第二話 敵の名は(2)

 困惑の表情で一人立ち尽くしている直虎をよそに、琉歌は冷え冷えとした敵意をまとって王太郎を見た。シザーリオは琉歌ほど攻撃的ではなかったが、腰を落とした臨戦態勢で警戒に満ちた眼差しを王太郎に向けている。

「あなたが直虎様の敵……直虎様はあなたと戦うために今まで修行をしてこられた……」

「直虎を、殺すだって?」

 二人が口々に云うと、王太郎は一つ頷いて云った。

「そうだ。直虎君が十七歳になったらその命をもらうと、七年前に約束している。そうだったよね、直虎君」

 すると虚けていた直虎は、そこでようやっと我を取り戻し、胸に闘志を燃やして声をあげた。

「ああ、そうだ。ただし、やれるものなら、な!」

 むざむざと殺されてやるつもりはない。そのために七年間、どんな苦しみにも耐えて修行をしてきた。すべてはこの日のためである。

 直虎が火の玉のようになって王太郎に突っ込んでいこうとしたとき、傍からシザーリオが訊ねてきた。

「待ってくれ、直虎。もうちょっと説明がほしい。こいつはいったい――」

「名前は仁羽王太郎。会うのはこれで二度目。強力な魔法使いで、そして俺の父を殺した男だ」

 シザーリオがぎょっと目を剥いた。

「な、直虎のお父さんを殺した? 直虎が生まれる前に死んだって聞いてるけど」

「こいつが殺したんだ」

 そのときの直虎は、視線で相手を燃やせそうなほどであった。だがそれほどの目で睨まれてなお、王太郎は堂々と胸を張って微笑んでいる。そしてまるで気心の知れた友人にでも接しているかのような口ぶりで話し始めた。

「その通りだ。俺が君の父親を殺したのは、俺が十七歳のときだった。そして君が十七歳になる二日後……」

 微笑みを湛えながらそうすらすらと述べていた王太郎は、そこでふっと明かりを消すようにその笑みを消した。

「真行寺直虎君……君を殺す」

 王太郎がそう宣したその瞬間、琉歌が地を蹴り、歩道橋の幅を目いっぱい使って勢いをつけると王太郎に向かって渾身のハイキックを放った。王太郎はそれを右腕一本で楽々とブロックする。そのまま、つまり琉歌の左脚と王太郎の右腕が交差したまま、王太郎と琉歌はお互いの目を覗き込んでいた。

「よせ、琉歌!」

 直虎がそう叫んでも琉歌は引く気配を見せなかった。

「下がれと云っている!」

「直虎君の云う通りだ。これは俺と直虎君の戦い。君たちには関わりのないことだよ。向かって来なければ、俺も君たちには手出しをしない」

 それを聞いて今度はシザーリオが声をあげた。

「だったら僕たちのいないところで姿を現すべきだった。僕らはもうおまえという存在を知ってしまった。友人の父親を殺めたというだけでも許しがたいのに、そのうえ友人に仇なそうと云うのなら、無関係ではいられない。見て見ぬふりをすると思うのか!」

 その言葉に直虎は胸が熱くなった。そして王太郎もまた嬉しそうに笑っている。

「いい友達を得たね、直虎君」

「ああ。俺にはもったいない二人だ」

 直虎は思わずそう答えてから、琉歌に視線をあてた。

「だが琉歌、頼むから下がってくれ。王太郎がその気になったら、おまえでは彼には指一本触れられない。可能性があるのは俺だけなんだ」

「全然本気を出してないってこと?」

 シザーリオの言葉に、直虎ではなく琉歌が云う。

「本気を出していないのではなく、出せない。いくら魔法の存在がおおやけになったとはいえ、普段は隠匿するもの。歩道橋の下には大勢の一般人がいる。今なら、喧嘩でやれる……」

「いや、王太郎はそういうレベルでは……」

 だがどう云えば琉歌にわかってもらえるのか。悠長にすべてを語っている暇はない。事態は切迫しすぎている。そう思っていると、王太郎はのどかに云った。

「ふうむ。これは威を示さないと埒が明かないかな」

 ――威を示すだって?

 直虎はぞっとしたが、王太郎は微笑んで云う。

「安心したまえ。傷はつけない」

 すると琉歌が怪訝そうに眉をひそめた。

「傷をつけなくて、どうやって威を示すつもり?」

「うむ。まず場所を変える。リバース・グラビティ」

「え?」

 噛み合っていた琉歌の脚と王太郎の腕が離れた。琉歌が愕然としながらもがき始めるが、どうにもならぬ。そしてそれは琉歌だけではない。直虎もシザーリオも王太郎自身さえも、歩道橋の上にいた四人全員、歩道橋から足が浮いてしまっていた。

 ――いや、浮いているんじゃない。これは。

「と、飛んでる!」

 シザーリオはそう叫んだが、直虎は違うと思った。

「いや、これは落ちてるんだ!」

 そして天地の向きが逆さまになり、直虎たちは夜空へ向かって落下し始めた。天から地に向かう重力が、直虎たちに限っては逆転し、空へ向かって落ちていく。一度上下感覚を失ってしまうと、飛翔しているのか落下しているのか、もうわからない。

 そのなかで王太郎だけが腕組みして悠々たる表情だ。

「ふむ、この辺りでいいか」

 するとふたたび直虎たちは重力の手に捕まり、今度こそ地上へ向かって落下し始めた。琉歌は無言だったが、直虎とシザーリオは叫び声をあげていた。

 地面に叩きつけられて死ぬと思ったそのとき、落下速度が急に緩み、直虎たちは大地に優しく抱き留められていた。

「到着だ」

 王太郎がそう云っても、直虎たちはしばらく身動き一つ取れなかった。声もなく、その場に座り込んで茫然としている。が、腕組みしている王太郎に見下ろされていると、直虎はだんだん負けん気を発揮し出して、三人のなかで一番に立ち上がった。そして膝の震えを無視し、王太郎を睨みつけた。

「ここはどこだ?」

「君の方がよく知っているだろう」

「なに?」

 そう思って改めて辺りを見回せば、足元は黄土色のグラウンドで、遠くにフェンスがあり、その向こうには見覚えのある校舎があった。

「ここは……学校!」

「そ、そうだ! 僕らの通ってる高校だよ、ここ」

 シザーリオがそう云って、やっと琉歌とともに立ち上がった。

 直虎は一瞬幻でも見ているのかと思ったが、ここは夜の学校のグラウンドである。当然だが、この時間ではもう人っ子一人いない。王太郎は重力の向きを操作して飛翔し、直虎たちをここまで運んできたのだ。その王太郎が得意顔で云う。

「ここなら誰にも見られる心配はないだろう?」

 それが意味するところを悟り、直虎は油断なく王太郎に眼差しを据えた。

「今日は挨拶じゃなかったのか?」

「もちろん挨拶だよ。殺しはしないと約束する。だが俺は君がどれほど成長したか見たいんだ。七年前、俺に近づくことさえできなかったあの無力な子供が、きちんと大人になっているのかどうかをね」

 すると琉歌とシザーリオが、直虎を守るようにしてその両脇を固めた。シザーリオが直虎を見て云う。

「直虎、七年前って……」

「この男が直虎様の父君の仇であることはわかりました。直虎様を殺そうとしていることも。でもどういう因縁、どういう事情があるのか、私たちにはわかりません。無論、問答無用で敵であるというのなら、私はそれでも構いませんが……」

「それは……」

 すべてを打ち明けてしまいたい気持ちも、もちろんあった。だが話せば二人をいよいよ取り返しのつかないところまで巻き込んでしまう。直虎はそれが厭だった。それに王太郎はそんな時間をくれないだろう。直虎はそう思っていたのだが、しかし。

「いいじゃないか、話してやりたまえよ」

「な、なに?」

 意外な言葉に目を丸くする直虎に、王太郎は鷹揚として告げた。

「そのくらいの時間はあげるよ。俺は君の話が終わるまでのんびり待たせてもらうさ。別に急いではいないからね」

「……意外に、話のわかる男だね」

 シザーリオが笑いを含んだ声でそう云って、肘で直虎をせっついてくる。直虎がため息をつくと、王太郎に相対していた琉歌たちは立ち位置を変え、直虎と三人で輪を作った。直虎は二人の友の顔を見て云った。

「一つ約束してくれ。これから話すことは他言無用だと」

 それに二人が大きく頷いたのを見て、直虎は長年胸に秘めてきた昔語りを始めた。

「おまえたちも知っての通り、母はとても厳しい人だった。普通ではなかった。というのも、母は俺をあの男、仁羽王太郎と戦わせるつもりだったんだ。あいつから世界を守るために」

 直虎は大真面目にそう云ったのだが、琉歌もシザーリオも一瞬我が耳を疑ったようである。シザーリオが繰り返して云う。

「世界を、守る……?」

 いきなり話がそんなところまで飛躍してしまったのでは、驚くのも無理はない。だが直虎は真面目に続けた。

「ここからは順番に話そう。俺があいつと出会ったのは七年前、俺が十歳の誕生日を迎えた日のことだ」

 そして直虎の話は七年前に飛んだ。

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