第六話 いのちの最前線(1)

  第六話 いのちの最前線


 ここで時間を巻き戻し、直虎の視点で物語を見てみよう。

 時術で加速し、琉歌の行き先と思われるホテルに駆けつけた直虎は、ホテルの屋上で稲光りが炸裂したのを見て、あそこだと思った。一気呵成に屋上まで駆けあがり、琉歌がなにをしようとしているのかを悟ると、慌てて炎の幻術『ロアリング・インフェルノ』を発動させる。そして王太郎がその幻術にとらわれているあいだに琉歌のところまで行き、驚いている彼女の顔に顔を接して叫んだ。

「馬鹿! なんでよりによってそれをやろうとしているんだ!」

「直虎……」

 直虎の姿を一目見るなり茫然とした琉歌は、発動させようとしていた魔法を大人しくキャンセルした。それで一息ついた直虎は、次にヴァイオラを見てちょっと笑う。

「一日見ないあいだにずいぶん変わったな」

「成り行きでね」

 ヴァイオラはそう云ってスカートを指でつまんで軽く持ち上げた。

「ところで私は今、王太郎の空術によって見えない檻に閉じ込められているんだけど」

「ああ、それはどうしたものか――」

 直虎がなにか対処を考えようとしたとき、王太郎が炎の幻術を破った。術者として自分の術が破られたのを感じた直虎は、琉歌を庇うように立つ。

 そして十二時の鐘が鳴り、直虎の誕生日がやってきた。

「ハッピーバースデー。十七歳の誕生日おめでとう、直虎君。宣告通り、君を殺す」

「やれるものなら、やってみろ」

 直虎がそう啖呵を切ると、琉歌が目を瞠った。

「直虎……迷いは、晴れたの?」

 おう、とすぐに答えられるほど晴れてはいない。だが沈黙するほど迷ってもいなかった。直虎は琉歌に眼差しを据えて云う。

「この世界に守る価値があるのかはわからない。だがおまえのことは好きだ」

 すると琉歌は淡い微笑みを浮かべた。それを見た直虎は、胸が熱くなるのを感じる。

 ――琉歌が笑った! あの樹の下で見た微笑みは見間違いじゃなかった!

 どうやら琉歌は、失われたはずの心が蘇りつつあるらしい。言葉遣いも少し変わっている。いや、昔に戻ったというべきか。

 今にしておもえば、琉歌は急に心を取り戻したわけではない。ずっと前から、情動を取り戻そうとしていたのではないか。日常のあちらこちらで、そんな兆しがありはしなかったか。だが琉歌の心を諦めていた直虎は、そんなサインを見ようともしなかった。

「……今まで、この七年間ずっと、王太郎を倒すことで頭がいっぱいで、おまえのことが見えていなかったな。だから改めて云うよ。俺はおまえのことが好きだ。シザーリオのことも、母上のことだって、本当は大好きだ。みんなが生きるこの世界を守ることに、迷いなんてあるわけないだろう。そう――」

 直虎はそこで戦士の顔になって王太郎を見た。

「ここに来るまでのあいだ、琉歌が無事かどうかばかり考えていた。父上の仇を討ち、歴史を守り、世界を守る――今までそう思って走ってきたけど、おまえにその信念を壊されたあと、俺に残っていたのは琉歌だった。シザーリオだった。母上や、道場に通う仲間や、学校の友達だった。世界じゃない、人間なんだよ! みんなを守りたい」

 すると王太郎は喜びに隈取られた目をして、大きく息を吸い込んだ。目の錯覚だが、歓喜で体がはちきれそうになっているように見えた。

「では、戦うんだね?」

「戦う!」

 今度こそは迷いのない、澄み切った声だった。

「たとえこの世界がおまえにとって偽物でも、俺たちにとっては真実の世界! ここが俺たちの生きる最前線だ!」

「よく云った! これで君は、完璧に俺の敵だな!」

 まるで直虎の心の青空が広がり、王太郎の心まで完全に晴らしたようだった。

 そして王太郎が右手を高く掲げると、そこに青い炎が生じ、その炎のなかからひとふりの長大な両刃剣が現れた。

「剣だと!」

 時代錯誤な武器を前にして直虎が驚きに打たれたとき、王太郎はその剣を握る。その刀身は青い炎を纏っていた。

「ベルガリウスソード……十六年前、最初の冒険で手に入れた俺の相棒だよ。アナクロに見えるかもしれないが、これが一番、頼りになる」

 そう云って剣を構える王太郎を見て、直虎もまた身構えた。

「また骨董品を持ち出してきたな。中世の騎士が使うような代物だ……」

「でもあの青い炎、魔法の品だと思うわ」

 そう、王太郎の剣は今も青く燃えている。ただの炎ではあるまい。直虎が琉歌の言葉に一つ頷いたとき、王太郎が踏み出してきた。

「行くよ!」

 そう宣言して斬り込んでくる王太郎のスピードを、直虎は時術で減速させた。それに王太郎は空術で距離を縮めて対抗する。もはや挨拶のようなものだ。

 そして直虎が剣を持つ王太郎に素手で挑もうとしたとき、出し抜けに雷撃が飛んだ。すると王太郎の剣が纏う青い炎がひとりでに燃え広がり、雷撃を呑み込んだ。それで雷撃自体が消失してしまう。

 顔をしかめたのは、雷撃を放った琉歌だ。

「やはりその炎、普通じゃないわね」

「もちろんさ」

 王太郎はそう云って、いったん直虎たちから距離を取った。

 そこへ琉歌が前に出ながら云う。

「直虎、私が前衛をやる。時術で援護して」

「待ってくれ、琉歌。二対一では卑怯……」

 直虎と王太郎の戦いは一騎討ちにて行う。それが七年前からの、一つの約束であった。

 しかし琉歌がそんな直虎を睨んで云う。

「そんなこと云ってる場合?」

「だが……」

 と、直虎が頑迷に抵抗を続けようとしたときだった。

「俺は全然かまわないよ」

 王太郎はそう云って、驚いている直虎たちに笑顔を見せた。

「俺は三十四歳、君たちは十七歳だから、二人合わせて三十四歳。ならば対等、ぎりぎり一騎討ちと云うことにしてあげよう。どうだい?」

 そう聞いて、たちまち直虎の心は怒りに燃えた。

 ――舐めやがって。

「後悔するなよ?」

「するわけないさ。俺は君たちを真正面から打ち破ってみせる。打てる手は全部打て。切り札も隠し玉も出すがいい。それをすべて俺がなぎ倒したときが、君の、そしてこの世界の最後だ!」

 そこからは死闘であった。直虎と琉歌は力をあわせ、王太郎を相手に次々と手を仕掛けた。基本は直虎が時術で王太郎の空術を相殺しつつ、武術と雷術を組み合わせた琉歌が切り込むという戦法だ。

 一方、王太郎は一人で二人分の働きをしていた。目の前の琉歌を相手取りつつ、背後の直虎とは時術と空術によって裏を掻き合い、距離や速度の相殺合戦を繰り広げている。直虎に苦慮すれば琉歌に討たれ、琉歌に意識を割きすぎれば時術の虜になるというのに、王太郎は素晴らしいバランス感覚で剣と空術と使い分けているのだった。

 ――こいつ、この戦闘経験は相当なものだ。十七年間、どんな修行をしてきたんだ!

 直虎が胸裡にそう悪態をついたとき、琉歌が電撃をめちゃめちゃに放ちつつ王太郎と距離を取り、直虎の隣まで下がってきた。

「琉歌、大丈夫か?」

 琉歌は白皙の肌に滝のような汗を掻いていた。息もかなり上がっている。だが彼女は気丈に云った。

「私は平気。それより直虎、やはりこの男、一筋縄ではいかない。私は奥義を使う」

「駄目だ!」

 直虎の叫びは恐怖さえ孕んでいた。そんな直虎を安心させるように、琉歌が笑う。

「今度は上手くやってみせるわ。お姉ちゃんを信じなさい」

「く……」

 何度も夢に見た、何度も思い出のなかに探した琉歌の笑顔を前にして、直虎は胸が詰まりそうになった。あやうく涙さえ滲みそうになったところだ。

 そのように直虎の心が無防備になった隙をついて、琉歌は一つ頷くと王太郎に向かって駆けていく。王太郎は剣が纏う青い炎に照らされながら晴れやかに笑った。

「さあ、俺に見せてくれ! 君の全力を!」

「雷神――」

 そこで琉歌は思い切り高く跳んだ。それに合わせて空から無数の雷が、琉歌にことごとく落ちてくる。直虎は息を呑み、王太郎もまた驚きに包まれているようだった。そして。

「降臨!」

 その叫びを最後に、琉歌が人のかたちを捨てた。

 次の瞬間、空中に静止していたのは、光り輝く人型をした異次元の生命体とも云うべきものである。紫電を纏い、青い雷を集めてできたようなその人型生命体が、目のない顔で王太郎を見る。と、王太郎に落雷があった。

「ぬっ!」

 それを天に翳した剣で受け止めた王太郎は、滝のような雷が青い炎に呑まれて消えるのを待って剣を下ろすと、空中に静止している琉歌であったものを愕然と見た。

「こ、れは……」

「雷の神を降ろしたんだ。そこにいるのは、もう人ではない」

 直虎は無念そうに云うと、琉歌と琉歌の引き起こす事象を、時術でもって加速させた。琉歌が両手をひろげると、無数の雷が閃光となって王太郎に迫る。

「くっ!」

 王太郎は空間をゆがめて雷を逸らし、また逸らしきれぬものは不思議な力を持つ炎の剣で受け止めて相殺した。のみならず自分を重力の軛から解き放って空へ舞うと、一転、琉歌に斬りつける。

 ――この猛攻をかいくぐって攻撃か。だが。

「斬れない!」

 青き炎の剣は琉歌の左肩から入って股間に抜けたが、それだけだ。

 着地した王太郎は琉歌を見上げて戦慄に打たれた顔をする。

「体が電気でできている! 雷の化身だというのか!」

「だから雷神降臨というのだ」

 その声に王太郎がはっとして顔を前に戻したとき、直虎は既に王太郎の懐に潜り込んでいた。琉歌の力が神の領域にまで達していたことの衝撃が大きかったせいだろう、さしもの王太郎にも初めて隙が生じ、肉薄できたのである。そして直虎は王太郎の胸に右手をあてた。繰り出されるのは、幻術でも時術でもない。

 ――旋風寺流古武術。

「羅刹掌!」

 踏み込みと体のねじりを利用した、零距離からの掌打は、まともに喰らうと体が嘘みたいに吹き飛ぶ。王太郎もまた仰向けにひっくり返りながら一メートルも飛んだ。もちろんこれだけなら、王太郎はすぐに受け身を取って立て直しただろう。だがそこへ琉歌が頭から突っ込んだ。

 雷神と化した琉歌の体当たりは、雷そのものが意思を持って王太郎を打ったのに等しい。直虎の羅刹掌で吹き飛ばされていたため、雷撃を無効にする魔法の剣で防ぐこともできなかった。すなわち。

「直撃だ」

「うおおおっ――!」

 王太郎は今、雷神そのものに抱擁されて叫び声をあげながら、凄まじい電撃を浴びて大地に落ちることもできず、空中で何度もずたずたにされている。

 そして相手の魂まで焼き尽くしたと思ったのか、雷神が抱擁を解くと、黒焦げになった王太郎がどうと音を立て、屋上に落下した。もうぴくりとも動かず、とうに手を離れていた剣からは青い炎も消えている。

「あっ!」

 術者が無力化されたせいだろう、空術の檻が壊れてヴァイオラが三歩前によろめいた。だが彼女は目の前の状況に茫然としていて声もない。

 直虎だって、一言も発せられなかった。恐ろしい死の静寂を感じ、六月の夜風に寒気がする。だがまだ終わっていない。直虎は口元を引き締め、雷神となった琉歌を見た。

 ――問題はこのあとだ。

「琉歌!」

 直虎は不安を押し殺しながら、未だ中空に佇んでいる雷神を見上げて叫んだ。

「琉歌、終わったぞ。勝ったんだ。だから戻ってこい!」

 その声が聞こえているのかどうか、琉歌は空中で回れ右をすると、今度は目のない顔で直虎を見てくる。

 六年前、この術に失敗して戻って来られなくなった琉歌を命がけで連れ戻したのが琉歌の父だった。だが今は直虎しかいない。

「早く戻ってこいよ。でないと本当に戻れなくなってしまう……」

 神はいつまでも人の世にはいられない。このまま琉歌が術を制御できなければ、その身は千々に引き裂かれ、稲妻となって四方八方の天に散り、あとにはなにも残るまい。琉歌という少女は、大気に呑まれて消滅するのだ。そうなる前に、連れ戻さねばならぬ。

「雷神なんかになるな、琉歌!」

 直虎は勇を鼓して、琉歌に向かって目いっぱい手を差し伸べた。するとその手を取ろうと云うのか、琉歌が高度を下げてくる。そして直虎に手を伸ばした。

 ――これ、触ったら死ぬかな。

 琉歌の父はそうして命を落としたのだろう。自らの命を捨てて娘を連れ戻したのだ。直虎も同じみちを辿ることになるのだろうか。

「琉歌……」

 直虎が腹を括ったとき、琉歌の手が直虎の手に触れた。それはたおやかな少女の繊手であった。

「……え?」

 直虎が我が目を疑ったとき、雷の集合体としか云い様のなかった人型の存在は、直虎の知っている琉歌の姿に戻って微笑んでいる。

「ただいま」

 琉歌はそう云って直虎の手を握りしめると、軽やかな着地を決めて髪と服の乱れを整え、離した手でVサインを作って笑う。

「とうとう制御してやったわ。私ってもともと天才だったものね」

 直虎は返事もできず、ただ目の前の少女を茫然と見つめた。あの日、雷のなかに消えた琉歌が今戻ってきた。失われた心を完全に取り戻して、人となって復活を果たした。

「琉歌……本当に、元に戻ったんだな」

「髪の色は戻らないけどね」

 琉歌はそう云って、白くなった髪の一房を摘んでみせた。

 そんな琉歌を見ているうちに、大好きな彼女が戻ってきてくれたのだという実感が湧き始め、直虎の心には徐々に喜びが満ちていった。だがまだ、何もかも忘れて万歳と喜びあうような状況ではない。

「そうだ、仁羽王太郎は……」

 直虎が王太郎の方へ視線をやると、ちょうどヴァイオラが仰向けに倒れている王太郎の傍で片膝をついたところだった。

 その姿に傷ついたものを感じ、直虎が声をかけ損ねているあいだに、ヴァイオラは王太郎の体をあちこち触ったりして、調べ始めた。

 やがてヴァイオラは問わず語りに云う。

「……息をしてない。心臓も止まっている。無残なものだね。もう少しすれば、魔法使いの死に付随する事象が起こるだろう。すなわち魔法が、空術が彼の体から出てくる」

 わかっていたことだが、直虎は少なからぬ衝撃を受けていた。父の仇を討ったというのに、少しも嬉しくはない。隣を見れば、琉歌もまた浮かぬ顔をしていた。

 ややあって、琉歌がぽつりと云った。

「……私が、やったのよね」

「違う。二人でやったんだ」

 すると琉歌は右手で左の二の腕をぎゅっと掴み、直虎をすがめで見た。

「直虎は、これでよかったの? その、仁羽王太郎を死なせてしまって……」

「……よくはない。よくはないよ。母上が彼にしたことを思えば……だが、ほかにどうしろと云うんだ! どうしようもなかった! 彼の望んだ戦いだ! 俺たちにはこうするしか、なかったんだ……」

 直虎はそう云ってふたたびヴァイオラに視線をあてた。ヴァイオラはその場に座って、王太郎に膝枕をしてやっているようだった。そして彼の体に逆さに覆いかぶさり、その胸の上に手を置いてなにごとか念じ始めている。

 直虎は最初、彼女がなにをしているのかわからなかった。わかったときには、琉歌が悲鳴すれすれの声で叫ぶ。

「シザーリオ、あなた、なにしてるの!」

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