第12話


「……なんで部活も出店を出していいって事になっているんだろうね。全く」


 俺は一人、その日も何も描かれていない真っ白く大きな看板を前にしていた。


「はぁ」


 そして、俺はため息をつきながら仰向けで床に寝っ転がった。そこに広がっているのは、いつも通りの天井だ。


「おーい、せっかく美術室貸しているんだから、ちゃんとやりなさーい」


 そうしていると、この美術室を貸してくれている仮屋先生がヒョコッと顔を出した。どうやら先生は、この奥にある部屋にいることが多いらしい。


「はぁ、分かっていますよっ……と」

「それにしても、何を描こうとしているの?」


 仮屋先生は、何も描かれていない看板をのぞきこんだ。


「へっ? ああ、鈴宮からもらったこの『絵』をこの真っ白い看板に書き写そうと思っていまして」

「ふーん、なるほど。模写……ね」


 俺は早速鈴宮に会いに行き、絵を描いてもらった。どうやら、鈴宮も担任の先生から「看板係になった」という話を聞いていたらしく、こころよく絵を描いてくれた。


「はい。その……模写をするつもりだったんですけど」

「思った以上に彼女の絵が上手すぎて写せない……って、ところかしら?」


「……当たりです」

「まぁ、あの子も美術科を目指していたくらいだから上手いのは分かっていたけど……」


 ただ『写すだけ』のはずが、まさかここまで上手くいかないとは……我ながら自信を失ってしまいそうだ。


「…………」


 鈴宮が描いてくれたのは主人公の『白雪姫』と物語に重要な『りんご』だった。


 後は、この絵を拡大したモノをこの看板にかけばいいだけ……なのだが、その『だけ』がなかなか難しい。


 それにどうやら鈴宮は、この絵を白雪姫とりんごだけでなく『看板』として描いてくれたらしく、文字が入るであろう場所は大きな丸で開けておいてくれた。


「それにしても、コレを書き写すというのは……なかなか大変そうね」

「先生でも大変そうですか」


「そもそも私は『人の絵を書き写す』って事をあまりしないから」

「そう……なんですか」


「絵の練習として、上手い人の絵を模写するっていうのをやる人も多いけどね」

「……」


 確かに、そうしている人もいる。でも、そうじゃない人もいる。仮屋先生は『そうじゃない人』だというだけである。


「そういえば、もう一人の子は?」

「ああ、部活の方の準備に行っています」


「あら、部活をやっているの? あの子」

「はい、それでどうやら陸上部の出店の準備担当になってしまったらしく……」


 泰成本人としては、当日にお客の相手をすればいいだけ……と思っていたらしい。


 去年はそれでよかったらしいけど、どうやら今年は準備の方も手伝わなくてはいけなくなってしまったようだ。


「ただ、それはクラスの出し物の担当が決まった後に決まったようで、他の人も似たような状況だから断るに断れなかったようです」

「ああ、なるほど。それは仕方ないわね」


 この学校では、クラスでの出店や出し物以外に部活動ごとに出店を出してもいい事になっている。


 そのため、泰成の様にクラスと部活動の両方の準備をしなければいけないという人が結構いる。


 だからまぁ、出店などの数は多いモノのそこまで手の込んだ事が出来ないため、出店のメニューが被るという事も結構ある。


 最初の頃は「同じモノばかりで面白くない!」と言わる事が多かったようだけれど……。


 今ではそれがむしろ恒例になっており、生徒たちや文化祭に来てくれる人の間では「これだけ同じメニューがあれば、食べ比べが出来る!」と、なんだかんで楽しみの一つになっているようだ。


 それくらい同じメニューでも小さな部分で違いがあるらしい。


「鈴宮に描いてもらったから、コレで進むと思っていたんですけど……」

「これだけ手間取っていると、進むどころか『立ち止まっている』って感じね?」


 その言葉に俺は思わず「うっ」となった。


「だって、コレをよく見ると結構何度も描いては消しての繰り返しをしているようね」

「……」


「ただ、この描いたり消したりの感じは……この絵を忠実に再現しようってこだわりがあって……って感じでもなさそうね」

「…………」


 最初は、先生の言うとおり。鈴宮が描いたとおりに描こうと思っていた。でも、実際は……。


「そういえば、この間。二人で何か話をしていたわね」

「……そうですね」


「別に深くは聞かないけど」

「聞かないんですか?」


 俺がそう尋ねると、先生は「そこまで興味がないし、聞かれたくもないでしょ?」と返してきた。


 ――本当に、素直な人だ。


「でも、作業が思うように進まないのは『それ』も関係していそうね」

「……そうだと思います。俺も……そうじゃないかって思っていましたから」


 泰成は「これをただの『作業』と思えば、多少は気持ち的になるだろう」と言っていたが、どうやら俺が思っている以上に簡単な話ではないようだ。


 書き写そうとすると、何度も手が止まる。そして「何かが違う」と思ってしまって、消す。


 その結果、全く進まない……という状態が『今』である。


「…………」


 本当に、自分の事なのにも関わらず、自分の思ったように出来ない……それが情けなくてたまらなかった。


「……いつもであれば、こういった時。悩めるだけ悩んで答えを見つけなさいとか言っているのだけれど……」

「はい?」


「どうやら悩んでいる時間はなさそうね」

「……??」


 俺は先生が何を言っているのか一瞬分からなかった。


「よしっ、悩める子羊のために先生が一肌ぬごうじゃない!」

「え……と?」


 なぜか先生がやる気になっている。


「だから、この看板が完成出来るように手伝ってあげるって言っているのよ」

「てっ、手伝う……って、具体的にどうするつもりなんですか」


「そう……ねぇ。とりあえず、今日はこのままやっていても進みそうにないから、本格的にやるのは明日からね」

「……はっ?」


 何を言っているのだろうか。


「だから、本格的に作り始めるのは明日から! 今日はとりあえず帰りなさいって言っているのよ」

「帰りなさいって……」


「だって、今はもう六時過ぎよ? まだ残っても大丈夫な時間ではあるけど……」

「っ!」


「その様子だと気がついてなかったのね」

「きょっ、今日は帰ります」


 俺が慌てて片づけを始めながらそう言うと、先生は俺と表情とは逆ににこやかな笑顔で「はい、気をつけて」と言って手を振った。


「……さようなら」

「さよーならー」


 何がそんなに楽しいのかは分からない。


 ただ、前に泰成と話していた内容を「興味がないから」と言われるとは思っていなかった。たとえ素直に「興味ない」と思っても、そうそう口に出来る人はいない。


 でも、たとえ「どうしたの?」と聞かれても、何も言えなかっただろう。


 そして、俺は深く聞かれても「大丈夫」と答え、逆に「言えなくてごめんなさい」という申し訳ない気持ちになるのだ。


 それを考えると、仮屋先生のその「興味がないから」という言葉は……俺にとってはとてもありがたかった。

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