第31話


 ――夕方。俺は昨日と同じように鈴宮の元を訪れたけど、まだ目は覚ましていない様だ。


 まぁ、すぐに目を覚ますとは思ってはいない。ただ、まだ二日……でも、二日経っても目を覚ます気配がないと「このまま目を覚まさないんじゃ……」なんて事を想像してしまう。


 そんな俺に対し、姉さんは「余程の事がなければ目を覚まさないって事はないから」と言ってくれた。


 もしかしたら、昨日に今日……と日をかけずに来る俺を姉さんなりに気遣って言ってくれた言葉なのかも知れない。


 俺としては、その言葉の中に『絶対』とか『必ず』とか言わない辺り、本当に姉さんらしいと思ってしまったほどだ。


 姉さんは『医師』という立場だからこそ、その言葉がどれほど大変なのか分かっている。


 だからなのか、姉さんは『必然』という事はあっても『絶対』なんて事を言う事は……ない。


 でも、その言葉だけでちょっとだけ落ち着く事が出来た気がする。


 そういえば、俺が事故に遭った時も目が覚めるのに数日はかかったらしい。それの事を考えると……大丈夫だろうと思える。


「…………」


 ただ、それで不安が全てなくなるか……と聞かれれば、それはウソになる。


 それは昨日、元弥さんが言っていた通り。俺たちの言う『いつも通りの日々』なんて、実は何も約束されたモノではない。


 何気ない……それも『普通』と呼ばれる『日常』は、実はいつ壊れるか分からない脆く不確か……そんな不安定な中で成り立っているのだ。


 今回に関してもそうだ。


 俺は『なんとなく』ではありながらも、大体の事は把握していたみたいだ。それでも、俺は泰成にしかその話をせず、鈴宮本人には何も言わなかった。


 でも、言わなかった理由なんて『鈴宮を不安にさせたくなかったから』とか『そもそも信じてもらえるか分からなかったから』なんて、俺に都合の良いモノばかりだ。


 だから、こうなってしまったのも、言ってしまえば『必然』だったのだろうと思えてしまう。


 それに、言わなかった理由なんて……後からいくらでも付けられる。だから、これは全て――。


「逃げ……ね」

「……姉さん」


 昨日と同じようにロビーにいると、今日は姉さんが現れた。


「今日も来るだろうと思っていたわ。全く」

「…………」


 さっさと家に帰ればいいのだけれど、昨日といい今日といい……なんとなく、帰る気にならなかった。


「元弥から聞いたわ。昨日、色々と話をしてみたけれど、かなり自分を責めている様だった……ってね」

「……だから、何」


 俺がイラつきを隠せずそう言うと、姉さんはため息をつきながらワザとらしくに肩を落とした。


「別に? 私としては『またか』って思っただけよ」

「……また?」


 姉さんはそう言って「はぁ」とため息をつきながら、呆れた表情を見せている。でも、俺にそこまで言われる程の覚えはない。それこそ『また』と言われる程では……。


「だって、蒼って肝心な事は何も言わないもの」

「そんな事は……」


「蒼っていつもそうじゃない。まぁ、みんなそういうところあるのだけどね。誰かが気が付いてくれるだろうから、言わなくてもいいやって」

「……」


「ただ、蒼の場合は……色々と考えた上で『あえて』言わないって事が多いのよね」

「……悪い?」


 俺がそう言うと、姉さんは「いいえ?」と笑いながら手を左右に振った。


「だって蒼がそうする時は、大抵『蒼にしか分からない場合』がほとんどだもの。口で説明するのがめんど……難しいから、口に出さない。今回も『そういう類』だったんでしょ?」

「…………」


「まぁ、元弥にしても、泰成君にしても、あなたの周りの人はみんな優しいから特に責めはしないわよ。今回の話はあくまで『感覚』の話だったから、根拠のある説明を求められても出来なかっただろうし」

「…………」


「ただね。あなたは、そんな優しい人たちにただ甘えているだけなのよ」

「甘え……」


 ――そうかも知れない。今回の話はともかくとして……。


「でも、自分には甘いわね」

「え」


「あなたは自分の気持ちに何十にもフタをして、自分で自分を押さえ込み過ぎる。自分の弱いところも含めて押さえ込む」

「……」


「だから、肝心な時に自分の気持ちに気がつけなくなって混乱するのよ」

「それって、俺は……自分が傷つくのを恐れていただけって事?」


 改まって言葉にすると……思わずハッとしてしまう。


「あなたは過去に傷ついた。それも一度にたくさん……でもね、それを『逃げ』に使ってはいけないと思うのよ」


 そう言って姉さんは俺を見た。俺が色々な事からずっと逃げた結果が『今の俺自身の姿』だと言いたいのだろう。


「…………」


 何も言えずに黙っている俺に、姉さんは「はぁ」と深いため息をついた。


「コレは……名織ちゃんにも目が覚めた後に言うけど」


 そう前置きをして……。


「実はご両親に意向と検査結果を鑑みて名織ちゃんはもっと大きな病院に移る事になりそうなの」


 一息に姉さんはそう言った。多分、俺に口を挟ませないようにするためだろう。


「もちろん、名織ちゃん本人の意志も聞くとは思うけど、現状ほぼ確定だから一応。蒼にも伝えておくわ」

「え。なっ……なんで、そんな大事な話を俺に?」


 こんな大事な話を家族でもない、医者や看護師でもない普通の学生で『ただの友人』である俺にする必要があるとは思えない。


「あれ? だって蒼。名織ちゃんと仲が良いじゃない。それだけよ」


 姉さんはそれだけ言うと、まるで「言いたい事は全部言った」と言わんばかりに俺を置いてそのまま真っ直ぐ廊下を歩いて行ってしまった。


「……えぇ」


 一人残された俺は、唖然と姉さんの後ろ姿を見送ったすぐ後、さっきまでの会話はまるで「時間稼ぎだった」と言わんばかりに、現れた元弥さんによって、そのまま家に帰ったのだった。

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