第3話
――そう、記憶にはいなかった……はずだ。
あの絵を初めて見た日以降。俺はよくあの美術室に来るようになっていた。それこそ『日課』と入ってもいいほどに、毎日のように行っていた。
ただ、出来るだけ『朝』に行くようにしていたのは、他の生徒に会わないためだった。
でも、今日は二時間目と三時間目にある大きな休み時間に来ていた。
毎週の木曜日のこの時間帯にこの美術室に生徒が来ないということは、この間偶然知った。
「それにしても……」
この『青空の絵』を描いたのはどんな人なのだろうか……。今まで有名な画家の絵も見てきたけど、ここまで興味を持ったのは初めてだ。
いや、決して今まで見てきたモノが上手くない……なんてはずではない。
ただ俺の心に刺さらなかっただけの話だ。結局のところ、あの先生が言うとおり「俺自身の気持ちに素直になった結果」が『心に刺さった』だっただけなのである。
「今日も来ていたのね」
「こんにちは、
ただ、他の先生とは少し違うらしい。だからこそ、色々なコンクールなどに作品を送ることが出来るらしい。
――詳しい話は、全然知らないけど。知るつもりもない。
「そんなに気になるのね」
「……そうですね。気に入っています」
「描いたその人の事は?」
「まぁ、他の作品は気になりますが……その人の事はあまり……」
先生に『作者に興味を持っている』という事がバレたくなくて、言いにくそうに言葉をにごした。
「あら、そうなのね」
「とっ。ところで、それはなんですか? 先生」
すぐに俺は先生が持っていた目に入ったモノを尋ね、話題を強引に変えた。
「ああ、コレ? 名札よ」
「名札? コレ、先生が描いたんじゃないんですか?」
他の美術科の生徒が描いた作品は、あくまで俺が見た限りではどれも上手いとは思った。
でも、どの作品にも『名札』が付いていた。しかし、この『絵』はそれがない。
それがないと言う事は、描いたのは生徒ではない……。生徒ではない……という事は、先生が描いたのだろう……なんてくらいまで思っていたくらいだ。
「ふふふ、ご期待に応えられなくてごめんなさいね」
「いえ、俺が勝手にそう思っていただけなんで……」
なぜこの時、一瞬でも「悔しい」と思ってしまったのだろうか。描いた人が先生ではないと、分かったからなのだろうか。
いや、そもそも「悔しい」ってなんだろう……。
俺は『絵』なんてある日を境に全くと言っていいほど描かなくなった。そのある日より前はたくさん青空の絵を描いていたのに……。
それなのに「悔しい」と思ったのは、自分では描けなかった『青空』を描かれてしまった事に大してなのだろうか……。
「…………」
――よく分からない。自分の感情のはずなのに。
「…………」
「あなたは、絵を描かないのかしら?」
「俺……ですか? 俺は……そもそも美術を取っていないので」
「あら、美術を取っていなくても自分で好き勝手に絵を描くのは何も問題はないはずよ?」
「それは……そうですけど」
「……まぁ、人には色々『理由』や『事情』があるモノね。ごめんなさい」
そう言って、先生は手に持っていた名札をその青空の絵の下に付けた。そこ書かれていた名前は――。
「え……」
――
「にっ、二年……一組」
そこに書かれていた名前にも驚いたが、それ以上に……俺と同じクラスが書かれていた事にはもっと驚いた。
「あら、この子と知り合い?」
「いっ、いえ。知り合いどころか、見た事も聞いた事もありません。一度も」
「そうなの……」
「あの、だから俺。このクラスになってからもこの子の名前を聞いていないんですけど……」
同じクラスのはずなのに、どういう事なのだろうか。
「実は、この子はね。入学した時から、体が弱くて入退院を繰り返しているのよ。ただ、テストは基本的に上位にいるから進級が出来たみたいなんだけど……。二年生になってからは一度も登校出来ていないみたいなの」
「そっ、そうだったんですね」
「この子は元々、美術科に通いたかったみたいだし、その実力もあった。でも、美術科は色々と提出物が多いから……」
「ああ」
そういえば、なんだかんだで放課後残っている生徒のほとんどが部活以外では美術科の生徒だった。
「だから、一度でも提出物が遅くなると卒業どころか進級すら怪しい。だったら、最初から普通科で入学した方がいいという話になったの」
「じゃあ、この絵は……」
「その子が、登校出来る時にゆっくりと描き進めてようやく完成させた立派な『作品』よ」
「…………」
この鈴宮が何度学校に来たのかは分からないし、知りもしない。
でも、どうしてもこの『絵』は完成させたかったんだろうな……という気持ちだけは、この『絵』から伝わってきた。
「一週間に二回か三回ある程度の授業だけじゃ完成は出来ない……そう思った名織ちゃんはね。たまにここでこの絵を描いていたのよ。私もよく一緒に絵を描いていたわ」
そう言う仮屋先生は、その時の事を思い出しているのか、とても楽しそうだ。
「でも、この絵を仕上げてからは一度も学校に来れていない。聞いた話によると、病院で入院しているらしいんだけど……心配でね」
この絵を仕上げてからは一度も学校には来ていない……。
果たしてそれがいつの話なのか……は分からないが、仮屋先生の心配そうな表情を見る限り、結構長い間学校には来ていないようだ。
「そうだ。学校に来た時はこの『絵』の前で話をしたらどうかしら? きっと盛り上がると思うわよ?」
「……それって、俺がこの『絵』を気に入ったって話を本人の前でしろって事ですか?」
「ええ、ダメかしら?」
「いや、ダメとかそういう話の前に……恥ずかしいです」
「恥ずかしい? なんで?」
「なんで……って、そりゃあ……」
――なぜだ?
「褒められたら誰だってうれしいじゃない」
「いや、確かにそうですけど……」
果たして「この絵を気に入った……」は『褒めている』になるのだろうか。いや、それよりも俺は『何』に照れているのだろうか。
だんだん自分の気持ちが分からなくなってきた。
昨日、無駄に夜更かしをしてしまって遅刻しそうになって朝食を食べなかったせいか……。それとも、そもそも普段あまり頭を使わないでいたのに、いきなり頭を使ったせいか……。
理由はどうであれ、なんだか気分まで悪くなってきた。
「……? どうかしたの? なんだか顔色が悪そうだけど?」
「えっ……えと、そうですね。もし、その時が来たら……考えます」
俺は早口でそう言って「えっ、ええ。本当に体調が悪くなったら保健室に行きなさい」と言ってくれた仮屋先生のいる美術室をそそくさと逃げるに様に後にした。
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