第37話


「……はぁ」


 俺は小さくため息をついた。


 目の前の窓にはキレイな夕焼けが広がり、俺の目の前にあるキャンバスにはその夕焼けをそのまま写したような『夕焼けの絵』が描かれている。


 その出来上がった絵を置き、後片付けをしていると――。


「……蒼。なんで来なかったんだ?」


 泰成がそう言いながら現れた。


 どうやら鈴宮を見送った後、すぐにここに飛んで来たらしく、息を切らしている。かなり急いで来たのだろう。


 ただ、この間の件もあってか、分かりやすく『怒っている』という感じではなく、出来る限り落ち着いて会話をしようとしている姿が目に映った。


「ああ。お別れは……昨日の内に済ませたから」

「そっ、そうだったのか」


「他の人がいると、ゆっくり話せない事もあるだろうと思っていたからさ」

「それは……悪い」


「ううん、いいんだよ。それに、鈴宮本人から『今日の見送りには来ないで欲しい』って、言われていたから」

「そうだったのか?」


 そう。実は昨日、俺は鈴宮の元を訪れていた。


 俺が行った時には、明日の……都会の……もっと大きい病院に行くための準備はほとんど終わっていて、キャリーケースなど荷物が一通りまとめられていた。


『ごめん、急に来て……』

『いえ、いいんです。何となく……来るんじゃないかな……って、思っていましたから』


 そう言いながら、笑う鈴宮の表情は……どこか寂しそうだ。


『最近。絵を描き始めたそうですね』

『……姉さんから聞いたんだね。でも……ごめん、明日には到底間に合いそうにない』


『いいんです。描ける様になったのなら……もしかしたら、どこかで見る機会があるかも知れませんし』

『ある……のかな?』


『ありますよ! 多分……』


 自信なさ気に言う鈴宮のその表情がかわいくて、面白くて……俺は思わず笑ってしまった。


 笑っている内に俺はようやく『自分の気持ち』に気がついた様な気がした。


 そして今、感じた穏やかな感情は……以前に答えた『友人』に対するモノとは明らかに『違う』という事に気がついた。


『卯野原さん?』

『えっ? ああ、なんでもない』


 でも、俺は『それ』を口に出す事はしなかった。


 だって、その時に口に出していたところで、何かが変わるとは思えなかったし、別れを辛くさせるだけだ。


 何も最後の別れが『涙』でないといけない決まりはどこにもない。だから、俺は笑顔で別れるために、自分の気持ちに『フタ』をした。


「……悪い。そんな事も知らずに」

「いやいや、泰成は何も悪くない。そもそも言わなかった俺が悪い。言わなかったがために、わざわざここに来させてしまったし」


「いや、それはいいんだが……」

「それに『笑顔』で別れられた、だから俺はそれでいい」


「まぁ、蒼がそれでいいのなら……ん?」

「何?」


 泰成はようやく俺の目の前に『あったモノ』に気がついて分かった様だ。そして、その絵を見た後。俺の方を見てきた。


「それで……分かったのか?」

「……うん」


 この絵を描いていく内に、自分で認めたくないが為に自分自身にウソをついていた事にようやく気がついた。


「はぁ、全く。蒼の場合は『鈍感』というより、必要とあれば自分にすらウソをつく。俺の事を色々と言う割に、蒼も自分の事より人を優先するよな」

「……悪い?」


「いや? 悪いとは言っていない。ただ、場合によっては優先した事によって物事が良くない方に行く事もあるって話だ……俺の様に」

「最終的に自虐に持っていかないでくれるかな」


 どうやら、今回の一件は泰成にも色々と影響を与えたようだ。それが良いか悪いかはさておき……。


「……で、どんな話をしたんだ?」

「別に? 普通に話を……って、あっ!」


「どっ、どうした。突然」

「連絡先……聞き忘れた」


「おいっ!」


 泰成にありきたりなツッコミを入れられたところで、仮屋先生が入ってきた。


「どっ、どうしたの? なんか大きな声が聞こえてきたけど」

「いや、実は……」


 不思議そうに首をかしげる先生に、泰成はご丁寧に説明をした。


「ふーん……。最後の詰めが甘いわね」

「返す言葉もありません。自分で聞くと言っておきながら……」


「はぁ、どうするんだ? 仮屋先生に教えてもらうか?」

「…………」


 泰成の言っている事が一番正しい。


 何も俺から鈴宮に聞かなければいけない。そんな決まりなんてどこにもないのだ。ただ、俺が納得出来ないだけで……。


「あっ、そうだ! じゃあさ、コレ。出してみない?」


 悩んでいる俺に対し、先生は一枚のチラシを俺たちに見せた。


「え、でもコレ……」

「別に自由参加だから大丈夫よ。それに……上手くいったら名織ちゃんの目に入るかも知れないでしょ?」

「いっ、いや。わざわざこんな事をしなくても先生が……」


 そう泰成が割って入ろうとしたところで、先生は泰成を止めた。そして、すぐに俺に背を向けて何やらコソコソと話を始めた。


「…………」


 一体どうしたのだろうか――。


「あっ、悪い。何でもない。それにしても、コンクールか」

「……」


「ええ。もし、これに入選とかしたら絵を描く自信にも繋がると思ってね。それに、たとえ入選しなくても美術科の子たちと比べてへこむ事もないでしょうし」

「……そうですね」


 確かに、これで俺が美術科の人間だったら、へこんでいたかも知れない。


 でも、普通科なら……とそう思えば多少ながら俺の気持ちも軽くなる。それに、先生の言うとおり、自信にも繋がるだろう。


 それに、もしかしたら……どこかで鈴宮が見てくれるかも知れない。知ってくれるかもしてない。


 なんて、そんな甘い気持ちも……実はちょっと持ちつつ、俺は早速出来上がった『夕焼けの絵』をそのチラシに書かれていたコンクールに出してみる事にしたのだった。

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