これからの方針

 夕食の時に現れた弥月先輩は、すっかり落ち着いた様子だった。目の赤さもさほど気にならない。

 ……丸田さんは気づいたみたいだけど。


「それにしても、すごいいかにもな場所ですね」

「いつもこんな場所を使ってるわけじゃないよ。ここは来客があった時用。こんな場所で一人で食べるのは味気ないじゃん。だからリビングで食べてる」

「確かにそうですね」


 それは豪華でシャンデリアが下がった美術的な価値もありそうな食堂だった。まあ、会食も応接と考えればそれなりの場所を用意するのは普通なのかな。お金持ちの世界というのはよくわからない。


「そうそう、マナーとかは気にしなくていいから。食料備蓄してる奴だけでごめんね」

「いえいえ、そんな」


 いただきます、と3人で手を合わせる。相楽さんは大分圧倒されていたみたい。


「でも、普段食べてるところでも3人くらいは入りそうだと思いますけど」

「それはほら、使ってみたかったからさ」

「……お金持ちの考えることってよくわからない」


 いたずらっぽく弥月先輩が笑う。にしてもその白衣は食事の時も脱がないんですね。


「ゴホン。まあ、食べながらでもいいから聞いてくれ。僕らのこれからの方針についてだ」

「活動方針ですか」


 コクッと、弥月先輩が頷く。


「まずは、相楽さんには食料調達を頼みたい。この家には保護した人も含めて、大体50人くらいの人がいるんだ。食料ももう着きつつある。でも、外に出ることができるのはボクら3人しかいないからね」

「あの、外に出るっことができる人を増やすわけにはいかないんですか?」

「抗体はまだ試薬すらそろってない。譲にヴァンパイアにしてもらうってことも考えたけど、説明した通りヴァンパイアは危険なんだ。はっきり言って名前も性格もよくわからない人に投与したくない。それに、ヴァンパイアがこの状況で受け入れられるかもわからないからうちの人も使えない。余計なリスクを増やせない以上ボクは反対だね」

「浅葱君は?」


 向かいに座った相楽さんに聞かれる。


「僕も、弥月先輩と同じかな。やっぱり、気心を知れた人じゃないと怖い。相楽さんは勝手にヴァンパイアにしちゃったわけだけど……」

「それは、仕方ないことだしね。わかった、人は増やせないね。でも、浅葱君は借りられないの?」

「ボクと譲は抗体の合成の方に取り掛かるつもりだ」

「それは、こっちにリソース割けない? 50人分ともなれば結構大変だと思うんだけど」

「割けないと思うし、したくない。なんて言ったって譲はボクの助手だからね」


 弥月先輩は僕の方にウインクして見せた。そんなに助手って言ったのがうれしかったのだろうか。


「譲は助手としては最高レベルに優秀だよ。手先起用だし、化学的知識は豊富だし、何より優しいし。正直言えば譲がいないだけで大分効率落ちるね」

「あ、ありがとう」

「でも、私一人で50人分の食料調達するのは大変過ぎないかな」

「忘れてるかもしれないけど、君はヴァンパイアになったんだよ? 当然パワーも上がってる。人間の時の基準で考えるべきじゃないんじゃないかな」

「まあまあ、2人とも落ち着いて。空いた時間で僕も食料調達手伝うからさ」


 ちょっと険悪になりかけた2人をなだめる。とりあえず食事時に口論はするものじゃない。

 はいそこ、先輩も残念そうな顔をしない。


「でも、それだと負担多すぎない?」

「いつも先生に頼まれごとしてたし、これくらいは。そりゃ積極的に動く方じゃなかったけど、それくらいは大丈夫だよ」


 相楽さんが心配そうに見つめる。まあ、たぶん大丈夫。


「あと、ついでに茜音さんも探してくるといいと思う。彼女は信用できるんだよね?」

「……茜音は変なことする子じゃないと思います、たぶん」


 そう言えば、そんな話もあったね。まあ士気にかかわる内容だし、都さんがいいというのであれば外に出るメンバーに加えてもいいかな。本当は高島さんとか丸田さんも外に出てくれるとありがたいんだけど、それは弥月先輩が許可しなかったみたいだし。


「まあ、そういうわけで相楽さん主導で食料の調達を頼む。で、ボクと譲で抗体の合成だ。まあ、最初は大学とかから試薬をかっぱらってこないといけないけど」

「それって、どれくらいかかりそうですか?」

「う~ん、どうだろ。一カ月以内には第一ロットは作れると思うけど」

「一カ月!?」


 相楽さんが驚いたような声を上げる。それって、すごく長いような。


「最長でだよ。たぶん材料がそろって10日くらいかな。そこから先は同時進行するからそれなりに早くなると思う……、たぶん」

「ま、まあ作れるだけでもすごいんですから。気長に待ちましょう」

「でも、それじゃあ茜音が……」

「見つかったら考えましょう。まあ、ヴァンパイアにしてもいいなら僕も手伝いますから」


 相楽さんを宥めていると、弥月先輩がゴホンと一つ咳払いをした。


「それから、さっきは言うのを忘れたんだけど、1階の東側には近づかない方がいいと思う。集団心理の恐ろしさを知ることになるから」

「それは、どういうことですか?」

「ゾンビから保護した人たちがいるんだ。だけど外に出られない鬱憤をボクらにぶつけてくる。高島も手を焼いているらしい」

「はあ」


 え、そんなことをするの?


「人間の善性なんてそんなもんだよ。こんな緊急事態になれば誰も彼も自分勝手になる。目の前で言われたよ。なんでお前だけ外に出られるんだってね。ボクは君たちのために避難所を提供して食料を調達してきたっていうのに」

「それは、大変でしたね」

「だから、譲も相楽さんも気を付けた方がいい。どこからキレかかってくるかわからないから」

「でも、その人たちもストレスをためてるだけかもしれないですよね」


 相楽さんの言葉に、弥月先輩が強く反論する。


「だからと言って、誰かに当たっていいわけじゃない。誰も助けたのに手を噛むような犬は助けたいなんて思わない。はっきり言って、ただの気まぐれであって、ボクは彼らがゾンビになろうが餓死しようが構わない。人に向けられる優しさなんて有限なんだから」

「っ!?」


 相楽さんが驚いたように息詰まる。そうだった、弥月先輩はマッドサイエンティストだった。僕も他人にはあんまり興味がないし。だからそこまで頑張ってヴァンパイアを増やそうとしていなかったわけだし。


「まあ、そういうわけだから、あんまり近づかない方がいい。それと、1階の西側から行ける地下室はボクの実験室で結構危険なものもあるからむやみやたらに触らないで。うちでの注意事項はそれくらいかな。何か質問があるかい?」


 すっと相楽さんの方に顔を向ける。反論できない悔しさに固まっているように見えた。正しいのはわかってる。だけど、納得はできないみたいに。


「……ごちそうさまでした」


 完食したみたいで、すっくと立ちあがる。そして食堂から出ていった。丸田さんが後を追う。


「譲」


 名前を呼ばれる。


「誰にでも優しいのは君の美徳だと思う。ボクもそのおかげで助かった。だけど、それが誰にも届くわけじゃないことはわかってるはず。たぶんだけど、相楽さんもね。だから、君を止めるつもりはない。だけど、いつか必ず選択しなきゃいけない時が来る。その時は、ボクは他の何をおいても譲を優先するつもりだからそのつもりで」


 それだけ言うと、先に弥月先輩はスタスタと去って行ってしまった。後には僕と高島さんだけが残された。

 ……意味が分からない。


 僕も席を立つ。間抜けかもしれないけど、その時になって初めて、僕は弥月先輩の呼び方が変わっていることに気づいた。

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