で、それが命取りになられたようでござる」
「いよいよだな」
頼朝の目は、鋭かった。文覚は少しだけ、小首をかしげた。頼朝は、身を乗り出して言った。
「して、御坊はこれからは?」
「あてはございませぬ。ただ、都にはいづろうて……」
「さもあろう。御坊はご自身を伊豆に流した院の法皇が幽閉されたと聞かれて、突然都に戻られたが、入道相国の死でまた院のお力も巻き返すかもしれぬによってな」
「図星でございます」
「だが御坊を流したのは院であって、平家ではない。なにゆえ平家にとっては敵の私に、入道相国の死をわざわざ知らせに」
文覚は、少しだけ目を伏せた。
「もとより平家に、恨みはございません。ただひとつだけ、許せぬことがございまして……」
「許せぬこと?」
「南部の焼き討ちでございます。東大寺、興福寺などをことごとく灰塵に帰せしめた罪は、許すことができぬのです」
「うむ」
頼朝はうなった。そして少し間をおいてから言った。
「されば、この鎌倉にとどまり、私に合力してはくれぬか。ともに仏敵の平家を打倒しようぞ」
「しかし、拙僧に何の力が……」
「我らが武力と御坊の法力とを十字に組めば、ことは成し遂げられる」
「さらばひとつだけ、お願いがございます」
「何か?」
「家を下され」
「そのようなことか」
頼朝は、声をあげて笑った。
鎌倉の町は、これから造られるという新しい息吹に充ちていた。三方を山に囲まれている。山といっても都のそれよりは低く、またかなり近くをとり囲んでいた。そして、一方は海だ。町じゅうに普請の槌音が響き、それが潮の香りと重なって充満しているような町であった。
あちらこちらに新築の用材がころがっている町角を文覚は、都での大番役を終えて帰東していた千葉六郎胤頼とともに歩いた。空もよく晴れていて、暖かな春の陽ざしが町の活気を輝かせている。
「いや、すごいな、こりゃ」
文覚が目を細めて見たのは、道の突き当たりの山の中腹に、新造されつつある巨大な
どこを歩いても、普請の人足から邪魔にされそうな感じだった。もともとわずかな田地と未墾の荒れ地ばかりだった土地であり、さらに周囲の山を切り崩して平地とした土地も多いので、多くの屋敷や寺院を集中して建てても地権の問題は起こりそうにもない。あとはどけだけ、民が集まってくるかだ。空いている土地も多く、まだ都市として機能はしていない。
「わしがあのお方と会えたのも、そなたが前に引き会わせてくれたお蔭だな」
歩きながら文覚は、胤頼に言った。そして胤頼の返事も待たずに、文覚はさらに寂しそうに続けた。
「だが、あのお方は変わった。伊豆でお会いした時とは、まるで別人だった。勢いに乗っておられるという感じだったな」
「
胤頼は少々得意気な笑みを浮かべ、胸をはって歩いていた。
鶴ヶ岡若宮の東に隣接して、朝頼の居館はある。その東南角、
少し汗ばむ頃になって、文覚は頼朝に召し出された。法力を借りたいということだった。
鎌倉の海岸を西に行くと、そこに不思議な島がある。引き潮の時には地続きになるが、満潮の時だけ島となる江の島だ。そこに文覚は、弁財天を勧進することになった。頼朝の依頼を受けてからすぐに文覚は江の島に参籠し、三十七日間も断食をして修法を行なった。そして
「大儀であった。平家の
人をはらって文覚と二人きりになった頼朝は、それでも威をはっていた。この席で文覚は、頼朝から補陀落寺を与えられることになった。昨年完成したばかりの大伽藍だ。海浜の、若宮大賂よりは南側にそれはある。岬に続く山の麓に、海に向かって金堂、講堂などの諸堂、そして塔もすでに完成していた。都にひけをとらぬ大寺院だった。だが落慶供養がまだなのである。本尊もまだだという。そこで文覚は大聖不動明王を本尊にと、頼朝に希望した。那智の滝で自分の命を救ってくれた不動明王だ。だが頼朝の方はそれを、平家調伏の不動明王と捉えているようだった。
落慶供養は文覚を先師として、大々的に行なわれた。文覚の名は、これで鎌倉の御家人中に知られわたったことになる。そして補陀落寺は、文覚の開山ということにもなった。だが、その後すぐに、頼朝がとめるのも聞かずに文覚は都へと帰っていった。文覚に神護寺再興許可の院宣が下ったのである。上洛の途につく文覚を、頼朝は補陀落寺まで来て見送り、その目に涙さえ浮かべていた。
文覚は法皇より、神護寺再興のために紀伊国に荘園の寄進も受けた。さらにその翌年には頼朝からも、丹波国吉富荘の寄進を受けた。
ようやく神護寺も昔のように山中に伽藍が立ち並ぶようになり、往時の隆盛が再現された。すでに平家は都を追われている。追った木曽冠者義仲も、頼朝の弟である九郎義経に討たれていた。そして春も終わりの頃、ついに平家は西国壇の浦で、幼帝とともに海の底へと沈んでいった。その年の秋、文覚は再び鎌倉へと下向した。ちょうど都を、巨大地震が襲った直後の出発だった。
今回の文覚の鎌倉下向は、頼朝の父の左馬頭義朝の遺骨を、鎌倉に届けるためであった。義朝の遺骨は平家全盛の頃は、平家に敵対した者の骨として東獄門のあたりに埋められていたままだった。それが掘りおこされて、法皇の命により鎌倉の頼朝のもとに届けられることになったのである。遺骨は文覚の首にかけられて、鎌倉入りをした。頼朝は江の島近くの片瀬まで喪服を着て出迎え、立ったままの文覚から身をかがめて遺骨を受け取った。
鎌倉大倉の自邸に戻ると、頼朝はすぐに喪服から練色の水干に着替え、文覚と対面した。
「御坊には何と礼を申したらよいか。これより御坊の言われること、何なりとかなえてとらす」
「されば」
文覚の態度に遠慮はなかった。彼が申し出たのは、六代をもらい受けることであった。六代とは清盛の直系の孫である。また幼い子供であったが、壇の浦のあと都で捕らえられ、頼朝はすでに斬首を指示していた。
「それを拙僧にお預け下され。仏門に入れて、弟子として教えたく……」
「ならぬ! 平家の嫡孫ぞ!」
突然頼朝の口調が変わってかん高くなり、激しい声が響いた。文覚も負けてはいない。
「これはしたり!」
と、持ち前の大音声だ。
「わが願いは何でもかなえられると、言われたばかりではござらぬか」
あとはかん高い声と大音声の怒鳴りあいだった。無益な殺生と文覚は言った。言葉が過ぎると頼朝はとがめた。
「私は平治の戦の折に平家にとらえられて斬首されるべきところを、一命を助けられて伊豆に流された。だが、その私が我が命を助けた平家を滅ぼした。今六代を助ければ、かつての私と同じことが再現されて、いつこの鎌倉に弓引くか分からぬ」
それでも文覚は引き下がらなかった。
「言葉が、過ぎているかどうか。佐殿! 佐殿は今、佐殿が平家を滅ぼしたと言われたが、佐殿お一人のお力で、ここまで来られたのかッ! 関東武士団の力あってのことではないのかッ! それなのに権力にふんぞりかえっていては清盛と変わらないではありませぬか。平家を倒したのは、佐殿ではござらぬ。関東武士団でござる!」
文覚は、今にも飛びかからんばかりの剣幕だった。頼朝は目を閉じていた。額が動いた。そして震える声で言った。
「院が御坊をお流しになったのも、分かるような気がする。しかし私は、院とは違う。また、今、御坊は私を清盛と変わらぬと言ったが、私は清盛とも違う。その証拠に……」
すぐに頼朝は紙と筆を召し、六代公赦免の旨を、都にいる自分の舅の北条四郎時政宛にしたためた。
「これでよかろう」
「さすがは佐殿、話がわかる」
文覚は大笑いをした。頼朝もともに笑った。
「御坊にはかなわぬ。しかし、何ゆえそうむきになられた」
「拙僧はかつて無益な、いや、あるまじき殺生をし申した。その減罪でござるよ」
文覚はさらに、笑いの声を高くした。
義朝の遺骨は、以前に文覚が住んでいた滑川のほとりの屋敷の南の山を切り開いて、そこに新寺院を建立して供養された。勝長寿院である。その法要が終わるとすぐに、文覚はまた都へと帰っていた。
夏も近づきつつある。伊勢の海の波は穏やかだった。
草庵は安養山の中腹にあり、二見浦やその他の大小の島々が一望に見渡せるところであった。海はどこまでも青く。はてしないままに空へとつながっていた。
庵の縁側で海を見ながら、西行は俊乗坊
「のどかな景色ですな」
と、重源は言った。西行よりは若年でありそうだが、充分に老僧と呼んでさしつかえない域に達している僧侶だった。
「世の中の動きなどとは、まるで無関係のような……」
「私には理想的な棲み家ですよ。ここで歌を詠むことに専念しております。行きつくべき安住の地に、やっとたどり着いたという心境ですかな」
西行は少し笑った。手にしている湯呑みの中には、熱い茶が入っていた。茶はまだ珍しい。隣にいる重源が宋の国より持ち帰ったもので、今日は手土産にその貴重な茶を持ってきてくれた。
重源――紀氏の出で、十三歳の折に醒醐寺にて出家仏門入りをしたという。高野山で西行とともに住していたので、二人はかねてより互いに見知った仲であった。
「ここが安住の地とうかがってはお気の毒にも存じますが、やはりしばらくここをお離れ下さるわけにはまいりませんか」
「先程の、お話ですな」
西行は、遠くの海を見た。白い帆をはった小舟が、跡を残してゆっくりと動いていた。
「いいでしょう。喜んで」
「まことに?」
重源の顔が輝いた。西行はうなずいて言葉を続けた。
「奥州平泉には、
「それは有り難い。奥州の金が流れ入らば、東大寺復興も一気に流れに乗りまする。それにしても奇縁ですなあ。その昔、奈良に都があった時代にも、
「東大寺を焼いた六波羅の亡き入道殿は、わが幼い頃からの知己でしてな、今頃は地獄の猛火に苦しみおるやも知れませぬ。わが行いの効あって、なんとかお救いできたらと思いましてね」
東大寺造営勧進職の重源は東大寺衆徒七百人ばかりを連れて、伊勢神宮に東大寺造営の祈願に来ていた。新しい大仏は鋳造も終えて開眼供養も行なわれたが、大仏殿がまだできていない。大仏は野ざらしになったままなのである。
「いずれにせよ、神宮のある伊勢に西行法師様がおられたのも、み仏のお導きでございますな」
西行は少し照れの笑みを浮べかたが、そのあとで思いきったように口を開いた。
「実は奥州行きをお引受け致すのは、入道殿のためだけではなくて、私の減罪も兼ねておりまして」
「法師様に、なんの罪業が……」
「若い頃のことだ。私のせいで、ひとりの女性が命を落とした。高尾の文覚上人も減罪のためとてみごとに神護寺を再興され、今や東寺復興に手をつけておられる。かのお上人の罪業というのも、実は私とも関係がございましてな」
「文覚……上人……。お会いなさったのですか……?」
「遠い昔に、一度か二度。かのお上人まだ、在俗の頃でござった」
「文覚上人の神護寺再興が、減罪のためだと言われましたな」
「いかにも」
西行はかつて遠藤盛遠、すなわち若き文覚を誤解させたあの事件のいきさつを、重源に話した。そしてふと、重源の手に目をとめた。そのしわの多い手は、たしかに震えていた。何やら全身に力をこめているようでもあり、顔色も変わっていた。そしてそのまま、少しだけ前かがみになった。
「いかがなされた? 重源殿」
「西行法師様……」
重源は、何かを言いにくそうにしている。やがて顔をあげて、細々とした声で話しはじめた。
「このようなことが……。法師様がお話し下さいましたので、拙僧も真実をお話し申そう。実は拙僧は紀氏の出というのは偽りでござる。本当は嵯峨の帝の流れで、河原左大臣融公の末の源氏でござる」
「それは、また……」
「出家致したのも、三十六歳になってからでござった。その当時拙僧は、左衛門尉の官職を持つ滝口の武士であり申した」
「まさか……あの、もしや……」
西行の目が、カッと見開かれた。
「拙僧、俗名は渡辺左衛門尉渡と申しました」
しばらく西行は口を開けたまま、黙って重源の目を見つめていた。そのままお互いに何も言わずに、時間が流れた。
「ああ、こんなことが……」
しばらくしてから、西行の方が一瞬目をそらして歎息をもらした。そしてまた、重源の目を見た。
「まさか、今でも文覚上人殿を……お恨みに……?」
「滅相もござらぬ。恩讐はとうの昔に、乗り越えておりまする。ただ、文覚上人殿の神護寺再興が、わが亡き妻のためとは……」
「何という因縁であろうか……」
かみしめるようにつぶやく西行の隣で、重源は老いた顔に涙を流していた。
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