第27話


「はぁ……」

「ギリギリだったな」


 体育の授業後、俺たちは更衣室で着替えながら話をしていた。他の男子も俺たちと同じように話をしながら着替えている。


「…………」

「おっと怖い顔になっているぞ、蒼」


 そう言いながら、泰成は作り笑顔のまますぐに両手の手の平を出して見せた。


「まぁまぁ。それにしても、今日の授業がバドミントンでよかったな」

「ああ、うん。そうだね。コートが空くまで休憩出来るし、コートに入れる人数も決まっているし」


 気を取り直し、俺は着替えをしながらさらに会話を続けた。


「それにしても、相変わらずここは人が多いよな」

「まぁ、ギュウギュウ詰めじゃないからいいじゃん。むしろスペースが余っているくらいだよ」


 まぁ、教室で着替えようが、体育館の横にある更衣室を使おうが、それこそ部活で使っている更衣室を使おうが、個人の自由だ。


 それでも、大体の生徒はこの体育館の横にあるこの更衣室を使っている。その理由は、ただ単純に教室などと比べるとかなりの広さがあるからだ。


 まぁ、体育の授業自体が他のクラスと合同で行われているから、むしろこれくらいの広さがないといけないと思うんだけれども。


「まぁ、俺としてはマラソン大会も終わったから、しばらくは学校行事もないから楽だよね……。はぁ、本当にあれは疲れるよ」

「ははは。まぁ、そうだな」


「泰成はそもそも長距離が専門なんだから、そこまで疲れないでしょ」

「いや? そうでもないぞ?」


 俺は脱力しながらそう言うと、泰成は片手を振りながら苦笑いを浮かべた。


「え」

「長距離って言っても、俺はマラソン選手じゃないからな。それこそペース配分とか色々と違うところがある」


「ふーん……」

「だから、蒼が言う様な『楽勝』ってワケでもないな。むしろ、バスケ部とかサッカー部の様な走りっぱなしのスポーツをやっているヤツの方が有利だったんじゃないか?」


 なんて言っているけど、それでも泰成はマラソン大会の上位入賞者の中に入っている。


 大体の学校行事を泰成と過ごす事が多い俺だけど、さすがにこの時ばかりは一緒に走っていない。


 俺がいくら『帰宅部だけどそこそこ運動が出来る』と言っても、とてもじゃないけど、ついて行けない。


 それこそ、ただ単純に『無理』とかそういう次元の話ではなく、そもそも『無謀』という話である。


「それにしても、蒼もちゃんと真面目に走っていたんだな。俺はてっきり途中でサボるかと思っていたぞ」

「本当はサボりたかったけど、体育の成績に響くから」


「ああ。確か、風邪とかやむを得ない理由の欠席じゃないと『補習対象』になるんだったか」

「……そうだよ」


 実は、この『マラソン大会』では「この時間までにゴールしなさい」という『規定時間』というのが決められている。


 つまり、その時間以内にゴール出来なければ、補習でさらに放課後に走らなければいけないのだ。


「まぁ、そうじゃなくてもそもそも『サボる』なんて、目立つじゃん」

「……そうだな」


 そもそも、俺は出来る限り目立たずに波風立てずに穏やかに過ごしたい……そんな俺が『目立つ事』に繋がる『サボる』という行動はしなかった。


 正直、かなり面倒ではあったけど……。


「ああ。そういえば、終わった後大丈夫だったか?」

「終わった後?」


「ああ。マラソン大会が終わった後。蒼、机から動けなくなっていただろ? 筋肉痛で」

「あー……そうだったね」


 まぁ、面倒ではあったものの、真面目に走ったおかげか、なんとか補習にはならなかった。


 でも、マラソン大会の後。体中が痛くなり、机に突っ伏したまましばらく動けなくなってしまったのだ。


「放課後になって俺が部活に行く時も、まだ机に突っ伏していたから心配していたんだが……」

「ああ、うん。大丈夫」


 泰成が部活に向かった後、なんとか回復した俺は、その足でいつもの美術室へと向かった。


 でも、特に何か理由があったワケではない。ただ……何となくあの『絵』が無性に見たくなったのだ。


 この時、鈴宮の状況は姉さんから「退院はしたんだけど、学校に通うにはもうちょっとかかりそう」と少しだけ聞いていた。


 だから、その日もただ『いつも通り』あの青空の絵を見てから帰ろうと思っていたのだ。


「あら、蒼くん」

「こんにちは」


「それにしても、やっぱり来たのね。マラソン大会があったとしても来るとは思っていたけど」

「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」


「あら、別に嫌みとかじゃないわよ? ただ、良く来るわねぇ……っていう……あれね」

「どれなんですか」


 仮屋先生とそんな会話をしていると……。


「?」


 ふと仮屋先生の視線が、やけに俺の後ろの方に向いているなぁ……と思い、そちらの方を向くと……。


「え……すっ、鈴宮?」

「こんにちは、卯野原さん」


 そこには鈴宮が立っていた。でも俺はまさか、マラソン大会があったその日に鈴宮が来るとは思いもしなかった。


 ただ、その日に来ていたのは「来週から学校に通える」という話を担任の先生にしに来ていただけだったらしい――。


「おーい、蒼?」

「え、ああ。ごめん」


 一瞬だけのつもりが、またも思い出に浸ってしまっていたようだ。


「全く。ここ最近ボーッとしている事が多いな」

「あはは、ごめんごめん」


「やっぱり、気になる事があるのか?」

「えっ、あー。いやぁ……」


 そんなつもりはなかったのだけれど……。


「それはなんだ?」

「いや、そんなに気にする事じゃないんだよ。うん」


 ただちょっと物思いにふけていた……それだけの話だ。


「なんだ、気になるだろ」

「いや、本当にたいした事じゃないよ。本当に……」


「……はぁ、分かった。そういう事にしておく」

「ははは」


 その場は、そう言ってなんとか誤魔化した。ただ、そう笑いながら俺は心の中で泰成に「ごめん」と呟いた。


「全く、あんまりボーッとしていると大変な事になるぞ」

「いやいや、そんな……心配しすぎだって」


 なんて言いながら俺は苦笑いをしていた。


 だけど、この時は全く知らなかった。まさか、泰成の言っていた言葉の通りこの時、鈴宮の身に大きな危険が迫っていたとは……。

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