告白

 コンコン


「僕です。譲です」


 弥月先輩の部屋はすぐにわかった。荷物を置いてすぐ、人目を避けてやって来たけどいったい何の話だろう?


「今あけます」


 扉を開けて白衣を着た弥月先輩がにゅっと顔を出す。


「どうぞ入って」


 そのまま、最小限の動きで部屋の中へ招き入れられた。


「し、失礼します」


 部屋は薄暗かった。というのも、灯りがついていなかったから。


「灯りつけていいですか?」

「うん、どうぞ」


 パチッとスイッチを押す。弥月先輩はと言えば天蓋付きのベッドに腰かけていた。

 広い。どう見ても広い。具体的にはうちのリビングと同じくらい。というか、簡易キッチンなんて自室に必要か? お金持ちなのはここまででわかっていたが、私室がこんなに広いとは思ってなかった。


「あれ、でもビーカーとかフラスコとかないですね」

「君は一体ボクを何だと思ってるのさ」

「マッドサイエンティスト」

「それは間違いじゃないけどさ」


 は~あ、と疲れたような顔をしてシニヨンをほどく。そしてバサバサと頭を振った。


「いくらボクでも寝室で実験したりなんかはしないよ。そんなことしたら流石にメイドに怒られる。実験室はちゃんと地下に別にあるしね」

「あるんだ、実験室」

「父さんにお願いして作ってもらった。思えば、わがままを言ったのってそれくらいだったかな」

「そうなんですね」


 わがままのスケールが若干違うような気がするけど。


「まあ、その辺りの椅子にでも座ってくれ。ああ、さっきコーヒーを淹れたんだ。よかったらどうだい?」

「あ、ではもらいます。でも、いつもと淹れ方違うんですね」

「これはネルドリップ。大量に出すのにいいんだ。いつものはサイフォンだね」


 そんなことを言いながら弥月先輩はコーヒーを注いでくれた。高級感漂うブロンドチョコレートも一緒に。


「どうぞ」

「あ、いただきます」


 コーヒーは普通においしかった。


「それで、譲君。聞いてくれるかな、ボクの話について」

「……分かりました」

「本当に、大丈夫? 聞いて後悔するかもしれないよ?」

「……それでも、いいですよ。僕だってたまには弥月先輩の力になりたいですから」


 そう言うと、弥月先輩はサイドテーブルにコーヒーカップを置いた。


「……ありがとう。譲君はいい子だね」


 消え入りそうな声だった。でも、僕から声をかけるとせかしているようなそんな気がして、声を掛けられずにいた。

 時間が経つ。秒針がコツコツと音を立てる。


「たぶん、突拍子もないことだと思う。だから、落ち着いて聞いてほしい」

「はい」

「本当にわけがわからないことだからね」


 無言で頷く。弥月先輩は髪をいじくっていた。


「今、日本はゾンビパニックになってるよね。実は、そのゾンビウイルスを作ったのはボクなんだ」

「はい?」


 えっと、今なんて?


「だから、ゾンビウイルスを作ったのはボクなんだ」

「ゾンビウイルスを作った?」

「そう」

「え、本当に? そんなことできるの?」

「正確に言うなら、一から作ったわけじゃないよ。でも、それを完成させたのは紛れもなくボクだ」


 そんなアホな。いくら天才でマッドサイエンティストだからと言って、たかが一介の高校生にそんなものが作れる? 本当に?

 ——弥月先輩の表情を見る限りは本当っぽい。


「えっと、そ、それは先輩一人で作ったんですか? それともどこかの研究所に参加したんですか?」

「全部ボク一人だよ。実験ノートも残ってる」

「この家の実験室で?」

「そうだよ」


 そんなこと、出来るの? いや、弥月先輩のことだ。出来たと仮定しよう。でも、どうして弥月先輩はそんなものを作ろうと思ったんだ? そんなまったくわけのわからない得体のしれないものを。それに、どうしてゾンビウイルスが拡散したんだ? まさか、何も考えずに市民に投与したとか? でも、弥月先輩はそんな一線を越えてるとは思わないし、ならどうしてこんなにしおらしく……、


「——る君、譲君ってば!」

「あ、すいません。ちょっとぼーっとしてました」

「うん、信じがたいよね。でも、事実なんだ」

「でも、どうやってそんなものを」

「あはは、そうだね。それじゃあ一から説明するね」


 明後日の方向を向いて弥月先輩が笑う。だけど、無理をして笑っているようにしか見えなかった。


「去年の夏休みまでさかのぼるんだけどね。ずっとやってる研究が行き詰ってさ。それで、アプローチを変えようと思って、父さんについて海外を回ったんだ」

「研究、ですか?」

「そう。その当時は本当に頭がおかしくてさ。非科学的なことに頼ろうと思っちゃったんだよね。それで、世界各地のヴァンパイアの伝承を集めて回った」

「……ヴァンパイア?」


 ゾンビじゃなくて?


「そう。何も見つからないと思ってたんだけどさ。調べてたら発見しちゃったんだ。ヴァンパイアの伝承がウイルスによるものだってこと。それから、影響力が小さくなったけど残っていたヴァンパイアウイルスのサンプルも」

「……サンプル」

「そう、サンプル。媒介にしてた人間は迫害のせいで全滅しちゃったみたいだけど、ウイルスだけは残ってたんだよね。で、これ幸いとボクはそれを持ち帰って研究してみることにしたんだ」

「じゃあ、僕に投与されたのって」

「そうだよ」


 弥月先輩が小さく頷いた。


「培養したり、DNAを解析したりして作り上げたんだ。たださっきも説明した通り、危険すぎて封印しようと思っていたんだけどね」


 その笑顔はとても寂しそうで……、抱きしめたいって思った。

 動けなかったけど。


「それでさ、ヴァンパイアウイルスは危険すぎたから、それを改良して再生能力だけにできないかって思ったんだ。その途中でできたのが、ゾンビウイルス。他人を支配できないようにはできたけど、理性が吹っ飛んじゃうみたいでさ。でも同時に抗体もできて、それを投与すれば自我は取り戻せるようになった。まあ、生産するのがめちゃくちゃ大変なんだけどね」

「そうだったんですね」

「そう。で、当たり前かもしれないけど、ゾンビウイルスも人に投与するつもりはなかったんだ。抗体の生産が間に合わないしね」

「だったら、どうして」

「事故だったんだよ」


 ……事故?


 先輩の口が止まる。言うのを躊躇しているように見えた。

 静寂が部屋に戻ってくる。今更ながら灯りを消したままにしておけばよかったと思った。


「ゾンビウイルスの最初の被験者はボクなんだ」

「……弥月先輩?」

「自分の理論に自信はあったしね。カメラをセットして時間で抗体が投与されるようにしてボク自身にゾンビウイルスを投与した。もちろん人が来ないように密閉された部屋でね。で、実験は成功した」

「あの、疑問なんですけどどうして自分自身で実験したんですか?」

「自分自身でやる限りはヘルシンキ宣言に反しないからね」


 いや、そういうことを言ってるんじゃないんですが……。もういいです、このマッドサイエンティストめ。


「だから僕の血液は危険だけど、輸血でもしない限りは大丈夫なはずだったんだ」

「だけど、何かが起こったんですね」


 そう言うと、弥月先輩はこくんと頷いた。


「たまたま、カッターナイフで結構グサッといっちゃってね。傷はふさがったんだけど血がそこそこ流れて。それを、悪ふざけした友達がなめとったんだ」

「え、でも粘膜からは感染しないんじゃないんですか?」

「その粘膜に傷口がなければ、の話だよ」


 弥月先輩が言う。まさか……、


「そのまさかだよ。昼に口の中を噛んだらしくてね。傷があったんだ。そこからゾンビウイルスが侵入した。そこからはもう一瞬だったよ。抗体がなければゾンビ化して次々に人を襲っていく。ボクは襲われなかったけど、あっという間に拡散して、日本は壊滅状態になってしまったんだ。あはは、何やってるんだろうね」


 自嘲気味に先輩は笑っていた。僕は声を掛けられずにいた。


「ボクは何をやりたかったんだろうな。君だってこんな女、軽蔑するだろ?」

「……そんなこと。そんなことないです」


 たぶん。


「どうしてだい!? ボクのせいなんだ! こんなパニックが起こったのはボクのせいなんだよ! ゾンビが暴れるようになったのも、日本が壊滅したのも、ボクの見込みが甘かったせいだ! なのにどうして軽蔑せずにいられる!? ボクのせいで、ボクのせいで」


 くッと、先輩が歯を食いしばる。


「譲君だって死にかけたのに! ボクがそんなことをしなければ、君だって死にかけるようなことはなかったのに!」


 先輩の方が浮き沈みしている。息が上がっているのがよくわかった。

 でも、不思議と先輩を恨む気持ちはなかった。そりゃ、ゾンビパニックは大ごとだけど、でもだからと言って弥月先輩を責めるのは違う気がしたんだ。


「そうかもしれませんけど、結果的に無事でしたし」

「でも、でも!」

「それに、ヴァンパイアも結構気楽ですよ」

「でも、ボクのせいで譲君は!」

「そんなことないです。たぶんその内実験でヴァンパイアにでもなってたに決まってますよ。だから、そんなに自分を責めないでください」

「——すぎるよ」


 安心させようと思って近づく。


「君は優しすぎるよ!」

「グハッ!?」


 吹き飛ばされた。壁に背中からぶつかる。だけど、痛みはなかった。ヴァンパイアボディーすごい。


「ご、ごめん。八つ当たりなんかして」

「別に、気にしてないのでいいですよ」


 今度はゆっくりと、先輩の下へ近づく。怖がらせないように。そして、肩にポンと手を乗せた。


「そりゃ、中には弥月先輩を恨む人だっているかもしれません。だけど、僕は先輩を恨んだりなんてしません。世界中が敵になったとしても、僕だけは弥月先輩の味方でいます」

「……どうして?」

「それは、僕が僕だからとしか言いようがありませんが……」

「でも、ボクはゾンビウイルスをばらまいたんだよ?」

「不可抗力です。先輩だって言ってたじゃないですか。事故だって。事故でゾンビウイルスがばらまかれることだってきっとよくあることですよ、ね」

「……だけど、だけど」

「弥月先輩」


 その小さな、ともすれば犯罪的になりそうな体躯を優しく抱きしめる。そしてゆっくりと笑いかけた。


「だったら、これから頑張ればいいじゃないですか。抗体があって、作り方も知ってるんでしょう? それに、抗体を投与すればゾンビになった人の自我を戻せる。元通りになる。僕だって協力しますから。だって、僕は弥月先輩の助手ですから」

「でも、譲君は何も関係ないのに」

「それじゃあ」


 冗談っぽく笑ってみた。


「それじゃあ、この騒動が収束したら、キスの一つでもしてくださいよ。そのために頑張りますから」

「あはは、そうだね」


 ほんの少し、先輩の顔に朱が差した気がした。


「ありがとうね、譲」

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