第19話


 正直、蒼に看板を完成させる事は出来ないと思っていた。


 ただ、他の人が描かれた絵を看板に描き写す……それすら出来なかった……と蒼本人から聞いたからだ。


 でも、鈴宮の助けを借りてなんとか完成させた。


 当然、俺は蒼がすぐに昔の様に絵を描ける様になるとは思っていない。ただ、今回の経験が何かいいキッカケになってくれれば……と思っている。


「だから、鈴宮にはものすごく感謝している」

「そっ、そんな感謝されるような事は……」


「いや、本当に感謝している。俺じゃあ、完成させる事は出来なかった。だから……お礼を言わせてくれ」

「そんな……」


 この言葉に嘘も偽りもない。ただ、昔からの友人としては……ちょっと悔しい気持ちにもなる。だから――。


「それに……」

「それに?」


 思わず口に出そうになった言葉をすぐに飲み込んだ。いけないいけない。コレは本人が気が付かないといけない事だ。


「……いや、なんでもない」


 なんでもかんでも思った事を口に出してしまうのは、昔からの悪い癖だ。


「ただ、コレを完成させた事で、蒼にも何かしら変化があるといいんだけどな……と思っただけだ」

「……そうですね。私も、卯野原さんの絵を見てみたいです」


 そう言って、鈴宮は笑った。


「……」


 なんとも、優しく穏やかに笑う人だ。なるほど、蒼が気になるワケだ。


 今まで『そんな事』に……いや、何に対しても『興味』の『きょ』の文字すらなかった人間だったのに。


「……それにしても遅いな」

「そうですね」


 なんて言っていると……ペットボトルを三本抱えてこちらに向かって来る蒼の姿が見えてきた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……と、悪い。どれが良いのか聞くの忘れていたから、とりあえず適当に買ったんだけど……って」


 俺が戻ると、なぜか俺の顔を見た瞬間。鈴宮がなぜか泣きそうな顔になっていた。


「えっ、どっ……どうした。鈴宮」

「えっ、あっ……あれ? いえ。何でもないです」


「いや、何でもない……って」


 本当になんでもなければ泣く必要なんてないだろう。


「……」


 俺がオロオロとしている間、泰成は無言のままだった。


「おい、泰成……」


 だから、俺は泰成が泣かしたのだろうと思い、泰成に詰め寄った。


「蒼、ステイステイ。どうどう……落ち着けぇ」

「ごっ、ごめんなさい。違うんです、早山さんは何も悪くないんです!」


 そう言って鈴宮は二人の間に割って入った。


「いや。まぁ、俺が悪い……と言えば、悪いな」

「……何を言った? 泰成」


 泰成のその言葉の言い方に引っかかりを覚えたけど、ここは冷静に話を聞いた方が良さそうだ。そうしなければ、また鈴宮を困らせてしまう。


「……後でちゃんと説明する」

「……分かった」


 でも、その泰成の言葉と反応を見て、なんとなく俺は泰成が鈴宮に『何』を言ったのか分かった気がした――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 そして、俺たちは適当に喉をうるおし、仮屋先生がいるいつもの美術室へと向かった。


「あらー、みんな一緒に来てくれたの?」


「はっ、はい」

「こっ、こんにちは」

「遅くなってすみません」


 俺たちを出迎えてくれた仮屋先生は、口調こそいつもの感じだったけど、表情はどことなく疲れていた。


「なんか……疲れていますね。先生」

「ええ、実はさっきまでここまで来てくれる人があまりいなくてね」


「そうなんですか」


「確かにちょっと遠いですよね、ここ」

「まぁ、確かに」


「相変わらず思った事を言うわね」


「事実ですから」

「ああ」


 ここは確かに、劇などをしている体育館にも出店が出ている場所にも遠い。


 俺たちのように最初からここに来るつもりでなければ、あまり人は来ないかも知れない。


「まぁいいわ。それで、ついさっきちょっと看板の位置を変えに行っていたの」


「ああ」

「なるほど、それでなんだか疲れていたんですか」


「ええ、普段からあまり運動をしていなかったせいかしら。ちょっと位置を変えに学校内を移動しただけでこれだけ疲れるなんて」


「あの、それで看板を位置を変えて何か変わりましたか?」


 話が脱線することを恐れたのか、鈴宮は食い気味に刈谷先生に尋ねた。


「うーん、ちょっと来てくれる人が増えたかしら。それに、どうやらこの階に写真を撮るのにうってつけの場所があるらしくて、さっきからそれ目当ての女の子もちらほら来ているわよ。ホラッ」


 そう言われて振り返ると、そこには興味深そうに作品を見ている女子の姿があった。他にも小さな子供を連れた家族もチラホラと来ている。


「それなら……よかったです」


「うふふ。ところでみんなは楽しんでいるかしら?」

「えっと……とっ、とりあえず後でクラスの劇を見ようと思っています」


 しどろもどろになりながらも、俺は仮屋先生にそう説明した。


 なぜなら、仮屋先生のその言い方がなんとなーく「あなたたち、名織ちゃんの体調に問題はないでしょうね」と言っている様に感じて……とても怖いからだ。


「実はさっき、担任の先生にも会ってちょっと話をしていたんです」

「あら、そうなの……って、何を?」


「えと実は、来月には学校に来られそうだという話を……」

「あらあら、それはめでたいわね。よかった」


 そう言って先生はいつも以上に穏やかに笑った。


「ありがとうございます」


 実は、この話を俺たちもついさっき知った。確かに先生の言うとおり、おめでたい話だし、担任の先生もとても喜んでいた。


 ――鈴宮が学校に来る。


 その話自体は、俺もとてもうれしい……はずなのに、どことなくモヤッとした気持ちになった。


 それは、この話を聞いてから感じている。


「……??」

「どうかしたか?」


「え、いや……なんでもない」

「……そうか」


 ――まだお昼を食べていなかったからだろうか。それにしては、このモヤッとしているのは……空腹じゃないような気もする。


「…………」


 コレは一体、なんだろうか。この嫌な感じのモヤモヤは……。


「じゃあ、今日はなおさら楽しまないといけないわね」

「はい」


 仮屋先生に尋ねられて笑った鈴宮の顔は……とてもかわいかった。


「あなたたち。この子をちゃんとサポートしてあげないとダメよ?」


 ただ、すぐに俺たちの方に向けられた仮屋先生の表情は……笑っているはずなのに、なぜかとても怖かった。


「はっ、はい」

「……分かっています」


 その表情に俺たちは顔をひくつかせて怖がりつつも、何とかそう答えた。その後、俺たちはみんな一緒に文化祭を楽しんだのだった。

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