【199年後】(保延5年=1139年)

 不精髭の遠藤六郎持遠もちとうは、突然怒りだした。

「人を俗人俗人と言いやがって、てめえは聖人君子のつもりかよ」

「俺は何も自分のことを、聖人君子とは言っていない。ただ俺には目に見えないものを見る力がある。永遠を見ることができる。だから歌を詠む。歌は私にとって、詠まざるを得ないから詠むものなんだ」

 砂ぼこりを上げてひしめきあっていたいちの人々は、さっと若い二人の武士同士の喧嘩を、もの珍しいもの見たさに囲んだ。院(上皇)に仕える北面の武士と、帝に仕える滝口の武士の喧嘩だ。斬り合いになったらとばっちりは受けたくないが、ことの成り行きは見物したい。そんな感情が人々の間にあって、彼らをざわめき立たせている。

「ふん」

 持遠は、今度は鼻で笑った。

「歌で官職が買えるのか? 歌で殿上人てんじょうびとになれるのか?」

 向かい合って立つ佐藤太郎義清のりきよも、負けてはいない。

「歌というものは、目的があってはいけないんだ。興ずるがゆえに、それが歌となって流れ出てくる、そんなものなんだよ」

「また、訳の分からない御託を並べやがって」

「俺は、世俗のことに煩わされたくはない。歌の道と世俗の利は、永遠に交わらない。俺は自分が興ずる以外のことに、煩わされたくはないんだ」

「何をぬかす。おぬしは親の七光で左兵衛尉さひょうえのじょうになり、それで好き事に興じている。それが一人前の男かッ! 歌がどうのこうのとつべこべ言う前に、てめえの生活をちゃんとしろと言いたいんだ!」

「生活は拙くても、それが歌も拙いことにはならんだろ!」

 いよいよ二人の喧嘩は、腰の太刀に手がのびんばかりとなってきた。囲んでいる民衆は、もはや静まりかえって息を呑んでいた。

「おい、遠藤! 佐藤! どうしたんだ?」

 その時、雑踏をかきわけ、人垣の中に入り込んできたもう一人の武士がいた。結構いい身なりをしている。義清はその身なりのいい武士に、少しだけ腰をかがめた。持遠もバツが悪そうに、同じようにしている。

「伊勢の中務なかつかさ大輔だいふ様!」

 伊勢平太中務大輔兼肥後守は、あとの二人と同じくらいの年齢の、二十代前半の若者だった。それでも五位の殿上人で、地下じげの義清たちとは身分が違う。それで二人は腰を折ったのだ。しかも伊勢平太の前職は左兵衛佐さひょうえのすけで、今左兵衛尉である義清のかつての上司にあたる。持遠はちらりと、そんな伊勢平太を見た。

「伊勢殿も、羽振りがいいことですな。破格にも方一町のお屋敷にお住まいで」

 それから愛想笑いを消して、低い声で、

「結局はボンボンじゃないか」

 と、言い捨てて人垣をかきわけ、持遠は去って行った。あとには伊勢平太と、義清だけが残された。

「どうしたんだ?」

「いえ、あいつと将来の夢なんかを語り合っていたら、突然怒りだしましてね」

「ま、突然怒るのはあいつの悪い病気だけど、おぬしのことだ。嫌味のひとつやふたつでも言ったんだろう」

 清盛は笑っている。まわりの人垣も崩れで、もとの市の雑踏に戻っていた。二人は歩き出した。物売りの叫び、子供の声、そんな市全体が生き物であるかのような活気の中で、何人もの肩が二人とぶつかっていた。

「で、あいつに何と言ったんだ」

「歌人の心は俗人にはわからない。生活が人生の中心である俗人にはね。でも歌人は、俗人には敵対できない」

「そんなことを言ったのか。そりゃ、怒るよなあ」

 平太は、歩きながら苦笑を見せた。

「でも、これが私の、正直な心ですからね。ま、歌人っていうのは、子供つぽいものなんですよ」

「しかしおぬしだって妻子ある身、生活だってあるだろう」

 義清はそれには答えず、少しだけ顔を曇らせただけだった。

 市を抜けて、二人は大宮大路に出た。西へ向かう彼らから見て左、すなわち南の方には東寺の伽藍と塔が見えた。

「しかしさっきの、あの右馬允うまのじょうの無礼な口のききようは!」

 右馬允とは、持遠の官職である。平太はそれでも笑っていた。

「仕方がない。本当のことだ。俺の父親の時なんかは、もっと大変だった。殿上で闇打ちに遭いそうにもなったのだからな」

 その父親が今は三位以上の上達部かんだちめの特権である方一町の屋敷を構え、平太もそこに住んでいる。鴨川の東岸、むかし空也くうや上人しょうにんが開いた六波羅蜜寺に隣接しているので、世に六波羅殿と呼ばれていた。

「右馬允は、燃えたと思ったらすぐに冷める。二、三日したら、けろっとした顔でやって来るさ」

 平太が笑いながら言った通りだった。三日後、二条のひとつ北の大炊おおい御門みかど大路東洞院ひがしのとういんにある院の御所から北面の武士の詰め所へ、持遠は駆け込んできた。

「おい、左兵衛尉!」

 それがけろっとどころが、嬉しそうな声であった。義清が出てみると、やはり満面に笑みを浮べている。

「生まれたぞ! 長男が生まれたぞ!」

 これには素直に、義清も喜んだ。

「よかったなあ」

 居合わせた平太も出てくるなり、相好を崩していた。持遠は、本当に嬉しそうだった。

「あととり息子ができましたあッ!」

「これでおぬしも、子持ちの仲間入りだな」

 そう言う平太はすでに一男の、そして義清は一女一男の父親だった。いずれもまだ二、三歳である。

「これで子孫も安泰。ご先祖様に顔向けができます」

「そうだな。私も嬉しい。なぜならこの三人の先祖は、深い因縁で結ばれているからな」

 平太の言葉通り、遠い昔の将門の乱における征東大将軍だった宰相民部卿藤原忠文の子孫が遠藤持遠。そして実際に将門を討った常平太貞盛と俵藤太秀郷の子孫が、それぞれ伊勢平太であり佐藤義清なのである。

「とにかく、めでたい」

 平太は、大はしゃぎだった。それに反して義清は、いつしか真顔になっていた。

「右馬允には、めでたいだろう。」

 平太がさかんに、義清に目配せをした。だがかまわずに、義清は言った。

「私にとって、子はしがらみだ」

 場が白けたのは、言うまでもない。持遠も困ったような表情をして、肩を落としていた。

「おぬしはいったい、何が不満なんだ」

「子というものは私にとっては、私を俗世の生活に縛りつけるしがらみなんだよ」

 義清は、庁舎の中へと入っていた。

「変人は、ほっておけばいい!」

 持遠が平太に言っている言葉だけが、義清の背中を追った。

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