ヴァンパイアウイルスとは

「本来は、ヴァンパイアウイルスは封印するつもりだったんだ」

「封印……、ですか?」


 そう聞くと、先輩は少し悲しそうに笑った。


「そう、封印。マウスでは実験したけど、人間には危険すぎたからね。本来なら使うつもりもなかった」

「弥月先輩ともあろう人が危険だからって実験を自重するとは思ってませんでした」

「一体君はボクを何だと思ってるんだい?」

「マッドサイエンティスト」

「まあ、間違いではないんだけどさ……」


 先輩は頬を掻きながら明後日の方向に目をそらす。


「危険っていうのは実験そのものが危険っていうことじゃなくて、実験が与える影響が危険というか。その、ボクだって流石に他人を巻き込むような実験はできないというか」

「割としょっちゅう爆発に巻き込まれてる気がするんですが」

「譲君は別だよ! 僕の助手だし」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」


 相楽さんが僕らの間に割り込んでくる。そして焦ったかのように弥月先輩を問い詰めた。


「今までの流れを聞いてると時井先輩が作ったみたいな、そんな風に聞こえるんですけど!?」

「そうだよ。ヴァンパイアウイルスはボクが完成させた」

「え!?」


 混乱したように相楽さんがたじろぐ。そう言えば、相楽さんは僕と違って弥月先輩の実力を知らなかったっけ。正直高校生の枠には収まらないようなそんな頭脳の持ち主だよ。ねじが二、三本外れてるけど。


「ヴァンパイアウイルスの説明に移っていいかな? 大丈夫? 聞いてるかい?」

「あ、はい」


 考え事をしていたみたいだ。遠くから戻ってきたような顔をしている。とりあえず、話は聞いておいた方がいいと思うよ。


「まず、このヴァンパイウイルスだけど。ヴァンパイアって名付けたけど有名なヴァンパイアとは結構違うところがあるんだ。例えば、日の光を浴びると灰になるとか、にんにくが苦手とかね。吸血鬼って結構フィクションで付け足された設定が多くて、そういった機能はないんだよ。非科学的だしね」

「そもそもヴァンパイアウイルス自体非科学的なんじゃ……」


 相楽さん、僕もそう思う。フィクションの中の出来事だと思ってた。だけど、こうしてゾンビだったりヴァンパイアだったりが存在してるのを見たり経験したりすると、現実なんだなって思わさせられた。高度に発展した科学は魔法と見分けがつかないっていうしね。


「う~ん、わかりやすいかと思ってそう名付けたんだけど、ちょっと反省はしてるんだ。でも実際に見たものを非科学的とは言えないからね」

「弥月先輩らしいと言えば弥月先輩らしいですね」

「まあとにかくだ。ヴァンパイアウイルスの性質についてわかっているのは3つ」


 そう言って弥月先輩が指を立てる


「1つ目、再生能力。これは触媒として血が必要になるんだけど、すごい再生能力がある。ゾンビと同じだね。こっちも脳幹を損傷しない限りはしなない。まあ、流石に血が枯渇するようなら死ぬけどね」

「ひょっとして、相楽さんの血を吸った瞬間に体が再生したのも」

「恐らくそのせいだろうね」


 ということは、あの強烈な吸血衝動は生存欲求から来てたのかな。


「2つ目、身体能力の大幅な向上。うーん、試してみた方が早いかな。譲君、体力測定で握力って何キロだった?」

「確か30キロちょいですけど、それがどうかしたんですか?」

「いや確かこの辺に……、あったあった。はい」


 そういって握力計を投げ渡される。使えってことなんだろうけど、本当にここ何でもあるな。


「軽く、かる~くでいいからね」

「あ、はい。えっと、60キロ越えてます」

「でしょ? 肉体が強化されたわけで100メートルを5秒で走れるようになったりとかはしないけど、かなりパワーが上がるんだ」


 そして、弥月先輩は3本目の指を立てる。


「そして3つ目。これが一番危険視した理由。その名も眷属化」

「けんぞく……?」

「そう。映画とか漫画で見たことない? ヴァンパイアが若い女性の首筋に噛みついたと思ったら、その女性もヴァンパイアになっちゃうってやつ」

「あ、それって……」


 相楽さんが何か思い浮かんだみたいだ。僕も心当たりがある。弥月先輩が微笑んだ。


「うん、相楽さんの思ってる通りだと思うよ。恐らく相楽さんがゾンビからヴァンパイアになったのも眷属化の能力のおかげだと思う。血を吸うことによって力を得て、分け与えることによって仲間にするんだ」

「でも、なんで自我が戻ったんでしょうか?」

「恐らくそれはヴァンパイアウイルスの方が強力だからだろうね。自我を失ったのをヴァンパイアウイルスで上書きしたんだ。まあ仮説だけどね」

「ということは、浅葱君がまたゾンビを噛めば……」

「たぶんだけど、ヴァンパイアになると思うよ」


 相楽さんやけにそれにこだわってるな。きっと茜音さんという人をよほど大事に思っているんだろう。


「まあ、頑張るよ。ゾンビの血はめちゃくちゃまずかったけどさ」

「ありがとう」

「なるほど、ゾンビの血ってまずいんだね。生存に必要なものは大体美味しく感じるんだけど……」

「説明の最中にマッドサイエンティスト発揮するのはやめてください」


 所かまわず考え出した弥月先輩を小突く。


「そうだったね。それで、ボクが危険視した理由がこれなんだけど、眷属化の能力には支配性がある可能性がある」

「支配性……ってなんですか?」


 僕もわからない。ただ字面からすると……


「文字通り、他人を支配しようとする性質のことだよ。マウスで試した時のことなんだけどね。最初にヴァンパイアウイルスを投与したマウスを中心とした階級社会が出来上がったんだ」

「階級社会ですか?」

「そう。しかも、まるでボスマウスの命令に逆らえないみたいに見えた。ボクの主観だけどね」

「それ、もし人間でもそうだったら……」


 嫌な予感がする。


「眷属は親の命令に逆らえなくなる。つまり、いのままに操ることができるようになるんだ」

「それってすごい大変じゃない!」


 相楽さんが言う。


「しかも、それだけじゃない。さっきも言った通りヴァンパイアウイルスには再生能力と超人的な運動能力がある。それを利用すればありとあらゆることが可能になるだろうね」

「……完全犯罪とかですか?」

「そんなしょぼいものじゃない。なんて言ったって誰も逆らえない上に銃で撃っても再生する。しかも、味方がどんどんヴァンパイアになっていくんだ。最強の軍隊が出来上がるだろうね。少なくともボクならそれくらい思い浮かぶ。それならきっと世界征服だって出来るだろうね」

「世界征服……?」


 驚いて僕の手を見る。まさか、僕にそんな力が宿っているなんて。僕に突然世界征服さえ可能な力を与えられて、いったい僕はどうしたらいい? そんな大きな志も持たないのに、何に使えばわからないのに、こんな力を持ってもいいものなのか?


「浅葱……、君?」


 相楽さんが問いかけてくる。そうだった、僕は相楽さんを何も知らないまま眷属にしてしまったんだ。そんな相楽さんが不安がるのも当然じゃないか。


「浅葱君は、しないよね。そんな世界征服とかなんて」

「し、しませんから。そんな立場をかさに着て理不尽な命令をするとかもないし世界征服の野望とかもありませんから!」

「そっか、よかった」


 相楽さんがほっと胸をなでおろす。そうだね、確かに危険だ。でも、そんな危険をもろともせずに突っ込みそうな人がここに約1名いるんだけどな。


「でも、弥月先輩は世界征服とか考えたことないんですか?」

「君はボクを何だと思ってるんだい? そんなことしたら研究の時間が無くなるじゃないか」

「あはは……」


 そうですね、弥月先輩はそういう人でしたね。


「まあこれは仮説だし検証のしようもなかったから本当にそうかは後で調べるとして、人をヴァンパイア化するのはできるだけ避けた方がいい。孫に命令が効くかどうかもわからないし、悪しきことを企む人もいるだろうからね。相楽さんは一人戻したい人がいるんだっけ? それくらいにしておいた方がいいと思う」

「分かりました、そうします」


 そうだよね、意識しなければ何の問題もない力だと思う。


「でも、時井先輩はどうしてそんな危険なものを浅葱君に投与したんですか? 浅葱君が世界征服なんて考えないような人だったから良かったものの」

「それはさ、さっきも言った通り本来なら使うつもりなんてなかったんだよ。譲君が死にかけない限りはね」

「死にかけた?」

「そう。確か相楽さんは逃げる途中で襲われたんだっけ。それとは別行動だと思うんだけど、4階に逃げたグループがあったんだ」

「4階、ですか?」

「そう、そのまま追い詰められてね。最後の策で窓の外から排水管を伝って逃げ出したんだ。譲君はその時殿を務めていてね。逃げようとして転落したんだ」

「転落!? 4階からですよね!?」

「そう。背中から落ちてね。完全に瀕死だった。たぶん救急車が呼べても死んでいたと思う。でも、その時ボクが持っていたのはヴァンパイアウイルスのアンプルだけだった。だから、ヴァンパイアウイルスを投与したんだ。その再生能力に賭けてね」

「だから、僕は生き残れたのか……」


 あの時、確かに僕は死ぬんだって思った。それを覆すには、ヴァンパイアウイルスなんて非常識が必要だったのかもしれない。


「そして、ボクは賭けに勝った。驚くほどの再生能力だったよ。出た血は元に戻らなかったけど傷は一瞬でふさがった。そうして意識を失った譲君をボクは保健室のベッドに運んだんだ。あの非常事態だったからね。みんな逃げだしていたよ。ボク達以外はゾンビに襲われるし」

「そんなことがあったんですね。私は全然知らなかったです」

「本当は、ボクの家に運びたかったんだ。設備も色々整ってるしね。だけどボクの小柄な体じゃゾンビの力を借りても保健室までが精いっぱいだった。家の人もゾンビの中を歩かせられないし」

「でも、点滴とかは何もされてなかったですよ?」

「それは、目覚める兆候が見えたからだよ。そろそろ起きるとは思ってたんだ」

「そうだ! 今は何月何日ですか! あれから何日たったんですか!? 聞くの忘れてた!」


 ずっとゾンビの話ばっかりしてたから忘れてた。学校が停電になってたのも気になるし。


「6日だよ」

「6日ですか!? その間にいったん何が?」

「それは……、うん、見た方が早いかな。ここから出たら説明するよ。今はボクの家に移動する準備をしようか?」

「時井先輩の家ですか? ここじゃなくて?」


 相楽さんが不思議がる。


「うん。ボクの家は自家発電機もあるし、ここより試薬も実験器具もそろってる。家の人も無事だからたぶんここよりはいいと思って。他にもいろいろ理由はあるけど必要なものだけもって引き払おうと思うんだ」

「でも、私茜音のゾンビを探したいんです」

「また探しにこればいいよ。僕らはゾンビに襲われないみたいだし、いろいろそろってる方がいいと思う。僕も協力するから、ね?」

「……わかりました」


 僕がそう言うと、相楽さんは渋々といった様子で引き下がった。早く見つけてあげないとな。


「それじゃあ、必要になりそうなものを取ってきてもらえるかな? 一時間後にここ集合で解散」


 勝手にそう言うと弥月先輩は部室の外に出ていった。やれやれ、それじゃあ僕も必要そうなものをかき集めるか。そう思って外に出たとたん、弥月先輩に腕を引っ張られる。


「ごめん、譲君。後で話さなきゃいけないことがあるんだ。どこかで2人きりになれる時間を作ってほしい」


 神妙そうな顔でそういう弥月先輩に、僕は胸のざわつきを感じた。

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