side β-2

「不死身とは言ったけど、実はそんな大したものではなくてね」


ボディーガードの任を引き受けたはいいものの、銃で撃たれても死なない人間の何をどう守れというのか。そんな僕の疑問を察したのか、先生は勝手に解説を始めた。その後ろではピザ配達員(?)のキャサリンが、気絶した暴漢をどこかへと引きずっていた。


「私の体を循環する幹細胞──IDMP細胞──は体内で周囲の細胞を模倣して分化・増殖するが、損傷前の状態を忠実に再現するわけじゃあない。臓器の大部分が失われると、傷を埋めても機能は元に戻らない可能性が高いんだ。止血にはなるけどね。さっきの傷も、ほら」


先生は自分の首を指差した。銃弾を受けた跡がはっきりと分かる。肉の蠢きは収まっているが、表面は滑らかではなく、古傷のようにも見える。たしかにこれは、”再生能力”と聞いて連想するようなファンタジーな現象ではないらしい。……だとすれば、銃を持った男と対峙するのはリスクの高い行為だったのではないか?肝が据わっているというか、無頓着というか。


「それともう1つ重大な問題がある。この細胞は増殖の際に酸素と栄養グルコースを要求するが、これが短時間で急激に起こると血中濃度が一気に低下して貧血のような状態になる。つまり、損傷が激しくなるほど無防備な時間が増える。いくら再生するとはいっても、動けない間に止めを刺されたらお終いだ」

「その時間を補うのが僕の仕事、ですか?」

「その通り。さっきはのため派手に怪我してみせたけど、普段からああでは体がもたないから、できるだけ被弾は抑えるようにするよ。それでも、凶器を持った人間を相手にする以上私だけでは対処できない事態が起こりうる。その時は、君にも戦ってほしい」


彼女が不死身ではなく、背中を守る仲間が必要なことは理解した。しかし、非力な子供である僕がその役目を果たせるだろうか?


「言いたいことは分かるよ。今の君がまともに戦うには、身体能力を補う武器が必要だ。名探偵コ〇ンでいうところのキック力増強シューズのような────」


名探偵コ〇ンはこっちの世界にもあるのか。ご長寿漫画だものな。この世界に来る前に聞いた話だとβが正史から分岐したのは2030年頃だから、その前から存在したものはβにも存在するということだ。家電や食べ物も元の世界とそう変わりないようで、正直なところ自分が異世界に居るという実感がどんどん薄れている。


「持ってくるから少し待っててくれ」


そう言うと先生は部屋を出ていった。あるのか?キック力増強シューズが。だとすれば話が変わってくるぞ。






少し経って、彼女は台車を押しながら部屋に戻ってきた。台車には大きな水槽が乗っていて、その中には────僕の見間違えでなければ、成人男性の腕のようなものが浮かんでいる。


「な、なんですかそれは」

「バイオアームくんだ」

「名前ではなくて……」

「IDMP細胞の培養で作成した人工左腕だよ」


僕は思わず水槽に近寄って中をまじまじと見た。本物の腕じゃないと聞いて安心したが、もしや目の前のものはそれよりも驚くべき代物なのではないか?水槽に浮かぶ腕は骨格から筋肉、皮膚や爪に至るまで違和感なく完成しているように見える。これを人に移植して動かせるようになるのであれば…………どのくらいかは断言できないが、とにかくすごいことだ。


「きれいな造形をしているだろう?だが、この腕は未完成なんだ」


どういうことかと尋ねる前に、先生は懐から取り出したプラスチックチューブの蓋を開けて、中の溶液を水槽に流し入れた。すると、少し間をおいて水槽の中の腕がワサワサと小刻みに動き出した。


「皮膚や筋肉は細胞を正しく分化させれば十分に再現できる一方で、それらに投射する神経系は水槽の中だけでは発達しきらない。制御を受けていない筋線維は、こうやって栄養グルコースを供給するだけで無秩序に収縮し始める。そして…………」


先生はどこからか取り出した大きめのりんごを水槽に入れた。人差し指の腹に触れた瞬間、りんごはバゴォという鈍い音と共に爆発四散した。何が起こったのか一瞬理解できなかったが、どうやら人工左腕がそれを握りつぶしたらしい。爆発音だと思ったのは、破片が凄まじい速度で水槽の壁にぶつかる音だった。


「このように、掌に触れたものを力いっぱい握る」

「力いっぱいってレベルじゃありませんが」

「せっかくだから、ミオスタチン関連遺伝子を少し改変して筋力を強化したんだ」


せっかくだから、の意味はまるで分からないが……事故で腕を失った人に希望をもたらすかと思われたその人工臓器は、実のところ単なる無差別破壊兵器だった。果糖を浴びて狂喜乱舞する腕がふりまく恐怖は、”バイオアームくん”なんて可愛い名前ではとても誤魔化せていない。


「これを君に移植しようと思う」


ここまでの流れからはまるで予想できないセリフだ。


「いやいやいや」

「この腕はきっと君の力になってくれる」

「持て余しますから」

「さっきの戦いでも思ったんじゃないか?自分にもっと力があれば……と」

「思ったか思ってないかで言えば思いましたけど、こういう物理的な力の塊は欲してないんですよ」


この人工左腕のパワーなら子供の頭くらい容易に握りつぶせるだろう。栄養を与えている間ランダムに動くなら、真っ先に被害を被るのは僕に違いない。いや、そもそもこの体は僕のものではないのだから、なおさら無下に扱うことはできない。


「今はこんなだが、君の神経系と接続しつつ外部から刺激を与えて慣らしていけば、いずれコントロールできるようになるよ」

「試したんですか?それに、制御できるようになるまでの間に怪我しない保証はないでしょう」

「大丈夫、君はこういうの得意だから」

「何を根拠に……」


これでは埒が明かないとため息が出かかったところに、先生がこちらへ近づき僕の両肩を掴んだ。単に力で負けているうえ、正面から真っすぐなまなざしを浴びせられ微動だに出来ない。


「今日のような敵はまたいつ来てもおかしくない。私と行動を共にするなら必然的に君も危険に晒されることになる。身を守る手段の有無は移植のリスク以上に重大だ。経験上はこの方法が一番上手くいくはずなんだ。これは君のためでもある…………頼むよ」


彼女は一つ一つの言葉を言い聞かせるように口にした。今までにない真剣な口調につい流されそうになったが、やはり借り物の体をむやみに改造するのはやはり受け入れられない。


「何か、他の方法は無いんですか」

「そうか……仕方ない」


そう言うと、彼女は僕の肩から両手を離した。分かってもらえたようで良かった。僕に格闘技や武器使用の心得は無いが、訓練を前提とするなら少しはマシな手段があるはずだ。例えばさっきの暴漢から押収した拳銃とか────


「合意を得るのは諦めよう」

「え?」


彼女は自分の腕時計を見ながらそう言った。そして、次の一瞬で彼女が何をしたのかを理解するよりも先に、僕の視界は暗転した。






**********






目を覚ますと知らない天井が目に入った。真っ白なシーツがかけられたベッド、規則的な機械音に独特の匂い……ここは病院の一室だとすぐに分かった。しかし、自分がここにいる経緯はいまいち把握できていない。左肩甲骨に痛みを感じ、右手でそのあたりを触ってみると、なにやら異物がくっついているようだった。


「痛っ……なんだこれ…………」


目視で確認すると、少年の細い左腕に加えて、その後ろから筋骨隆々とした腕が生えているのが見えた。


「ウワーーッ!」


その瞬間、意識を失う直前の記憶がはっきりと蘇った。この腕は十中八九あの人の仕業だ。彼女は僕から合意を得られないと判断した途端に、僕を昏倒させて勝手に移植するプランに切り替えたのだ。人間の所業とは信じがたいが、ここまで得た印象から、彼女ならやりかねないと思える。しかし、彼女は自力でこんな手術もできるのか?


「やっと起きましたか」


声のする方へ振り向くと、白衣を着たご高齢の男性が部屋に入ってきていた。この声はつい最近、一度だけ聞いたことがある。目覚めた直後で錯乱状態の僕と母親に問診をしたあの医師だ。彼がなぜここに?


「今回のオペは私が担当しました。本当ならこんな非人道的なことに加担したくはなかったのですが…………」

「科学の進歩のためならやむを得ない。そうだろう?」


彼の後ろから、その非人道的な所業の元凶が現れた。


「未来の人命のため、と言ってください」

「まあそういうことだ。紹介しよう、彼はこの都立目黒医療センター院長の亀谷くんだ」


まさかこの人が院長だったとは思っていなかったが、言われてみれば相応しい風格があるような気もする。それにしても、先生の尊大な話し方に対して、明らかに目上の医師が敬語を使っている様子には大きな違和感がある。


「…………お二人はどういうご関係ですか?」

「亀谷くんと私は利害の一致した協力関係にある。そうそう、君のことは彼から教えてもらったんだよ。目を覚ました直後、不安とも記憶障害ともとれるおかしな挙動を見せる子供が病院に来たと」

「どうしてそんな情報を集める必要が?」

「ひとつは君を見つけるため。そしてもうひとつは…………」


先生は一瞬冷たい表情を見せたかと思うと、ごまかすように目をそらして微笑んだ。


「そんなことより、君に移植した3本目の腕の説明をしようか」


こう露骨に話題を逸らされては釈然としないが、確かに今はそちらの方が重要だ。罪なき子供の体になんてことをしてくれたのか、正しく説明してもらわなければいけない。


「その腕は骨・筋肉・血管・神経に至るまで君の体と接続している。本来の左腕の後ろから生やしている関係で骨格に多少無理はあるが、そこは亀谷くんのセンスで何とかしてもらった」

「私が頑張りました」


亀谷院長はお茶目にも右手でピースを作っている。普通なら手の震えに悩まされるような年齢だろうに、そのような繊細な手術を行えるとは感服させられる。ただ、僕は技術上の説明を聞きたいのではない。言ってもしょうがないのだろうが。


「君の血液から酸素と栄養グルコースを得て活動する仕組みだが、一応、血流量をマニュアルで調整することで活動量を操作できる。腕の付け根にスイッチがあるだろう?」


右手で触ってみると、確かにそれらしきものがあった。


「上がHigh、下がLowだ」

「OFFは無いんですか」

「何を言っているんだ、OFFにしたらバイオアームくんが死んでしまうだろう」


それはそうなんだろうが、僕の体ももっと大切に扱ってほしいものだ。しかし、Lowモードの腕は思っていたよりも大人しい。水槽で見たワサワサと気持ち悪い動きではなく、ピクピクと痙攣する程度だ。これなら即座に頭を握り潰されて死んでしまうということは無いかもしれない。


「しばらくはLowで慣らして、必要に応じてHighにするといい。じゃあ亀谷くん、後は頼んだよ」


説明もそこそこに、先生は部屋を出て行ってしまった。院長は小さく手を振ってそれを見送る。足音が離れたのを確かめてから、僕は気になっていたことを尋ねた。


「あの、亀谷さんはなんであの人に協力してるんですか?弱みを握られてるとか?」

「ふふふ、当たらずとも遠からずといったところです」


彼は上品に笑ってそう答えた。


「正直なことを言うと、私は彼女に惚れているんです」

「長いこと外科医をしていると、不甲斐ないと思わされる場面がいくつもありました。中でも悔しいのは、最期まで臓器のドナーが見つからずこの世を去る患者を見送る時…………」

「私の力の及ぶところではないと今まで自分に言い聞かせてきました。しかし、彼女は同じ人間でありながら偉業を成し遂げようとしている。あの奇跡のような幹細胞を君も見たでしょう。私はあれを見て、彼女は本気で世界中の人を救うつもりなのだと思いました」

「人工臓器の生産が安定した暁には優先的な供給を保証する…………これも提示された対価ではありますが、私にとって重要なのはそこではないのです。彼女が研究を完遂するためならどんな汚れ仕事でもできる。私はそう覚悟しています」


そう語る彼の目には力強い光が宿っていた。僕は移植された腕をもう一度見た。赤みを帯びた肌は、そこに血が流れていることを意味している。前腕を撫でると、自分の肌と肌の擦れ合う感覚がした。この奇跡の産物が、いつか世界を救うのだろうか。


「あのような態度では伝わらないと思いますが、彼女はあらゆる脅威から君を守ろうとしています。なぜ君にこだわるのかは分かりませんが、それが彼女の理想に必要なのであれば、私も君の安全のため手を尽くしましょう」


侵略者から世界を守るなんて息巻いている間にも、僕自身が知らぬうちに大人の庇護を受けている。世界どころか、誰か一人でも救うのはきっと容易ではないはずだ。冷えた頭で窓の外を見ると、どこかの親子連れが手を繋いで歩いていた。僕は自然とこの子の母親のことを思い出していた。

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異世界で目覚めた僕は果たして「人間」なのだろうか? @shikaku83

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