3.スイミーと少年

 博物館の大広間で、制服がわりの水干や唐衣を着た十数人の童が賑々しく展示を眺めている。社会科見学の小学生だ。学校管理上の都合によってアバターは子供の姿に統一されてはいたが、髪形や髪や肌や目の色は様々である。

 広間の角、少し離れた位置に、狩衣姿の羽山が立っている。

 竜宮における羽山の仕事は博物館の警備員だった。

 2030年代半ばにおいてフルダイブの技術が一般化されたころから、学校教育は現実世界ではなく仮想世界において実施されるようになってきた。竜宮は《国家クラスタ》の中でも思想の偏りが薄いことと、日本国における文化を素朴に体現したものとして、日本に生活拠点を置く子供たちへの教育の拠点として利用されることが多かった。

『……2010年代、《vtuber》と呼ばれる人々が誕生しました。バーチャルな世界で仮想的な人格を演じる生身の人間たちです……』

 ホログラムの映像に合わせて、美しい声のアナウンスが重なる。羽山も若いころに何度も動画を観たことのある、当時の人々に絶大な支持を得たvtuberたちの姿が、次々と映されていく。

『サブカルチャーのカテゴリのひとつであった《vtuber》は、ある瞬間から歴史的な意味を持ち始めます。グッドライフ社のハームドロイドに対する反対運動によるものです。その激しい抵抗運動により、現代における《vtuber》という言葉は、社会運動家の代名詞となっています……』

 ハームドロイドという言葉を聞いても、彼女は反応を示さなかった。

 社会科見学中の小学生の中に混じる一体のAI。12歳の少女の姿に設定された、幼く、かわいらしい『黒い人魚』。

【スイミー、わかる?】

【わかんない[hm]】

【だよねえ、だってスイミーだもんね】

 子供たちがけらけら笑いながらスイミーの鱗をむしった。押し殺したような声が鳴る。治りかけの瘡蓋を剥いだときのように、鱗の隙間に赤い血流の色が覗いた。

 羽山は眉をひそめた。

 公共の場でハームドロイドの鱗を剥ぐのは法的にも慣習的にも問題とされていない。仮想世界に散らばった鱗には衛生的な問題もなく、放置していれば不要なオブジェクトとしてシステムに回収される。また当然のことながら、ハームドロイドがAIである以上、痛みを覚えるわけでもない。痛がっているように見えても、人間の嗜虐心を満足させるための演技リアクションに過ぎない。

 だがそれでも、子供が傷つけられる様は、羽山の気分を少し害した。

【君たち。ここは博物館だから、鱗を剥ぐのはやめてくれないかな】

【え、なんで?】

 不思議そうに子供たちが言う。引率の教師が慌てた様子で羽山のところにやってきて、【ああ、すみません。言い聞かせておきます】と何度も頭を下げた。

 他の来客に気を遣って声をひそめた教師の指導が羽山の耳に届いてくる。

【ゴミのポイ捨てと一緒だよ。公共の場で、汚いものを散らかしちゃダメなんだよ】

【それって、スイミーの鱗がゴミってこと?】聡い子供が質問する。

【スイミーはゴミの塊なんだ!】

【ゴミだー!】

【いやいや、それは違うよ、みんな】

 と教師が言う。

【スイミーはゴミじゃないよ。ゴミはむしろ、僕たちの使う言葉や気持ちの方さ。僕たち人間は他人を傷つけ、貶める醜い生き物なんだ。それはよくないことだけど、毎日生まれるゴミと同じで、どうにもできないことなんだ。だから、どこかにゴミを捨てなくちゃいけない】

 その目が労りの光を宿して、スイミーに向けられる。

【それがスイミー。この竜宮をはじめとする仮想世界の中に、僕たちの良くない気持ちを捨てるための、大事なゴミ箱なんだよ】

 な、とさわやかな笑顔を浮かべて、スイミーの頭をポンポンと撫でる。

 スイミーは何も言わず、はにかんだように笑っている。

 教師の言い草が気に入ったのだろう、子供たちは【ゴミ箱、ゴミ箱】と囃し立てている。

 素直で無邪気な子供たちは、言われたことをちゃんと守って、スイミーの鱗を剥がさない。

 そして、その素直さと無邪気さのままに、スイミーをゴミ箱と呼び続ける。

 

 スイミーを取り巻く子供たちから離れた位置、ぽつんと浮いたようなところに、佇む少年がいる。

 スイミーをじっと見ている。

 何かに怒っているような、何かを我慢しているような、そんな表情をしている。


「ああ、それ、蒔絵くんね」

 その少年のひととなりについては、アンゼリカが答えを持っていた。

 二人で夕食を採りながら、何の気なしに羽山が口にした内容だった。ちょっとした話の種にしたつもりだった。他者への暴力性に疑問も持たない若者の振る舞いに、ただ愚痴を言うだけのつもりだったのだが。

「蒔絵と言うのか。名前は?」

「ううん、名前が蒔絵くん。散歩してたら時々見かけるのよ。竜宮の中で、『あの子たち』をじっと見てるの。気になって話しかけたら、仲良くなっちゃって」

「君のコミュニケーション力はどうなっているんだ……?」

「普通だと思うけど……」

 20世紀に存在したという言い伝え、田舎における謎のネットワークの存在を想起する羽山である。

「クラスの中に気になる子がいるって言ってたから。話を聞いてもはぐらかされちゃったから、照れてるのかなって思ったんだけど、納得したわ。きっと、スイミーちゃんのことが気になるのね」

 なるほど、と羽山は思う。あのときの蒔絵の表情が腑に落ちた。

 しかし、それにしても、と羽山は思う。

「君は恋愛がらみの話をすると生き生きし始めるな」

「あたりまえじゃない。わたし、恋愛の話が大好きだもの」

 アンゼリカが常よりも幸せそうに笑っている。

 心なしか普段より肌の色艶がきれいに見える。念のために一度目をこすったが、見間違いでもなさそうだった。

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