再会


 高校は退屈なものである。ただ似たような毎日の繰り返しで、楽しいことも興味深いことも何も起こらない。そのおかげで何も期待せずに穏やかな日々を過ごしていた。


 あの夜に俺の心持ちは変わったかもしれないが、本質が変わることはなく、今はただ何も考えずに生きているだけだ。勉強は並程度にやって、家事も少しは手伝うが、ボランティア活動はもうやめた。


 高校に入学してから俺に話しかけてきた人もいた。いつも一人の俺を見かねたのか知らないが、おそらく友達になろうとしていたのだろう。しかし、俺は彼らと話しても楽しいと感じなかった。


 また、あの少女と会いたい。




 予鈴のチャイムが鳴り響く。昼休みも終わり、俺は教室を出て理科室へ移動していた。枯れた桜の木々が廊下の窓から見える。とある木の最後の花びらが風に吹かれて宙を舞う。何秒も経たないうちに花びらは地面へと落ちた。


 何か期待していたわけでもないが、何故かその光景を最後まで見届け、前へ向き直る。すると一人の女子生徒と目が合う。


 黒く艶のある長い髪。血色の良い健康的な肌。驚きで円を描く赤い唇。曇って生気を感じられない瞳。それなのに俺は彼女の瞳に吸い込まれて息が詰まって心臓が破裂間際に追い詰められ、手汗が吹き出る。


 自分に似ている。彼女のことが気になって仕方がない。名前も家庭環境も心の内も全て。


「あ、あの! 名前は?」


「その前に自分の名前を名乗るのが常識でしょ?」


「すみません。俺は相原 竜人って言います」


「竜人……。私は橘 純子。久しぶり相原くん」


「えっと……どこかでお会いしましたっけ」


「いつかの春、夜の公園で。覚えていませんか?」


「あ、あの時の……!」


 あの時と比べて丁寧な話し方になっていて驚いた。雰囲気もどことなく明るい。


「はい。もし、よかったら今日の放課後、一年六組の教室まで来てくれませんか?」


 胸元の刺繍の色が一年生を表す赤であった。


「は、はい! 行きます!」


「もうすぐ授業が始まってしまうので、この辺で失礼します。では、また」


 彼女は笑顔で小さく手を振り、去って行った。俺も手を振って理科室へ向かう。


 運命。彼女と同じ高校へ進学していたなんて。しかも、隣のクラスになれるなんて驚きだ。放課後が楽しみに感じたのはいつぶりだろうか。




 やけに長いホームルームを終え、早足で教室から出る。しかし、隣の六組はまだホームルームの途中であった。俺は高鳴る鼓動を必死に抑え、落ち着かない手にスマホを握らせて平然を装う。


 それでもまだ目が泳ぎ、教室の中に彼女がいないか探す。瞬きもしないうちに彼女を見つける。かといって、彼女を見続けるのも小っ恥ずかしいので、∞の形に目を動かし、三秒に一度彼女を感じた。


 ふとした瞬間に彼女と目が合う。彼女の視線がビームのように俺の心を貫く。痺れてしまう。咄嗟に手を振って誤魔化した。彼女は手を振る代わりに笑った。


 ようやくホームルームが終わり、彼女は喧騒と共に教室から出てくる。


「相原くん。お待たせ」


 至る所から見られているような気がした。接点のない男女二人が放課後に待ち合わせているなんて、普通に考えれば有り得ない。だからこそ、カップルであると勘違いされていないかと心配になる。


 そもそも、放課後に呼び出して何をするのか。デートでもなければ告白でもない。過去の話をするというのもいいが、わざわざ話す時間を作る必要があるだろうか。


「まずは……そうね、あの時はありがとう。おかげで私は自殺せずに済んだ」


「ど、どういたしまして」


「あなたも生きていてよかった」


「俺も橘さんのおかげで自殺を辞めたんです。だから、その、こちらこそありがとうございます」


「私たち同学年なんだから、そんなに改まる必要ないよ」


「そ、そうだな」


「もしかして、色々塞ぎ込んで会話が苦手になったとか? それなら私をカフェに連れて行くといいよ」


「たしかに、貢いでおけば老後も安心だな」


「私は保険会社じゃありません。とにかく、連れて行ってよ」


 橘はそう言って期待の眼差しを向ける。やはり、彼女は不思議な力を持っている。こんな簡単に俺の緊張を解くことができるのだから。


「わかったわかった。じゃあ……行くか」


 二人並んで校門を出て、最寄り駅へむかった。到着し、足を止める。


「ごめん。そういや、カフェの場所とか知らない」


「ここでコミュニケーション能力を鍛えましょう! なんと、ここを通る人にカフェの場所を聞いていけば、コミュニケーション能力の向上が期待できます!」


「実際のところは『私も分かりません』ってことだろ?」


「うっ……仕方ないでしょ。こういうの、興味ないんだもの」


「橘さんも俺と同じ感じなんだね。なんか、安心したよ」


「でも、安心してる暇はないよ。早くカフェの場所を聞かなきゃ」


 ――そうして、無事にカフェへ辿り着いた。スマホで場所を検索して。


「スマホという最先端の技術で人との会話を回避するなんて……」


「退化に進化は付き物だろ」


「逆じゃない? というかコミュニケーション能力を退化させちゃだめ!」


 自動ドアが開き、中へ入った。中は茶色をベースとした落ち着いた雰囲気で、ほぼ満席といったところだ。


 店員に窓際の席へ案内され、そこへ座った。


 パンケーキやパフェにカメラを向ける女子高生や、コーヒー片手にパソコンを眺める男性がいる中、どうも息苦しい。


 とにかく何か注文しようと、メニューを見るが、似たような名前がずらりと並び、何がなんだかわからない。


 そもそも、コーヒーなんて飲んだことがない。飲めるのか……? いや、飲まないといけない気がする。そして、飲むとしたら無難なやつ。


「俺は決まったよ」


「何にするの?」


「アイスコーヒー」


「そう。じゃあ私もアイスコーヒーにしよっと」


 そこで問題が発生する。店員を呼ぼうと呼鈴を探したが、見つからないのだ。


「……さて、どちらが店員を呼ぶかだが、ここは公平にジャンケンで決めるとしようじゃないか」


「却下。こういう時は男性がエスコートするべきよ。辞書にも載ってる」


「そんなことが辞書に載ってたら人生難しいことないぞ……」


 俺は意を決して店員を呼んだ。その声は自分でもわかるほどぎこちないものであった。


 店員がこちらの席へ来て、何とか注文を終え、一息ついた。


「それで、俺に何か話でもあるのか?」


「特にないよ。ただ、相原くんと再会して、こういうところに行きたいなと思っただけ」


「……そうか」


 少し照れくさい。もしかして、橘は俺のことが好きなのではないだろうか。


「自意識過剰もほどほどにね。私は別に、相原くんのことが気になるだけで、好きではないから」


 彼女は平然とした顔で言う。戸惑いも照れもないのがとても悔しい。俺一人だけ勝手にドキドキして馬鹿みたいだ。


「言ってくれるじゃねーか。でもまぁ、俺も同じような感じ。橘さんのことを知りたいだけ。そもそも、好きって感情がどんなものなのかも分からない」


 確かに彼女は可愛くて、面白くて、気が合う。しかし、それを好きだと決めつけるのも違うような気がした。


「失礼します。こちら、アイスコーヒー二つです」


 机にアイスコーヒーが二つ並んだ。俺は備え付けのミルクと砂糖を入れて、ストローでかき混ぜる。彼女も俺のマネをする。


「橘さん、もしかして、コーヒー初めてか?」


「わ、悪い? 両親が厳しいのよ、こういうの」


「まぁ、俺も初めてだし、人のこと言えないんだけどね」


 そう言ってストローを咥えた。吸うと、口の中にほろ苦い味が広がった。ミルクと砂糖を入れても、甘さは控えめだ。


「思っていたよりずっと苦いな。でも、こういうのも悪くない。橘はどう?」


「うぅ……さすがに苦すぎ……」


「お子様舌だな」


「なっ……」


「まぁ、無理せずに砂糖とミルク追加で入れるといいよ」


 彼女はしぶしぶ砂糖とミルクを追加し、もう一度飲んだ。


「うん、これならいける」


「それならよかった」


「ところで、相原くんは友達とかいるの?」


「いるように見える? そういう橘さんは?」


「私もいないよ。だって、みんな私と違う世界が見えてるみたいだもの。でも、相原くんは、私と同じ世界が見えていると思うの」


「全くもって同意見。なんかね、目を見れば分かるんだよ。運命ってやつを恨んでる目、というかさ」


「わかる。確かに、相原くんもそんな目をしてる」


 結局、お互いのことは何も話さなかった。人との関係とか運命といった漠然としたものに対する話をしただけであった。


 気がつけば、外は夕焼け色に染まっていた。


「私、そろそろ帰らなきゃ」


「途中まで送るよ」


「ありがとう。じゃあ駅までお願いします」


 会計を済ませ、カフェから出た。


 カラスが鳴き、車が通り過ぎ、木々が揺れる。


 俺と橘は友達なのだろうか。それとも、まだ知り合いなのだろうか。それから、"次"はあるのだろうか。不安が押し寄せる。


 彼女のおかげで曇っていた心に光が差し、彼女が隣にいてくれれば、いつまででも生きていける気がした。だから、彼女ともっと一緒にいたい。そう思った。


 駅に着いた。俺は電車には乗らないため、ここでお別れだ。


「橘さん、機会があれば、また行かない?」


「そうね。次は相原くんから誘ってね」


「わかった」


「じゃあまたね」


「うん、またね」


 彼女は笑顔で別れを告げた。


 彼女のことを考えながら夜道を歩き、十分くらい経ち、自宅が見えた時だった。


 数十メートル先で炎の柱が生じた。俺は驚き、立ち止まる。すると、背後から慌ただしい足音が聞こえ、反射的に振り向く。


 そこには黒く光沢のある鎧を身につけ、短剣を片手にこちらへ向かってくる人がいた。

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