先輩との再会

「コーヒーできたよ」


 アルコールランプの炎を見ていた相楽さんに声をかける。とりあえず一息入れようということでいつものようにサイフォンでコーヒーを淹れた。うん、美味しい。

 それにしても電気が使えないとは思わなかったな。ここにはキャンプ用の携帯コンロとか自転車を改造した発電機とかいろいろあるから何とかなるとは思うけど不便だ。


 コーヒーは飲めた。チョコレートも食べられた。ヴァンパイアになったけどどうやら普通に飲み食いできるらしい。栄養を摂取する必要があるのかどうかはわからないけれど。


「これからの方針だけど、ここで様子を見つつ、探し人を探すってことでいいんだよね?」

「うん、そのつもり。この状態で一人で行動するのはちょっと怖いしね」

「その、さ。一応僕も年頃の男なわけで、それは大丈夫なの?」

「でも、浅葱君そんなことしないでしょ?」

「まあそうだけど」


 そんなことを話しながらコーヒーを啜る。信用されているのはありがたいけれど……、まあいいか。


「あれ、何か聞こえない? なんかゾンビとは違う足音みたいなの?」

「え?」


 耳を澄ませてみる。トテトテという軽くてテンポの速い音が近づいてくる。徐々に徐々に大きくなってきてそして、バーンという音がして扉が開け放たれた。


「ここにいたのか! よかった、目が覚めて!」


 僕の化学部の先輩、時井弥月がそこに立っていた。



 *****



 時井弥月先輩を一言で言うとしたら、『天才』以上に適切な二文字は存在しないだろう。身長150センチ(自称。ほぼ確実にサバ読んでる)という、ともすれば小学生に間違われるかもしれない小柄な体躯に、そうとは思えないような圧倒的な頭脳を誇る。特に化学と生物学の知識は大学教授が舌を巻くほど(本人談)らしい。

 ただし性格は天才の弊害と言うべきか、常識が結構欠けている。優しいし明るいしいいところも多数あるけれど、時折倫理観よりも自分の興味を優先する。それで大惨事を引き起こすこともあった。いわゆるマッドサイエンティストと呼ばれる人種なのだ。

 大人しくしていれば結構ちみっこくて可愛らしい感じなんだけど。十分美少女って呼べるくらいに顔立ち整ってるし声も高くて可愛らしい。ミディアムショートの髪をシニヨンにしててオシャレに気を使ってないわけじゃなさそうなところもいい。だけど暴走気味の性格といつも羽織っている白衣がそれを台無しにさせていた。

 あ、白衣って言っても看護師さんのじゃなく科学者のほうね。


 僕からしてみれば運動部で汗を流すよりも弥月先輩の若干無謀な実験に付き合う方が楽しいんだけどね。


 そんな弥月先輩はといえば相楽さんと自己紹介をした後、情報交換をしている。


「――つまり、ゾンビウイルスに感染するとあたかもゾンビのようになってしまうっていう認識で合ってますか?」

「そうだよ。もっと補足すると、ゾンビウイルスに感染しても自我を失うだけで、生命活動が停止しているわけじゃないんだ。つまり、ゾンビ化っていうのは死ぬってことじゃない」

「死んでないんですか!?」


 それは僕も初耳だ。


「そうそう。大脳の働きを止めるだけで、死ぬわけじゃない。心臓は普通に動いてるし血液も循環してる。もちろんお腹も空くし水や空気も必要になる。非感染者よりは必要量は少ないけどね」

「ちょっと待ってください。人間の脳に働きかけるウイルスなんてあるんですか?」

「あるよ。ゾンビウイルス以外でも、インフルエンザ脳症って聞いたことないかい?」

「自分の意思に反して飛び降りてしまったり、ティッシュを食べたりとか、聞いたことない?」

「あ、あります」


 弥月先輩の説明に僕が補足する。一応これでも化学部の部員だし、そこそこは詳しいよ。


「それをイメージしてくれるとわかりやすいかな。で、話を戻すけど、感染しても死ぬわけじゃない。だから抗体を投与すれば自我を取り戻すことができる」

「抗体があるんですか!? じゃ、じゃあ茜音あかねを……」

「相楽さん、落ち着くんだ。確かに抗体は存在するけど、今すぐ人に投与できるわけじゃない」

「え?」


 相楽さんの顔が一転絶望に染まる。僕はそれを見てオロオロしながら手を引っ込めることしかできなかった。


「確かに抗体は存在する。ボクは作ることもできる。だけど試薬――材料がないんだ。材料さえあれば作ることはできるけど、今はそれがないしお金がかかる」

「そんなあ」


 そうだよね。ゾンビウイルスなんてわけも分からないものの抗体が高校の実験室レベルでは揃わないよなあ。最低でも大学の研究室レベルで欲しい。それに、一人分作るのに数億円とかかるかもしれないし。


「それに、抗体を投与されても完全に人に戻れるわけじゃない。皮膚の色は戻るし自我も戻るけど、人間とは思えないくらいの再生能力を持つようになるんだ」

「再生能力? ですか?」


 僕が弥月先輩に問いかける。そういえば、ゾンビの再生能力について何も聞いてなかった。映画ではゾンビといえば再生能力が高いものとして扱われるもんね。


「言ってなかったっけ。ゾンビ化すると、脳幹を損傷しない限り死なないようになる。マウスで試しただけで人間ではまだなんだけど、心臓を貫いても数分後には再生していたんだ。ほら、こんな感じ」


 そう言うと弥月先輩はどこからか取り出したメスで……、


「ちょっ、ちょっとストップ!!」

「えい!」


 小指が飛んだ!? 血が噴き出してる! それ、ヤクザのけじめのつけ方だから!


「何やってるんですか!」

「何って、実際やって見せただけ。こんな感じで再生するの」


 そう言って翳した手がみるみるうちに再生していく。あっという間に元通り指が生えてしまった。


「いきなりびっくりしたじゃないですか!」

「あははごめんね。ボクも驚かす気はなかったんだ。でもこの方が速いかなって思ったからさ」

「その前にまず自分の体を労わってください!」

「……善処します」


 弥月先輩に説教する様子を相楽さんは呆気にとられた表情で見つめていた。


「というか、弥月先輩ってゾンビじゃないんじゃあ」

「ボクもゾンビだよ。抗体のおかげで自我はあるけどね。ただそれで試薬無くなっちゃったから次は作れないんだけど。ゾンビに関してはこんなところかな」

「あの……」


 おずおずといった感じで相楽さんが手を上げる。そうしてもう一方の手を差し出した。


「これ、どうしたら……」

「ああ」


 その上にはさっき飛ばした弥月先輩の小指が乗っていた。


「食べる? 結構いけるよ。ゾンビって言っても腐ってるわけじゃないし」

「食べません!」


 カニバリズムに目覚めるのは極限状態だけで十分だ。弥月先輩は本気で冗談みたいなことを言うからたちが悪い。


「これを食べたらゾンビ化が解けたらいいんだけどね。詳しい説明は面倒だから省くけど一人当たり一定量の抗体がいるんだ。ゾンビウイルスに関してはそんな感じかな」


 ヒラヒラ手を振りながら弥月先輩が言う。引っかかるところがないわけじゃないんだけどまあいいでしょう。


「それで、次はヴァンパイアウイルスなんだけどね……」

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