誰か私をお宅に住まわせてください(だれすま)
乾燥バガス
第1章
第1話 誰か私をお宅に住まわせてください
『誰か私をお宅に住まわせてください』
そう書かれた紙が貼ってある箱に、がらくたらしき物と一緒に小猫が入っていた。全身が真っ黒なその小猫は、丸くなった瞳でじっと僕を見つめている。きっと誰かに捨てられてしまったのだろう。
小荷物を届ける簡単なクエストの帰り道、すでに周囲は夕暮れ時である。周辺に人影はまったく無い。このまま小猫を放置して帰るのも可愛そうだ。
「君も独りぼっちかい? よかったら家に来る?」
僕は黒猫を抱きかかえようとしゃがんだ。
「あら、ありがとう」
「うわっ!」
突然背後から女性の声が聞こえた。
いったい、いつの間にそこに居たんだ!?
僕がしゃがんだまま振り向くと、両サイドにスリットが開いているスカートが目に入った。ゆっくり視線を上げると、その人は腰に両手を当てている。さらに視線を上げると、とても綺麗に整って、そして満面の笑顔が僕を見下ろしていた。
僕がしりもちを付く形で後ずさりすると、堂々とした立ち姿の全容を見ることができた。心地よい夕暮れの風が街道を吹き抜け、彼女の長い髪がさらさらと揺れている。身長は百六十センチメートルくらい。歳の頃は二十代前半とも二十代後半とも見える。
彼女はゆっくりと箱の方に回り込み、ちょっと乱暴に片手で黒猫の首根っこを掴んで持ち上げた。僕は彼女に見とれてしまって、しゃがんだまま動けず彼女に視線を向け続けていた。
「どこかのバカが私の研究所を、私の家を、ブチ壊してくれたのよ! も~っっ!!! 五十年よ五十年! 五十年費やした研究成果を全部灰にしやがって! 腹が立つどころじゃないわ!! これから私は一体どうしたら良いって言うのよ!?」
綺麗な女性が発する言葉にしては少し乱暴だった。彼女は誰も居ない虚空に向かってさんざん喚き散らしている。その間、彼女に掴まれている黒猫はぶらんぶらんと揺れていた。
いったいこの人は何を言ってるんだ?
「ちなみに、この子は私の猫」
突然、小猫を僕の方に突き出し僕の視界を黒猫で満たす彼女。そして、黒猫をひょいっと横にずらし、僕に可愛らしい笑顔を向けた。
言葉が粗いのがちょっと残念なヒトだけれど、その笑顔はとても、とても綺麗だった。いや綺麗なのだが、可愛いと言った方が相応しい。
その可愛らしいお姉さんが、黙っている僕の方をじ~っと見つめている。
「キミ、優しいのね」
「……」
僕はまだ、この展開に付いて行けなかった。
そう言えば『五十年の研究』と言ってたよな。それにしては若すぎるんじゃないか?
「何考えてるの? まさか女性の年齢を計算してんじゃないでしょうね!?」
彼女が突然僕の額を指で突いた。
「まぁ良いわ。ところで、キミは能力持ち?」
ごく稀に特殊な能力を持っている人がこの世には居る。例えばとても重い武器を軽々と振り回すことができたり、瞬時に離れた場所に移動できたりする様な能力だ。そしてその様な能力は戦いの切り札として取っておくことが多いので、大っぴらに吹聴することはない。
あるいはとても残念な能力もある。例えば、おしっこの色を自由に変えることができたり、食べ物の味をまずくしたりるする様な能力である。この様な残念な能力は、言っても仕方ないか、言ったら恥ずかしいので大ぴらに吹聴することはない。
いずれにせよ、見知らぬ相手に自分から能力を語ることは普通しない。一応、僕は能力持ちである。残念な方の能力なのだが……。
そして僕は立ち上がった。こうするとほんの少し彼女を見下ろせた。
「な、なんなんですか突然。そもそも能力を持ってたとしても『持ってます』なんて答えはしませんよ」
綺麗な年上の女性と話し慣れていないせいか、ちょっとムッとした言い方になってしまった。ところがそれを聞いた彼女はふっと勝利を確信した様な笑顔を見せる。
「ふふ~ん。じゃぁ別の質問ね。
あんた、何か夢はある? 達成したいことってある? でも今のままじゃちょっと難しいって思ってない? 何なら、お姉さんが助けてあげるわよ?」
夢。
その言葉は僕につらい現実を思い出させた。僕は皆が憧れる警備隊に入りたかったけれども、入隊テストを既に三度も落ちてしまっていたのだ。三度の挑戦に敗れてしまったので、もう入隊テストを受けることとが出来ない。あれから数か月が経って、ほんの少し忘れることが出来ていたと言うのに……。
「あ、あなたに何が分かって、何ができるって言うんですか!」
みじめさと会話が不慣れなのも相まって、さらに喧嘩腰の言い方になってしまった。
そんな僕の言い方に動じていない彼女。むしろ何か確信を得た様な微笑を浮かべている。
「あら、私には何でも分かるし、何でもできるわ。少なくとも、私が何でも知っていて何でもできるってことを、あんたに思わせることは
彼女はウィンクをしながら自信アリげにそう断言した。そして彼女は片手の人差し指を自分の頬にあて、
「だって、女の子なんだもん」
と、少女っぽく振る舞って見せた。しかし『女の子』がどんなに背伸びをしても手が届かないぐらいには成長してしまっているのがちょっと痛々しい。僕らは向き合ったたまま固まって、互いにしばらく次に発する言葉を失っていた。
「……」「……」
二人の間を占拠する沈黙の時間。
彼女はふと思いついた様に、
「なんてね。今までのやり取りは、初対面の私達の距離を縮めるための冗談よ。じょ、う、だ、ん」
と四回、僕の胸を指で突きながら言った。微妙に突く位置をずらしながら。
「でも、あんたを助けられるっていうのは冗談じゃないわ。代わりと言っては何だけど、条件があるの。これよこれ!」
と言って『誰か私をお宅に住まわせてください』と書かれている黒猫が入っていた箱を指さした。
「もちろんこれは私が書いたの。それに対して親切なあなたは『よかったら家に来る?』って言ってくれた」
黒猫は彼女に摘まれてぶらんぶらんと揺れている。
「いや、それは猫に――」
彼女は僕に最後まで喋らせずに、言葉を重ねてきた。
「いや~。実際助かりますな~。女一人で行く当てもなく、どうしようかと思ってたのよね。そしてあんたはお家に招待してくれた。まさかあんた、か弱い私をこんな夕暮れにほったらかしにする気!? そんなことしないわよね? だったらいいでしょ、減るもんじゃないし。ところであんたの家はこの近く?」
彼女はわざとらしく片手を目の上にかざし、きょろきょろと周囲を探す素振りを見せた。
「泊まるって言っても、僕は一人暮らしだし……」
それに狭いし、小汚いし、僕と二人っきりなのに泊まるとでも言うのだろうか。
「ふ~ん。周囲の目を気にしているのかしら? じゃぁ、私は田舎から出てきたあんたのお姉さんっていう設定でいいかしら。美人のお姉さんができて嬉しいでしょ? 私がハーフエルフで、あなたが人間だから異母姉弟ね、お父さんが人間の」
なるほど、彼女には長生きの
「ちょっと良いですか?
気づいちゃったんですけど、あなたが五十年以上生きているとすると、僕たちの人間のお父さんもずいぶん長生きじゃなきゃならないですよね?」
僕は『人間』の部分を強調して言った。それを聞いた彼女は悔しそうな表情をちらりと見せた。
「そ、そんなの簡単よ。あなたの、いいえ私達のお父さんは私が生まれた後に石化されて、百、いえ数十年前に元に戻って結婚した。
そんなところでどう?」
今『百』と言い間違えたよな。どれだけ長生きしているんだ?
「僕の父は子供の頃からこの辺にいたし、割と有名でしたよ。しかも石化したことなんて無いってみんなが知ってますし」
実際、父さんはこの街で生まれ育ち、この辺では良く知られた警備隊の隊員だった。三年前に城外の警備中に事故にあって死んでしまっているが……。
これを聞いた彼女はしゃがみこんで、片手を髪の毛に差し込んで頭を掻いていた。思い通りにならなかったのを悔しがっている。
「くそ~、そっか~」
彼女がしゃがんだ拍子に地面に足を着くことが出来た黒猫が脱出を試みようと足掻いていたが、それは叶わなかった。そして彼女は、ちらちらとこっちに目配せをしてきた。
え、何? 僕が考えろっていうこと?
その上目遣いは憎たらしいけど、なんか可愛らしい。しかも見ていてちょっと楽しいと感じてしまった。久しぶりに人とコミュニケーションを取ったからかも知れない。
「じゃ、じゃあ、あなたは母方の祖母と旧知の間柄ってのはどうでしょう? そしてその孫の僕を訪ねてきているという設定です」
僕はふと浮かんだ案をついつい言ってしまった。
「あははっ。あんた良いねぇ。これからも、その感じのまんまが良いよ」
彼女は満面の笑みを浮かべながら立ち上がった。その笑みは何か企んでいる様な感じがした。
あ、……僕はハメられたのか? 何か拙いことを言ったかな。
「その設定に深みを増すために、私はあんたの憧れの女性って属性も付けといてくれる?」
僕の反省の思考を中断させるかの様に、変な事を言ってくる彼女。
「その属性必要ですか?
……それから、ずっとは泊められませんよ。僕は貧乏だし」
父さんが死んで、今は一人で住むのにちょうどいい手狭な家に住んでいる。
そんな所に二人きりで住んでいいのだろうか? 綺麗なお姉さんと一緒なのは心躍るけれども。しかしそれは――。
「あらあらあら」
ますます嬉しそうに笑顔を見せる彼女。上半身を横に傾け、直立している僕を下から見上げる姿勢になった。
「今後もずっと泊めてくれるんだぁ。うれしいわ、ホント。私も職を探すからあんたが貧乏でも大丈夫よ。ちゃんと食費ぐらいは払うわ」
彼女は手をひらひらさせながら言った。反対の手の黒猫もそれに合わせてぶらんぶらんと揺れている。いつの間にか『泊まらせるかどうか』って話から、『どうやって居候するか』って話に変わっている気がした。
「それより、いつまでもこんなところに突っ立ってても仕方ないんじゃない? さぁさぁ出発、出発。我が家に案内しなさい、新しい我が家に」
あぁ。これは、もうすっかり『居候する』ってことになってるな。まぁ綺麗な人だし、これはこれでラッキーなのか? いや、この人も困っているんだ。それを助けるのは良いことだ。……そうに違いない。
僕がそんな思い巡らせていると、彼女は黒猫をポイっと先ほどの箱に放り込んで、それを両手で抱えて街の方に歩き始めた。
「持ちますよ、それ」
僕は慌てて彼女に追いつき、彼女に代わって箱を両手で抱えて歩きだした。よく見ると彼女の服はところどころに大小の焦げ跡が付いてる。
「あの。僕のマント羽織ります? 今僕が着てるヤツですけど。そのままだと、なんか怪しまれそうですし」
彼女は自分の服を見渡して、僕の提案の理由を理解した様だった。
「ありがと、借りるわ」
彼女は箱で両手がふさがっている僕の後ろに回り込み、マントを外すために首周りに手を絡めてきた。彼女の顔が僕の顔に近づいた。僕はドキドキしていることを気取られない様に必死だった。
「と、と、ところで、名前は何ですか?」
密着していた彼女が僕から離れ、優雅にマントを羽織りながら答えた。
「その子に名前はまだないわ」
「え、あの、猫の名前じゃなくあなたの名前――」
「私ね、モーリーの森で魔女みたいなことをやってたのよ。本物の魔女じゃないけど魔女ができることはやってたの。薬を調合したり、誰にも言えない悩みを聞いてあげたりね」
僕の話を聞いてないな……。
彼女は両手を頭の後ろで組みながら、僕の前の方に移動しながら言った。
「でも、どこかのバカがコレクションもろとも研究所を灰にしやがったのよ。はぁ~。また最初からやり直しよ。まったく。
だけど、せっかくやり直すんだから、もっと効率が良いやり方に変えてみようと思ってるのよねぇ」
最後の方は何を言ってるのかよく分からなかった。そしてくるりと僕の方に振り返って彼女は言う。
「ところで、あんたの能力は何よ。私のヒミツを教えたんだから、そっちもそろそろ教えてくれてもいいんじゃない? 教えてくれたら、もっとお姉さんのヒミツを教えて、あ・げ・る・よ?」
大袈裟に可愛い子ぶっている彼女。普通に振る舞っていても十分綺麗なのだが。
「あ、それは結構です。僕の能力は、猫と意識を入れ替えることです。つまらない能力です」
それを聞いて、彼女はつかつかと寄ってきて横に並んだ。そして突然僕の首を左脇に抱えて、右手の拳で頭をグリグリしてきた。
「何が結構ですって~!? こんなに美人のお姉さんのヒミツが知れるのよ!」
胸が顔に当たってますっ! そしてグリグリはそんなに痛くないです! これは何のご褒美なんだ!?
「痛い、痛い、箱が落ちるっ」
暫く僕の頭をグリグリ攻撃した後、彼女は僕を放してくれた。そして、僕の正面に立って握手をすべく右手を出した。
「ネイよ。よろしく」
僕は箱で両手がふさがってるので手を出せなかった。仕方がないから僕はお辞儀をすることにした。
「ロックです」
行く当てのなくなった右手を、握ったり開いたりを数回繰り返すネイ。じっとこっちを見ている。ふと右手の役割を思いついたかの様にその手で箱の中の黒猫を指さした。
「そうそう、その子に名前を付けてもらってもいいかしら?」
いつの間にか僕は、天真爛漫な、いやきっと裏があるのだろうけれど、そんなネイに興味を覚えてしまっていた。
そしてここから、僕とネイと黒猫の生活が始まるのであった。
◇ ◇ ◇ 付 録 ◇ ◇ ◇
ロック:「誰もあの道を通らなかったら、どうしてたんですか?」
ネイ:「あ、それは考えてなかったわ」
ロック:「……」
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