第3話 能力の目覚め
* * *
――ロックとネイが出会う二カ月ほど前のことである。
僕の元に警備隊の入隊テストの不合格通知が届いた。三度目の挑戦に落ちたため、僕はこれ以上入隊テストに挑戦することが出来なくなった。
十五歳以上なら誰にでも警備隊の入隊テストを受けることができる。その入隊テストは毎年春を迎える前に行われるのだ。読み書きに算術、サルファ商国を取り巻く情勢などの一般教養や人間性、そして最も重視される剣術を試される。
一年目は剣術試合の初戦でとてつもなく強いヤツと当たって、これ以上試合ができないぐらいにボコボコにやられてしまった。なんと相手は一瞬で移動ができる能力持ちだったのだ。二年目は、また初戦から強いヤツと当たってしまった。能力持ちではなかったが剣術に長けていた。僕は結構善戦はしていたつもりだが結局負けてしまった。しかも利き手を負傷してしまったので、それ以降の試合は持てる力を発揮できず全敗してしまった。
そして今回の三回目。一般教養の出来には自信があった。剣術の試合は三勝二敗。その二敗も惜敗だったのでテストに受かる自信もあったのだが……。
「くそ!!」
僕は幾度となく悪態をついた。自分なりに過酷と思える自主練を積んで入隊テストに臨んだのに僕には才能や努力が足りなかったってことか……。
「くそっ!」
もう、警備隊には入れないなんて……。いったい、どんな努力が足りなかったのだろう。森に籠って修行すれば良かったのか? 有名な流派の剣術を習得しておけば良かったか? いや、もはや次の策を考えても意味が無いんだ……。
僕は、家の外壁に身を預けて座り込み、ただただ空を眺めていた。
春の穏やかな昼下がり、ひばりがどこかでさえずっている。様々な動物や植物がこれから活発に動き始めるのだろうに、僕はまったくやる気をなくしてしまっていた。誰かの役に立ちたかったのに、父さんに認めてもらえる人間になりたかったのに、一番良い方法だと思っていた警備隊にはもう入れないのだ。
……もう、喚き散らす気も起きやしない……。
僕がぼんやりとしていると、視界の端に近所でよく見かける白猫が居た。左の耳の一部がちょっと欠けている。その猫がなにかを求める様な仕草で僕に近寄ってきた。
僕はその白猫のあごの下をいつもの様に指で掻いてあげた。ごろごろと喉を鳴らしだす白猫。そして、さらに愛撫をねだるように、頭のてっぺんを僕の太ももにこすりつけてきた。僕を慰めてくれているのだろうか。猫に僕の今の状況など分かる筈など無いのに、ふとそんなことを思ってしまった。
僕は白猫の前足の付け根に両手を差し込んで、目の前に顔が来るように持ち上げた。その瞳が真ん丸になっていた。その瞳に吸い込まれてしまう様な感じを持ちながら僕は、
「お前はいいよな。何も悩みが無さそうで。いっそ僕も猫になりたいよ」
と言った刹那、視界が暗転した。視界が回復すると僕の目の前に僕をのぞき込む僕が居た。
何で僕が目の前に見えるんだ?!
体がふわっと浮いた感じがした直後に衝撃を感じた。落下したらしい。びっくりしたが声が出なかった。見上げると、傍らに周囲をキョロキョロ見ている僕が居た。
そこに居る僕は誰だ?
僕は状況が分からなくて混乱していた。僕が混乱していると、突然目の前の僕は四つん這いになって走りだしてしまった。走りさえすれば今の状況から逃れられると思っているかの様だ。そしてその僕は、僕からどんどん離れていく。
あ、ちょ、待って。
「にゃ、にゃな」
なんか変な声が出た。立ち上がって追いかけようとしてみたけど、なんだか背骨が、脚が、尻尾がしっくりこない。
尻尾?!
何気に手を見てみると、白い毛がびっしりと生えてる。手のひらには、
肉球?!
立ち上がってみて視点が若干高くなった気がするが、いざ足を前に進めようとしても、うまく足が前に出ない。自分の体を改めて見てみると、座ってちんちんのポーズを取っている猫みたいな姿だった。いや、猫みたいじゃない、そのまんま猫だった。
逃げた僕は、すでに二十メートルくらいは離れようとしていた。ぎこちない四つん這いで走っている。その僕はこちらの方を見ようともせずに、どんどん僕から離れていく。このままではまずい気がする。何とかして追いつかなければ――。
僕が駆けだそうとした瞬間、突然視界が暗転した。視界が回復したと思った瞬間、地面が目の前に迫ってきていた。
「うわっっ!!!」
反射的に迫ってくる地面から顔をそむけ目をつぶった。右肩に激しい痛みを感じた。その後、上下左右が分からなくなり、体中に衝撃を感じた。そう、僕は地面の上を転がっていたのだ。なんとか両手で頭を庇うことができたが、肘や腰、背中や膝を何度も地面に叩きつけられた。
暫くして、目をゆっくりと開けた。目前には青空が広がっていた。そして体中がひどく傷んだ。僕は道のど真ん中で大の字になって転がっていた。両腕が動くことを確認しながら、手を目の前に持ってきた。その手は土まみれで傷だらけだったが、白い毛は生えていなかった。
人間に戻っている。
「よかった」
ひばりが僕を笑うかの様にさえずっていた。薄い雲が高い空にあった。上半身を起こして周囲を見渡した。長く続くこの道の片側には、僕の家も含み見慣れた家が並んでいた。ふと道端に視線を向けると、小さな子供が変人を見る様な顔で僕のことを見ていた。四つん這いで走ってたのを見られてしまったのだろうか。
「さてと、運動終わり!」
身体のあちこちが傷むのを我慢しながら、急いて立ち上がった。そして運動の終わりを強調するかの様に、その場で身体を捻ったり体側を伸ばしたりした。動きを止め、視線だけを子供の方に向けるとまだこっちをじっと見ている。
こっちを見ないでくれよ。
僕は真っ直ぐの姿勢を取り、握った両手を腰のあたりに構えて息をつき……、一気に加速して脱兎のごとく家に駆け戻った。
数分後、僕は家のテーブル横の椅子に腰かけていた。
さっきのは何だったんだ? まさか、僕の能力は猫と体を入れ替えられるというものなのか!?
* * *
やはり僕の能力は猫と体を入れ替えることができるものだった。この出来事の後、僕は自分の能力を知るためにいくつか実験をした。実験には準備を要した。なにせ僕の体に入った猫は何をしでかすか分からないからだ。
まず、入れ替わる前に、猫の頭では解くことが出来ない様な複雑さで僕自身を縄で縛っておいた。暴れて体を傷つけない様にするために、縄と肌の間に布を挟んだり角のある固い物を片付けたり大変だった。
それにしても、自分で自分を縛っているところを他人に見られなくて本当に良かった。何と言われるか分かったものでは無い。そして幸いにも、僕は縛ったり縛られたりする嗜好に目覚めることはなかった。動けない様に縛ったロープを解いた時の、あの何とも言えない解放感……。いやいや、そんなことはどうでも良い。
耳に切れ込みが入った近所の白猫は、なぜかいつも僕の実験に協力してくれた。と言うより、たまたま実験がしたいときに都合よく僕の家に来てくれたのだ。自分を拘束した後、目が見えるところに呼び寄せるために声を掛けたら、ちゃんと来てくれたしな。
実験を何度か繰り返すことによって、僕は能力を理解した。まず、意識を交換するには、猫と目を合わせる必要がある。目を合わせただけでは意識は交換されない。交換するという意志が必要だった。そして、元に戻すには、再度目を合わせる必要がある。これもまた、目を合わせただけでは元に戻らない。やっぱり意識を交換するという意志が必要だ。さらに、元に戻る方法がもう一つあった。元に戻すというより強制的に元に戻るのだ。それは、意識を交換した者同士の距離が二十メートル以上離れること。最後に、これら元に戻る条件がそろわなければ、ずっと意識を交換したままで居られる。まるまる一日交換したまま放置した実験で確かめられた。
だが、この能力、いったい何に使えるんだ!?
◇ ◇ ◇ 付 録 ◇ ◇ ◇
ロック:「あ、あんまり自分で縛ってるところを、じっと見ないでくれるかな?」
白猫:「……」
ロック:「いや、猫だし理解できないか。見てても良いぞ」
白猫:「……」
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