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翌年三月、季節はすでに晩春のはずなのに、山に囲まれた都と違ってここは海に近いせいか朝晩はまだかなり冷え込む。
風のない晩で、三日月が沈んだあとは闇夜だった。
闇にまぎれ、寒さをこらえながら広名は帝の御神所に近づいた。
はだしである。
うまく衛士には見つからなかった。宮中なら思いもよらぬことだが、やはり
広名にとって、ここは初めて来る場所ではない。道鏡がかつて住んでいた弓削寺の跡地にこの行宮は造られているので、ほぼ道鏡の私邸ともいえる。だから広名は何度も道鏡の供をして、この河内国の
そして今回は、女帝の行幸の供であった。途中、生駒山を越える時に路辺の菜の花の黄色が見事だったのを、闇の中を進みながら広名は思い出した。ここへ来たのが二月の末だったから、もうかれこれひと月はここに滞在している。
その間、近隣の博多川での曲水の宴、男女百三十人による歌垣など、目を見張るような体験を広名はいくつもした。明日もまた、由義寺の造塔の詔が出され、それを
思えば長い年月だった。
あの八月の決定的事件より半年後のことだ。その後、広名は真継や若麻呂を通して、藤原雄田麻呂や白壁王と対面した。そしてその藤原雄田麻呂から、広名はその立場を利用しての極秘指示が下った。
前の年、神護景雲三年、八月。
一人の男が九州の宇佐より帰ってきた。長旅でみすぼらしくなり、それでも足元だけはしっかりとして戻ってきたその男は、道鏡の皇位継承について述べた。正確には、質問に答えたのみである。質問したのはもちろん道鏡で、男はその質問に答えて、宇佐八幡宮で御神示が下った旨を継げた。
「我が国家開闢より
「それでよい」
と、道鏡は言った。だが、お怒りになったのは女帝で、もとからのその側近であった女の弟であるこの男を大隅の国に流した。名も
その晩、道鏡は広名を呼んだ。
「いや、帝にも困り申した」
いつになく、弱気な道鏡だ。今まで広名にも見せたことのない表情だった。最近は年のせいかすっかりやつれて、かつての貫禄は薄らいでいる道鏡だ。
広名は返す言葉が見つからずにいると、道鏡はしゃべり続けた。
「どうにも帝はわしを皇位につけたいお考えで、宇佐の神の御神示など持ち出してこられたが、わしはさらに裏をかいてやったつもりだ」
そこではっと、広名は気付くことがあった。
宇佐に昔から本拠を置く豪族は倭の源流、日向族の分流である。太古にあって、道鏡の祖の
そこで、広名は恐る恐る聞いてみた。
「法王様は、何の目的でこの都の地に来られたのですか?」
また、聞いてはいけないことを聞いた時のように道鏡にどやされるかとも思った。だが、道鏡の言葉は、意外だった。
「日髙見の王より遣わされたのじゃよ」
今日の道鏡は、いやにぺらぺら何でもしゃべる。自分の画策が成功したことがよほどうれしかったようだ。
「日高見よりこの大和の地の
そこで広名は、かつて帝には実の皇子がおいでで、その父親が道鏡らしいと考えた自分の憶測を思い出した。今まで、いろんなことがありすぎて、その憶測は彼の心の奥にしまいこまれていた。それが、引き出されたのである。
「あのう、」
「ん?」
道鏡の眉が動いた。さすがにこれは言い出しにくい。
「あのう、帝が法王様を皇位にとお考えだったのは、そもそもどういう訳がございましたのですか?」
案の定、道鏡はしばらく黙った。また一喝されるのかと、広名は首をすくめた。だが、帝は優しい目を広名に向けた。だがその目は生気がなく、とろんとしたものだった。そこで、さらに広名は突っ込むことにした。今日を逃しては、もうそういう機会はあり得まい。
「帝はさらに、次の世代に繋がるお世継ぎをお考えなのでしょうか」
「ああ」
あっさりと道鏡は、首を縦に振った。
「そのためにも、わしは皇位には即けぬ」
広名は息をのんだ。そして、一生一代の思い切りで、口を開いた。
「帝に、
かねてより広名は、帝には皇太子としてすでにお決めになっている人がいるという気配は常々感じていたが、果たしてそれはご自分の皇子なのか。だが、次の道鏡の言葉はもっと衝撃的だった。
「皇子ではない。
広名は、言葉を失っていた。道鏡は、さらに言う。
「そのお方のためにも、わしは皇位に即けぬ。わしは、その皇女様の後ろ見にならねばならぬのだ」
どやらこれで、その皇女の父親が道鏡であるらしいことは、ほぼ確定となった。
「今、その
「奈良田だよ。甲斐の国だ。かつて帝はその地で八年間も湯治された」
「法王様も、ごいっしょでしたか?」
「もちろんだ」
これで、さらに推測は確定になった。それにしても、皇子ではなく皇女だということには驚いた。帝はその皇女に位を譲ろうとされている。これには道鏡とて賛成のようだ。
この日の会話は、重大な情報だった。そこで広名は何としてでも若麻呂たちに会わねばと、その機会をうかがった。そしてようやくそれがかなった頃には、年の瀬も押し迫り、何かとあたふたとしている時だった。
まず、若麻呂が目をつり上げた。そして、
「それはまずい」
と言った。
「絶対にまずい!」
若麻呂の言葉には、熱が入っていた。
「
「道鏡は論外としても、皇子様というのでも話はまずいのでは? 父親が道鏡なのでは」
真継も身を乗り出した。
「我が国の皇家は唐朝などとは違って、一つの流れで古来から連綿と続いてきた。そのことが、我が国の我が国たる
若麻呂は落ち着いている。
「古来を鑑みるに、必ずしも一つの流れとは言いきれないところがある。たとえそうだとしても、我が国ではこれも唐朝とは違って
「なんでそういう場合だけが絶対にまずいのかい?」
と、広名が口をはさんだ。若麻呂は広名を見た。
「皇女様だからだ。つまり、女だからだ」
「今の帝とて、聖武の帝の皇女様ということになっている。過去にも斉明の帝、推古の帝、持統の帝、元明、元正の帝と、女帝は多くいる」
「いや」
若麻呂は首を振った。
「女帝はかまわない。だが、過去の女帝の方々は、皆御一代限りだ。その皇子が皇位に
冷静であったはずの若麻呂の弁論に、いつしか熱が入っていた。
「そう、俺も」
と、真継が割って入った。
「山の民の人々の言い伝えでは、今の
この広名がもたらした話は若麻呂の意見や真継の情報をも含め、早速白壁王を通して藤原の雄田麻呂や永手にも知らされた。こうして広名に、雄田麻呂から内密に突拍子もない司令が下った。だがそれこそが、若麻呂や真継が初めて永手らと会った時に告げられた、彼らの一大計画だったのである。あの折は計画があるということだけを告げられ、その内容までは教えてはもらえなかった。
だがその内容が、極秘指令としてようやく明らかにされたのである。
そして今、後に霊亀と改元される神護景雲四年三月、由義宮行幸という広名にとって指令遂行のまたとない機会が訪れた。しかも、広名に指令を与えた首謀者の一人、藤原雄田麻呂は河内大夫としてこの由義宮にいる。
広名の目はかなり暗さに慣れてきた。何度もやめて引き返そうかとも思ったが、ここまで来てしまった。道鏡と共に帝に拝謁したこともたびたびあった広名だ。蝦夷出身という先入観を捨てれば、実にお優しい声の、お顔も柔和で微笑を絶やさない優れた天子であった。しかも、その想いはご慈愛深く、民の一人一人の上に注がれていた。本当に親身になって、民のことを思う帝であった。出自がどうあれ一度天地神明の前で帝として即位したからには、スメラミコトとしての魂が吹き込まれ、まさしくスの霊統をお継ぎあそばした方となる。
しかし、皇統を女系に流そうとするその行為は、護るべきものの前にはいかに善政を敷く優れた帝であっても許すことはできないのだ。唯一、帝にご意見が言える立場の道鏡とて、今はその帝との間がギクシャクしている。それにその前には道鏡に納得してもらうという難関があり、その突破はまず不可能と思われた。
「もし」
と、いきなり広名は呼び止められた。胸が張り裂けんばかりに波打った。振り向くと、
「このような夜更けに、何用でございますか?」
威を正した広名は、
「お前たちこそ、何をしておる?」
と、逆に問いただした。
「私どもは明日の歌垣に備えての雑務が長引き、今ようやく終わりましたところでございます」
「そうか、ご苦労であったな。拙僧は法王様のお言い付けで視察に来た」
舎人は、ころりと騙された。
「は! 万事、ぬかりはございません」
広名の頭に、その時にパッとひらめいたことがあった。
「そうそう、法王様がおっしゃるには、帝はたいへん筆にうるさいお方とか」
「は、いかにも」
「それで、明日使われる筆を見せてみよ。拙僧は書の心得もあるのでな」
実際の広名は、大筆を握ったことすらない。
「畏まりました」
何の疑いもなく舎人のうちの一人が
翌日は造塔の
広名は筆を手に取ると、舎人に背を向けた。その方に明かり油があるので自然な行動だった。だから舎人も気を許していたようだ。その一瞬の間に、広名は懐からとりだした小壷の中の液体を筆にしみこませた。広名の手は小刻みに震え、再び胸は高鳴った。そして小壷をしまい、何気ない顔で舎人が手にした筆の箱に筆を収めた。小さな明かり一つの暗い部屋では、筆が湿っていることまで舎人は気付かなかったようだ。
「よい筆だ。これなら帝もご満足であろう」
何食わぬ顔で広名はそう言って、舎人は頭を下げた。
筆を浸した液体は、毒薬だった。一昨年、白壁王から預かったもので、百済国秘伝の毒薬だそうだ。今でそれを預かりながらもなかなか指令を果たす機会がなかったし、その方法も思い浮かばなかった。そして昨日雄田麻呂より、帝はものをお書きになる時にまずその筆を口でお舐めになってから墨をつけるお癖があると、策を授けられた。その策が、今の広名の行動だった。
翌日、詔の公布も歌垣も無事に終わったあと、筋書き通りに帝は倒れられた。まずは激しい腹痛を訴えられ、嘔吐し、発熱が続いた。手足も痙攣なさっているようで、意識はおありになるのだがお体が動かないという状況だった。その次の日、帝は急遽都へと還御された。
広名は
そしてそれから数ヶ月を経た八月四日、帝はとうとう崩御遊ばされた。
葛城寺の前なるや 豊浦の寺の西なるや おしとどとしとど
桜井に
このような奇妙な
すぐさま左大臣藤原永手を中心に右大臣吉備真備、参議兵部卿藤原宿奈麻呂らにより、皇太子冊定の議が開かれた。吉備右大臣などは、新羅の血を引く文屋大市を推して引かなかった。だがその席で藤原雄田麻呂が作成した宣命が、女帝の遺詔として読み上げられた。
「今
吉備真備のような反対意見も多いので、雄田麻呂が考えた策だった。そしてその偽宣命によって、白壁王の親王宣下と立太子が一気に実現していく手はずだ。
そして十月、白壁王は六十二歳の老齢で即位して帝となり、年号も宝亀と改められた。後の世に、光仁天皇と
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