第26話


「……って、何も起きない」

「いや、それって別に良いことだろ。何事も『普通』が一番いい」


「そうなんだけどさ」

「…………」


 てっきりすぐに『何か起きるかも』なんて思って身構えていただけに、こう何事もなく日々が過ぎているのを感じると……。


 イヤな予感がする……と身構えていた自分が少しバカらしく思えてしまう。


 でもまぁ、確かに泰成の言うとおり『何も起きない』というのは良い事ではあるのだけれど。


「……なぁ」

「なに?」


「蒼の話し方って……元弥さんの話し方に似ているよな」

「……そうかな?」


 そう言うと、泰成は「ああ」と頷いた。


「ふむ」


 でも、言われて見ると……そうかも知れない。前の話し方なんてほとんど覚えていないし、別に意識していたワケではない。言われてみれば……というその程度の話ではある。


「それで? 元弥さんが言うには、蒼の言う『良くない空気』っていうのは、誰かの『嫉妬しっと』によるモノかも知れないって事か?」

「うん。元弥さんがそうじゃないかって、参考にするしないは勝手にすればいいって言われたけど」


「はぁ、なるほど。嫉妬な」

「うん。でも、それが一人なのかどうなのかも分からないし、そもそも嫉妬なのかも正直……」


「何も分からない……と。ん?」

「なに?」


「じゃあ、どうしてそこに『陸上部』の話が入ってくるんだ?」

「まぁ……なんとなく?」


 なんとなく、今までの話の流れからして『陸上部』と『三組』というのは、外してはいけない話のような気がしていたのだ。


「それにしても、誰が誰に片思いしているんだろうな。それに、鈴宮に嫉妬とか……」

「……さぁ?」


 そう言いながら「よく分からないな」と不思議そうに首をひねらせる泰成に対し、俺は「何も分からない」というフリをした。


 だけど、何となくこの『誰に』という部分に関してだけは、実はちょっとした心当たりがあった。


「……それにしても、今日は陸上部の朝練がなかったからなのか、すんごい量の手紙が入っていたみたいだね」

「ん? まぁな。一応、全部誕生日カードみたいだけどな」


 俺たちの目の前にはたくさんのカードが置かれ、そのどれにも『ハッピーバースデー』や『誕生日おめでとう』の文字が書かれている。


 さすがに下駄箱に入れるのはイヤだったのか、これら全て泰成の机の中に入っていた。


「まぁ。食べ物をもらって当たったり、よく分からないモノをもらうよりかはマシだろうけどね」

「そうだな。中学の時は、それで大変な事になったからなぁ……」


「大会前に食べて気持ち悪くなったり、トイレから出られなくなったり」

「髪の毛が入っていたり、爪が入っていたりした事もあったなぁ」


 そう言って笑った泰成の顔は……確かに、笑顔のはずなのに、目が全然笑っていない。どうやら、俺が知っている以上に大変だったようだ。


 こういう話をしているとよく分かるが、泰成は結構モテる。


 本人は『女子と会話をするのは緊張するんだよな』とか言っているけど、なんだかんだ言いつつモテる。


 下手をすると嫌みに聞こえてしまうほどだ。でもまぁ、その理由は何となく分かる。


 頭はそこそこ良く、運動は俺がわざわざ言わなくてもいいほど出来る。しかも、陸上の大会では、大体入賞している。


 その上、困っている人を見ると、男子だろうが女子だろうが助けるし、どうにかしようとするという性格だ。


 だからこそ、この間の文化祭とかの学校行事には男女問わずたくさんの人から『お誘い』を受けていたと思う。


 それなのに、泰成は『俺とまわるから』と言っていつも断わる。


 まぁ、断る理由として俺が使われるくらい別にどうでもいい話なのだけど……ただ「本当にいいの?」とたまに申し訳なく思ってしまう。


 でも、それを聞く度に「俺がいいと思ったからいいんだ」と言って笑う。


 多分、泰成本人は自分がモテているという実感がないのだろう。それが分かっていながら俺は、その泰成の言葉に甘えていた。


 だから、去年の文化祭は一緒にまわらなかった。


 そうしたのは、そんな何かと俺が泰成に甘えていた自分を見つめ直すためでもあったのだ。


「……」


 ただ、今回の話。どうも、この『泰成はモテる』という部分も何か関係があるように思えてならなかった。


「なぁ? 蒼」

「ん? どっ、どうした?」


「いや、さっきから呼んでいるんだが」

「あっ、ごっ……ごめん。それで何?」


「ああ、今日の一限目。体育だろ? 早く行った方がいいんじゃないか?」

「……あれ、朝礼って今日ないんだっけ?」


 泰成に言われて周りを見てみると、確かに教室にはほとんど人がいなかった。それどころか、その残っているほとんどの人も何やら慌てている。


「いつも体育が一限目の時はないだろ」

「……そうだっけ」


 言われて見れば……そうだった様な気もする。あまりにも何も起きずに、いつも通り過ぎてそれすら忘れていた……。


「何を寝ぼけているんだ?」

「いやぁ、ははは……」


 いや、それはただ俺が色々な事に気をかけていたせいか。


 ――全く、慣れない事をするものじゃない。なんて俺は苦笑いをしつつ、体操服が入っているカバンを取り出した。


「……と、そういえばさ」

「ん?」


 そこでふと泰成に『ある事』を聞いてみる事にした。


「男子陸上部と女子陸上部って、何か関わりってあるの? こう、ミーティングが一緒とか練習が一緒……とかさ」

「関わりか……。せいぜい大会の移動で使うバスと、練習くらいか? でも、種目が違えばそこまで『関わり』ってほどの事はないな」


 泰成は一瞬「いきなりなんでそんな事を聞くんだ?」という表情を見せたけど、ちゃんと答える辺り真面目である。


「ふーん、そっか」


 俺が思っているほど男女の陸上部で『関わり』というほどのモノはないようだ。ただ、何がきっかけで『嫉妬しっと』につながるか分からない。


「まぁ。とりあえず、急いだ方がよさそうだな」

「え??」


 そう言って泰成がゆびさした時計は、普通であれば朝礼が始まる時間になっていた。


「あっ、ヤバ」

「だからさっきからそう言っているだろ」


「それならもうちょっと焦らせてくれないかな!」


 気がついたらいつの間にか、教室に残っているのは俺たちだけになってしまっていたようだ。


「いや、さっき急いだ方がいいって言っただろ?」

「そうじゃないし、笑っている場合じゃないよね?」


「蒼も人の事言えないと思うけどな」

「…………」


 なんて言いながら笑う泰成と共に、俺たちは急いで体育館の横にある更衣室へと向かったのだった。

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