自我があるだけまし
「って、あれ浅葱君!?」
「あっ、ごめん!」
慌てて掴んでいた手を肩から話す。
「うん、大丈夫だよ。それより、何があったの? 確か、私ゾンビに襲われて死んだと思ってたんだけど……。浅葱君何が起こったかわかる?」
「僕も詳しくはわからないんだけど、なんとなくでよかったら」
「お願い、教えて」
近くをゾンビが歩き去っていく。僕たちには目もくれなかった。相楽さんがおびえたようにゾンビから逃げようとしたけど、反応しないのを見て困惑している。
僕はと言えばさっき感じたような強い吸血衝動は感じない。相楽さんの血を吸ったことで収まったみたいだ。そんなことを考えていた。
「5時間目の国語の時間だったよね。それで突然非常ベルが鳴った」
「うん、私高橋先生に当てられたから覚えてる。その後誰かがゾンビだって言って、逃げ出してみたら本当にゾンビがいたの」
そこで相楽さんは一旦言い淀んだ。一度死んだ記憶なんだ。あまり思い出したいものではないのかもしれない。
「それで、友達ともはぐれちゃって、必死に逃げようとしたんだけど人が多すぎて逃げられなくてゾンビに噛まれて。それからしばらくは意識があったんだけどちょっとずつ薄れてきて、気がついたらここにいたの。目の前に浅葱君がいてびっくりしちゃった」
不安そうな目つきで辺りを見渡す。そして意を決して言った。
「ねえ、浅葱君。ひょっとして私、ゾンビだったの?」
その質問にどうやって答えたものだろう。自分がさっきまで死んでいただなんて、そんなことは教えづらい。弥月先輩から聞いた話だけど、人間というのは自分が死んだと思い込むとショック死してしまうことがあるらしいし。それに、相楽さんにトラウマを植え付けてしまうんじゃないかとも心配になる。
だけど、だからと言って嘘を言うのもおかしいんじゃないか。相楽さんは本当のことを知りたがっている。たとえ真実を知って傷つくとしてもそれが本人の望みならいいのではないか。
それから懸念がもう一つ。もしゾンビだったことを否定するとしたら、相楽さんも恐らくヴァンパイアになったことをどうやって伝えればいい? 伝えないという選択肢はない。
……だって伝えなかったら相楽さんが吸血衝動に負けてヴァンパイアがばれ、そこから芋づる式に僕まで討伐されるかもしれないし。
けれど、だ。ゾンビになったことを否定しつつどうやってヴァンパイアになったことを伝える? そのまま伝えれば僕は変質者のそしりを免れ得ない。
そんなことを考えていたのだけれど、
「そう。やっぱり、私ゾンビだったんだね」
「え、あ、いや」
「わかるよ。その態度見てたら」
儚げに相楽さんが笑う。結構ショッキングなことのはずなのに相楽さんは冷静で淡々としていた。
やっぱり、相楽さんっていつもしっかりしてるよなあ。僕なんて、結局どっちつかずで返答できなかったのに。だからバレたんだけど。
「その、ごめん」
「いいよ。私を傷つけまいとしてくれたんでしょ? そんなに私狭量じゃないから」
強いな。そう思う。こんなわけのわからないことになってしまった世界なのに、悲観することなく現実を真っすぐ見つめている。僕なんてヴァンパイアになったせいで人と関われないから絶望しかけたのに。
だめだね、こんなことじゃ。ちゃんと前を向いて生きなきゃ。そう思わさせられた。
「それで、教えて欲しいの。どうしてゾンビだった私が人間に戻ってるのか。あんな感じで自我がなかったんでしょ? それに、どうしてゾンビに襲われないのかも聞きたい」
「そうだね」
だから、ちゃんと相楽さんの疑問に答えないと。
「これは僕の推測だけど、それは僕がヴァンパイアだからなんだ」
「ヴァン……、パイア?」
「そうだ」
呆気にとられる相楽さんを見ながら僕は続ける。
「そう、ヴァンパイア。吸血鬼とも呼ばれる。ほら、伝承でよくあるでしょ? 血を吸われた人もヴァンパイアになるってやつ」
「てことは、吸ったの!? 私の血を!?」
「うん、そのごめん。不快だったよね」
「あ、いや、そうじゃないの」
頭を下げる僕に慌てたように相楽さんがとりなす。
「それはその、驚いただけで別に嫌だとかは思ってないから。そりゃ、あんまり気持ちのいいものじゃないけどその、浅葱君には感謝してるの。ほら、私をゾンビから戻してくれたんでしょ?」
「まあ、そうだね」
実際は吸血衝動が抑えられなかっただけですとは言えなかった。
「その、ありがとうね」
「い、いえ。どういたしまして」
美少女の笑顔についドギマギしてしまう。弥月先輩とは違う、正統派の笑顔には耐性がなかったみたいだ。
「でも、ヴァンパイアになるとゾンビじゃなくなるの?」
「たぶん、そうだと思う。ヴァンパイアの方がゾンビより強いんじゃないかな」
「でも、ゾンビって死体だよね? 何で生き返るの?」
「それは、そういうものだとしか言えないと思う。それにゲームだとヴァンパイアもアンデッドに分類されることあるし」
「つまり私たちは動く死体ってこと?」
「だと思う」
一瞬渋そうな顔を見せる。
「まあでも、自我があるだけましだって考えた方がいいよね」
「それは確かに」
「それに、ゾンビになってもその後ヴァンパイアになれば自我は取り戻せるんでしょ?」
「たぶん、そうだと思う」
「ならそれで十分だと思わなくちゃね」
そう言って笑う。その目は僕じゃない誰かを見ているような気がした。
「誰か、戻したい人がいるの?」
「うん。私の親友。一緒に逃げてたんだけど襲われちゃって」
「そっか」
そりゃ、いるよね。僕からしてみれば学校で付き合いがあったのは弥月先輩くらいだけど、弥月先輩がゾンビ化してたら何としてでも戻したいって思うし。それに、僕らにはその手段があるんだから。
「それで、これからどうする? 私は探したい人がいるんだけど?」
「それじゃあ取り合えず化学部の部室にでも来るかい? あそこ非常食とかいろいろ置いてあるから。まあ、食べられるかどうかわからないけど」
「それじゃあ、お邪魔してもいいかな。私たちヴァンパイアになっちゃったから外出ていけないしね」
それに、弥月先輩のことだ。ひょっとしたら何かよくわからないけど使えそうなアイテムが落ちているかもしれない。そんな淡い期待を抱いて僕らは化学準備室(科学部の部室になっている)へと向かった。
……今更ながら美少女の隣は緊張します。
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