第2話 モーリーの森の魔女 ~ネイ~
* * *
「お前がモーリーの森の魔女か?」
漆黒の革鎧をまとい両手に細身の剣を持った男が言った。身長は百八十センチメールぐらいはあろうか。黒い髪に鋭い眼光、細身ではあるが力強さがその体からあふれ出している。その男は扉を易々と粉砕して、私の書斎に入ってきた。
――ロックとネイが出会う何時間か前のことである。
私が長年かけて築き上げた研究所のいたるところから火の手が上がっている。その火の勢いは凄まじく、手の施しようが無い程に広がっていた。その男の一味が研究所を襲ってきたのは、寝る準備を始める直前だった。周囲に張っておいた警戒魔方陣が探知した侵入者は四人。急いで書斎に駆け付けその一味を迎え撃つために、ゴーレム、サラマンダー、その他諸々を魔法羊皮紙を使って召喚し解き放った。その男がここに居るということは、私が差し向けたカーディアン達は全て屠られてしまったと言うことだ。
男が書斎に入って来た瞬間、私が侵入者を撃退するために用意しておいた魔法羊皮紙のトラップが発動した。その魔法によって、何もない空中に三本の矢が突然現れ、その男に向かって勢いよく飛んで行った。しかしその男は軽々と一本の矢を躱し、二本を両手のそれぞれの剣で打ち落とす。そして、
「危ないな。大人しくしろ。一緒に来てもらうぞ」
と淡々と言った。
「くっ!!」
何と言う手練れ。その男と戦っても容易に叩き伏せられるのだろう。そもそも私は武術も魔術も体得していない。
しかし私には秘策があった。それは手元にある起動済みの魔法羊皮紙だ。その効果対象は三メートル以内で最初に同意の言葉を発した者。
この男から同意の言葉を引き出すことができれば……。
「て、抵抗はしません。降参します」
私は対抗する意思が無いことを示すために、そして脱出の隙をなんとしても見つけるために両手をゆっくりと上げた。その男は少し不思議そうな表情を見せた。
なぜ不思議そうにしている? 私が秘策を用意していることに感づいたのか?
「おそらく私が尋ねても、あなたは名前も教えてくれないし、何人で襲ってきたのか、誰の依頼なのかも答えてくれないんでしょうね」
「ん? そんなことは無いぞ」
なるほど、否定か。とすれば、対話の中にさりげなく同意を得られる質問を入れるべきね。
「じゃ、じゃあ、何人でここを襲ってきたの?」
「俺を含めて四人だ。俺以外の三人はお前の手下に倒された」
その男は間を空けずに答える。
ガーディアン達は一応の成果を上げたってことね。あとは、最後に残ったこの男をなんとかできれば、この窮地を脱することができる。
「じゃあ、これは誰の依頼?」
「依頼主はオツカ商会の人間だ」
その男は素直に答えた。
「私を殺すの?」
「いや、そんな気は無いぞ」
否定。しかし何だろう、この男から感じられる違和感は。
「あ、あなたの名前は?」
「俺の名はカナテ」
漆黒のカナテ!
辺境一とも言われる手練れの剣士。金さえ積めばどんな危険な仕事でも引き受けるという。真の達人は空気の様にその場を支配するって誰かが言っていたけど、この男はそれを実現していた。
「や、やっぱり、私に危害を加えようとしているんじゃない!」
私は相手を油断させるべく、かなり驚いている様に振る舞った。
「お前は、大人しく付いてくればいいのだ」
まったく是も非も無いわね。
「分かったわ。最後にもう一つ質問してもいいかしら?」
「いいぞ」
同意!!
その刹那、魔法羊皮紙の仕掛けが発動した。その効果は同意した相手に対して、どんな指示も受け入れさせることができるものだ。その時間は同意後の二十秒間。この魔法羊皮紙を高位の魔法使いに作ってもらうために、私は二年の年月と高額のお金を費やしたのだ。
「あははっ。効いた様ね。とりあえず、これを見てもらえるかしら?」
私はもう一枚別の魔法羊皮紙を取り出してカナテに渡した。二十年ほど前に偶然手に入れたのだが、こっちの魔法羊皮紙を見てもらうことが本命だったのだ。
……ふと、こいつに感じていた違和感の正体に気づいてしまった。それはこいつが中身が空っぽな、残念な感じの人間だという可能性だ。つまり簡単に言ってしまうと素直すぎるのだ。騙す、騙される、隠ぺいする、暴くといった駆け引きの概念が無い。圧倒的な剣術の手腕に意識を持っていかれたためか、その正体を見破ることが出来てなかったのだ。もっと早く感付いていれば、最初の一枚目の魔法羊皮紙を消費せずに、最初っから本命の魔法羊皮紙を読ませることができたのかも知れない。
くそ~。一枚目は勿体なかったわね。
「うむ」
カナテは魔法羊皮紙を受け取り、それに見入った。二枚目の魔法羊皮紙の効果は『ポリモーフセルフ』、自身の姿を動物に変えてしまうものだ。そんな無用の魔法羊皮紙は、こんな時にしか使えない。
「……あなたが悪いのよ。しばらくはその姿で過ごしてもらうわ。今のところ、元に戻す手段は無いけれど、いつかは見つけてあげるから」
そう、元に戻す手段が無いことがこの魔法羊皮紙の無用なところだ。カナテ程の脅威を排除するには、申し訳ないがこうするしかなかった。
カナテが立っていたところに人間の姿はなく、代わりに黒い小猫がいた。そしてその黒猫はきょろきょろと自分の体を不思議そうに見回していた。
「にゃぁ」
「あら、驚いた。自分の姿が変えられてもパニックに陥ってないのね」
胆力が相当鍛えられているのか、あるいは何も考えていないのか。
……きっと後者ね。
カナテの挙動もポリモーフセルフの戻し方も、どちらも実に興味深い……。いやいや、今はそれを考察しているどころじゃないわ。
「行きましょ、ここもじきに炎の海に沈むわ。ほら、怖くないわよ、大人しくしてて」
私は手近にあったものを可能な限りかき集め、それらを両手で抱えるほどの木箱に放り込んだ。黒猫のカナテも一緒に。そして派手に燃えている我が家から脱出するために、意を決して火の粉が舞う炎の回廊につながる書斎の扉をくぐった。容赦なく押し寄せてくる熱波は、まるでサラマンダーが放出する炎の様だった。
ん? サラマンダー?
突然噴き出してきた炎が、ふと脳裏をよぎったその召喚獣の名前を私の意識から吹き飛ばした。
* * *
私は何とか外に避難することができた。長年住処として使っていた研究所が、回収しきれなかった書物や実験材料を巻き込んで激しく燃え盛っている。その炎は、立ち尽くす私と深く暗い森を明るく照らしていた。
オツカ商会の奴らめ、いつかきっと、キッチリと落とし前を付けさせてもらうわよ! 魔女という立場もこの場所もかなりお気に入りだったのに!
しかしなぜオツカ商会の奴らは私の研究所を襲ったのかしら? 恨みを買う様なことをした記憶は無いと私は断言できる。とすると一方的に私の魔女の地位を奪おうとしたのだろうか、あるいは私の書物や実験材料を奪おうと画策したのか……。前者はオツカ商会にとっては意味が無いが、後者なら捌いて金にすることもできる。既に燃えてしまっているだろうが、大量の書物や実験材料は私が大枚をはたいて蒐集したものだ。これらを奪うのなら私は邪魔だろう。だから、拉致し監禁しようとしたのだろうか。しかし、名の知れたオツカ商会がリスクが高い強奪を組織立って画策するだろうか。とすると、オツカ商会に所属する個人が画策したのかもしれない。襲撃された理由が不明瞭であるが、オツカ商会の奴らに追い討ちをかけられる可能性がある。少しでも可能性があるなら、この場所での魔女の身分とはお別れすべきなのだろう。そうとなれば、いつまでもここに居る訳にもいかない。
う~む。手っ取り早く新しい住処を確保する良い策は無いものかしらね……。
そんなことを考えながら私は木箱を抱え、モーリーの森を出て街道に向かった。
◇ ◇ ◇ 付 録 ◇ ◇ ◇
ネイ:「あなたはこの箱の中でじっとして、親切そうな人が通りかかったらじっと見つめるのよ。この作戦、いける! いけるわっ!!」
黒猫カナテ:「……」
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