第32話


 鈴宮が目を覚ましたのは、俺と姉さんが話をした次の日の事だった。その事を俺は学校に着いてから知った。


 だけど、その話を聞いてすぐに病院に駆け込む……なんて事はしなかった。


 さすがに、俺もそこまで常識がないワケではない。それに、俺が行ったところで何か出来るワケじゃない。


 結局のところ、俺が出来る事なんて……ないのだ。


「……どうなるんだろ」

「さぁな。ところで鈴宮が目を覚ましたんなら、まずは話を聞くところから始まるだろうな」


「まさか、このままなかった事に……なんて、うやむやにはならないよね?」


 俺が今、心配しているのはそこだった。今回の一件が表に出ることは多分、ないだろうと思う。


 でも、だからこそうやむやになる可能性もある……そう思えてならなかったのだ。


「……それはないと思うな。もし、そうなったらそれこそ大変な事になる」

「まぁ、そうだよね。下手にうやむやにしちゃったら、なおさら変な憶測も飛んじゃう可能性もあるだろうし」


 うやむや……つまり、誤魔化されるのは『何か理由があるから』と思う人が出てくるかも知れない……というか、出てくるだろう。


 それは、避けたいはずだ。


「とりあえず……俺としては、好奇心とか変な正義感によって鈴宮やその周辺の人におかしな話がいかないといいとは思っている。多少の面識があるならともかく、全く面識のない人にとやかく言われたくないだろ」

「……そうだよね。今のご時世『プライバシー』なんて、ただの便利な単語みたいになっているから」


「……そうだな」

「まぁ、鈴宮に聞かなくても一緒に行動してくれていた子たちからの話で大体は分かると思う。みんな自分が疑われるのは嫌がるだろうし」


 俺が少しニヤッと笑いながらそう言うと、泰成は「どういう事だ?」と首をひねった。


 実は……という程でもないが、あの教室にいた彼女たちは全員「鈴宮は、誰かと一緒に戻った」と思っていた。


 それはつまり、鈴宮は途中までみんなと一緒だった……という事を意味している……と、俺は思ったのだ。


「彼女たちの一人から聞いたんだけど、どうやら鈴宮は何か用事があって離れた二人を待つ事にしたらしい。でも、ここで鈴宮が『ある事』に気がついた」


 ――それが『ぜんそく薬がない』という事だったのだ。


「鈴宮は友達が戻ってくるのを待ってから、一緒に行く……って言う事も出来たと思うけど、その待っている時間を有効活用しようと思ったんだろうね」


 だから、鈴宮は一人で更衣室に戻った。


「それに、鈴宮は学校に戻ってからそんなに頻繁にぜんそくが起きていたワケじゃない。多少の咳は出ていたけど、これくらいなら大丈夫だと思った」


 そして、彼女が更衣室に入って見たのは、自分の薬が入っている巾着袋を勝手に捨てようとしている女子生徒の姿だった。


「じゃあ……」

「多分、止めに入った時に出来たモノだろうね」


 鈴宮の腕にはどこかにぶつけたような青あざが出来ていた。多分、その薬を捨てようとした人と一悶着あった時に出来たモノだろう。


 しかも、間が悪い事に鈴宮はここ最近起きていなかったぜんそくが起きてしまい、動けなくなったところに俺が入ってきた……という感じだったのだろう。


「……ぜんそくが起きたのは、偶然か?」

「どうだろう。そもそも鈴宮は激しい運動を止められていたから……もしかしたら、ぜんそく予防の為だったのかも知れない。学校にいる間もたまに咳が出ていたし、完全には治っていなかったのかも」


 ただ、ここまでの話はあくまで俺たちの推測でしかない。


 でも、鈴宮本人が目を覚まし、クラスの女子たちの証言がある。それに、一人の命に関わった話だ。さすがに穏便にこのまま……とはいかないと思う。


「あのさ……蒼」

「ん?」


「昨日の話……なんだけどな。あの話に出て来た『少年』って」

「ああ、多分……俺。なんだろうね」


「多分? いや、それよりなんで鈴宮にそれを……」

「言えるわけないじゃん」


「え……」


 俺の答えが予想外だったのか、泰成は固まった。


「鈴宮の話を聞いて何となく、俺の事を言っているんだろうなとは思っていたよ。あまりにも似通っていたから」

「じゃあ」


「でもさ、鈴宮の中での『俺』があまりにも自分とかけ離れていてさ……」

「…………」


 俺は鈴宮の話を最後まで聞いても、自分がその少年だと思えなかった。それくらい、別人に思えてしまったのだ。


「鈴宮の事は……覚えていたよ。だって、あの思い出したくない入院生活で唯一言っていいほどの『思い出』だからね」


 その時、俺に見えていた景色が全て白黒のように色がなかったのに、彼女の周りだけ色があるように見えていたくらいだった。


「じゃあ、なんで言わないんだよ」

「……そんなに『会いたい』って思った人間が、結局は何か起きても逃げる事しか出来ない人間だって知られたくなかったからだよ。そんなダメ人間だって知られるくらいなら、いっその事。クラスメイトAとかBとか……そんなのでいい」


「……そうやってまた『逃げる』のか。自分の気持ちをないがしろにして」

「…………」


 泰成が怒っている……それは、握りしめている拳でよく分かった。


「えっ? なになに?」

「ケンカか?」


 ただ、感情の高ぶりと共にどんどん大きくなっていく泰成の声に、周りが気が付いたらしく、俺たちをチラチラと見ながらザワザワとし始めた。


「……場所を変えよう」


 それに対し、俺は今にもつかみかかってきそうなくらい興奮している泰成の肩を思いっきり掴んだ。


「っ!」

「……なに」


 泰成は俺に何か言いたそうだったけど、俺の力が意外に強かった事と冷静な声に驚きの表情を見せた。


 でも、実際はそうじゃない。


 泰成が俺に肩を掴まれて痛そうにしていたのは、俺の力が強かったのではなく、泰成が肩にケガをしていたからだ。


 しかし、泰成はその事に気がついていない。


 話が終わったら、その事も教えてあげよう。そんな事に気が付いていないという事は、泰成も自分の事は後回しにしているはずだ。


 いつもは俺以上に冷静なのに、珍しく感情的になっている。


 それは多分、いきなり色々な事があって泰成自身もいっぱいいっぱいなのだろう……と、俺は思った。


「……場所を移したらちゃんと話す。ここは目立つ。だから場所を変える、分かった?」

「……ああ、分かった」


 俺の問いかけに、泰成は頷いた。どうやら少し落ち着いた様だ。そうして、俺たちは教室を出たのだった――――。

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