第一話 直虎と琉歌とシザーリオ(2)
「幻術を受け継ぐ真行寺家と、雷術を受け継ぐ宝塚家は、ともにこの街に居を構える魔法使いの家系として、ずっと昔から交流があってな、姻戚関係を結んだこともあるらしい。そういう関係だから、俺と琉歌は子供のころからよく一緒に遊んだ。昔の琉歌はこんなんじゃなく、普通によく笑いよく泣く女の子だったよ。俺より誕生日が二ヶ月早いってだけで、お姉さんぶったりしてな。髪も黒くて長かった」
「へえ、そのころの彼女に会いたかったよ」
シザーリオはしみじみそう云うと、物悲しそうに琉歌を見た。そんな彼女の横顔を一瞥した直虎は、そこでふとした記憶の小箱の蓋が開くのに任せて云う。
「……そういえば、さっきの祖母の話だけど、祖母が病気で入院したとき、琉歌が見舞いにきてくれたことがあってな」
そのときの祖母と琉歌の会話を、直虎は今でも憶えている。
――死なないで、おばあちゃま。おばあちゃまが死んじゃったら直虎はどうなるの?
――直虎にはまだお母様がいるわ。
――あのひと嫌いよ。とっても厳しいの。直虎、いつも泣いてるわ。
――朱鷺恵さんは、女手一つで直虎を育てていかなくちゃいけないから、気負っているのよ。
――でも。
――ふふっ、琉歌ちゃんは直ちゃんが大好きなのね。ずっと友達でいてあげてね。
――もちろんよ! 私と直虎は永遠の親友! そして永遠のライバル! でも直虎にとっておばあちゃまは、たった一人のおばあちゃまなのよ!
そう云って涙を流す琉歌を見たとき、直虎は彼女となら生涯友人でいられると思った。そして祖母が亡くなった日には、琉歌は一晩中直虎の傍にいてくれ、慰め、励まし、手を差し伸べてこう云ったのだ。
「私がずっとずっと
直虎がそこで言葉を切って琉歌を見ると、会話のバトンを渡されたと思ったのか、ここまで黙っていた琉歌が一つ頷いて云った。
「はい。私も憶えています」
だがそれは感情として憶えているのではない。単に記憶として、他人の物語を書いた本として憶えているのだ。自分の心とは歯車が噛み合っていない。それを直虎が無念に思っていると、シザーリオが小首を傾げて問うてきた。
「ところでライバルって?」
「ライバルはライバルさ。琉歌は俺より二ヶ月先に生まれたってだけでお姉さんぶっていたが、そのせいかなんでも俺より上手じゃないと気が済まないところがあってな。友達で姉でライバル。そういう関係だったんだよ。きっとそのせいだろうな、琉歌があんな無茶なことをしたのは……」
そこで直虎は無表情になると、シザーリオを見て淡々と云った。
「俺はある事情で、十歳のときから強くなる必要に迫られた。倒すべき敵がいるんだ」
「はっ?」
いきなりの告白にシザーリオが目を丸くする。当然の反応であろうと思いつつ、直虎は努めて穏やかに続けた。
「悪いがこれについては話せない。ただその敵を倒すために強くなる必要があって、旋風寺流古武術なんてものも習い始めて、自分で云うのもなんだがストイックになった」
「いや、待ってよ。倒すべき敵って……」
「それは云えない。琉歌でも知らないことだ」
そう云って唇を引き結んだ直虎は、まるで閂をかけたかのような面構えだった。シザーリオは一瞬むっとしたようだが、すぐに目つきを和らげて云う。
「わかった、話せないんだね。だったら僕も好奇心を引っ込めよう。なんでもかんでも知りたがるのは浅ましいことだし、話せないってことを話してくれただけでも十分だからね」
「聞き分けてくれて嬉しいよ。それで琉歌のことだけどな……」
「うん」
「琉歌は伊達にお姉さんぶってるわけじゃなかった。実際、天才肌で、六歳にして父親から雷術の魔法を受け継ぎ、父親の監督下で魔法の修行に励んでいたんだ。だが十歳のとき、強くなろうとする俺に張り合ったのか、ある日の晩、俺を呼び出して、父親に禁じられていた雷術の奥義をやってみせようとした」
それで話の先が見えたのか、シザーリオが眉宇を曇らせながら云う。
「奥義って?」
「雷神降臨。自らの体を稲妻そのものと化す雷の究極奥義だ。それを俺に見せつけようとしたんだ。私は直虎のお姉ちゃんだから、こんなに凄いこともできるのよ、ってな。だが失敗した。雷神の化身となった琉歌は戻ってこられなくなったんだ」
あのときのことを直虎は今も戦慄とともに憶えている。紫電でできた人型の人外になりはてた琉歌は、人間としての意思や思考を失っていた。まさしく雷神という自然の化身になって、思うままほしいままに力を振るおうとしたのだ。
直虎がそのことを話すと、シザーリオは少しの悲憤を込めて云った。
「どうして止めなかったんだい?」
「止めたさ。だが聞くようなやつじゃない。あのときの琉歌は俺に負けまいとしていたから尚更だ。そして暴走しかかった琉歌を命がけで食い止めたのが、そのとき異変を察して駆けつけてくれた琉歌の親父さんなんだ」
するとシザーリオの目が怯えたように見開かれた。
「じゃあ、琉歌がここで暮らしてるってことは、もしかして彼女のお父さんは……」
「察しがいいな」
直虎はシザーリオを
「そのときに死んだよ。あの人は自分の命と引き換えにして娘を人間の姿に戻したんだ。だが戻ってきたのは肉体だけ。心は戻ってこなかった。感情を失い、髪は真っ白になって、味覚と嗅覚と触覚は消滅し、人格さえもなくしてしまったんだ。あとに残ったのは、この人形のような琉歌さ。思考するし会話もできるけど心はない」
だから直虎の知っている琉歌は、あのとき稲妻の向こうに消えたままなのである。
直虎がやるせない想いを抱えて黙っていると、シザーリオが暗い顔をして訊ねてきた。
「琉歌のお母さんは……?」
「琉歌の母親は一般人だったんだが、琉歌のことをひどく恐れてな。また暴走するんじゃないかって。それでうちで引き取ったんだ。そして琉歌は俺と自分の立場をどう考えたのか、俺のことを直虎様と呼ぶようになった。これで俺と琉歌の話はおしまい」
直虎がそう話を結ぶと、シザーリオはしばらく言葉もないようだったが、やがて琉歌に視線をあてて云う。
「しかし琉歌、君は今の話を聞いてもなんとも思わないのかい? 記憶はあるんだろう? だったら子供のころの思い出が、君の心になにかを――」
「いいえ。記憶はありますが、思い出はありません」
そう冷たく述べた琉歌の尾について直虎も云う。
「子供のころの思い出は、自分のものとして感じられないそうだ。他人の記憶を持っているような感覚が一番近いんだと思う」
「そ、そうか……」
シザーリオは傷ついたような顔をし、胸を押さえてため息をついた。何度も何度もかぶりを振り、やっとのことで自分の感情に決着をつけたのか、次に顔をあげたシザーリオはさっぱりとした顔つきをしていた。
「教えてくれてありがとう。じゃあ今度は僕の番だね。なぜ僕が日本にやってきたか」
シザーリオはちょっと空を見上げて、思い出を振り返るように、あるいは考えを纏めるようにしばし黙った。それから直虎たちを見て云う。
「僕の本当の名前はヴァイオラと云う。ヴァイオラ・トッティだ。シザーリオは偽名」
「な、なに!」
突然の告白に直虎は目を丸くし、それから少なからぬ憤激に駆られた。
「初手から名前を偽っていたと云うのか!」
「まあね。でも僕はヴァイオラって云う名前は捨てたつもりだし、これからも男性名のシザーリオと呼んでほしい。ところでどうして僕が男装し、男の名前を名乗っているのかって云うとね、やっぱり僕の生まれた家に理由があるんだよ」
それで直虎の頭はたちまち冷えた。魔法使いの家系には大なり小なり宿業や因縁がある。それは直虎だってそうだ。
「理由とは?」
直虎が穏やかに問うと、シザーリオは微笑んで続けた。
「僕の家系は代々ローマに住み、回復魔法を受け継ぐ家柄だ。僕は現当主である父の娘として生を
「実は回復魔法の才能がなかった、とか?」
魔法は親から子へ、師から弟子へと受け継がれる。だがいざ魔法を譲られてみたら先代の半分も使いこなせず、非才を露呈して失望された……そんな話はよくあることだった。
しかしシザーリオは首を横に振った。
「残念、その逆。僕は歴代トッティ家の人間のなかでも、飛び抜けた才能を持って生まれてきたんだ。どのくらい凄いかって云うと、死者の蘇生もできるくらいかな」
いきなりの途方もない話に、直虎は呆気に取られた。
――死者の蘇生だって?
そんな直虎の表情を見てか、シザーリオはとぼけたように語る。
「あ、もちろん万能じゃないよ? まず遺体がほとんど完全なかたちで残ってることが条件だし、死んでから長い時間が経ったものも無理だ。でも僕はそういうことができてしまう魔女だったんだ。しかし同時に大きな
「缺陥?」
そう繰り返した直虎に見せつけるようにして、シザーリオはやにわに自分の左乳房を鷲掴みにした。
「回復魔法にも色々あるけど、トッティ家のそれは魔法の行使に伴って自分の命を燃焼させるんだ。命のエネルギーを爆発させるのさ。そしてそれは心臓にとても大きな負担がかかるんだけど、僕の心臓はそれに耐えられなかった」
そう吐露したときのシザーリオは寂しげであった。自分の左乳房を掴む手に力がこもっている。その奥にある心臓を掴もうとしているかのようだ。
そんなシザーリオのあとを引き取って、直虎は気遣わしげに云う。
「つまり、せっかくの才能を上手く使いこなせないと」
「そういうこと」
シザーリオは微笑むと、乳房を掴んでいた手を下ろした。
「魔法を使うたびに、僕には常に命の危険が付きまとう。それどころか、もしかしたら日常の運動のなかで急に心不全を起こす可能性もあるそうだ」
直虎はちょっと仰のいた。
「そんな風には見えないが……」
「ところが何回か倒れたことがあるんだよ。でも体を動かすのは好きだから、ダンスの心得もあったりするんだ」
そこでシザーリオは短い踊りを披露すると、手振りを交えてさらに語る。
「ほかにもなにかいいスポーツがあればやってみたいと思ってるよ。僕の心臓がどれほどのものなのか、試し続けたいんだ」
安静にした方がいいんじゃないか――そんな言葉が口をついて出かけたが、直虎はどうにか呑み込んだ。云うだけ野暮だと思ったからだ。
「そうか。まあおまえがやりたいならやればいい。で、話の続きは?」
「うん。こういう体に生まれちゃってね、このまえ倒れたとき、とうとう父から回復魔法禁止のお達しが出たんだ。もう魔法を使うな、ってね」
「ふうん、それだけなら娘想いのいい親父さんに思えるが……」
しかし本当にそうであれば、シザーリオはそもそも日本になど来ていない。果たせるかな、シザーリオは肩をすくめて云った。
「その代わり、父は僕に結婚しろと云った。いつ心臓が止まるかわからないんだから、早く子供をつくって血を残せ、ってさ。父が僕に求めたのは、才能のバトンを次世代に渡すことだけなんだ」
「それでどうした?」
「もちろん断った。喧嘩になったけど、髪を切って男装して、僕は男として生きるから誰とも結婚しないって啖呵を切ってやったんだ。父は諦めてくれた。でもいつ気が変わるかわからないから、この際、父の許を離れて外国へ逃げようと思ったんだ」
「それで日本か」
「そういうこと。一応、日本での滞在先を探してくれたのは、つまり君の母親を紹介してくれたのは父なんだよ。それが親として最後にしてくれたことなのかな。回復魔法を返せとも云われなかったし、子供のころは優しかった……」
シザーリオの表情からは、父親への愛憎相食む感情が窺えた。愛情、失望、恨み、未練、それらがエメラルドの瞳を過ぎっては消えていく。
「シザーリオ」
直虎がそう声をかけると、シザーリオはすぐに微笑を取り繕った。
「それにしても、僕の父と君のお母さんって、どういう知り合いだったんだろう? 僕は父とあまり話をしたくなかったから、その辺の
「俺も知らない。ただ母は顔の広い人で……元は流れの魔法使いだったらしいが、国内外の魔法使いや政財界の大物やらが、しばしば母の許を訪ねてくるんだ。琉歌の父も、お偉い政治家さんや軍人さんも、母には敬意を払っているようだった。古泉って云う、日本の魔法使いの親玉みたいな爺さんがいるんだが、その人ですら母には頭を下げるんだよ」
まだ四十にもならない母がどうやってあれほどの人脈を築いたのか、それは直虎にも不思議なことであった。
そこへシザーリオが今思い出したといった顔をして云う。
「そういえば父が朱鷺恵さんのことを、今の世界秩序に貢献した人だと云っていたよ。きっと若いころに世界統一政府で働くかして、功労があったんだろうね。人脈もそのころに築いたんだろう」
「ああ」
直虎はそう相槌を打ったが、実のところ自分が生まれる前の母がどのように生きていたのかなど、詳しくは知らないのだった。
「まあとにかく、そういうわけで僕は父に君の母を紹介され、日本にやってきたってこと。これで僕の話はおしまい。なにかコメントは?」
すると直虎はまず琉歌を見た。琉歌は直虎に見つめられると首を横に振って云う。
「私は特にありません」
「そうか」
直虎はシザーリオに目を戻すと、しばらく黙った末に感想を云った。
「なんというか、おまえも大変だったな」
「琉歌ほどじゃないさ。それに君も、僕には話せない戦いとやらを睨んで鍛えているらしいし……みんな色々あるよね」
そう云ってシザーリオが苦笑いをすると、直虎も釣られて微笑んだ。
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