第35話
その日も俺は、いつものように『青空』の絵を見ていた。
「……」
それにしても、最初にこの絵の存在に気がついてから、この絵以外のモノは変わっているのに、この絵は場所も何も変わっていない。
「名織ちゃん。別の病院に行っちゃうんだって?」
「っ! 仮屋先生」
すぐ隣に立っていたにも関わらず、声をかけられるまで全然気がつかなかった。下手をすると、足音すらしなかったのではないだろうか。
「こっ、こんにちは」
「うふふ、こんにちは」
「ところであの、誰からその話を……」
「うん?」
「鈴宮の話ですよ」
「ああ! 名織ちゃんの話ね。うーん、別に誰か……と言わなくとも、今のご時世ボーッと生きているだけでも情報なんてどこからでも入ってくるのよ」
なんて仮屋先生は口ではそう言っているが、なぜか口元をニヤニヤしている。それはつまり……。
「……姉さんですか」
「…………」
――俺がそう言うと、すぐに無言になった。ここでの『無言』という事はつまり……そういう事なのだろう。
「なんだかんだ言って、仲が良いんですね。姉さんと」
「ただの同級生ってだけよ?」
そう言いつつも、仮屋先生は笑った。
「…………」
本当になんだかんだ言いながら……いや、もしかしたら『友人』とは少し違った関係なのかも知れない。
ただ少しふて腐れている様に見えるのは、俺が特に悩まずに言い当てたことに対してなのだろうか……。
「あの、鈴宮とはここで?」
「ええ、よく絵を描いていたわ。たまに先生っぽくちょっとアドバイスもしてね」
そう言いながら仮屋先生はウインクをして笑った。
「なぜ……そこまで気にかけていたのですか?」
俺は、仮屋先生の事をよく知っているワケではない。それこそ、姉さんの方がよく知っているのではないだろうか。
でも、何となく仮屋先生は面倒な事は極力避ける……いや、自分が興味を持った事以外にはやりたくない……そんな人だと思った。
だから、鈴宮の事を気にかけていた……という事は、仮屋先生が鈴宮に興味を持ったという事なのだろう。
ただ、どうしてそこまで興味を持ったのか……それが、ちょっと気になった。なぜなら、鈴宮は美術科の生徒でもない普通科の生徒だったはずなのだから。
しかも、元々美術科を目指していた……という話もこの時はまだ知らなかったはずだ。
「そう……ね。まぁ、名織ちゃんとどことなく境遇……というか、雰囲気がなんとなくが似ていたから……かしら」
そう言いながら仮屋先生は、下に視線を向け、どこか寂しげな目をした。
「……ちなみに、誰が……ですか」
「私以外に誰がいるのよ」
「そう……ですよね。それより……境遇ですか」
「ええ」
仮屋先生が言うには、どうやら仮先生自身のご実家もそこそこのお金持ちらしい。
「自分で言うのもあれなんだけどね。だからまぁ、名織ちゃんの話もちょっと分かるというか……ね」
「先生も苦労されていたんですね」
普段がどことなく『自由人』という感じがしているだけに、そんな過去があるとは……正直意外だ。
「私の場合は、親よりも周りの人たちがうるさかったのよね。この学校に入ったのら、大学には行かないといけないわよ! とかね。私の事は自分で決める! って大声で言ってやりたかったけど、そんな私の声もかき消されるほどとにかくうるさくて……」
「そうだったんですね」
自分の人生は自分のモノ。他の人がとやかく言う事ではない……。頭では分かっていても、人はどうしても自分以外の人に対して、何か言いたくなってしまうらしい。
「まぁ、それでも大学は美術系に行かせてもらえたし、そのおかげかどうかは分からないけど、今は大学に行った事で得た知識がちょこーっと役に立っている事もあるかなぁって思っているけどね」
「…………」
ただ、どうやらその話は
「それで?」
「え」
「蒼くんはどうしてここに来たのかしら?」
「……どうして……でしょう。自分でもよく分かりません」
俺はただ、もう一度この絵を見たかった……だけなんだろうか。
いや、それとも毎日の習慣になっているからだけなのだろうか……ここに来た理由をいくら考えても、そのどれもがなぜか腑に落ちない。
「ふーん。じゃあ『分からない』って事は、まだ蒼くんの中で『分からない事』があるんじゃないかしら。簡単に言うと『迷い』」ね
また『それ』なのか……そんなに俺は迷っているのか、それとも迷っている様に見えるのか。
「迷い……ですか」
「ええ、自分の中で出した『答え』に対して、それに納得していないから……答えが出ているにもかかわらず、自分の行動に説明が出来ないんじゃない?」
前にこの『迷い』と言われた時、俺が……自分の中で出した『答え』は――。
「…………」
多分、あの『友人』と言った話のことだろうとすぐ気がついた。でも、その答えに俺自身は納得したはずだ。
それなのに……それに対して、俺自身は納得出来ない……そういう『俺がいる』という事なのだろうか。
「……どうやらまだ『答え』は出ないみたいね」
そう言うと、仮屋先生は「せいぜい悩みなさい。少年」とだけ言ってそのまま教室を出て行ってしまった。
未だに『答え』が分からない俺を残して――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……電気をつけないと目を悪くするよ」
そう優しく声をかけてくれたのは、元弥さんだった。
「どうかしたかな?」
「ちょっと……」
「ふむ、それは学校生活に関する事かな?」
「……いえ」
俺が否定すると、元弥さんは「そっか」と言って俺の背中を軽くポンポンと叩いた。
「……深くは聞かないんですね」
「まぁ、気にならないと言えばウソになるね。でも、それは本人が話してくれるまで僕は待つつもりだよ。そういう話は本人から言ってももらわないと」
「それでも……言わなかったら」
「言わなかったら『言わなかった』だよ。それだけの話。別に僕に相談するほどの事じゃなかったんだなって、自分で解決出来たんだなって思うだけ。言ってくれないと、僕は分からない」
その言葉に俺は無言になった。どうやらこの人に『察してくれ』という事は求めるのは無駄な様だ。
「……香憐はその点キチンと自分の言葉にする人だからね。だから、僕としても正直楽だった」
「楽……」
「高校で初めて香憐と出会ったんだけど、その時から目的がハッキリしている人だった。何となく……とか、何気なく……とか、そんな曖昧な事を嫌う人の様に思えた。でも、それを人に強制する……なんて事はしない」
「人に頼むくらいなら、自分で動いてしまうから……姉さんは」
俺がそう言うと、元弥さんは「そう」と言って笑った。
「でも、蒼くんは……違うんだよね」
「……すみません」
「ああ、違う違う。別に謝って欲しいとか、反省して欲しいとかじゃない。蒼くんと香憐は
「…………」
「だから、香憐はあまり迷わない人だけど、蒼くんは迷って考えて答えを出す人。僕はそれでもいいと思う」
「……でも」
そんな悠長な事は言っていられない様な気がする。
「でもさ、急げと言われる事はあっても、焦ってと言う人はあまりいないと思うよ? 焦って答えを出して納得したつもりでいても、ふとした瞬間に『これでいいのかな』とか思い始めたら、ずっとその答えに疑問を持つことになる」
――確かにそうだろう。焦って出した『答え』が、後になって冷静に考えてみたら……なんて事はよくある話だ。
「…………」
でも、俺はあの時……確かに『納得』したはずだ。だから、俺は焦ってなんて……。
「もしさ……。どうしても答えが出ないのなら、もう一度絵でも描いてみたらどうかな」
「え?」
自分自身にずっと問いかけ続けていた中、ふいに聞こえてきた提案に、俺は思わず元弥さんの方を見て、そのまま目を丸くして固まってしまったのだった。
それくらい、元弥さんの『提案』は突拍子もない事だったのだ。いや、本当に突然だった……と、今でも思ってしまうほどである。
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