第28話


 着替えが終わり、俺は教室に戻って辺りをキョロキョロと何度も見渡した。


「……」

「どうした? 蒼」


「いや……」

「??」


「鈴宮の姿がないな……と思って」

「ん? 確かに……そうだな」


 しかし、鈴宮の姿がどこにもない。


 そりゃあ、女子の方が準備や着替え等々、俺たち男子よりも時間がかかるのはよく分かっている。


「珍しいね」

「ああ」


 そう、男女の差を考えても、いつもの鈴宮なら、遅くなるどころかむしろ俺たちよりも早く教室に戻っている事だってある。


 たまに遅くなる事だってあるとは思うけど……それでも、授業が始まってしまうのを心配するほど遅くなった事はない。


「ん?」

「どうした?」


 どうしたのだろう……と扉の方を見ていると、ふと女子が何人か集まって話をしている姿が目に入った。


 ――あの子たちは……確か、いつも鈴宮と一緒に行動している子たちだったと思う。


「いや、なんでも……」


 女子が数人集まって何か話をしている……それは、いつも通りだ。そう、いつもであれば、特に気にする事のない光景のはずだった。


「ねぇ、名織ちゃん見なかった?」


 でも、一人の女子が慌てて教室に入ってきた表情を見て、俺はすぐに「何かあった」と察した。


「ううん。えっ、一緒に戻ったんじゃないの?」

「え、ゆみちゃんと一緒に戻ったんだと思っていたんだけど……」


「ええ! 違うよ! ゆきちゃんとじゃないの?」

「うそっ、先に戻っていたと思っていたんだけど……」


 俺たちは決して、近くにいたワケではない。それこそ『聞き耳』なんて立ててもいない。


「……」

「……」


 だけど、そんな俺たちに聞こえてしまうほど、彼女たちの声は大きかった。


 いや、彼女たちももしかしたら『鈴宮がいない』という事実に慌てすぎて自分たちの声の大きさなんて気にしていられなかったのかも知れない。


「なんか……イヤな予感がする」


 俺はそんな彼女たちの様子を無言で見ていた。


 だけど、会話の内容が『鈴宮が体育の授業が終わってから行方不明』という事に、いてもたってもいられなくなった。


「蒼?」


 だから、俺は――。


「……ねぇ」


 お互い「どうしよう」と言い合いながら混乱している彼女たちに近づき、驚かせないように落ち着いた声で「今の話……詳しく聞かせてくれるかな?」と、声をかけた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「はぁはぁ……」


 俺は、体育館の横にある更衣室に続く道を急いで戻っていた。実は、この時点で授業が始まっていたけど、そんな事を気にしている余裕はない。


「確か……」


 いつもであれば、俺たちの後の授業で二年生が使う予定だけど、今日に限って授業変更で二年生の体育は明日に変更になっていたはずだ。


 それは、昨日職員室で見た授業変更が書かれているホワイトボードを見て知っている。だから、今の時間。ここに人は誰もいないはずである。


「……ん?」


 何やら女子の更衣室付近でふと『何か音』がしたように思い、俺はその音が聞こえた更衣室の扉の前に立った。


 もしかして……。


 その時、俺の脳裏には女子たちから聞いた『まだ鈴宮が更衣室にいるのではないか』という話を思い出していた。


「鈴宮!? ここにいる? 鈴宮!」


 そう大きな声を出しながら扉を何度か叩いた。


「…………」


 しかし、何も応答するような声や音は聞こえない。


 ただ、何も聞こえないからと言ってこのまま立ち去るつもりはない。もしかしたら、声を出す事も動く事も出来ない可能性があるからだ。


「……っ」


 でも、俺はこのまま扉を開けて良いのかためらった。


 もしも、このまま扉を開けて鈴宮が着替え中だった場合の事を考えると……このまま扉を開ければ、完全に俺は『悪者』や『変質者』になってしまうだろう。


「鈴宮! 聞こえているなら開けて!」


 だからもう一度、俺はさっきよりも大きな声で中にいる鈴宮に声をかけた。


「……」


 しかし、何も返答がない……と思った瞬間。


「ゴホッ!」

「っ!」


 突然聞こえてきた咳に気がつき、俺は扉をそっと開けた……。


「っ! 鈴宮っ!」


 扉を開けると、そこには床に倒れて息苦しそうに咳き込みながらうずくまっている鈴宮の姿が……見えた。


「鈴宮っ!」

「う……」


 俺はすぐに鈴宮の元へと駆け寄った。


「どうした!」


「ぜっ……ゴホッ。ぜん……くす……り」

「くすり? 薬がどうした?」


「……られ。ゴホゴホ」

「何?」


 駆け寄った俺に、鈴宮は何かを必死に伝えようとしていた。しかし、咳がひどく上手く聞き取れない。


「はぁ、全く蒼。そんなに早く走れるなら……」


 そこに現れたのは……泰成だった。


「泰成っ! よかった」

「どうした、一体」


「ゴホッゴホッ!」


 しかし、咳はよくなるどころか悪くなる一方だ。


「おい、大丈夫なのか?」

「わっ、分からない。何か言いたそうなのは分かるんだけど……」


 とりあえず、何か俺に伝えたいという気持ちは痛いほど分かる。でも、その言葉が上手く聞き取れない。


 ――それが、とてももどかしい。


「そっ、そうか。分かった。とりあえず落ち着け」

「でっ、でも……」


 こうしている間も鈴宮の咳は止まらない。心なしかさっきよりもひどくなっている様にすら思える。


「さっき卯野原くんが飛び出して行った後。他の女子が担任の先生と保健の先生を呼んで来てもらっている」

「そっ、そっか。分かった」


「とりあえず、蒼も落ち着け」

「うっ、うん」


 そう言われて、俺も少し落ち着きを取り戻したところで……。


「名織ちゃんっ!!」


 泰成の言うとおり、さっき一緒に話をしていた女子たちとものすごい勢いで走ってきた担任の先生。


 そして、そもそも走る事に慣れていない……というか、走る事自体に疲れた保健の先生が更衣室に駆け込んできた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「鈴宮さん。分かる?」

「せっ……生」


 息を整えるとすぐに鈴宮の元へと駆け寄り尋ねた。


「大丈夫。とりあえず、先生はここに連絡して下さい。鈴宮さんの担当の医師に繋がるはずですから」

「はい」


 先生はそう言うとすぐに連絡を取り始めた。


「さて、あなたたちは授業に戻りなさい」


「えっ……」

「でも」


「鈴宮さんの事は任せなさい。大丈夫だから」


 保健の先生は、俺たちを安心させるかの様に穏やかにそう言った。


「まぁ、後で色々と話を聞くことにはなると思うけど」


「……はい」

「分かりました」


 でも、すぐにため息混じりにそう言われて、俺たちは思わず笑いそうになってしまった。


 そして、そのまま鈴宮はすぐに病院へと連れて行かれ……その日中に鈴宮が学校に戻ってくる事はなかった。

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