8-3節
現世への帰路、ふいに周囲が明るくなった。柔らかな光の中を浮上しながら、麓丸は耳を傾ける。
「麓丸……」
「おや母上、おれの意識があっても出てこれるものなんですか」
「今のあなたは魂だけになっているから干渉しやすいの。そんな姿になってまで追いかけるなんて、
「これは幼なじみ的措置です。勝手に死なれては寝覚めも悪いですしね」
「ふーーーーーーーーーーーーーん」
「そんなに伸ばし棒が連なると、もはやはっきり言うのと同じですね。何がとは言いませんが」
「まあいいけど。いいですけど。早くしないと着いちゃうし」
「そうですね。どうせ気にしても何も出てきません」
「ふんだ。せっかく素敵な報せを持ってきたのに」
にわかに緊張が走った。母親が持ってくる「素敵な報せ」とは、息子にとってどのようなものだろうか。姿が見えないので、声色で判断するしかない。麓丸は
「ああ、もちろんあなたのエロ本の話じゃなくてね」
「ぐぼおっ!」
「どうかした?」
「持病の食道静脈
「男の子だもんね」
「可愛いっぽく言ってますけど瀕死に追い込んでますからね。心は吐血してますからね」
「発見したのは偶然だし、ちょっとパラ見はしたけど、整頓はしてないから安心して」
「暗黙のうちに死んでくれの略でアンシンですか。母上はとんだ悪女ですね。若かりし頃の父上は、これに
「あら人聞きの悪い。純粋に愛しあってあなたが生まれたのよ。知ってるでしょ」
「よくそんなことを恥ずかしげもなく言う」
「妻ですもの」
「……なんだか母上があいつと気の合う理由がわかった気がしますよ」
「だって、とっても良い子じゃない。麓丸もそれはわかってるはずなんだけどな」
「どうですかね」
「困った子ねえ。まあいいわ、なんだかタイミングがずれちゃったし、お報せはやっぱり麓丸が帰ってきてからにするわね。だから、あんまり遅くならないように。任務を果たして、プロポーズして、必ず無事に帰ること。いいわね」
「不要な手順は割愛するとして、概ね承知しました。おれにとって良い連絡であることを願っておきます。そちらも気をつけて、梅之助と待っていてください」
「はいはーい」
すうっと暖かい空間が溶けていくと、闇が辺りを満たしていった。けれど真っ暗というわけではない。次第に広がりゆく世界めがけ、一気に飛び出した。
後頭部にわずかな弾力を感じた。それから、髪を撫でる手のひらに気付く。
「わたしのひざまくらの味はどう?」
「……味ってなんだよ」
むくりと起き上がった麓丸は、左手の指をひねってみた。いつもの外す感覚がしない。体の内側としっかり繋がっているのがわかる。
「これも愛の成せるわざかしら」
「元はといえばおまえの尻ぬぐいだがな」
「いやだわロクったら。人の尻をぬぐう趣味があるの?」
「言い方!」
まったく人騒がせなやつだ、と呟いたところで、鼻ちょうちんを膨らませている浮遊霊を発見してずっこけた。
「誤解がないように言っておくと、わたしが起きた時にはもう寝ていたわ」
「色々と逆な気がしてならんが、気にしないでおく。こいつは置き去りにするとして、おまえは……どうせ言っても聞かんのだろ」
「当然。こんな面白いこと、見逃せるはずないじゃない」
「はいはい、もう飛び出しは禁止だからな」
第二の巻物の示す地、そして決戦の地へ向け、麓丸は駆けだした。不思議と怖くはない。呪いが解けたお陰もあるだろうが、それだけではない気もしている。何が変わったかはわからない。けれど活力が湧いていた。
二人からの連絡は来ていない。麓丸は歩を早めた。最短距離で山中を突っ切った。そして、走りながらスマートフォンを取り出すと、あるサイトにアクセスした。トップページには、きらびやかな衣装で踊る男たちの写真が掲載されている。顔をしかめながら、麓丸はファンクラブ会員限定ページに入った。
「こんなところをクラスの連中に見られれば、何を言われるやら」
独りごち、コンサートスケジュールからチケット先行販売日までを確認した。後日行われるであろう、女たちとのすさまじい争奪戦を思えば戦々恐々である。
だが、もはや天引きする給料はなくとも、賞与は別だ。
そういうことにしておいた。
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