第五話 五人模様(3)
◇
午後十一時過ぎ、ヴァイオラを連れて仮宿としている新宿のホテルに戻ってきた王太郎は、ホテル前の道に立っていた琉歌を見て目を瞠った。
「おや、君は……」
「琉歌!」
驚いたヴァイオラが琉歌のところまで走っていく。琉歌はヴァイオラを一瞥したが、彼女が男装を解いていることにはなにも触れず、王太郎に目を戻すと云った。
「仁羽王太郎、あなたが去り際に拠点にしていると云ったこのホテルを訪ねたら、留守だったので、ここであなたを待っていた」
「ふむ、それは待たせて悪いことをした。それで用件は?」
「あなたを殺す」
王太郎は眉一つ動かさなかったが、代わりにヴァイオラの方がさっと青ざめた。
「琉歌、なにを云って……」
「ふうむ、妙な成り行きになったな。ここへ乗り込んでくる者がいるとすれば直虎君かと思ったが、どうして君が? 誰かに命令されたのかい?」
王太郎の問いに、琉歌は首を横に振った。
「違う。これは私の意思」
それにはヴァイオラがまず目を丸くし、王太郎も苦笑いした。
「……ヴァイオラから聞いたよ。君は幼いころ、魔法に失敗して心を失ったらしいじゃないか。そんな君が、自分の意思でやってきただって?」
すると琉歌は答えの代わりに踏み出した。肩でヴァイオラを押しのけ、王太郎に近づいてくる。王太郎から見て右側にはホテルの敷地と歩道を隔てる植え込みがあり、左側には車道があって何台もの車が走っている。ヴァイオラは茫然と琉歌を見送り、琉歌は街灯の下、王太郎の目の前に立つと云った。
「私は壊れている。でも人形じゃない。私のなかにたった一つ残っていたもの。私は、直虎の、お姉ちゃんだから」
そして琉歌は王太郎の胸に貫手を放った。同時に指先から紫電が迸る。その稲妻は、しかし王太郎の体に接触したと見えて消失し、遙か上空で雷鳴を轟かせた。空術で空間の通路を作り、稲妻を空に逃がしたのだ。車道を挟んだ反対側の道路で、二人組の女が突然の雷に驚いている。
そして不意打ちに失敗した琉歌の手を、王太郎が横から鷲掴みにした。
「直虎君の、お姉ちゃんだから?」
「直虎を脅かすあなたを、排除する。誰に命令されたのでもないわ。私がそうしたいからそうするの。直虎を泣かせるあなたなんて、大嫌い!」
そう云って琉歌は全身から放電したが、それはまたしても空術の通路によって空へ追いやられてしまう。
上空で炸裂する稲妻の瞬きに照らされる琉歌の顔を見て、王太郎は息を呑んだ。
「驚いた。ヴァイオラ、この子は心が蘇りつつあるぞ」
そう云った王太郎の手を振りほどき、琉歌は後ろへ跳んだ。王太郎はそれを追わず、その場で腕組みして云う。
「そういうことなら、いいだろう。君を俺の敵と認め、挑戦を受けようじゃないか」
「王太郎!」
ヴァイオラが非難するように叫んできたが、王太郎の戦意は揺るがない。
「世界の真実を知ったうえでなお俺に挑むというのなら、それはすなわち俺の敵だよ。戦うほかあるまい。だがここでは少し窮屈だ。開けた場所に行こう」
王太郎がそう云って指を鳴らした瞬間、三人はまったく別の場所へと瞬間移動していた。
「ここは――」
ヴァイオラが驚いて周囲を見回している。夜空が近く、風の強い場所だ。そしてほとんどの建物が目の高さより下にある。
「俺が泊まっているホテルの屋上さ」
そこにはまず建物の内部に出入りするための塔屋があった。またエアコンの室外機が無数にあり、それを繋ぐためのダクトもある。そして足元にはアルファベットの『H』を輪で囲ったマークが描かれていた。すなわち災害時などに使われるヘリポートの印だ。
ヘリの離着陸を想定しているだけあって、運動するのに十分なスペースがある。
「地上では人目もあるし、巻き添えを出してしまいかねない。だがここなら思う存分やれるだろう?」
琉歌は返答の代わりに一歩を踏み出した。それを見てヴァイオラが慌てて叫ぶ。
「琉歌! 王太郎も待って!」
彼女としてはとにかく戦いを回避したいのであろう。王太郎とて、直虎以外の者を相手にする気はなかった。だが。
「降りかかる火の粉は、払わねばなるまい」
王太郎はそう云うとヴァイオラの方へさっと手を振った。その瞬間、二人のあいだに割って入ろうとしていたヴァイオラが急に跳ね返されて止まる。
「なっ!」
ヴァイオラは目を白黒させながら自分の周囲を手で確かめたが、その姿はまるでパントマイムをしているかのようだ。まさしく見えない壁があって、彼女はそこに閉じ込められていた。
「王太郎、これはあなたの仕業か!」
「そうだ。そのなかにいる限り巻き添えは食わん。だから――」
と、王太郎はそこで言葉の矛先を琉歌に向けた。
「全力でいいんだぞ?」
そう云った、次の瞬間である。
「ライトニング・ハザード!」
世界を舐めつくすがごとき凄まじい放電が、王太郎の見ている景色すべてを一掃した。
隔絶された空間に閉じこもってそれをやり過ごした王太郎は、そこから出て来るや否や琉歌の素晴らしい回し蹴りに息を呑んだ。それを紙一重で避けると、今度は掌打が放たれる。さらに肘鉄に繋がり、そこから琉歌の猛攻が始まった。様子を見る意味でそれに応じた王太郎は、しかしすぐに舌を巻くことになる。
――これは、想像以上に厄介だ。
根底にあるのは古武術だが、そこに雷術を組み合わせている。近づけば打撃、離れれば雷撃で、息をつく暇もない。しかも攻撃の組み立ての速さが普通ではなかった。
――この子の雷術は、ただ稲妻を撒き散らすだけではないな。雷術によって自分の神経伝達速度を高めているのか?
それによって反射神経や動体視力が爆発的に高まり、琉歌は次第に王太郎を押し始めた。
――このままこの勝負に付き合っていたら負ける。だが。
「結局のところ、空間を支配する俺には勝てん!」
次の瞬間、琉歌の足元の重力が反転した。その体が宙に浮かぶ。まるで見えない透明な手によって、逆さに吊るされたかのようだ。
「……空術!」
「どんな武術も大地に両足をつけてこそ。宙に浮かされてはなにもできまい」
そして空へ向かって落下していく琉歌に、王太郎は掌を向けた。これで終わりではない。
「リバース・グラビティからの――エアリアル・ブラスト!」
雷のような音が連続で起こり、空間に押し出された大気が弾丸となって琉歌の体を直撃した。
「くはっ!」
と、彼女が苦鳴をあげたところで、王太郎はリバース・グラビティを解除した。するとエアリアル・ブラストの直撃を受けてぐったりしている琉歌が頭から落ちていく。
「――おっと」
王太郎は咄嗟に重力を調整して落下速度を緩め、琉歌を軟着陸させてやった。
「ごほっ! ごほっ!」
琉歌は咳き込みながらもどうにか立ち上がった。まだ戦意を失っていない。それは目を見ればわかる。
「まだやるかね?」
「当然……よ」
「しかし君はなかなか大したものだが、その戦法では俺に勝てないよ。それともまだなにか隠し玉があるのかな?」
「……ある、わ」
表情が変わらないので嘘か本当か読めない。だがいくつもの修羅場を潜り抜けてきた直感が、王太郎に告げてくる。
「奥の手と云うやつか」
そう呟き、身構える王太郎に、琉歌は一つ頷いて云う。
「雷神降臨」
すると見えない檻に閉じ込められていたヴァイオラが顔色を変え、拳も砕けよとばかりに透明な壁を両手で思い切り叩いた。
「やめろ!」
王太郎をして鳥肌の立ちそうな声だった。およそ尋常ではない。王太郎が驚いてヴァイオラを見ると、ヴァイオラは必死の形相をして琉歌に
「やめてくれ、琉歌! お願いだ、王太郎! それを琉歌に使わせないで!」
「ヴァイオラ、どうした?」
「それは雷神の化身となって戦う究極奥義なんだ! 凄まじく強いが、琉歌は子供のころにその奥義を試みて失敗し、父親を殺してしまった! そして琉歌の精神もまた雷神の力に耐えきれず壊れた! そんなことをまた試したら――」
せっかく蘇りつつある琉歌の心は、今度こそ本当に壊れてしまうだろう。それどころか、命を落とすこともありうる。
「お願い、止めて……」
切なるその願いを聞いて、王太郎も少しばかり心が揺れた。それが表情に出たのか、琉歌は訝しそうに眉根を寄せて云う。
「……仁羽王太郎、もしあなたが迷っているのだとしたら、それは欺瞞」
「なに?」
「遠慮は無用のはず。さっき私の落下速度を緩めてくれたのもそう。あなた明日でこの世界を滅ぼす予定なんだから、私を殺そうが殺すまいが同じことのはずよ」
「そうだが……いや、そうだな。君の云う通りだ」
時間を巻き戻して存在を消滅させるのと、この手にかけて殺すのとでは違う。やられる側にとっては同じでも、王太郎にとっては違うのだ。だから殺すのはたった一人、直虎だけで済ませたかった。だがそんな甘さは、そろそろ捨てねばならない。
「俺はやると云ったらやる男。君が命をかけるというのなら、俺も命で応えよう! 見せてみたまえ、君の最終奥義とやらを!」
王太郎はまたしても回り道をしていた。有無を云わさず殺せばよいものを、相手の全力を受け止め、その上で殺す。それが人の命を奪う際の、彼なりの礼儀だったからだ。
「王太郎……」
ヴァイオラは王太郎がその気になったのを見て愕然としたが、しかしこの場で彼女だけが、王太郎の心理を理解していた。ヴァイオラは祈りを込めて琉歌に云う。
「琉歌、よせ。君が手を出さなければ、王太郎も君を殺さない」
「そして明日を迎えてどうなるの? 直虎が殺されて時術を奪われるのを黙って見ているの? たとえ負けても、たとえ死んでも、この世界に生きる者は生存をかけて、この男を倒すために体当たりでぶつかっていくしかないんだわ」
「ううっ……!」
もはや反論の余地がなく、ヴァイオラは泣きそうな顔をして黙ってしまった。
そして琉歌が、かっと目を見開いて叫ぶ。
「雷神降り――」
「ロアリング・インフェルノ」
突如、清冽な声が琉歌の言葉を断ち切った。それと同時に天で火が燃える。王太郎は尋常でない熱を感じ、愕然として空を見上げた。
「これは――」
空が見渡す限り、紅蓮の炎に満ちていた。その炎は大きな渦を巻きながら、中央が押し出されるようにして近づいてくる。まるで炎の竜巻が、その細くくびれた先端を地上に降ろそうと云うかのように。そして炎の地獄が王太郎を呑み込んだ。
肉が爛れ、血が沸騰する。息を吸えば喉が焼ける。琉歌やヴァイオラの姿は炎に掻き消されて見えない。だが二人ともまだその場にいることを、王太郎は空術で感じ取っていた。そしてさらに三人目の人物が、平然とした足取りでこの炎の地獄に入ってくる。
この焦熱の地獄のなか、王太郎は空術で周囲の空間になんの異常もないことを認識していたのだ。だから、この身を焼く業火は――。
「幻術だ!」
幻は幻と露見すればたちまち消え去る儚い術である。王太郎がそう喝破するのと同時に炎の地獄は消え失せ、先ほどと変わらぬホテル屋上の涼しげな景色が戻ってきた。
ただ一つ違うのは、琉歌の前に一人の若者が立っていることだ。その凛とした面構えに、王太郎は嬉しくなって微笑んだ。
「やあ、来たね。時術を使って時間を短縮し、一気に駆けてきたのかな」
そのとき地上から時計の鐘の音がした。近くのビルの壁に取りつけられたクラシックな大時計で、毎時間、律儀に鐘の音を鳴らすのだ。それが十二度、連続した。
すなわち深夜十二時、日付は変わって六月十日になった。
「ハッピーバースデー。十七歳の誕生日おめでとう、直虎君。宣告通り、君を殺す」
「やれるものなら、やってみろ」
直虎は王太郎にそう真っ向から云い返した。
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